第47話

 ダッシュで現れたドクター。彼女は私から何があったかを尋ねると、慣れた手つきでテツジの具合を確かめ、すぐさま医療室に運んで検査を始める。その頃には彼は完全に意識が飛んでいて、身動きはしないまでも、先ほど以上に意味不明なことを呟き続ける。顔色は普段以上に真っ青で、身体も冷たくなっていて、さすがの私もヤバいんじゃないかと思い始めてしまった。


 一体何だって云うんだ? コイツ死ぬのか?


 まさか、この基地でも毒ガスが?


 その最悪の想像に戦慄したが、どうも彼の様子は、以前運ばれてきたアメリカ人たちとは違うように見える。それでも心配になって、彼のことはドクターに任せて牧場に向かう。


 無駄だとは思いつつも、息を詰めて扉を開ける。途端に何事もなく鼻をひくひくとさせているドナドナの姿が目に入って、ほっと息を吐いた。だがそれ以外の状況は凄惨で、テツジが暴れ回った所為か、あちこちに藁くずやら何やらが散らばっている。それでも幸いにして、施設に影響はなさそうだった。


「具合悪そうだったとかある? 風邪っぽいとか」


 すぐに医療室に駆け戻って、ドクター津田に問われるまま、最近の様子を答えていく。別に具合が悪そうなところは微塵もなかった。むしろ調子がいいくらいだった。別に私たちにも異常はないし、変なモノを食べたなんてことも。


 そこで私ははっとして、それでもすぐさま表情を消し去った。


「何? 何か思い当たることでも?」


「あぁ、いえ。それより、何なんです? 大丈夫なんですか、彼」


「まぁ今のところ、命に別状はないと思う」急に彼女は身を震わせ、口を開けはなった。「まさか、この基地でもテロが? 大変!」


 そう内線電話に飛びつこうとするドクターを、私は慌てて押し留めた。


「いえ、それはないと思います。さっき牧場の様子を確かめて来ましたけど、ウサギたちは元気でしたし」


「あら、そう。安心した。でも原因は何かしら。落ち着いてきてはいるから、安静にしておけば大丈夫でしょうけど。何らかのウィルスかも。隔離体制をしいた方がいいかしら」


「いや、あの」さすがに隠しきれないと諦めて、私は腹を括った。「実は、若干、心当たりがありまして」


「え? 何?」


 完璧潔癖主義のドクター相手だ、きっと罵倒されるだろうなと思いながらも、ぼそぼそと説明する。


 そう、雑草煙草のことを。


「なんて馬鹿なこと!」やっぱりか、とうなだれる私の前で、彼女は目を剥いて怒り始めてしまった。「雑草なんて、毒を持ったのが色々あるのよ? わかった、きっとアルカロイド系の植物毒中毒よ。幻覚に激しい動悸。間違いないわ。でも呆れたわ、煙にして吸った程度だから良かったものの、直接口にしてたらどうなってたことか!」


「あの、すいません。本当にすいません」とはいえ、テツジを庇うつもりは毛頭ない。「あの、目を覚ましたら良く言い聞かせておきますから、なんとか今回は穏便に。パイプも壊してしまいますし」


 それにしても雑草煙草だなんて、と、暫くドクターはプリプリしていたが、何とか彼女を宥めるのは成功し、運営には黙っていてくれるという約束を取りつけた。


 しかし、こんな時に、まったく。


 私はまるで怒りが収まらない。具合悪そうに呻いているテツジの頭を一殴りしてから牧場に向かい、岡を呼び出して事情を説明する。


「ったく、あの馬鹿! 丸刈りの刑にしてやる!」


「いや、ホント、申し訳ないとしか云いようがありません」


 私としても、深々と頭を下げるより仕様がない。そしてとにかく、彼と二人で散らかり放題になっていた牧場の片づけを始める。そして一通り散乱した機材を片づけたところで、彼はふと首を傾げた。


「でもよ、そんな毒な餌なんてあったか?」と、圧縮した藁束やペレットを積み重ねた一角に目を向ける。「基本、葉っぱ系は牧草だけだろ」


「でも、虫とか卵とかは注意しましたけど、葉っぱはそれほど厳密に検査した訳じゃないですから。多少野生の雑草が混じってても変じゃないですよ」


「なら、ウサギの具合が悪くなってもいいはずなのに」


「だから、たまたま彼が毒草を当てちゃっただけなんじゃ?」


 それでも、うーん、と首を傾げる岡。私はテツジが楽しんでいた現場であろう例の〈聖域〉の付近に飛んでいって、辺りを確かめる。そしてすぐに、あれっ、と声を上げた。


「花ですよ」


「花?」


「えぇ。これ」


 枯れてカピカピになりつつも、なんとか原形を留めている花を取り上げた。紫っぽい色をしていて、釣り鐘のような形だ。茎は三十センチくらいあって、少し膨らんだ根っこが付いている。


「きっとこれかな、テツジが吸ってたの。牧草の中に花なんて物珍しいから、試してみたくなったのかな」


 呟きながら茎をクルクルと指先で回していると、急に岡が身を翻して三階から飛び降りていった。


「やっべぇ! やべぇよそれ!」


「え? 何が?」


 慌てて後を追うと、彼は身軽にウサギ駕籠の間を飛び歩きながら、中の様子を確かめていく。


「そんな根っこみたいなの、見た覚えあんだよ! 餌の中に!」


「そんな、まさか! そんなに沢山混じってるはずが」


 大事な商品が毒入りになってしまうなんて、絶対に許される話じゃあない。私と岡は手分けして、駕籠の中の藁や枯れ草、そしてウサギ自身の調子を確かめていく。


 そして最悪の事態。十二駕籠中、六駕籠に、どうも例の根っこと思われるような食い滓が残されていたのだ。


 さすがの岡も、言葉が出てこない。呆然として集められた食い滓を眺めていたが、一方の私はウサギの具合を確認して、割と楽観的になっていた。


「別に変わった様子はないですよ。もし効いてたなら、こんな静かに寝てられるはずがないですもん。テツジの暴れ具合からして、大騒ぎになってたはず」


「そういえば」と、岡も私の後ろから篭を覗き込む。「思い出した。ウサギって結構、植物毒に耐性があるんだよ。何だったかな。それで麻酔も効かなくて、獣医も大変だとか」


「でも、肉に残ったりしないんですかね?」


「さぁ。明日、朝一にでもおばちゃんに聞いてみるか」


 久しぶりに出た名前だ。それがいい、と思いつつも、それにしても、と首を傾げ、私は食い滓の並べられたトレイを覗き込む。


「変ですね。どこからこんなに紛れ込んだんでしょうね」


「これこそテロだぜ。牧草って北海道産だったよな確か」頷く私。「クソッ、公団の検疫の手抜きだぜ」


「まぁでも、こんなの牧草の中に紛れ込んでても見つけようがないですし」


 そこで私ははっとして、思わず口を噤んだ。


「あれっ? でも変だな」


 続けて首を傾げる私に、岡が怪訝そうな顔を向ける。


「何よ。何か心当たりが?」


 こうなってしまえば、例の煙草事件について話すより他になかった。まったく、勝手なことをしたものだと思うが、他に手の打ちようがあったろうか。


「まぁ、ゴッシーはオレらに心配かけないようにしたんだろけどさ」そう、意外と怒りの表情も見せず、岡は腕組みして考え込む。「何でも話してよ。オレ、そんなゴッシーの意見、無視したことあるか?」


 何度か心当たりがある。だがここでそれを云っても美しくない。とにかく平謝りして、話を元に戻そうとする。


「ともかく、そんな訳で。お隣で破棄に回す予定だった桑の残骸をもらってきてたんですけど。これって桑の花なんですかね?」


「いやぁ。でも桑の葉っぱなんて、確かこんな形じゃないぜ?」


 結局この植物の正体がわからないことには、推理の進めようがなさそうだった。


 とはいえ、ここ数ヶ月で多少ウサギが食べるものについて詳しくはなったが、この枯れた一輪の花からでは品種の特定の仕様がない。パソコンで植物辞典を眺めても、似たような花が次から次へと出てくる。


「参ったな。おばちゃんなら、わかるんだろうけど」そう岡が見上げた時計は、既に十二時を回っていた。「さすがに寝てるかな」


 パソコン通信のコンタクトリストを開いてみたが、彼女の名前はオフラインになっていて、これでは通常の電話しか連絡の取りようがない。そうなったら運営に頼み込まなければならなくなって、話がややこしくなるのは間違いない。


「うーん、どうするかなぁ。明日に持ち越すのも気分悪いし」


 岡の沈んだ言葉に、考え込む。


「そう、鳥取さんなら、わかるかも」


「鳥取って、あの総研の若造?」


「えぇ。花とか好きだって云ってましたし。専門もバイオですし。私たちよりは」


「でも、これって多分、お隣で育ててるヤツなんだろ? 何か面倒なことになりそうじゃね? 破棄したの、こっそりもらってたなんてばれたら」


「鳥取さん、緩いですから。話しちゃって大丈夫だと思いますよ?」


 再び考え込んだ岡は、結局頷く。


「まぁ、背に腹は代えられねぇな、今は」


 早速私は、受話器を取って内線番号を叩く。鳥取はまだ起きていたようで、とにかくすぐに来て欲しいと頼み込むと、五分後には牧場に姿を現した。


 一通りの説明が済むと、彼は見たことのない厳しい表情で、枯れた花を慎重に照明にかざした。


「驚いたな」


 それが彼の、最初の言葉だった。


「え? 何なんです? それ」


「いやぁ。その。ちょっと待ってもらえますか」


 云われるがままに、私と岡はじっと彼の背中を見つめ続ける。しかしまるで微動だにしなくなってしまった鳥取に痺れを切らし、岡は詰め寄るように顔を覗き込む。


「で? 何なんすか、それ」


 驚いたように顔を上げる。


「あ。あぁ。すいません。モノはわかるんです。でも、どうしてこんなものがあるのか、まるでわからなくて」


「そちらで栽培してるものじゃあないんですか?」


「違います。少なくともボクは知りません」


 微妙な言い回しに、首を傾げる。


「じゃあ、やっぱり牧草に紛れ込んできたのかな」


 呟いた私に、彼は椅子を回して枯れた花を掲げて見せた。


「いえ。それもないです。だから悩んでまして。これはハシリドコロと云って、本州以南に自生する多年草なんです」


「本州以南?」


 首を傾げた私に、重々しく頷く。


「えぇ。先ほど、牧草は北海道産だと仰いましたよね。ですから牧草に混じって持ってきてしまうはずがない、というのが一つ。それに主に山間部に群生するものですから、やっぱり牧草と混じるということは」


「それよりこれ、やっぱり毒なんすか?」


 じれったそうに遮って、岡が尋ねる。


 今度も鳥取は、重々しく頷いた。


「ハシリドコロって、変な名前でしょう? 食べたら走り回ってコロっと逝っちゃうからなんです」


「そんなに」思わず呟いて、岡と顔を見合わせる。「よく、彼、無事でしたね」


「まぁ普段から変なもんばっか食ってるからな、アイツ」


「いえいえ」と、鳥取は僅かに苦笑した。「煙にして吸引した程度だったから、幻覚や動悸程度で収まったんでしょう。これに含まれている毒はアトロピンといって、非常な劇薬です。致死量は確か、一グラムもなかったはず」


「へぇ、おっかねぇ。でもそんなの食って、良く平気だったなこいつら」


 怪訝そうにウサギたちを見渡す岡に、鳥取は急に歯切れを悪くしながら云った。


「さぁ。その辺はボクも良くわからないんで、検査はした方がいいと思うんですが。それより、どうしてこんなものが月にあるのか」


 そりゃあ、と、私と岡が悩ましく顔を見合わせる。一方の鳥取は難しい顔で枯れた花を睨み付けていたが、思い立ったように腰を上げた。


「どうも変です。こちらで持ってくるはずがない。だとしたらやっぱり、ウチで栽培している可能性も考えないと」


「それ、どういうことです? さっきも。少なくともボクは知らない、だなんて」


 私と同じ所に引っかかっていたらしい岡が云うと、鳥取は僅かに躊躇ってから、思い切ったように云った。


「実は、ウチには勝田さん専用の育成モジュールがあって。そこで何をしているか、ボクも知らないんです。もしこんな毒を勝田さんが密かに作っていたなら、大変な話ですよ。例のテロの話と関係あるのかもしれません」

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