第23話

 宇宙公団での訓練は、今の私にとってみれば大歓迎だった。なにしろここ数週間というもの、学内どころか、寮の中ですら息苦しかった。メディアの効果は絶大で、食堂のような衆目を集める所ではケータイで隠れて写真を撮られるし、構内を歩いていれば学生の集団に指を指される。うっかり適当な格好で出歩けないし、言い寄ってくる学生も無碍に出来ない。愛想笑いで頬の筋肉が麻痺してくるようだった。


「テレビ見たぜ。なんか凄い可愛くしてたじゃん?」


 そう楓から電話が入れば、ケータイを投げ捨てたくなる。


「勘弁してよ。仕様がないだろ? 留年するよりはマシさ」


 机に脚を投げ出して、煙草に火を付けながら云う。そのライターを擦る音を耳にして、楓は更に囃し立てる。


「あ、煙草吸ってるだろ? いいのかよ宇宙のアイドルが」


「煙草でも吸わなきゃ、やってられないわ。いいんだよばれなきゃ」


「歯にヤニが付かない程度にしなよ?」


 大きなお世話だ。


 そう思いながら、沢山のファイルの下敷きになって忘れ去っていたネームを引っ張りだした。


「そういえばよ。いい加減に出来たか?」


「何が?」


「何が、じゃねぇよ。新人賞に送るヤツだよ。〈作品A〉」


 受話器の向こうに、嫌な沈黙が降りた。


 私は頭から血の気が引いていくのを感じながら、慌てて受話器を握り直す。


「まさか、ぜんぜんやってないのか? あと一週間だぜ? 締め切りまで」


「ぜんぜんじゃないよ。でも。だってさ」楓は狼狽えた声を上げた。「そっちがそうなっちゃって。もう諦めるんだとばかり思ってて」


「冗談!」


「でも、桜庭もそんなこと云ってて。連絡も取れなかったし」


「桜庭? あいつは関係ないじゃん!」


 私は呆然として、肺の奧深くまで煙を吸い込んだ。


 楓は、私にとっての漫画を、余りにも甘く見すぎている。


 それが全ての原因だろう。確かにここ一月というもの、公団の仕事で一杯一杯だった。けれども桜庭の云っていた〈一般受けを狙った漫画〉である〈作品A〉、そして私の〈本領の漫画〉である〈作品B〉、その二つを新人賞に送る計画を諦めたつもりは毛頭なかった。


 現に作品Bに関しては、楓のペン入れを少ない時間の中で修正し、あとはもう送るだけの状態にしてある。そして作品Aに関しては、桜庭から〈完璧ではないけど十分〉という評価をようやく引き出し、後の仕上げを楓に託していたのだ。


「とにかく、私が訓練から戻ってくるまでに仕上げろよ? 帰ってきた時に届いてなきゃ、承知しないからな?」


「わかったよ。やるだけやるよ」


「やるだけ、じゃなく、完璧にやるんだよ!」


 後藤は吐き捨てて、終話ボタン押した。さすがに二十ページを一週間で仕上げるのは大変だろうが、それは私の知ったことではない。ネームは十分余裕を持って楓に送ってあるのだ。自業自得。


 それでも彼女との意志疎通が十分じゃなかったのが、私には苛立たしくて仕方がなかった。楓とは、もう何年も共同執筆をしている。私の趣味趣向や考え方は、十分に理解してくれているものとばかり思いこんでいた。月に行くのはあくまで経験のためであって、それは最終的には漫画の品質に反映されるためのもの。そもそも高専に編入したのだって、同じ理由なのだ。


 それがわかっていれば、私がいくら忙しかろうが、新人賞への応募を諦めたりするはずがないのは、わかってくれてもいいはず。


「だから、もう予算はどうでもいいんですよ」


 私の苛立ちは翌日も治まらず、殿下とテツジに計画見直しの要点を説明する間も、少し口調が喧嘩腰になってしまっていた。


「いいですか? 公団の人曰く、とにかく今のままじゃ圧倒的に効率が悪すぎるから、多少赤字が増えようとも、計画を変更するべきだそうなんです。施設の照明は白熱灯じゃなく白色LEDに。牧草の栽培も促成栽培の手法を取り入れて」


「でもそれじゃあ、設備の設計、殆どやり直しじゃん?」


 テツジがぼやく。私は思わず、計画変更点が記されたファイルを机に叩きつけた。


「だから? やるんです!」


 途端に目を丸くして私を見つめる岡と殿下。暫くテツジは、殆ど線になるくらい目を細めて口を開け放っていたが、すぐにファイルを取り上げてふてくされた。


「なんだよゴッシー。カルシウム足りないんじゃね? それとも生理か?」


「ほら、発想も貧困。カルシウム不足なんて、脳味噌が足りないよりはマシですけどね」


「あぁ? じゃあ自分で図面引いたらいいじゃん。どんだけ大変だと思ってんの? 肩は凝るし、目はショボショボするしよ」


「だから脳味噌が足りないって云うんだよ。大変だったら、やらなくていいっていうの? じゃあ私はどうなのさ。好き好んでテレビ出てると思う?」


「じゃあ代わるか? オレがテレビ出てやるよ」


「それは羽場さんが嫌がるだろうなぁ」


 呆れ返って云う岡に、すっかり毒気を抜かれてしまった。私はため息を吐いて黙り込み、テツジは怒りの矛先を岡に向ける。彼はそれを片手で遮って、ファイルをヒラヒラさせながら云った。


「いちいち騒ぐなよテツジ。仕様がねぇじゃん、公団がそうしろって云うんだから。黙って直せよ」


「でもよぉ」


「オレに文句云っても仕方がないぜ? ゴッシーに云ったって同じだよ。とにかく、オレとゴッシーでわかる範囲は調べてあるから、あとは殿下が整理して、図面引きなおしてくれよテツジ」


「ういうい。ったく。やりゃぁいいんだろ?」


 悪態をつきながら云うテツジ。殿下は肩をすくめて、先が思いやられる、というように私と岡に視線を送った。


 更に翌日、朝に私はポストに〈作品B〉を投げ込み、柄にもなく手を合わせて拝み込む。そして岡と一緒に一週間分の生活用具を詰め込んだバッグを担ぎ、電車を乗り継いで空港へと向かった。


 宇宙公団の訓練施設は、彼らの研究本部と併設されていた。広大な敷地の中には、まるで大学のように、十階建てくらいの棟がまばらに建っている。迎えに来た羽場は車をノロノロと進ませながら、逐一建物の説明をしていった。衛星の研究開発を行っている棟、通信関連の研究を行っている棟、次世代スペースプレーンの開発を行っている棟、等々。それらは全て外見からは何をしているのかさっぱりわからなくて、外を出歩いている職員の姿もまばらだった。


 ただ、途中、広場らしき所には、巨大な構造物が白昼の光を受けて輝いていた。そこで彼は車を止めて、私たちを外に促す。その彩色が施されたパイプラインに見えた物は、過去に公団が開発したロケットの実物大模型だった。


 私と岡は、そこに横たわっている五つの円筒を眺めた。


 こうしてロケットを見るのは、私たちは初めてだった。それは単なる大きなパイプのようにも見えたが、そこに記されたNASDAやJAXAといった文字、そして野ざらしにされているL7型液体燃料エンジンを見ると、急に自分たちの置かれた立場が実感されてきて、心臓が高鳴り始める。


 子供の頃に良く中継で眺めた、H2ロケットのカウントダウン。発射。切り離され、燃えながら遠ざかっていく補助ロケット。シェアリング。そして衛星の分離。拍手の音に包まれる管制室。肩を叩き合う技師たち。


 急に武者震いがして、私は両腕をきつく抱きしめる。岡は何を考えているのか、ただじっと、その巨大なアルミと炭素繊維の固まりを見上げていた。


 敷地の一番奥まった所に、体育館のような施設と、それに併設された三階建ての建物があった。その私たちが住む寮とよく似た建物が宿舎となり、翌日から訓練が始まった。


 メニューは朝のオリエンテーションから始まり、午前は座学、午後は実習となる。中学の頃の、青年の家での合宿を思い出すような内容だった。


 オリエンテーションは参加者の交流を行い、訓練の効率化を図るものだった。初日は自己紹介。担当教官に促されて、まず最年長の女性が席を立った。


「山田総研の勝田です」


 そう彼女は張りのある声で、私と岡を見つめながら云った。今日の彼女は、私たちと同じく公団から支給された青い作業服に身を包んでいた。それはどことなく、バッチリとアイラインを引き、真っ赤に唇を塗っている彼女には不似合いだった。


「担当はプロジェクト・リーダー。専攻は経営学。趣味はフィットネス。あとは、そうですね。ピース・ナインという平和活動団体の副会長を務めてます。どうぞ、よろしくおねがいします」


 深々と頭を下げる彼女に続いて、同じく総研チームの青年がおずおずと立ち上がった。


「えぇと、総研の鳥取です。専攻は生体分子学。あとは。趣味ですか?」彼はオロオロと周囲に視線を送って、すまなそうに頭を掻いた。「趣味。そうですね。特にないんですけど。映画とか好きです。すいません」


 誰にともなく謝って、ペタンと座る。まるで人前で話すのに慣れてないらしく、顔が真っ青になっていた。


 続いて始まったのは、そもそも宇宙空間、月面基地の低重力環境がどういうものかといった内容の講義だった。重力がない、というのがどういうことか。それは重さがない訳ではないと云うこと。もし何かが風船のように宙を漂っていたとしても、それは実は鉄で出来ているかもしれないということ。ぶつかったら骨折するかもしれないし、下手をしたら押しつぶされて死んでしまうということ。


 そして真空というのが、どういうものか。真空自体は別に毒でもなんでもないから、放り出されたからといって直ぐに死ぬ訳ではないということ。そこは気圧が存在しないため、私たちの身体を押さえつける力が働かないから、自然と膨張するということ。更に気圧が低ければ沸点が下がり、容易に体液は沸騰するということ。直射日光がなければ絶対零度に近く、凍り付いてしまうということ。などなど。


 そう宇宙空間の恐ろしさを徹底的にたたき込まれた後に、隣にある訓練施設での実習が始まった。宙づりにされ、身体の姿勢を整えるようにする訓練。プールの中で仮想的な低重力を体験する訓練。気圧調整機の中に入れられた野菜が、気圧をゼロにするとどうなるかを見る実験。


 一日目が終わった頃には、私は慣れない運動をしたおかげで、はやくも筋肉痛の一歩手前まで行っていた。浴場で突っ張っている筋肉を揉みほぐし、風呂道具片手に居室に戻ろうと通路を歩いていると、テレビの置いてある談話エリアに岡と羽場の姿があった。


「あ、ゴッシーちゃん、探してたのよ。ビール、ビールあるよ」


 そう誘惑されてしまえば、疲れきった私が反抗できようはずもない。フラフラとソファーに倒れ込んで、手渡されたビールの缶を一息に半分ほど飲み干す。


「あぁ、煙草吸いたい」


 思わず呟いてから、はっと気が付いた。未だに岡たちにすら、私が煙草を吸うことは明かしていなかったのだ。


 思った通り、岡と羽場は目を丸くして私を見つめる。


「へぇ、ゴッシー吸ってたの。隠してた?」と、岡。


「あ、いえ。ほんと、たまにです。今は全然」


「オレも二週間禁煙中。でもま、訓練の方が辛いっすわ。オレ明日、筋肉痛かも」


 そう笑う岡に、羽場は小さく鼻をならした。


「まぁ、でも別に体力向上が目的じゃないからね。慣れてもらうのが第一歩だから、無理はしなくていいのよ」


「でも、女の人に軽々とやってるの見せられちゃうとね。やっぱ負けてらんないすからね」


 そう、あの総研チームの勝田さん。彼女は指示されるままにクルクルと宙を回り、まるで拷問機械のような回転椅子にもびくともせず、最後までしゃんと背筋を伸ばしていた。それに負けまいとする岡、そして何とか付いていこうとする鳥取につられ、難易度がどんどん高くなっていってしまった。


「ま、それに付き合わされる私は、たまったもんじゃないですけどね」


 運動なんて、体育の授業以外は殆どやったことがない。ソファーに半ば寝ころびながら喘ぐ私を見て、岡は怪訝そうに笑った。


「あれ、ゴッシー、結構平気そうに見えたのに。スポーツ万能だと思ってたけど」


「そりゃ、敵の前で弱みを見せる訳にもいかないじゃないですか。死ぬ思いで平気な顔してたんですよ」


「敵って。別に体力勝負する訳じゃないんだから」


「そうはいきませんよ。あんな三十近いんだか過ぎてるんだかわからないオバサンに負けられますか」


 おお、と岡は、やっと気づいたというように手を打ち鳴らす。


「そうか、女の若さとの戦いってヤツやね?」


「そんなんじゃないですけどね。まぁでも、私って人には無茶でしたわ。そもそも無理しなくていいように脳味噌が発達してきたんですから、今更先祖返りを自慢しても仕方がないですよね」


「ゴッシー、脳味噌って言葉が好きよね」


 関係のないところで笑う岡に対して、羽場は何やら感激した風で私の手を取った。


「いや、ゴッシーちゃん、やっぱり良いこと云うね! そうさ、ボクらは脳味噌を発達させる方向に進化してきたんだから、今更体力を自慢したって仕方がないのさ! うん、虚弱って素晴らしい! サイコー!」


「いや、虚弱を自慢しても仕方がないんですけどね」


 ともかくも、そうして一日目の訓練が終わり、私は久しぶりといっていいほど深く眠った。


 そして翌日。予想通り身体中がミシミシ云い始めていた私は、まるでロボットのようにガクガクと歩きながらオリエンテーションが行われる講義室に向かう。椅子に座っても、まるで背筋を伸ばしていられなかった。半ば机に突っ伏していると、岡がニヤニヤと笑いながら腕をつついた。


「ちょっと、本気で痛いんですよ!」


 そう小声で叫ぶ私に、楽しそうに指を繰り出してくる。


 そんな私たちに向けられていた視線に、ふと気づいた。いつもどおり微笑みを浮かべて、椅子に真っ直ぐ座っている勝田。彼女は私と目が合うと、なんだか嘲笑のように眉を歪め、ぷいとそっぽを向いてしまった。


 まったく、失礼なヤツ。


 そう頬を膨らませていると、ガラガラと扉が開いて羽場が顔を覗かせた。


 はて、何の用だろう、と首を傾げる私たちの側を素通りして、彼は真っ直ぐに教壇に向かった。


「おはよう、みなさん! さて、今日は楽しい宇宙服の勉強だよん! 担当はこのボク、高専チームの世話役もやってる、羽場純平。今日一日ヨロシクね!」


 そう、主に総研チームに向かって、いつもの早口でベラベラとまくし立てた。私は急に頭まで痛くなってきて、冷えた机の上に額を押しつけた。彼の機関銃のようなしゃべりは、今の私にとってみれば拷問に近い。


「そんな訳で、ボクの授業はとっても楽しいから、オリエンテーションなんてパス! 早速お話を始めるよ?」


 だがしかし、講義の内容は至って真面目で、とても面白かった。先ずは宇宙服の構造、機能、そして種類などが説明され、それを活用するにはどうしたらいいのかというのが高速で彼の口から流れ出てきた。


 そこで少し、面白い現象が見え隠れし始めた。


 勝田さんは最初、バリバリとノートにメモを取っていたが、次第に困惑したように眉間に皺を寄せ、首を捻り、ついには鉛筆を動かす手も殆ど停まってしまったのだ。


「つまり宇宙空間というのは真空な訳だから、そこに風船を放り出したら破裂しちゃうのね。気圧がないんだからさ。当然でしょ? 宇宙服も同じように中に酸素と窒素と二酸化炭素が詰まってるから、もうパンパンに膨れちゃうワケ。だから宇宙服の中の気圧も可能な限り下げないといけなくて、普通は0.4気圧まで下げちゃう。ただ人間は一気圧から急に0.4気圧とかにしちゃうと、ベンズ(減圧症)って症状になっちゃって、頭がクルクルパーになっちゃうのよ。高山病と同じさ。だから四、五時間くらいかけて、少しずつ気圧を落とす前処理が必要になるんだ。さて、次。この宇宙服の可動可能な内部圧力を示す数値によってハードタイプとソフトタイプに分けられていて」


 生徒のことなどお構いなしに続けられる羽場の講義に、とうとう勝田さんは小さく手を挙げながら云った。


「あの、すいません」


「あ、うん。何? これからいい所なのに!」


「いえ、あの、その、どうしてその、宇宙服がパンパンに? 膨れちゃうと、何か問題なんですか?」


「え? 今云ったじゃん。何云ってるの? 腕とか曲げられないじゃん。当然でしょ? じゃあ次ね」


 困惑した勝田さんの表情を残して、羽場の講義というか、一方的な演説は続いていく。その様子を見ながら、私は独り、ニヤリとしていた。


 勝田さんは、工学に関しては完全な素人なのだ。


「何? あの人。なんか凄い頭にくる」


 昼休み、公団の食堂で昼食を食べていると、近くの総研チームのテーブルからそんな声が聞こえてきた。


「こっちが素人だっての、忘れてるんじゃない? あれで教官だなんて」


 そう愚痴る勝田さんに、鳥取という青年は困惑した様子で答えていた。


「ボクもさっぱりですよ。でもまぁ、仕方がないんじゃないですか? 教官クラスの人も、多数亡くなられているはずですし」


「でも」と、彼女はそこで声を潜める。耳のいい私には効果ないのだが。「でも、あっちの。高専チームは完璧に理解してるっぽかったじゃない」


「そりゃぁ、向こうは工学系ですし」


「こっちだって同じ理系じゃない!」


「そんな。無茶ですよ勝田さん。同じ理系でも、工学系は、あぁいう物質の具体的な挙動とかに関わるの話は専門なんですよ。こっちは勝田さんは経済だし、ボクなんか化学系なんですから。無理ですよ。豊橋さんならまだしも」


 豊橋といえば、もう一人の、あのダンディー風の総研メンバーだ。そう彼の痩せた顔を思い浮かべている所で、まるで凍った棘のような、鋭い一言が飛んできた。


「なに? あのサボリ魔と比べて、私たちが劣ってるって云うの?」


「い、いえ、そんな意味じゃ。ただ豊橋さん、もの凄く頭の回転が速いから」


「いいこと? 鳥取くん」と、急にお姉さまぶった彼女の声。「彼は私が拾ってあげなきゃ、人事部付きになるところだったのよ? これ、どういう意味かわかる?」


「え? さぁ」


「人事部付き、ってのはね、休職中の人とか、出向中の人とか、そういう人が配属されるんだけど。他にね、もう他に行くところがない人が、最終的に飛ばされるところでもあるの。わかる? つまり彼は、完全な落伍者なの」


「そんな。まさか。あんなに頭がいいのに」


「確かに、頭はいいかもしれないわ。それは認める。けどね、会社という所では、それだけじゃ駄目なの。チームプレー、社交性がない人は、どこからも必要とされないの。だからね鳥取くん、あの人を目標にしたりしちゃ駄目。それよりも、どうやって人と仲良くなるか、どうやってチームプレーに必要な人間になるかを考えなきゃ。おわかり?」


 やれやれ、向こうは向こうで、複雑な事情があるっぽいな。


 そう私は、相変わらずラー油で真っ赤になったラーメンを啜る岡を見つめた。


「さて、みんなお腹は一杯になったかな? 午後からはお楽しみの、宇宙服を着てみよう! の巻だよ!」


 相変わらずハイテンションな羽場は、様々な訓練機械が置かれている訓練室の倉庫から、一着の真っ白な宇宙服を引きずってきた。それは彼特有の大げさな仕草なのだとばかり思いこんでいたが、手渡された途端、私はそれを取り落としそうになってしまった。


「あぁゴメン、云うの忘れてた。こんな風に宇宙服ってのは、結構重いんだ。何しろ生命維持装置とかが沢山詰まってるからね。まぁ重さなんて宇宙じゃあんまし関係ないけど」


 ともかく私が実験台として皆の前に引っ張り出される。


「で、宇宙服は、上半身、下半身、そして頭部ヘルメットと三つのパーツに分けられる。じゃあゴッシー、そこに足入れて」


 ズボン状になっている下半身部分に足を通す。そして腰の部分から延びているベルトを肩にかけると、ずっしりとした重さがのしかかってきた。


 次に、上半身部分。これはとても羽場一人では持ち上げられず、岡が手を貸して私の頭から被せた。途端に私は立っていられなくなり、よろよろと壁に手を付いてしまった。慌てて岡に支えてもらっていると、羽場はテキパキと腰のリング状の掛け金を留める。


「さぁ、こんな風に密閉される。重さはそう、全部で二十五キロくらいかな。か弱い女の子にはこの通り、拷問だね」


 一瞬、勝田さんが眉をピクリと動かすのを、私は見逃さなかった。


 続けて羽場は、喉元の部分にある気温調節のためのパネル、飲み物のストロー、酸素と窒素の配合を調節するパネルなどを説明し、最後に半分ガラスで出来ているヘルメットを、首の掛け金に留めた。


 途端に周囲の声が一切聞こえなくなった。私が予め教わっていたように、喉元にあるスイッチを顎の先で押す。するとヘッドセットからは、無線機を持った羽場の声が響いてきた。


「オッケー? 聞こえる?」


「聞こえます」


「どう? 具合は」


「どうって。暑いです!」


 早速悲鳴に似た声を上げる私。羽場は深刻そうに頷いて、無線機片手に皆の方を振り向いた。


「こんな具合に、宇宙服の空調はとても重要な機能の一つなんだ。云ったでしょ? 真空中は暑かったり寒かったり大変なんだから」と、私の方に向き直って、右端の首元を指し示した。「この辺にスイッチが見えるでしょ? それが空調。押してみて」


 顎を突き出して、スイッチを入れる。途端に背中の方から冷たい空気が流れてきて、私はやっと一息吐けた。


 羽場はそのまま、その他の細々とした機能を説明する。


「まぁそんな感じで、だいたいわかったでしょ? あとはこうして誰かと通信してる時は、最後に『通信終了』って云うこと。格好いいでしょ? でも重要なんだなこれが。宇宙服を着て作業してる時には、何があるかわからないからね。何か異常事態で通信が切れたとなったら、すぐに救出しに行かなきゃならないでしょ?」


 そして最後に倉庫から残り全員分の宇宙服を引っ張ってきて、手を打ち鳴らした。


「じゃあここからは実習ね。ボクは黙って見てるから、二人一組になって、宇宙服を着てみて。あぁ、そうだなぁ」と、不意にツンツンに立った髪を捻りながら、私たち四人を見比べた。「普通じゃつまんないから、ゴッシーちゃんは鳥取ちゃんと組んでね。岡ちゃんは勝田さんと。さぁやってみよう!」


 パチン、と再び手を打ち鳴らす。私たちはしばらく戸惑いながら顔を見合わせていたが、一人でヘルメットを取ろうと四苦八苦し始めた私に、鳥取は手を貸した。


 ようやく息苦しいヘルメットを取ると、彼は私の顔を覗き込んで、小さく頭を下げた。


「どうも。すいません。あの」


 そこで言葉に詰まり、硬直してしまう。私はため息を吐きながら苦笑して、汗止めに被っていた帽子を脱ぎ捨てた。


「結構、しんどいですよ? さぁ、どうぞ」


 そうヘルメットを彼に手渡す。彼はようやく落ち着いて、それでも少しひきつったような笑みを浮かべた。

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