第24話

 クソ、羽場のヤツめ。チビのくせに。何が無理しなくていいだ。


 そう心の中でなじりながら、私は湯船から出る。ガタガタの身体は、風呂程度じゃまるで回復する気配がない。そういえば談話エリアにマッサージ椅子があったな、と思い出して、私は鉛のように重い足を引きずりながら浴場を出た。


 この程度なら楽勝だ、と思っていたのもつかの間、羽場はどんどん無茶なことを云いだした。宇宙服に重りを付けて訓練用プールの中を歩かされたり、鉄棒にぶら下がらせたり。最後にはあの、回転マシーンで仕上げだ。


 それでも勝田さんはケロリとしているのだから面白くない。


 これがあと三日も続いたら、死ぬかも。


 そうマッサージ機に小銭を入れて、倒れ込む。そして突っ張った肩を揉まれているうちに睡魔が襲ってきて、私はすぐにウトウトし始めていた。


 そんなこんなで、三日目。


 あとたった二日と考えるか、今日を含めればまだ半分も終わってないと考えるかは、きっとその人の楽天度合いを測る指標になるのだろう。


 私はと云えば、当然後者だ。初日と二日目の筋肉痛が重なって、更には疲労まで加わっている。


「そう? ボクは超元気! さぁ、今日も一日頑張ってね!」


 そう様子を見に来た羽場に送り出され、私はいつか殴ってやると思いながら講義室に向かう。その高専の教室とよく似た汚れた部屋に入ると、遠く離れた席に座る岡と鳥取が同時に軽く手を挙げた。


 とっさにどっちに応じていいかとまごついていると、二人は互いに顔を見合わせ、ひきつった笑みを浮かべ合った。


「なによ。いつの間に仲良くなって」


 そう怪訝そうに云う岡の隣に座りながら、私は大きく欠伸をした。


「岡さんは、勝田さんとは? 年増好みじゃなかったでしたっけ?」


「またそのネタかよ」


 彼が苦笑してる間に、今日の講師が入ってきた。それは百九十センチ近い頑丈そうな大男で、服装もスーツがメインな公団の人たちとは違って、何か作業服のような物を身にまとっている。途端に背筋を伸ばす鳥取さん。何だろう、と怪訝に見つめていると、大男はじっと私と岡を見つめ、枯れた声を発した。


「高専チームは、初めてだったな。オレは総研チームの世話役をしてる佐治って云う。航空自衛隊から公団に出向している、まぁいわゆる軍人だ」


 ははぁ、と、私と岡は口を半開きにしつつ、佐治を眺める。きっと彼は、総研チームにおける羽場さんのような立ち位置なのだろう。本物の軍人を見るのなんて初めてだったが、如何にも映画に出てくるスパルタ軍曹っぽい顔つきをしている。短髪で、黒髭で、首が太い。


 きっとこれは、ろくなことにならない。


 いや、しかし、外見だけで人を判断してはいけない。軍人だからといってスパルタとも限らないし、むしろその無駄さを知り尽くしていて、凄い効率的な授業をするかも。


 そう虚ろに考えていると、彼はファイルを教壇の上に投げ出し、両手を組み、じろりと私たち四人を見渡した。


 そのまま、数秒。何をしてるのかと気を揉み始めた所で、彼はその深く掠れた声で宣言した。


「さて。オレは、オリエンテーションなんて物は好かん。上辺だけ仲良くなったところで、何の意味もないからな。だから省略する」


 これは完全にアウトだ。


 そう、思わず岡と顔を見合わせる。


「いいか。今日説明するのは危機管理についてだ。そうだな、鳥取。宇宙で活動する際に考えられる危機というのは何だ?」


 急に指名された彼は、慌てて背筋を伸ばした。


「あ、そうですね。えぇと。空気が無くなることですか?」


「そうだな。他には?」黙り込む鳥取に、彼は重ねて尋ねた。「ん? どうなんだ? 空気さえ十分に与えられれば、オマエは宇宙で安全に生きていけるのか? 五所川原、オマエもそうか?」


 こういう話なら、まだ対応出来る。私は無理に背中を伸ばして、思いつくことを云った。


「空気、気圧、宇宙線の防護、適度な筋肉トレーニング。あとは地球上と同じ、衣食住のための設備とか」


 佐治は少し関心したように片眉を上げた。


「まぁ、概ねそんなところだな。オマエらは月面基地に駐留するにあたって、それらを常に気を付けなければならない。他には?」


 まだ何かあるのか。


 そう首を傾げる私たちに、彼は小さく鼻で笑いながら云った。


「オマエらは、月面基地の重要性を理解していないようだな。それはそうだ、オマエらの計画は、この国の宇宙開発が危機的状況にある今だからこそ、たまたま採用されたに過ぎないんだからな。本当ならオマエらは、月面基地に行くには知能的にも体力的にも不十分だ。とても採用されるはずがない」僅かにむっとした表情を浮かべる私たちに、彼は不敵な笑みを浮かべた。「ん? 気に障ったか? でもそれが事実だ。本当に難関を突破して月面行きの切符を勝ち取ったヤツなら、すぐに思いつくはずさ。基地は格好のテロの標的になるってことをな」


「テロ? いや、でも」急に勝田さんが腰を浮かせた。「誰が、どうやって月面基地を攻撃するんです?」


「オマエさんは市民団体で平和活動をしてるそうだな。だから世界は愛で満ちてるなんて馬鹿げた考えを抱くんだろうが、オレに云わせてみれば非現実的にもほどがある。だいたいオマエは、ここで何をしてる? 平和を願うんだったら中東にでも行って、愛と平和を訴えながら難民の前に立って人間の盾にでもなってくればいいんじゃないか? まぁすぐに撃ち殺されるのがオチだろうが」


 佐治の挑発に、勝田さんはすぐに負けん気の強さを出して顔を真っ赤にする。


「そうしたくても、紛争地帯は渡航禁止になってます!」


「じゃあ身銭を切って医薬品でも送ればどうだ? 山田総研といえば高給取りらしいがな。オマエの給料は幾らなんだ?」


「医薬品だって、送りたくても輸出規制されてるし。そもそも戦争の影響で流通規制があって、国内でも手に入りづらくなってます。佐治さんも、それくらいのことを知ってて云ってるんですよね? 当然。何かしたくても、出来ないんです」


 勝田さんの言葉に、嘲笑を浮かべ、身を反らした。


「フン、言い訳ばかりだな。少なくともテロリストは、そんな無理とか不可能とか簡単に云わない。ヤツらは狂ってる。先進国をぶっ潰す事が本気で出来ると考えてる。神の名の下には不可能なんてない、とな。そしてアメリカ同時テロも実現したし、毒ガス戦争だって同じだ」


「かも、しれませんが。でも、月は関係ないでしょう。彼らが月面基地を攻撃するなんて、物理的に不可能じゃぁ」


「そう思うか?」


「えぇ。月面にある四つの基地。環太平洋同盟のアメリカと日本、欧州連合、そしてインド。これらは実質宇宙開発を単独で行える国と組織の全てで、それ以外の国はまともなロケットすら作れないじゃないですか」


「ひょっとしてオマエは、どこかの国が、地球からミサイルで月面基地を攻撃するとでも思ってるのか? そりゃぁテロとは云わない。戦争っていうんだ」


 彼は教壇の下をまさぐると、一つの掌に載る程度の機械部品を取り出した。それは試料らしく真っ二つに割れるようになっていて、内部は様々な部品と共に、ぽっかりと空隙が空いていた。


「これはアメリカがアームストロング基地に輸送しようとしていた部品の一つだ。しかし打ち上げ間近の検査で異常が見つかり、このように分解された。中には何が入っていたと思う? 宇宙線の蓄積によって作動するタイプのバイオ複合爆弾だ」一様に身体を堅くした私たちに、佐治は満足そうに頷いた。「こいつは酷くやっかいな代物だ。時限装置も含めて、可動部と磁気反応がゼロ、つまり検知が酷く難しい。威力はそれほどでもないが、それは月面基地では問題にならない。なにしろ壁に穴を一つ空けてしまえば、外は真空だ。かなりの区画が崩壊する」


「でも、月面基地の材料って、三菱とか川崎とか、アメリカならボーイングとか、ヨーロッパならBEAとか。そういう機密の保たれた軍需産業の会社が作ってるんじゃないんですか? どうしてそんな工作をされるんです?」


 怪訝そうに尋ねた岡に、佐治は大きく頷いた。


「いい質問だ。いいか、月面基地が大規模になればなるほど、必要な部品は増えていく。その全てを厳重にセキュリティーが保たれた施設で製造するのは、現状不可能になりつつある。物によっては政府御用達の企業以外から調達せざるを得ないし、大量に必要になれば外国からも買う。そうした部品の中には、テロリストが手を入れる余地が生まれてしまうという訳だ。今の所、日本の月面開発においては、テロ活動の痕跡は見つかっていない。だがそれも時間の問題だろうな。


 他にも、人的サボタージュの可能性も考えなければならない。人口が増えれば増えるほど、勝田、オマエや、そっちのチームの佐藤みたいな素性の怪しいヤツらが入り込む余地が生まれる。そいつらが基地の設備に細工を施せば、一巻の終わりだ」


 殿下?


 不意に出てきた彼の名前に首を傾げている間に、彼は次の話題に進んでしまっていた。


「こいうったテロの危機は、毒ガス戦争の影響で高まっている。当然、オマエらは、そんなテロよりも事故の可能性の方が高いと考えるだろう。それも正しい。ともかくそういった危機的状況に対処する方法を指導するのが、オレの役目だ」


 しかし、本当に壁に穴の空いた区画に居合わせたとしても、出来ることなど殆どない。それが結論だった。私たちは風速五十メートルを体験できる風洞に放り込まれ、それに抵抗しながら反対側の扉に向かう体験をさせられた。結果として身動き出来る者など誰もおらず、私に至ってはゴロゴロと吹き飛ばされる始末だった。


「よくSF映画なんかで予圧区画が崩壊して、空気が抜けていく中で逃げるなんてのがあるが。ありゃぁ嘘だ。オレでも吹き飛ばされるだろうな」私は佐治の台詞と、全く同じことを考えていた。「それに急激に気圧が下がれば、オマエらは全員、すぐに意識を失うだろう。それが現実だ」


 それでも、小さな空気漏れならば対処出来る。ゴルフボールほどの穴から、どんどん空気が吸い出されていく。そこに備え付けのトリモチのような物質を射出出来る銃を撃って、穴を塞ぐ。更に小さな穴の場合は服を破き、張り付ける。その後はきっと、上井克也の出番となるのだろう。


「宇宙服の場合も、破れた穴をテープで塞ぐなんて場面が映画であるが。あれも訓練されたプロだけが出来る方法だ。オマエらはそんなことをしてる間に意識を失う。ま、そんなことになったら諦めろと云いたいところだが、そうもいかん。一応教える」


 続いて、単純に思われる消火訓練。だがこれも密閉された空間で起これば、どれだけ恐ろしいかがわかる。壁に表示されている酸素の残量を示す数値が、もの凄い勢いで減っていくのだ。


「酸素がなくなれば、自然と火は消える。だがそれは、同時にオマエらの死ぬ時でもある。月面基地では、火は使うな。それが鉄則だ」


 遅い! だの、ノロマ! だのと詰られながら、一日かけて一通りの訓練を終える。佐治は最後に私たちを整列させて、おもむろに云った。


「いいか。オレは実際、こんな訓練はクソの役にも立たんことは知っている」じゃあやらせるなよ、という私の心の声。「実際に何かが起きた場合、オマエらは直ぐに司令室に報告し、判断を仰げ。月面基地にはオレも含め、数名の駐留武官がいる。オマエらはオレたちの判断を疑うな。黙って従え。以上だ。解散!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る