第35話

 基地の滞在もあっと云う間に二週間を越え、そこでの仕事はもはや日常になりつつある。牧草は合成樹脂スポンジの上に青々とした新芽を息吹かせていたが、ウサギへの解放までには、まだ一月以上かかる。作業もルーチンワークが多くなり、身体が軽いということ以外は高専寮での日々とたいして変わらない惰性感が漂っていた。


「よっ、ゴッシーちゃん」


 と、狭い通路を歩いていて合わせる顔も、いつも通り。どうも私と上井克也の行動パターンは似通っているらしく、こうして朝に出くわすこともしばしばだ。


 どうも、と半分寝たまま頭を下げ、すぐに彼のことは意識の外。しかし急に例の禿髭顔が目の前に出てきて、私は思わず息を飲んでしまった。


「どうした?」


「いや、別に。そちらこそ何です急に」


「いや、夢遊病じゃなかろうな、と思ってだな」


 そのまま彼と並んで、ふわふわと通路を歩く。


「いやぁ。今日は休みなんですけどね。習慣で目が覚めちゃって。何しようかと。ふらふらと部屋から出てみた訳です」


「まぁ、休みっても、することねぇしな、この基地じゃ」


「えぇ。別に働いててもいいんですけどね。多少は気を抜く日も必要だと、ドクターが」


「まぁ、あの人には逆らわねぇ方がいい。隊長と仲いいからな。色々と面倒なことになる」


「っぽいですねぇ。克也さんは、今何を?」


 そこで彼はふと立ち止まって、宙に意識を向ける。何だろう、と首を傾げているところで、克也は軽い視線で私を見下ろした。


「そういや、ゴッシーちゃん、SFとか好きだったか? 面白いかわからんが、これからマスドライバーの発射テストを」


「えぇっ!」云い終える前に叫んでしまう。「マスドライバーってあれですよね! 超伝導コイルでコンテナを発射するってヤツ! 見ます! いや、見せてください! お願いします!」


 思い切り乗ってきた私に戸惑ったらしかったが、そんなことは気にしてられない。なにしろ月面基地で見たい物、第一位だ。その動作原理は、基本的にリニアモーターカーと変わらない。超伝導コイルの反発力を利用してコンテナを加速し、地球に向けて放り投げる。コンテナには小型アクチュエーターが備えられていて、細かく地球へ向けての進路を調整し、減速し、大気圏に突入。最後はパラシュートを開いて目的地に辿り着く。ロボットや無人制御を大得意とする、日本ならではの技術だ。


 とはいえ、これを一人で見に行ったとなれば、後で何を云われるかわかったもんじゃない。私は牧場に文字通り飛んでいって、黙々と働いていた三人に声を掛ける。


「おぉ、それを見ないで、なんのために月にまで来たっての!」岡は手にしていた鍬を投げ捨てて、ビシッとテツジに指を指す。「おい、テツジは留守番な。散々作るの手伝ってたろ?」


「云われんでも、いいわオレ。行ったら何か仕事押しつけられるし」


 そして殿下をも伴って、三人でマスドライバーの射出場に向かう。そこはエアポートのすぐ脇にある半地下の施設で、荷受け場も含めた倉庫のような構造になっている。問題のマスドライバーは黒々としたパイプ状で、倉庫の中を真っ直ぐに伸び、その先は壁の中に潜っている。さらに先では地表に顔を出し、そのまま長大な砲のように地球に向いているはずだった。


 パイプの所々には、超伝導コイルが設置されている。そして末端にはコンテナを格納するための開口部と、コイルの出力を微妙に制御して射出軌道を変えるための大きなコンピュータが設置されていた。


「うおー、すっげぇ!」思わず呟きながら、忙しなく何らかの準備をしているらしい赤黒のツナギたちの間を縫って回る。「またこの超伝導コイルが渋いですね! メカメカしてて!」


「なんすか、メカメカって」岡も苦笑しつつも、目を輝かせながら身を屈め、奥の方をのぞき込む。「すげぇ電気食うんだろな、コレ」


 コンピュータの前には羽場がいて、例によってちょこまかと歩き回りながら技師たちに指示を下している。私たちがあちこちを眺めながら歩み寄っていくと、大きく手を振って注意を向けさせた。


「ワオ、お二人さん。じゃない、殿下もいるのか。ボクの晴れ舞台を見に来たの? まぁ期待にお答えして凄いの見せちゃうよん? 考えてもみてよ、このコンテナってヤツ? 中に何が入るかわかんないし、重さも重心もバラバラ。それをさ、このでっかい大砲で撃ち出して、何万キロも離れた場所に当てなきゃなんない。これがどんだけ大変なことだかわかる?」


「相当な、制御がいるんでしょうね」


 冷静にコンピュータの画面を覗き込む殿下。


「そっ。凄いよ? このマスドライバーの筒の中から出て行くときに、軌道に一ミリでもずれがあったら、大気圏に突入する時に燃え尽きちゃったり、変な所に落ちたりする。だからこのコンピュータで射出する物体を解析して、ものすごい早さで百二十八個の超伝導コイルを制御して、自動的にコンテナの射出速度と方向を計算して反映させちゃうんだ。これ、すんごい重要なプログラムなのよ?」


「それは、間違って北京や上海にでも落ちたら大変ですからね」


「それ」と、岡のクセがうつったらしい羽場は、ビシッと殿下を指さす。「そんなことになったら戦争になっちゃうからね。だからプログラムは何重にも診断プログラムが重ねてあって、間違っても日本の領海以外には落ちないようになってる。それに――」


 延々と続く講釈を殿下は真面目に聞いていたが、私と岡は半分くらいから理解不能に陥っていた。それはそうだ、ちゃらんぽらんな所があるとはいえ、羽場も工学博士の称号を持つエリートには違いない。


「ま、そんな訳で、今日はテスト。この、大気圏に突入したらすぐに燃え尽きちゃう貧弱コンテナを、国際宇宙ステーションにあるマスステーションまで送ってみようの巻なんだな」


「いいから、さっさと始めようぜ。準備は終わってる」


 いつの間にか背後にいた克也の、うんざりとした台詞。羽場は大げさに頭を振って見せて、腰に手を当てた。


「マッタク、このテストの重要性がわかってるの? ボクのプログラムがちゃんと動くかどうかは、そっちがちゃんと設計通り装置を作ってるかによるんだから」


「散々チェックしてプログラムの補正をしただろうが。まだ不安か?」


「補正をしたのはボク。オッサンには無理でしょ?」


「はいはい。どうせドカタのオレには、プログラムなんて無理だよ。それでいいから、さっさとやろうぜ」


「いや? わかってればいいんだ。さ、やってみようか」


 相変わらずな議論に続けて、羽場はマイクを手に取って技師たちに待避を促す。そしてガラスと隔壁で仕切られた制御ルームに私たちを伴って向かい、遠隔コンソールの前に座ってキーを叩いた。


「ヘイヘイヘイ、チェック、チェック、チェックっと」ヘッドセットを頭に装着して、通信を始めた。「司令室? そろそろ始めるよん? コンテナ追尾の準備出来てる? 筑波には?」


 そうやってテキパキと幾つかの手続きを終えてから、マイクを手にとって、射出場に残っていた克也に指示を出す。


「さって、コンテナ突っ込んで。ロック」


 ガラスの向こうの彼は、傍らの合成樹脂製コンテナを軽々と持ち上げ、開口部に納める。そしてバクンとハッチを閉じると、幾つかの留め金をかけていった。それが終わると彼も制御ルームに飛んできて、射出場には誰もいなくなった。


「確認、確認、確認」指さし確認して、パチンと壁際の赤い大きなボタンを叩いた。途端に射出場との間の隔壁が低い音を発した。「無人確認、射出場気密確認。これでマスドライバーが爆発しても大丈夫だ」


「爆発するとしたら、アンタの製造ミスしかないよ」厭そうに呟いてから、羽場は幾つかのキーを叩いた。「オッケー、司令室聞いてる? 超伝導コイル通電開始! センサー始動!」


 ガチン、と、遠くの方から音がした。続けてコイルに取り付けられた冷却装置やらコンプレッサやらが低いうなり声を上げ始め、ファンからは高熱らしい揺らぐ空気ともくもくとした白い煙が、そして長大なマスドライバーの各所からは、パチン、パチンと火花が迸る。


「おいおい、大丈夫かよ」


 不安げに呟く岡に、羽場は振り向きもせずに人差し指を立ててみせた。


「大丈夫だってば。今日は試験だし。あとでシールドしとくよ。オッサン、そっちはどう?」


「全コイル、正常に稼働中。に見える。オマエのプログラムが変じゃなきゃな」


「オッケー、じゃあ、いってみようか。司令室、筑波とクロック同期出来てる? わかった。じゃあ予定時刻に向けてカウントダウン開始」


 射出場と隔てているガラスの上部に、何枚ものモニターがぶら下がっている。それが一斉に明かりを灯すと、月面に突き出ているマスドライバーの各所の映像、そしてカウントダウンの数字が浮かび上がった。


「はい、行くよ? 5、4、3、2、1、ロック解除!」


 彼のかけ声と同時に、ゴスン、と射出場全体が揺れた。マスドライバーの砲塔は、コンテナの加速に従って美しい青白い火花を真っ直ぐに煌めかせ、それはあっというまに月面カメラ側に移っていく。


 暗く、灰色の大地。そこに延びる真っ黒な砲塔で、根本から先端に向けて青白いプラズマが走っていく。そして最後に、砲塔の先端から、白いコンテナがもの凄い速度で射出された。


 見届けた一同は、しばらく無言のまま、白い軌跡を追っていく。しかしそれも米粒のようになって消えてしまうと、羽場は我に返ってもの凄い速度でキーを叩き始めた。


「えっと、正常に射出された。ように見える。司令室? 追尾は? オッケー、じゃあ筑波に繋いで。それとオッサンは設備の確認。あ、待って、その前にログを」


 慌ただしく動き始める技師たち。私たちは暫く、呆然として頭上のモニターに映る星々を眺めていたが、不意に殿下が私と岡の肩に手を置いた。


「邪魔になる。出よう」


「あ。あぁ。そうだな」


 応じた岡に続いて、私も射出場から出る。そして通路を漂いながら、何度も何度も、あの瞬間を回想していた。


「いいなぁ。オレもあぁいうの作りてぇ」


 呟いたのは岡だった。


 そう、ロボットも憧れだが、あのもの凄いパワーを持つマスドライバーには、何だか人類の運命を変えてしまえるような力を感じずにはいられない。


 種子島で初めてロケットが打ち上げられるのを見た時の感動に似ている。


 些細なことで悩んだり、諍いをしているつまらない人類。それでも力を合わせれば、あれだけのパワーを生み出すことが出来る。


 愛とか平和とかなんかじゃない、明らかに目に見える、破壊的な力。


 それは私にとって、希望であると同時に、畏怖でもあるように感じられた。

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