第51話

「そう、ここにいるみんなが、そう思った」ふと隊長が立ち上がって、後ろ手に腕を組み、一人一人に鋭い視線を送りながら足を進めた。「それは賞賛に値することではあるが、あまりにも近視的すぎる行動だったと云わざるを得ない。戦闘地域への禁輸措置は、決して意地悪で行っている訳ではない。高度な政治的判断に寄る。長期的視野に寄るものだ。それを無視して我々が行動したところで、事態を悪化させるだけだ。それを理解できないほどの馬鹿者ばかりだったとは、私はキミらを見誤っていたのかもしれない」


 あ、悪い方に転がった?


 失敗だったのか?


 そう私が冷や汗をかきはじめたが、ふと隊長の言葉に奇妙なものを感じて、じっと考え込む。


 いや、隊長の言葉だけじゃあない。この暴露会議自体、何だか変だ。


 そして私は、首を傾げながら口を開いた。


「あの、すいません。私にはまだ幾つか、腑に落ちない点があります」


「え? なんだ。まだあるのか?」


「はい」そして、仏頂面を続けている佐治に目をやる。「佐治さん、殿下と勝田さんの捜査は、どのように進められたのですか?」


「何?」


 そんなことを答える義理はない、という様子で、隊長に目をやる。しかし彼が興味深そうに首を傾げるのを見て、渋々口を開いた。


「基地に来る前から、二人はマークしていた。素性が怪しすぎるからな。そしてアームストロング基地のテロだ。この基地の保安体制も強化する必要があった。そこで監視カメラや通信記録から、二人の行動を洗い出した。それだけだ」


「じゃあ、お二人を確保してからは?」


「何? 何がだ」


「お二人を確保して、黙秘されて、それで地上へ強制送還することにした。それだけですか?」


「何が云いたいかわからんが、さっきも云ったろう。月で何が調べられる」


「それです。変だなと思ったんです。『月で何が調べられる』。彼らが活動していたのは月なんですよ? どうしてもっと、関係者から事情聴取するとか、彼らの働いていた場所を捜索するとかしなかったんでしょう。ハシリドコロにしても、お隣を調べれば発見できたはずです」


「馬鹿云うな。仮に発見できたとして、オレに他の薬やら草やらとの区別が付くもんか」


「じゃあ、ドクターや農家の皆さんに協力を仰げば良かったじゃないですか」


「それこそ論外だ。ヤツらもグルだったんだろう? 適当に誤魔化されていたに違いない」


「でも、それすらやらなかった。あれだけ地上の訓練で、月面の危機管理がどれだけ重要かを力説されていたのに。それはないんじゃないですか?」


 言葉を継げずに、黙り込む佐治。そして他の面々は、云われてみれば確かに変だ、一体どういうことだろう、と、目を見開いて互いの表情を窺っている。


 この様子だと、少なくとも佐治に関しては、独断で動いた結果なのだろう。


「ですから。佐治さんはきっと気づいたのでしょう。殿下と勝田さんを捕らえた後で、どうもこれは幹部の多くが関わらなければ不可能な計画だったと。そこでどんな心理が働いたのかは知りませんが、とにかく佐治さんは表面だけの調査で済ませ、事態をとっとと片づけようとした」


 私の言葉を聞いて、佐治は吹っ切れたように椅子にもたれ掛かった。


「あぁ。まぁ、そんな所だ。幹部全員が相手だなんて、分が悪いしな。ヤツらが何か隠してるのに気づいて、オレは隠したいなら隠させておこうと考えた。下手な騒ぎこそ、基地を崩壊に導く。だがそれも、オマエが台無しにした。わかるか?」


「そりゃあ都合のいい責任転嫁ってものだ」さすがに頭にきたらしい隊長が言い放つ。「キミに基地をどうこうする権利はない。あるのは私だ。キミがするべきは、全てを私に報告し、裁断を仰ぐことだった。違うか?」


 途端に黙り込む佐治。


 私はほっと胸を撫で下ろしつつも、最後にもう一つだけ、付け加えなければならないことがあった。


「でも、それも変な話です」言い放った私に、一斉に視線が集まった。「えぇ。確かに隊長さんは、基地に全権を持っています。ただ他の方々と違って、隊長さんはこの基地の立ち上げから参画しているエンジニアだと伺っています。当然人員も限られていますから、溶接からプログラミングから衛星回線構築と、何でもやらなければならなかったはず。それだけ個々の技術の難易度もご存じでしょう?


 だというのに、たかだか高専生がマスドライバーの制御プログラムを書き換え、理系でもない勝田さんが衛星回線をハッキングしたと聞いても、何の追加調査も命じなかった。違いますか? 佐治さん」


 つい先ほどまで被告席に立たされていた佐治も、そういえば、というように眉間に皺を寄せた。


「いや。何となく妙だとは思っていた。隊長にしては、報告を鵜呑みにしすぎると」


「それに隊長、佐治さんに捜査の許可を与えるとき、仰っていましたよね。『魔女狩りは許さない』と。それもかなり厳しい口調で」どこでそれを、と目を剥く佐治と隊長に、私は素直に白状した。「すいません、何が起きているのか気にかかって、配線ダクトを伝って指令所の様子を窺っていたんです。とにかく、その件については何なりと罰を受けますが、変だと思いませんか? それだけ隊員の身辺を心配していた隊長さんが、佐治さんのおざなりな報告に納得するだなんて。ひょっとして隊長さんも、この事件に幹部の方が関わってると、最初から気づいていたんじゃないですか?」


 私、そして一同に向けて鋭い視線を向けながらも、黙り込む隊長。私としてもそれ以上のネタは何もなく、ただただその緊張で気の遠くなるような長い沈黙を堪えていたが、ようやく彼は綺麗に剃り上げた頭を撫で、云った。


「私は常々云っている。この狭い、極地の基地では、互いの信頼が何より大切だと。それは隊員同士の信頼だけじゃあない。私がキミらを信頼し、キミらが私を信頼してくれなければ、この基地の存在意義は酷く安っぽい物になってしまうだろう。単に来て、研究実験し、帰るだけの場所。しかし実際は、この月面にはもっと大きな可能性がある。キミらも感じていただろう、地上じゃあありえないほどの連帯感が、他の基地との間でも育まれている。ここじゃあ国境や人種の壁は何の意味もない。そんなことを云っていられるほどの余裕はないんだ。互いに協力し、信頼しなければ、すぐに何らかの危機が訪れる。その結果がアームストロング基地でのテロだ。アメリカは余りにも独善的な価値観で物事を運びすぎている。彼らは何者をも信頼しない。そして関係のない月面基地まで攻撃を受けてしまった。


 そう、変えなければ。この状況を、何とかしなければ。


 そう考えたのは、キミらだけじゃあない。私もだ。


 だがキミらは私を信頼せず、裏でこそこそと何かをやっている。あぁ、気づいていた。私もね。だが放置していた。キミらが下手なことをするはずがない。そう私は信頼していたんだよ。


 ところがこの騒ぎだ。私はいつ、キミらが全てを明かしてくれるかと待ち構えていた。しかし結局、キミらは私を信頼してくれなかった。二人をスケープゴートにして、全てを納めようとした。


 がっかりしたね。それと同時に、悲しかった。私はこの基地で、一体なにをしていたのかと。誰からも信頼されず、まるで筑波の手先かのような扱いを受けるようになってしまった! そこでどうして、キミらを改めて問いつめるようなことが出来ようか? そう、キミらがそれでいいと思うのなら、好きなようにさせよう。そう考えることしか、私には出来なかった。最後までキミらを信じ続けるのが、私の役目だと。そう思ったのだ」


 その言葉が本心なのか、それとも裏切りを働いた幹部たちの良心に訴えるための演技なのか、私にはわからなかった。


 だが彼の言葉が、私の心に深く突き刺さったのは確かだった。


 自分が信頼されていない。そうわかっていても、相手を信頼し続けることなんて、私には出来るだろうか。


 馬鹿ばかしい、そんなヤツらの企みなんて、拷問でも何でもして洗いざらい吐き出させ、最後には地上に強制送還にしてやる!


 きっと私が同じ立場にいたなら、そう考えてしまったろう。


 そう、元々私は、誰も信頼しなかった。


 テツジが何か悪さをしないかと目を光らせ、岡が何か重大な判断ミスはしないかと耳を峙たせ、殿下も岡やテツジに丸め込まれていやしないかと気を揉んできた。


 そうだ、私が唯一信頼していたのは、楓だけだったかもしれない。


 だが彼女は私を裏切り、男とよろしくやることを優先させてしまった。


 だが隊長の話を聞いているうちに、ふと、疑問に思った。


 ひょっとして彼らは、私を信頼していたんじゃないだろうか、と。


 私がどれだけ癇癪を起こしても、少なくとも岡と殿下は私が結果を出すのを辛抱強く待ち続けてくれた。そんなことは私には出来ない。私がテツジにしたように、細かく進行状況をチェックし、あら探しをしていたことだろう。


 それに楓。彼女がもし、私を信頼していたのなら。男程度のことで二人の友情が壊れることはない。いや、それ以上に、二人を繋いでいたはずの漫画の成否ですら、影響を及ぼすはずがない。それほどに彼女が私を信頼していたとするなら、私の方こそ、彼女を裏切ったことになりはしないか?


 わからない。


 私は彼らの信頼に応えるよう、努力してきただろうか? 彼らは私の信頼をかちえようと、努力していただろうか?


 こんなことを考えるなんて、私も変わったものだな。


 ふと虚ろに思いながら、私は口を開いた。


「すいません。皆さんが色々考えられて、行動していたのを。勝手にぶちまけてしまったのは謝ります。すいません。でも結局、皆さんが基地を大事に思っていて、戦争に対して、この月面基地が何かしなきゃならない。そう考えられていたことは確かでしょう?」私は隊長に向き直って、彼のしかめっ面を見上げた。「私も、そう思います。最初は戦争なんて、勝手にやらせておけばいい、くらいにしか考えてませんでしたけど。でも、この基地に来て、色々なことを自分たちでやって、色々な人に助けられて。よく、わからなくなったんです。私たちって、あの凄惨な戦争に対して。何か出来るんじゃないかって。ただ苦しんでる人を助けるのが、良いことかどうかも。今の私にはわかりません。でも、基地の皆さんは。一様に仰っていました。月に国境はない。争ってる余裕なんかないんだ、って。それは確かに、そうなんだと思います。そして、それを私以上に実感されてる方々が、みんな、苦しんでる人たちを助けるべきだと考えた。なら、それって正しいことなんじゃないかな、って。私も思って。隊長さんは、どうなんです? 本当に、皆さんがやろうとしたことは。近視的で、身勝手で、馬鹿げたことだったと」


 不意に隊長は、硬い顔のまま片手を振り、私の言葉を遮った。


「云われんでも、わかってる。私も仲間外れにされたくらいで拗ねるほど、子供じゃあない。だが、私はこの基地の隊長だ。そして隊長には、アメと鞭を使い分ける権利がある」


「は?」


 意味がわからなかったのは、私だけではないらしい。皆が怪訝そうに見つめる中で、隊長は急に破顔し、大声で笑い始めた。


「おいおい、どうしたみんな! 私が本気で怒ってるとでも思ったのか? キミらが私をのけ者にするから、少し虐めてやっただけのことさ! どうしてそんな面白そうな計画に混ぜてくれなかったんだ。えぇ? そんなに私が物わかりの悪い男だと? はっ、どうやらここのところ私は、司令所に籠もりすぎていたらしい。もう一度、キミらの信頼を得られるよう、努力しなければ」そして呆気にとられている一同に腕を広げて見せた。「どうした? 何をぼさっとしてる。せっかくの計画だ、もっと筑波やアメリカのことを考えて、上手いことやらないと駄目だ。それに百人や千人なんかじゃなく、もっと大勢。十万人や百万人を救える手はないのか? どうなんだ? えぇ?」


 いかにも楽しそうに話す隊長。


 一転私たちは緊張を解かれ、笑みを向け合っていた。

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