第50話
途端に佐治と隊長の視線が、彼に向けられる。途端に羽場は身を硬直させて、両手で胸の前に壁を作った。
「いや、そんな、ボク、何も知らないって! ホントだってば!」
「もう一つ、実際に彼らが行ったこと。勝田さんが無許可で戦闘地域と交信を行った訳ですが。これも到底、理系でもネットワーク技術者でもない勝田さんに可能だったとは思えません。つまりこれも、羽場さんの協力を臭わせます。以前羽場さんはテツジくんの目の前で、基地の通信回線に割り込んで、地球のインターネットから問題のある動画を落として見せた事があります」
「問題のある?」
怪訝に尋ね返す佐治に、羽場が慌てて言葉を被せた。
「いいだろ何だって! とにかくボクは何も」
「どうやら、キミから詳しく話を聞く必要がありそうだな」
重々しく呟いた隊長に、口ごもる羽場。そこで私は、隊長に片手を突き出した。
「待ってください。まだ続きがあります」
「何? これ以上、まだあるのか」
「はい。それで。私はきっと、殿下と勝田さんの計画には、羽場さんが協力したものだと考えています。では、その計画とは、一体何だったんでしょう。極秘通信に、マスドライバーの軌道変更。これだけならば隕石爆撃という佐治さんの推理が正しいように思えますが、実はまだ他にも、二人が極秘に行っていたことがありました。ハシリドコロの栽培です」
「ハシリ、何だって? 何だそれは」
「ハシリドコロ。アトロピンという毒物を持つ、毒草です。アトロピンは有名な猛毒らしいですが、ドクター、ご存じですか」
有名、を強調しながら彼女に話を振ると、僅かに躊躇った後、背筋を伸ばしながら答えた。
「え。えぇ。ベラドンナなどにも含まれる植物毒で、致死量は僅か数ミリグラム」
「症状は?」
「幻覚。それに激しい動悸」
「昨日のテツジの症状に、良く似てますね」
彼女は僅かに口ごもり、答えた。
「そうね」
「だというのに、ドクターはテツジがかつぎ込まれると、最初にウィルスや毒ガステロの可能性なんかを考え始めた。何故です?」
「何故って。それは」
「牧場には牧草が沢山あることはドクターも知っていましたし、現に基地に来た当初、人が口にしたら危ない植物について話されていたくらいです。どうしてドクター、私が白状するまで、植物毒中毒の可能性を疑わなかったんでしょう。変です。ドクターらしくありません」
「待ってくれ。その、誰の症状だって? 何の話だ?」
遮った隊長に、私はチームの不祥事について説明せざるを得なかった。テツジが牧草を摺り潰して、パイプで楽しんでいたということ。
しかしこれといって、隊長は怒りの言葉を上げなかった。ただただ呆れたように宙を見上げて、私に目を戻す。
「それで? 勝田女史が密かに毒草を栽培していた。何のために?」
「そのお話をする前に、もう一つだけ疑問があります。ハシリドコロの栽培については、温度管理、養分の供給などの面倒を、全て勝田さんが行っていたとされています。しかしこれも不可能なことだとしか思えません。何故かというと。隊長、基地の食堂で花瓶に生けられた花をご覧になったことはありませんか?」
「え? あぁ。そういえば見たことがあるが。それがどうした?」
「あれは戸部さんと木村さんが栽培されていたものなんですが、これについて木村さんはこんなことを仰っていました。『様々な品種改良が加えられている農業用植物に比べて、花はずっと弱い。それが自然の花となれば、更に大変』」
「隊長、説明させてください」
急に声を上げたのは、ずっと不機嫌な様子で俯いていた戸部だった。すぐに相棒の木村が彼を遮る。
「戸部、ダメだ」
「いや、もう終わりさ。このお嬢ちゃんは、全部知ってる」
隊長は気分が悪そうに彼ら見つめると、大きく頭を振った。
「おいおい、羽場、ドクター、それにキミら? ひょっとして全員グルだったなんて云うなよ?」
「あの、隊長」
「いや、段々面白くなってきた。彼女から最後まで聞こうじゃないか」
そう鋭い視線を向けられて、私は小さく息を吐いた。
「はい。つまり、そんな訳で。勝田さんがハシリドコロを栽培するのに、農家のお二人が知恵を貸していた。そしてドクターはハシリドコロからアトロピンを抽出する手伝いをしていたんじゃないかと。
さて、ここまで来て、最後の疑問です。戦闘地域に向けられたマスドライバー、極秘通信、そして猛毒のアトロピン。これで一体、彼らは何をしようとしたのでしょう。そのまま考えれば、殿下は隕石爆撃を計画し、勝田さんのアトロピンはアームストロング基地のテロに使われたとか、これからかぐや基地でのテロに用いるつもりだったとか。やっぱり二人はテロリストの仲間だということになってしまいます。でも、ここにいる幹部の方々の殆どが、そんな計画に力を貸すでしょうか。あり得ません。
じゃあ、一体。皆さんは何をしようとしていたんでしょう。
答えは、そう。隊長、こんな言葉を聞いたことはありませんか。『大抵の毒は、薬にもなる』」
「毒が薬に? 一体、何の薬だ」
堪えきれずに尋ねたのは佐治だった。
私は多少の優越感を感じて、彼に向き直る。
「ヒントは既に、全て明かしてあります。勝田さんの平和団体がやろうとしていたこと。アメリカ主導の禁輸措置。それに極めつけは、ここにいる皆さんが一様に仰っていたことです。『月には、国境なんて存在しない』」
「アトロピンは、サリン、VXガスといった毒ガスの、最有力の治療薬です」
厳しい口調で云ったのは、ドクター津田だった。
「はい。それはアトロピンを辞典で調べると、一番に載っていました」
しばらく顎髭を撫でながら黙り込んでいた隊長が、すっと顔を上げた。
「なるほど。キミらは月面で毒ガスの治療薬を生産し、マスドライバーで被災地に届けようとしていた。そうだな? ひょっとして、あれも元は勝田女史のハシリドコロだったのか? アームストロングでテロが起きたとき、ドクターが合成出来たと云っていた解毒薬も」
「はい」ドクターは真っ直ぐに背を伸ばしたまま、答えた。「実際、彼女が基地内でハシリドコロを栽培していると明かしてくれたのが、あの時です。正直驚きましたが、使わない手はありませんでした。現にあれのおかげで、十名以上の人命が助かっています」
「私もすぐに、変だと思いました。こんな資源が限られている基地で、そう簡単に解毒薬が作れるものかと」
と、私。続けて、ついに克也が口を開いた。
「それで、その話を聞いて。最初は躊躇しましたが、私たちは彼女の計画で一人でも多くの人間が助かるならと。上手く運ぶよう、手を貸していました。加えて、仮に計画が発覚しても、他に累が及ばないように工作を」
「知らぬは私と佐治ばかり、か」隊長は呟いて、顔を一撫でした。「考えたもんだな。しかし、最後まで私に感づかれることなく、やり通せると思ったのかね?」
「最終的には説明するつもりでした。しかし説得するにも材料が必要だと思ったんです。既に十分な解毒薬がある。さぁどうします、と」
「じゃあ何故、あの二人が捕らえられても黙っていた?」
「タイミングが悪すぎました。今の段階で明かしてしまえば、岡たちも、来たばかりなのに何もせずに地上に送り返される事になる。一生の損失です。このまま黙っていれば、あの二人もせいぜい地上へ強制送還で済むだろうという読みもありましたし」
これで私も、云うべき事は全て云った。後は隊長の裁断を待つばかりだったが、彼は難しい表情で腕を組んで、じっと俯いている。そして不意に大きくため息を吐くと、疲れた様子で全員を見渡した。
「さて。どうしたものか。こんな時に相談する相手は、普段ならキミらなんだがな」
「あの、隊長、黙っていたのは申し訳なく思ってますが」
克也の言葉を、鋭く遮る。
「あぁ。全くだ! 何て勝手なことをしてくれるんだ。隊員の喫煙から始まって、無断での毒物製造、そして幹部総出での医薬品の密輸計画? まぁテロ計画が佐治の早合点だったのは幸いだが、アメリカや筑波には何て説明したらいい? 誰か教えてくれ!」
皮肉を云っているだけで、本当に助言を求められている訳ではないのは、皆が承知していた。ただただ緊張した空気に包まれる牧場に、吸水ポンプが低く唸る音、そしてグウグウと鳴くウサギたちの声ばかりが響く。
隊長はそのウサギたちを軽く眺めてから、佐治に顔を向けた。
「佐治、二人を連れてきてくれ」
「了解」
事実を読み誤ったという負い目もあるのだろう、佐治は素直に従って、間もなく二人の人物を牧場に連れてきた。中に入るなり殿下は眼鏡の奥の瞳を細め、勝田さんは泣きそうなほどに顔を歪める。
「全部、ばれちゃったわ」
ため息混じりに云うドクターに、勝田さんは床の上に、フワリと座り込んだ。
「あぁ、そう。どうして?」
「彼女がね。全部見通しちゃったの」
そう指し示された私を見つめて、大きくため息を吐く勝田さん。これも何となく、私は予想していた。殊更に勝田さんの話題を避けようとするドクター。最初は単に嫌っているからだと思っていたが、事実が判明するにつれて、ひょっとして二人は以前からの知り合いだったのではないかと思いはじめていたのだ。
一方の殿下は、いつも通りの冷たい口調で云う。
「どうして黙っていなかった。こうなってしまえば、キミらまで強制送還されているのは目に見えていたはずだ」
勝田さんも顔を上げて、彼に続いた。
「そう。計画は全部、もし発覚しても、あなたたちや鳥取クン、豊橋さんには迷惑をかけないように考え尽くしてきたのに。全部無駄になったわ」
目を向けられた岡は、肩をすくめて見せる。
「だってよ。何か厭じゃん、仲間外れにされるのなんてよ」
「そうですよ。なんで最初から相談してくれなかったんですか。半年以上も、一緒に頑張ってきた仲間なのに」
私の言葉に、殿下は軽く息を飲む。そして周囲の視線を気にしながらも、珍しく弱々しい言葉を吐いた。
「キミらには、戦争なんて何の関係もないことだ」
「それは、殿下だって。血筋への義理から手を貸したのかもしれませんが、殿下自身はお国のことなんて知らないんでしょう?」
彼は再び黙り込み、そしてぽつりと、呟いた。
「だが、何かしなければならない。そう、思ったのだ」
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