第11話

 それは、殿下の云うことはいつも正しい。間違ったことは何一つ云っていない。とはいえ、誰でも彼のように論理的に考えられる訳がない。特にこの二週間、私はストレスで頭が爆発しそうになっていた。


「駄目ですよ、後藤さん。何か違うんですよねぇ」


 今日もまた桜庭に駄目出しをされて、いい加減に私はキレてしまった。


「なんでよ? なんかさ、無理にあら探ししてないか?」


 これまでに三度、桜庭に『一般受け』する漫画のネームを送っていた。だが彼はその度に、訳の分からない理由で文句を付ける。今日こそはと思って、いつも楓と打ち合わせをするファミリーレストランに呼び出して、直接話をつけるつもりだった。


「そうやってライバルを一人、潰す気じゃないだろうね? 今日こそはちゃんと、駄目な所を説明してもらうよ」


「そう云われても」彼は慌てたように云って、丸刈りでほっそりした顔に乗っている眼鏡の位置を直した。「なんて云うか。今までに見せてもらったのって、普通の話じゃないですか」


「そうだよ? そう描けって云ったの、桜庭氏じゃないか」


「いや、違うんですよ。普通って云うのは、オリジナリティーがないってことなんですよ。ボクはそういうのを後藤さんに描いてもらいたかったんじゃなくて」


「わかんないな。だってさ、云っちゃぁ悪いけど、桜庭氏が投稿しようとしてるのも、とてもオリジナリティーがあるとは思えないよ? それが『一般受け』する話なんじゃないの。違う?」


 彼はショックを受けたように、顔を歪める。


 ほら、みろ。後藤楓は口が悪いんだ。


 私なんかに絡んだオタクが悪いんだからね、と胸の内で呟いている私に、彼は大きくため息を吐いた。


「そう。そうですか。オリジナリティー、ないですか」


「あるとは思えないね。アレに比べたら、桜庭氏が後から送ってきた、訳のわかんない話の方が好きだな私は」


「訳、わかりませんか」


「わかんないね。けど、何かパワーは感じる」云いながら、私は煙草に火を付けた。「だから云ったろう? 一般受け狙ったって、何の意味もないのさ。そりゃ、賞が穫れるかもだけどさ。桜庭氏だってさ、何が一般受けなのか、わかってないんじゃない? だから自分のは良くて、私のにばっかり文句を付けてくる」


「いえ。そんなことはないんですけど」


「じゃあ、何? 私の何処が駄目で、桜庭氏のは何処がいいのさ」


 彼は腕を組んで、暫く考え込む。そしてふと顔を上げると、自らの原稿を取り出した。


「ボクのは、殺された主人公の魂が猫に宿って、自分を殺した犯人を捜します」


「それがオリジナリティーだってのか? いくらでもあるじゃん、そんな話」


「でも、猫は猫とは話せますけど、人とは話せません。犯人がわかっても、通報できません。何より電話のプッシュホンを押せないし、鉛筆も持てません。それにだんだん、主人公の魂は猫のそれに変わっていって、意識がはっきりしなくなっていって」


「だから何なのさ」


 私はため息を吐いて、煙草を吹かした。殿下のように何でもスパッと割り切られて話されるのも困ったものだが、彼のように曖昧な台詞を続けられるのも辟易してくる。


 桜庭は困ったように首筋を掻いて、原稿から目を上げた。


「つまり、一つ一つはありふれた設定かもしれませんけど、それを組み合わせた話はないんですよ。だからいいんです」


「何が?」


「つまり」言葉を探すように、宙に視線を泳がせる。「後藤さんのには、ありふれた設定しかないんです。そうだ、それですよ! ありふれた設定だけがあって、見たことのない組み合わせがないんです」


「わかんないな」


 首を傾げる私に、彼は急に堰が切れたようにまくし立てる。


「いつも後藤さんが描いてるお話は、珍しい設定で、珍しい展開をするんです。だからマニアじゃない普通の読者は、見慣れない話に戸惑っちゃって、ついていけなくなるんですよ。だから一般向けじゃないんです。わかります?」


 なんとなくわかったような気がして、私は眉間に皺を寄せながら考え込んだ。


「つまり、半分は読者に併せて、半分は突き放せってこと?」


「そう! そう! そんな感じです」


 私は帰りの電車に揺られながら、ぼんやりと考え続けていた。


 ありふれた設定に、珍しい展開。


 その逆でもいい、珍しい設定に、ありふれた展開。


 確かにそう考えると、私が適当に作ったシナリオが駄目な理由もわかってくる。頭から最後まで何の変哲もない。


 じゃあやっぱり、私が普段考えてるような突飛な展開にして、設定だけを日常に近づければいいのか。


 そんなことを考えながら寮に戻り、食堂で生姜焼き定食を食べる。


 日常。


 日常ねぇ。


 そもそも私の日常からして、一般人の日常からかけ離れている。私の同年代の人間は、殆どが高校生や大学生。高専なんて特殊な学校にいるのは一握りだし、更に寮に入っていて、漫画を描いて、卒業研究の担当教官が突然亡くなられるだなんて。徹頭徹尾、常軌を逸している。


 けれども、ある面では日常を過ごしているのには変わりない。少ない小遣いをやりくりして、大人の目を盗んで煙草を吸い、夢を持ち、生姜焼き定食を食べて、寝て。


 だとすると月面基地は、私よりも更に日常から離れているに違いない。低重力で、何もかもが足りなくて、煙草も吸えず、肉も食べれず。桜庭流に云うなら、それは『バランスが取れていない』のだ。別に基地は一般受けを狙って運営されている訳ではないだろうが、克也の行っている拡張工事が終われば、百人を超える人間が定住することになる。そうなれば、一般人にとってみれば遙か手の届かない所であったはずの基地も、日常に近づいて来ざるを得ない。


 だとすると。


「あら、今日は独り?」


 不意に話しかけられて、私は掴みかけた何かを、パッと手放してしまった。


 あれ、私は何を考えていたんだろう?


 そう思い返してみても後の祭りだ。私は早々に諦めて、意識を栄養士のおばちゃんに向けた。


「えぇ。その。今は個別行動で」


「個別行動?」


 そう首を傾げるおばちゃんに、私は進捗状況を簡単に説明した。


 あら、そう、と心配そうに相づちを入れるおばちゃん。


「やっぱり、大変そうねぇ。私に何か手伝えることがあればいいんだけど。出来ることって云っても、何か美味しいのを作ってあげることぐらいだし」


「いえ。いいんですよ」


 そう愛想笑いを浮かべたが、私は不意に何かが引っかかるような感触がして、眉間に皺を寄せた。


 何だったろう。


 そう、半分突き放して、半分併せる。


 日常。組み合わせ。


 美味しいもの。


 生姜焼き定食。


 私は怪訝そうな顔をしているおばちゃんに目を向けて、ふと尋ねた。


「あの。普通、肉って云うと。牛肉とか豚肉とか。あと、何があります?」


「え? そうねぇ」


 何のことだろう、と首を傾げるおばちゃんに、私は付け加えた。


「聞いた覚えがあるんですけど。マグロは頭から尻尾まで美味しいって。それで、肉が食べられる家畜の中で、一番全体が活用出来るのって。何でしょう。皮とか、毛とか、骨とかまで」


「そうねぇ。牛や豚も皮は加工出来るけど。やっぱり羊かしら? 毛はもちろん、お乳は飲めるし、チーズにもお酒にもなるし。骨はどうかしら。わからないけど」


 羊か。結構でかいな。


 例のモクモクとした姿を思い浮かべながら、首を捻る。


「あ、餌は? どうでしょう。なるべく雑食で、何でも食べるようなのだと」


「羊は何でも食べるわよ?」


「繁殖能力は? 結構増えます? あと、糞とか、何かに使えたりします?」


「ちょっと。ちょっと待って。まず、何の話なのか説明してちょうだい。じゃないと何も思い浮かばないわ」


 それはそうだ。


 私は一息吐いて、頭を整理した。


「つまり、こうなんです。私たち、元素とか化合物とか、それ単体での収支を計算していたんですけど。もしそれを一度に、複数生産出来るなら、当然収支は良くなりますよね」


「それはそうね」


「それで、克也さんが仰ってましたよね。一番足りないのは肉だって」


「あら。あれは冗談で云ってただけで」


「いえ。そうじゃないと思います。やっぱり、月面基地っていう閉塞された環境だと、ストレスが溜まるじゃないですか。美味しい物を食べたいっていうのは、基地にいる人たちはみんな思ってるはずです。だとするなら、それを供給するのが、一番いいことなんじゃないでしょうか」


「そうねぇ。それはそうかもしれないけど」


「それで肉を供給するには、家畜を飼えばいいですよね。それで家畜って、肉だけじゃなく色々なものが提供できますよね。それで一番手のかからない、それでいて頭から尻尾まで活用出来るような家畜なら、ひょっとして元が取れるんじゃないかと思ったんです」


 なるほどねぇ、とおばちゃんは感心したように唸った。


「でも、だとすると牛や羊は駄目よ」


「え、どうしてですか?」


「反芻動物だもの。胃が沢山あって、ゲップするの。ゲップには沢山メタンガスが含まれてて、地球の温暖化の原因にもなってるわ。煙草の話をしていたけど、空気清浄にもの凄くお金のかかる月面基地じゃ、とても無理でしょうね。かといって豚は、肉くらいしか使わないし。皮もそれほど人気はないし」


「じゃあ、他には?」


 彼女は少し考え込んで、そして不意に笑い声を上げた。何だろう、と首を傾げる私に、大きく頭を振ってみせる。


「いえね。あまりにも出来すぎた話だから。何だか嫌になっちゃって」


「何がです?」


「いえね。今じゃ、物資が有り余るほどあるから、贅沢もあって牛や豚を食べるでしょう? けど昔、戦時中はね、それこそ月面基地のように資源が限られていたから、五所川原さんと同じような考えで、効率のいい家畜を飼うのが推奨されたの。肉が食べられて、毛が防寒具に使えて、雑食性で、繁殖力が強くて、手間がかからなくて」


「そんなのがいるんですか!」


「えぇ。私もペットで飼ってるんだけどね」


「飼ってる? それって、何です?」


 まるでじらすような彼女に勢い込んで尋ねると、おばちゃんはおかしそうに云った。


「何だと思う? ウサギよ! 戦時中はウサギを飼うのが推奨されたの。でも、ちょっとおかしいわよね、月でウサギを飼うだなんて!」


 私は呆然として、背もたれに倒れ込んだ。


 確かに、月でウサギを飼うだなんて。


 あまりにも出来すぎている。美しくない。


 そこまでして一般受けしたいか?


 そう、後藤が目を剥きだしてカンカンになっていた。

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