第12話

 私がおばちゃんの話たことを〈新☆宇宙工学研究室〉で発表すると、途端に岡はニヤニヤしはじめ、テツジは私を小馬鹿にした目で眺めた。


「いや、ゴッシーさん」と、岡は笑いを堪えながら云う。「月でウサギを飼うだなんて。安直すぎない? お笑いの世界は、そんなに甘くないよ? なぁ、テツジ」


「別の意味で、笑いは取れるかもだけどな」


 そう、二人揃って気味の悪い笑い声を上げる。


 そりゃそうだ、私だってそう思う。


 ため息を吐いて殿下に目を向けると、彼は眉間に皺を寄せながら暫く考え込んで、鋭く質問を発した。


「五所川原さん。それに上井さん。最終的な収支については、どう考えますか」


 私は手元の計算用紙をめくった。


「それが、なかなか見通しが立たないんです。沢山の要素が絡みすぎているので。今は何とも」


「餌は?」


 それはおばちゃんが引き取った。


「ウサギは品種にもよるけど、基本的に草を食べさせておけば死にはしないわ。繁殖力があれば何でもいい」


「なるほど。面白い」


 呟いた殿下に、岡は怪訝そうな顔を向けた。


「なんだ、殿下まで。せっかく調べてくれたゴッシーとおばちゃんには悪いけど、こんな研究を応募したら笑い物になるぜ?」


「日本人は月のクレーターをウサギに見立て、様々な伝説を作り上げているが、それは研究には無関係だ」静かに云って、彼は手元の紙をめくった。「実は私も、つい先ほどまで動物性タンパク質の収支を調べていたのだ。月面基地で有望とされていた動物性タンパク質の生産方法としては、虫の飼育が研究されていた」


「虫? 虫を食うの?」


 嫌そうに云ったテツジに、冷静に応じる。


「あぁ。虫は動物性タンパク質、そして各種栄養素の源として非常に望ましい性質を持っているのだそうだ。それに繁殖力も非常に強い」


「そうね。昔はイナゴや何か、普通に食べられていたしね」


 付け加えたおばちゃんに頷いて、殿下は続けた。


「だが、味は云うまでもなく、副産物も何もない。それと比べるのなら、五所川原さんの提案は非常に魅力的に見えるがな」


「でもさ、もしそうなら。今までに誰かが研究しててもいいんじゃない? ほら、この間まで月面基地の論文を読みあさってたじゃない。その時、家畜ならウサギを飼うのが理想的だなんて、見た記憶がないぜ」


 岡の指摘は尤もだ。


 やっぱり、何か欠点があるのだ。


 そう私がため息を吐いていると、何でもないといった様子で殿下が云った。


「もう少し詳しく調べてみないと何とも言えないが、ひょっとしたらキミたちのように、既成概念が邪魔をしていたのかもしれないな。月でウサギを飼うだなんて、出来の悪い冗談にしか聞こえない、とね。日本は先進国にしては珍しく、八百万の神々と云われる自然崇拝が広く生活に根付いている。科学者とは云え、伝承や神話に縛られていないとも云えない。私は十分、調査してみる価値はあると思うがね」


 ともかく私たちは、月でウサギを飼う方法を手分けして調べ始めた。岡とテツジは当初気乗りしない様子だったが、膨大なリストの中の物品を追うのに辟易していた彼らは、ひとまず気晴らしとして受け入れたようだった。


「へぇ、凄いのな。テツジ、ウサギって生理がないんだと」


 ウサギの辞典、なる本を読みながら、岡は私とおばちゃんにはばかるような声で云う。


「生理がない?」


「そうそう。一年中交尾するし、種が入ってきたら確実に妊娠するんだと」


「そう!」おばちゃんが笑いながら声を上げた。「一年中交尾する哺乳類は、ヒトとウサギくらいだって云われてるわ。妊娠してる時に、次の子供を受精することもあるし。敵がいなければ、凄い勢いで増えるわよ」


 気まずく笑ってから、岡は付け加えた。


「で、妊娠期間が一ヶ月、成長するのがだいたい一年か。こりゃ、いけるかもな」


 殿下は、何故月でウサギを飼うという提案が今までに為されていなかったかを調べていたが、膨大な外国の論文を調べた上で、こう結論付けた。


「問題は二点だ。


 一、今は月面開発が過渡期にあり、扱いの難しい家畜は後回しになっているという点。穀物の栽培研究が中心であり、肉なんて贅沢だというのだな。大抵、『畜産には多大な困難が予想される』とだけ記されている。


 二、これはやはり私の予想通り、日本人の固定概念が障害となっていたのだ。ウサギの肉を日常的に食べる欧州の一部では、月面での畜産には何度かウサギが提案されていた。この研究は、私たちの良いリファレンスとなるだろう」


 収支を考える上で先ず想定しなければいけないのが、飼うウサギの品種だ。それがはっきりしなければ、餌の量、飼育環境、それに収穫できる肉や毛、皮の量が見積もれない。


 ひとえにウサギと云っても、実に様々な種類がいる。毛の長いのから短いの、大きいのから小さいの。それぞれの性格も、少しずつ違う。私たちは様々な品種のウサギをリストアップし、一羽あたりから得られる毛、肉、皮などの量のリストを作るところから始めた。


「帯に短し、襷に長し、だねぇ」図書館から借りてきた数冊の本をめくりながら、岡は呟いた。「このアンゴラってのは毛の品質がいいんだけど、サイズが普通なのよね」


「普通?」


 似たような本を眺めているテツジが問い返すと、岡は自分の開いているページを指し示した。


「じゃーん、フレミッシュ・ジャイアント。食用ウサギの品種で、十キロにもなるってさ」


「マジで? 十キロって、そこらの犬よりデカいじゃん」


 私も脇から写真を覗き込んだが、別に普通のウサギと変わりないようにしか見えなかった。茶色くて、耳が尖っていて、鼻が可愛くて。しかし岡が次のページをめくると、私は思わず自分の目を疑ってしまった。いかにも農夫といった格好をした中年外人の抱えるウサギは、それこそ幼稚園児くらいの大きさがあったのだ。


「うへ。これ、合成写真じゃねぇの?」


 信じられないように云うテツジ。私も一瞬、そんな疑いを持ったが、岡は一笑に付して椅子に寄りかかった。


「けどさ、肉は取れるけど毛がね。どうせなら両方取れた方がいいじゃん?」


「そりゃなぁ」


「アンゴラ・ジャイアントって両方の性質を持ったのもいるみたいなんだけど、あんま情報がないんだよねぇ」


「ってことは、人気がないか、高いかのどっちかだな」


「だろ? どうするかな。これ以上調べるなら、どっかの畜産試験場にでも相談した方が早いかもなぁ」


 そう私たちは頭を悩ませていたが、丁度その日、おばちゃんが大きな籠を台車に乗せて〈新☆宇宙工学研究所〉に現れた。


「ほら、これ。みんなへのプレゼントよ!」


 岡が怪訝そうに被されていたシートをめくると、中からは真っ白な毛玉のような生物が表れた。


 当然、彼女が持ってきたのだからウサギには違いない。だがその頭や尾がどこにあるのかもわからず、第一その大きさが異常だった。


「でかっ!」


 思わず叫んでしまった後藤に、岡が苦笑しながら云う。


「『でかっ』って、お嬢さん」


 そう突っ込まれても、でかいものはでかいのだ。大きさは私が抱えるほどだから、一メートル弱はあるだろう。真っ白で綺麗な毛は十センチ以上あって、これを全部刈れば結構な量になる。


 その、巨大な毛玉はモソモソと動いて、こちらに顔らしいものを向けた。耳は長いには長いが、でれんと脇に垂れ下がっている。そしてウサギの特徴である可愛らしい鼻や口は長い毛に埋もれていて、真っ赤な瞳だけが、怪訝そうに私たちを見つめていた。


「これは日本で品種改良された食用ウサギでね。岩手二号っていう品種なの」


「二号?」


「最近、国の家畜試験場で作られたばかりの品種だから、愛称のようなものは付いてないの。これは一歳のメスで、体重は六キロ。人で云うと二十歳くらいね」


 恐る恐る遠くから眺めていたテツジが、ぼそりと呟いた。


「これ、食うのか」


「あら、つまらない動物愛護は止してちょうだい。見かけは関係なし。食べられる物は食べるの。そうやって私たちは生きてきたのよ?」


「じゃあおばちゃん、これ解体出来るの?」


「えぇ、当然よ? 学校の実習でやったもの。何なら今からやる?」


 腕まくりしたおばちゃんを、慌てて岡が押し留めた。


「ま、まぁ、それは追々」


「そう。残念。まぁともかく、私は飼うならこの品種が一番いいと思うわ。毛も肉も上質だし、何でも食べるし。それに繁殖も手がかからないし。まるで今回のプロジェクトのために作られたようなウサギよ」


「繁殖に? 手の掛かる品種なんて、あるんですか」


 尋ねた私に、彼女は毛玉の足下を指し示した。


「ほら、この子はちゃんと座ってるでしょう? 食用ウサギには、もっと大きいのもあるんだけど、体重が十キロとかあって、自分じゃ交尾どころか、座ることも出来ないの」


「なんとかジャイアントってヤツ?」


 尋ねたテツジに、おばちゃんは笑みを浮かべた。


「あら、ちゃんと調べてるのね。確かに食用ウサギっていうと、フレミッシュ・ジャイアントを品種改良したものが有名だけれど、あまりに大きすぎて、ずっと寝たままなのよ。さすがに月面基地で、繁殖まで面倒見てられないでしょう?」


「しかし、基地の重力は地球の六分の一です。その大きな品種でも、自力で動けるのではありませんか?」


 殿下の冷静な指摘に、おばちゃんは困惑した表情を浮かべた。


「あらやだ、すっかりそれを忘れてたわ」


 殿下は暫く眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、小さく息を吐いて毛玉をのぞき込んだ。


「まぁそれも、実際基地に運んでからでないとわかりませんからね。今は安全策で行った方が良いでしょう」


「そう、良かった」


 胸をなで下ろしたおばちゃんに、岡が云った。


「とりあえず、飼ってみないとわかんない事も、沢山あるもんな。ありがと、おばちゃん。とりあえず名前決めないとね。何がいいかなぁ」


「止めておけ。下手に愛着を持つと、捌きにくくなるぞ」


 と、殿下。岡とテツジはニヤリと笑い、一緒に歌を歌い始めた。


 


ある晴れた昼下がり 市場へ続く道


荷馬車がゴトゴト子牛を載せてゆく


可愛い子牛 売られてゆくよ


悲しそうな瞳で見ているよ


ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 子牛を載せて


ドナ・ドナ・ドナ・ドーナ 荷馬車が揺れる


 


 誰もが知っている、ドナドナの歌だ。


 そのおかげで、彼女の名前は自然とドナドナになってしまった。

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