第22話

 時報とともに、カメラは薄暗い廊下を映しだした。さび付いたロッカー、ボロボロの靴、そんなものが散乱している汚れた通路をカメラは進んでいき、一つの扉の前で立ち止まった。


 〈宇宙工学研究室〉


 扉が開かれると、画面は逆光で真っ白に塗りつぶされた。


 すぐに光は収まってくる。だがそこに映し出されたのは、汚れた室内ではなく、戦場の光景だった。


 ターバンを巻いた男たちが、機関銃を手に丘陵を進軍する。迫撃砲が放たれ、石造りの家が粉々に吹き飛ぶ。ガスマスクを付けた赤十字の医師団が死体を運び、黒い布で頭中を覆った女性が、老婆の腕の中に泣き崩れた。


 そして、墜落炎上する自衛隊機。


『二ヶ月前、国際学会に出席するため中東に赴いていた、日本を代表する宇宙工学の研究者たち。彼らは突如勃発した戦争に巻き込まれ、数百の命が失われました。』


 白黒の写真。丸まると太った愛嬌のある顔に、薄くなりかけている白髪を乗せた老人。


『時田吉継博士。博士は高等専門学校で教鞭をとりつつ、月面基地〈かぐや〉の建設に尽力しました。』


 今と同じ位置に座る岡が、急に映し出される。彼は険しい表情で、こう呟いた。


『先生は、とにかく楽しい人でした。普通、勉強って小難しいものですけど。先生の授業はわかりやすくて、宇宙工学というのが、どれだけ可能性のあるものなのかを示してくれました。』


 途端にテツジが笑い声を上げて、渋い顔でテレビ画面を眺める岡の足を蹴った。


「時田先生の授業なんて、受けたことないじゃん、オレら」


「しょうがないじゃん。そう云えって云われたんだから」


 画面は切り替わり、寮から学校に至る道筋を映し出していた。ファイルを片手に、明るい日差しの中を進む岡。彼は平屋建ての棟が連なる一角に足を踏み入れ、何本も煙突が突き出た青い屋根の建物の扉を開く。途端に周囲は金属を削る激しい音に包まれ、岡は片方の耳を塞ぎながら、奥で機械相手に火花を散らしている作業服の男の肩を叩いた。


「おっ、テツジさんの登場」


 岡の囃子声。振り向いたテツジは防護マスクを跳ね上げ、岡の差し出した図面を覗き込む。


『時田博士の受け持っていた研究室。残された四人の学生は、博士の意志を継ごうと、月面開発に挑んでいます。』


 ナレーションに続いて、テツジは岡に向かって大きく頭を振った。


『合金? マルテンサイトのこと? 月面じゃ炭素化合物が足りないから、当面は鋳鉄で我慢するしかねぇよ。鍛造設備もないし』


『でもそれじゃあ、耐加重が足りなくならないか?』


『重力が六分の一なんだから。考えすぎだよ。どんな計算したのよ。ちょっと見せて。』


「こうしてみると、テツジも凄い優秀な学生みたいだな」


 岡の呟きに、殿下が小さく唸った。


「全く。テレビ局の手腕というのは凄いものだ」


 画面は移り変わり、私たちが最初にテレビ画面に登場した時の映像が映し出された。多目的モジュールの利用計画の発表会だ。


『月面基地における多目的モジュールは、様々な実験や事業を行うために建設されました。その利用内容は公募によって募られ、二件の事業が採用されました。一つは、民間の総合研究所が提案した〈蚕の飼育による繊維・食料・合成化学薬品の供給〉。そしてもう一つが、彼ら四人の高専生による、〈ウサギの飼育による食料と各種資材の供給〉でした。』


 着慣れないスーツを着て、戸惑いながらフラッシュの波の前に立つ私たち四人。そして職員の手から、公団の青い作業服を羽織らされた私がクローズアップされる。


 うわ。酷い顔だ。


 そう目を背けたくなったが、我慢して画面を見続ける。


 続けて画面は月面基地のCGに代わり、ナレーターが基地の性質と、そこで生活する際の困難さをわかりやすく説明した。どうにも適当に省略されすぎていたが、番組を時間内に納めるには仕方がないのだろう。


 そう油断していたところで急に画面が切り替わり、今と同じような配置でこの部屋に座る私たち四人が映し出された。


『最初に云い出したの? 確かゴッシーだったよな』


 そう投げかけられた岡の視線に沿って、カメラも私を映し出した。堅い笑みを浮かべている私は、仕方がなく打ち合わせ通りの台詞を口にする。


『やっぱり、食べ物が美味しくないと。住んでて大変ですからね。それがどうにかならないかと思って調べてみたら、ウサギが一番良さそうだったんですよ。』


 再び画面は切り替わり、月面基地での食糧事情の説明が行われる。そこでは基地の水耕栽培室も映し出され、例の農家の一人、小太りの木村青年がインタビューに答えていた。


『それは、月面じゃあ資源が限られてますからね。水の一滴も貴重なんです。自然食料も贅沢は言えなくなりますから、肉なんて夢のまた夢、って訳です』


 続けて、割烹着を着てフライパンを相手にする私が出てきた。これもヤラセ映像だ。料理は食うのが専門で、実際にウサギを料理したのも、この日が初めてだったのだ。


『彼ら四人の挑戦を後押ししているのが、寮の栄養士を勤めている上井純さん。上井さんは三百人以上の寮生の食事を一手に引き受け、健康管理も行っています。』


「あらやだ、私だわ。カットされると思ってたのに」


 隅に座っていたおばちゃんが目を丸くする。画面の中の彼女は、私の側に寄って細かく調味料の指示を出していた。


『戦時中、ウサギは動物性タンパク質の重要な供給源として、飼育が推奨されていたんです。資源が足りないのは、戦時中も月面基地も同じですから。ひょっとしたらと思ったんですけどね。でも実際に採用されるなんて。彼ら四人の努力のおかげですわ』


 上手いこと私たちを持ち上げたおばちゃんに続いて、再びこの部屋が映し出される。


『彼女は、岩手二号という品種です。一歳の雌』と、殿下がドナドナの籠に寄って説明する。『一羽から六キロの肉と、毛と皮が得られます』


「あれ? 殿下これだけ?」


 すぐに切り替わった画面に驚いてテツジが云うと、彼は眉間に皺を寄せながら云った。


「私は可能な限り露出を控えるという条件で、計画への参加を承諾したのだ。文句を云われる筋合いはない」


「へ? いつの間に、そんなこと。顔も一瞬しか映ってないし」


 ともかくもテツジが不平の声を上げている間に、ナレーターは月面で動物を飼うことの困難さを説明していた。餌、環境、そして何より食料としての効率性。穀物に比べて、何倍もエネルギー効率が悪いのだ。


 火花を散らしながら金属を加工するテツジの映像に続いて、ウサギ牧場の完成予想図がCGで展開された。稼働式の立体駐車場のような形状で、牧草の栽培部とウサギの飼育籠が任意に平面に展開されるような仕組みになっていた。


『要するに、与えられた容積を可能な限り利用すること。効率性。それを突き詰めていった結果、このような設備になったんです』


「おお、テツジさん、凄い男前じゃん」


 岡の云うように、テレビ画面の中のテツジは髭も綺麗に剃っていて、いつもならだらしなく垂れ下がっている髪の毛も、きっちりとオールバックに撫で付けられていた。


「ま、能ある鷹は、ってヤツ?」


「爪、伸びすぎなんじゃね?」


 そこからは、月面基地が話の中心になっていった。そこで活動する研究者たち。彼らもまた、亡くなった偉人たちの後を継ごうと努力しているのは確かだった。様々な研究内容が紹介され、短いインタビューが幾つも挟まれる。


「あれ? 今の克也さんじゃね?」


 そうテツジが目を細めながら指摘したが、誰もその痕跡を見つけられなかった。本当かよ、と怪訝そうに見つめる私たちに、彼は慌てて反論する。


「マジでいたって! なんか天井の照明取り替えてたぜ?」


「昔から間の悪い子だったわ」そう、おばちゃんが大きくため息を吐く。「夏休みの登校日は間違えるし、彼女の誕生日に熱を出して寝込むし」


 こちらの雑談とは無関係に、番組は終盤に差し掛かっていた。今後の月面基地の活動計画、そして将来的な、火星基地の建設。夢は広がる。それを担うのは、私たち若き研究者という訳だ。


『現在の地球の科学力だけで考えれば、本当はとっくに木星あたりまで行っていてもおかしくなかったんです。けど人類は、地球上の資源を使いきるまで、安穏と巣の中で暮らしてきてしまった。


 けど、それは良かったのかもしれません。なにしろ私たちが、こうして月の開発に協力出来るんですから。これほど嬉しいことはありません。でも残念なのは、そのきっかけが戦争だったという点ですね』


 そう呟いた私の顔に代わって、再び冒頭の戦場映像が挟まれる。そう、ここでナレーターが臭い台詞を吐いて、上手く締めくくるという訳だ。


 戦争反対、平和万歳。


 さすがは良心の公共放送。どんな馬鹿げた話でも、反戦に結びつけてしまう。


 けれども私の云いたかったことは、全く逆なのだ。


 戦争がなければ、私たちは宇宙に行くことはなかった。当面は月面開発は老人たちに支配され、私たちの世代は何十年も経ってから、ようやくその一角を任せられるようにしかならなかったはずだ。


 遡れば、ロケット開発だって、人工衛星だって、アポロ計画、スペースシャトル、そして月面開発計画すら、戦争がなければ進まなかったはず。


 まぁ、そんなことを口に出して云える訳じゃないけどね。


 そう後藤が舌を出しながら呟く。エンドクレジットが流れ始めたテレビを消して、岡は大きくため息を吐いた。


「でさ。オマエら、どうだった?」


 そう、こうして四人プラスおばちゃんが顔を揃えたのは、久しぶりのことだった。ここ一週間、殿下とテツジは宇宙公団に赴き、宇宙飛行士としての訓練を受けていたのだ。


「まぁ、特にどうということはなかったな」相変わらずの無表情で、殿下は皆の前に数冊のテキストを広げた。「訓練といっても、別に我々は真空空間に出なければならない訳ではないからな。座学と実習が半々で、無重力空間での注意事項、緊急時の対処方法、そして宇宙服の操作方法を一通り学んだ程度だ」


「あと、宇宙食食わせてもらった」と、テツジ。「別に不味くはなかったけどな、オレは。あれで肉が食いたいだなんて、確かに贅沢だわ」


「オマエは味覚が麻痺してるからな」


 ラー油男が、人のこと言えるか。


 そう後藤は岡に突っ込みを入れていたが、私は疲れていてそれ所ではなかった。


 残された私と岡は、公団の指摘を受けて計画の修正作業に明け暮れてる予定だったのだが、案の定、岡の上手い喋りと私の性別のおかげで、雑誌や新聞のインタビューが相次いでいた。そのため修正作業は、遅々として進んでいない。


「昨日は地元のケーブルテレビに行ってきたわ。まったく、インタビューする人、ろくに月面開発のこと知らないから。一から説明してたら、時間終わってたわ」


 岡はまだいい方だ。私は昨日今日と、電車で首都圏の出版社やテレビ局を梯子して、今し方帰ってきた所なのだ。


「でも、そっちはマネージャー付きじゃん?」


 私の苦労が楽しくて仕方がない様子で、テツジが気味の悪い笑い声を上げる。


 公団の広報担当。私たちの、明るく楽しいお兄さん。これまでにも何度も顔を合わせている羽場のことだ。


「すごい、張り切ってるんですよ。あの人」そう、私は深い深いため息を吐く。「着いた途端に凄いオシャレっぽい美容院に連れて行かれて、服も買ってくれて。困りますよ、本当に」


「お、道理で髪がサッパリしたと思ってた」


 岡の指摘に、私は髪をグシャグシャに掻き毟った。


「嫌なんですよ、こういうの。でも羽場さん、例のように、こっちが何か云う度に十倍しゃべるもんだから。もう面倒になっちゃって」私はまた一つため息を吐いたところで、ふと思い出した。「そういえば、インタビューで山田総研の人と一緒になったんです」


「山田総研? あの、公募を通ったもう一つのヤツ?」


 岡の怪訝そうな問いに、小さく頷く。


「出てきたのは女の人で。凄いバッチリした感じで」


「ばっちり、ね」


 苦笑しながら、岡は傍らの新聞紙を取り上げた。


 例の発表会の報道写真だ。彼らとはその時に一瞬だけ顔を合わせた程度で、実際に基地で何をやるのか、どういったメンバーなのか、まるで私たちは知らなかった。


「そう、この人」と、私は三人のメンバーの中の一人を指した。「私、この渋い顔の人がリーダーかと思ってたんですけど。どうも、この女の人がリーダーらしいんです」


「渋い、ね」


 再び岡は苦笑して、しげしげと写真をのぞき込む。印刷が荒くて良く見て取れないが、向こうは例の三十前後の女性、そして彼女と同年代らしい、背が小さくてセミロングの髪のダンディーな感じの男性。もう一人は明らかに下っ端らしく、私たちとそう年は違わなそうな、つるんとした顔のお坊っちゃんだった。


「で、どんな話してきたの」


「さぁ。私はただ促されるままに話してただけなんですけど。この人。勝田さんっていうんですけど。凄い熱意で」


 思い出しても、何だかこちらが困惑してしまう。とにかく彼らの研究の重要性、必要性を延々と話し続け、私には目もくれなかった。


「キャリアウーマンって云うんですかね? あぁいうの。なんだか無理してるのが見え見えで。なんか世界の平和にまで話が飛んじゃうし。こっちが疲れちゃいました」


 ふぅん、と曖昧に首を傾げる一同。そこで思い出したようにテツジが云った。


「そういや、総合研究所って。何する所なの?」


「まぁ、何でも研究するところだな」と、殿下。「何でも金になるなら研究して、その成果を売りつけるという所だ。云うなればナレッジ(知識)の何でも屋だな」


「じゃあ、基地での成果をどこかに売るってこと?」


「さぁ。それは何とも云えないが。そんなところじゃないだろうかね」


 ともかくその日はお開きにして、早々に進捗状況をテツジと殿下に引き継ぐ準備をしなければならなかった。彼らに続いて、今度は私と岡が訓練に向かうことになっていた。

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