第14話

 私たちはそのまま図書館に向かって、植物辞典やら百科事典やらをひっくり返す。すると確かに牧草には幾つかの種類があって、中でもチモシーとオーチャードが一般的だと記されていた。


「お、あったあった」岡が政府発行の農業白書を、机の真ん中に広げた。「どれ、昨年度実績、一エーカーあたり三トン弱、と。一エーカーって何平米?」


 テツジがいつもの関数電卓を取り出して、挟み込んである小さな手書きの紙を広げた。覗き込んでみると、様々な単位の換算式が記されていた。


「一エーカーは約四千平方メートル」続けて電卓を叩く。「ってことは、三千割る四千でと。一平方メートルあたり、約0.75キログラムやね」


 そう云われても、多いのか少ないのかピンとこない。


「それで、ウサギはどれくらい食べるんでしょう」


「じゃあ、次それ」


 岡のかけ声で、私たちは再び図書館の中に散った。


 今度も一番最初に見つけたのは岡だった。


「よっしゃ、二連勝」


 喜ぶ岡に、悔しがるテツジ。


 いつの間にか何かの勝負になってるのだろうか。


 そう首を傾げる私の前に、彼は獣医学書を広げてみせる。


「『ウサギは一日あたり、体重の約五パーセント程度の餌を食べます』っと。お、結構他にも色々書いてあるなこれ。コピーしとこうっと」


 十円コピー機に本を持っていく岡。テツジは早速電卓を取り出して、計算を始めていた。


「えっと、ドナドナは六キロで、掛けることの0.05、掛ける三百六十五日でっと」


 驚いて奇妙な表情を浮かべるテツジ。コピーから戻ってきた岡が電卓を覗き込むと、彼も似たような表情を浮かべた。


「一年で百十キロ! マジかよ。で、さっきので割ると?」


「えっと、百十割る0.75で。ウサギ一匹飼うのに、百五十平米いるっすね」


「使える多目的モジュールって、百平米だったよな。じゃあ全部で牧草栽培しても駄目じゃん」


 私たちは互いに顔を見合わせて、何か計算ミスがあったんじゃないかと数値を確かめていく。だがその何処にも大きな間違いはなく、私たち三人はため息を吐いてしまった。


「こりゃ、全然話にならないじゃん。ゴッシー、最初の換算だと、多少は希望があったんでしょ?」


 岡に問われ、私は自分のメモ帳をめくった。


「私は地球から運ぶのを前提にしていたんです。一回の打ち上げで三トンは餌を運べますから、百匹は飼えるんじゃないかなぁと。漠然と」


「そっか。だとすると餌は栽培するんじゃなく、持ってった方がいいのかなぁ」


「でも、せっかくウサギの糞が出来るんですから、肥料か何かに使いたいですよね」


 私の意見に岡は首を傾げて、ふと両手を打ち合わせた。


「そうだ、テツジさ、ドナドナ六キロで計算したけど、それって一番食い頃の体重だろ? 生まれた頃は数百グラムなんだろうから、餌はそれだけ少なくていいだろ。積分しなきゃ駄目じゃん?」


「あ、そっか」彼はメモ帳に積分の式を書いて、計算していく。「二次関数的に体重が増えるとして。それでも年に食う餌の量が半分弱になる程度やね」


「それでも、二匹がやっとですね」


 呟いた私に、岡とテツジは小さく唸った。


 暫く私たちは机に広げられている資料を無為にひっくり返していたが、再び岡は何かを思いついた様子で、机を叩いて少し腰を浮かせた。


「そうだ、この農業白書にかかれてるのって、地球上の話じゃん。月面基地なら冬はないんだから、もっと収穫増えるんじゃない?」


「そういえば、そうですね。仮に倍として四匹」と、私。


「あとさぁ、確か多目的モジュールって五メートルよね? 高さ」メモ帳に何かしきりと図面を書いていたテツジが云った。「そんでさ、牧草って一メートルくらいまで伸びて、おばちゃんが土に五十センチって云ってたじゃん。だとすると一メートル半の高さだろ? 三段重ねくらいには出来るんじゃない? こんな感じで」


 彼の示した絵は、立体駐車場のような構造をしていた。五メートルの高さを三等分に区切って、空いたスペースには照光機や散水機を取り付ける。


「じゃあ、掛ける三で、十二匹」岡は云って、少し微妙な表情を浮かべた。「うーん、もう一押しだなぁ。十倍とは云わないけど、最低あと五倍くらい。五十匹くらいは飼わないと駄目じゃない?」


「計算してみないとわかりませんけど、私もそんな気がします」私は同意して、メモ帳に鉛筆を走らせる。「仮に五十匹飼うとするなら、年に二トン半の餌が必要です」


 それから数時間、私たちはあぁでもないこうでもないと議論を続けたが、結局それ以上牧草の収穫量を上げる手段も思い浮かばず、外が暗くなりかけた頃に岡が話を打ち切った。


「とりあえずさ、ゴッシー、餌を地球から運んで五十匹飼う場合と、基地で牧草を栽培して十二匹飼う場合で、簡単に試算してみてくれない? どっちが最終的に安くなるのかわからないと、これ以上は無理だわ」


「そうですね」


 私も同意して、ひとまず寮に戻って食事と風呂を済ませる。そして南寮110室に向かうと、おばちゃんを含めた四人が麻雀を始めていた。


「まったく、こんなことをしている場合じゃないだろうが」


 そう文句を云いつつ、殿下も場に混じっている。


「まぁそう云うなって。気分転換は必要だろ?」


 岡はそう彼をなだめつつ、昼に調べたことを軽く報告した。独り除け者にされた私は、暇をもてあましてドナドナの籠を覗き込む。彼女は枯れ草の敷き詰められた籠の中をモゾモゾと動きまわり、鼻をヒクヒクさせて餌箱の中にある白い花の匂いを嗅いでいた。昼にテツジが毟っていたハコベだ。


 私は籠の中に手を突っ込んで、花を手にとってドナドナの口元に近づける。彼女は最初、首を傾げてそれを眺めていたが、プイとそっぽを向いてこちらにお尻を向けてしまった。


「そんな訳で、多目的モジュールの中だけで全部済ませようとすると、どうしても餌が足りなそうなのよね。今、ゴッシーに計算してもらってるけど」


 おばちゃんは盲牌しながら、眉間に皺を寄せた。


「そうねぇ。元々牧草は、あまり肥沃じゃない土地で作るものだから。それほど値段も高くないものだし、無理に基地で作ることもないかもしれないわ」


「でもさ、どうせやるなら、基地の中だけで全部済ませたいじゃん?」


「私は別に、無理にどちらかにする必要はないと思うがね」何のことはない、というように云った殿下に、一同は顔を向けた。「どちらにせよ、ある程度の消耗品は地球から運ばなければならないのだ。そのついでに足りない餌を運び、基地でも栽培すればいいんじゃないか?」


 早速私は、麻雀をしながら話を続ける四人を後目に、メモ帳を開いて計算を始めた。


★前提


 ウサギの一年の餌


   五十キログラム


 五十匹を飼う場合


   2.5トン


 月面への初期設備輸送料


   仮に三トン以内の機材として五十億円


 月面への餌の輸送費用


   五十億円


 多目的モジュールの使用料


   年十五億円


★生成物


 収穫出来る肉


   五十匹 × 五キログラム = 二百五十キログラム


 毛


   五十匹 × 五百グラム = 二十五キログラム


 皮


   同


★合計出費


 百十五億円


★収穫が肉だけとした場合


 肉単価


   キログラムあたり四千六百万円


★餌の輸送を全くしなくて済む場合


   二千六百万円


 私は一瞬目眩がして、思わず床に座り込んでしまった。


「駄目です」私は辛うじて云った。「餌を運ぶとして、キロあたり四千六百万円。運ばなくても二千六百万円です。誰が買います? そんな肉」


 呆気にとられた四人は、手を止めて私を凝視した。


「マグロでもキロ当たり十万円が限度だな」殿下は冷静に云って、独り麻雀を続けた。「以前に水の計算をしたな、そういえば? キロあたり十六万円。それがそのまま、地球上から肉を運んだ場合の値段にもなる」


「あと二百倍の工夫がいるわね」


 楽しげに云うおばちゃんに、岡は悲しげな表情を向けた。


「他人事だと思って。でも、なんでそんなに高くなんの? 何が変なんだ?」


 殿下がいつものように、背筋を伸ばしながら云う。


「何の事はない。穀物一キログラムで肉が一キログラム出来るのであれば、値段は同じ十六万円になるだろう。しかし実際はそうはならない」


「そうか」


 私は呟いて、生成物の項に一つ書き加えた。


 ウサギの糞


   餌の量2.5トン - 肉の量0.25トン = 2.25トン


「これじゃあ肉製造工場じゃなく、糞製造工場ですね」


「それも有用な資源の一つだ。克也さんが、有機物が足りないと云っていただろう」


 と、殿下。その時急にテツジが奇声を上げて、自牌を倒した。


「キタ! 親満! 悪いわねおばちゃん」


 すっかりこの二人はライバルになってしまった。奇妙な笑顔で挑発するテツジに舌打ちしながら、彼女は点棒を転がして云った。


「そういえば、月面基地で水耕栽培してるって云ってたわよね? 何を栽培してるか知らないけど、藁や何かはどうしてるのかしら。捨ててるならウサギの餌に出来るわよね」


 ふむ。悪くない。


 私は殿下風に心の中で呟いて、机の上に出しっぱなしにしてあった彼のパソコンに目を向けた。


「あの、ちょっと借りてもいいですか?」


 黙って頷く殿下。私は彼の机に座って、片手でネットワーク上の情報を調べた。確か募集要項の中に、月面基地が供給できる物品のリストがあったのを思い出したのだ。


 代表的なもので、水が一リットル十万円。その他、鉄やアルミニウムといった克也が作っている資材。そして最後の方には幾つかの穀物があった。


 大豆、白米、その他の葉野菜。


 だとするなら、食べられない部分は、廃棄するなり再利用しているなりするはずだ。


 続けて、別の項目を探す。


 月面基地で廃棄物が発生する場合、その処理費用として、以下の費用を支払うこと。


 これだ。


 私は思わず机を叩いて、こちらに目を向けた全員に云った。


「見てください、これ。月面基地で何かを捨てる場合、その処分費用として一キログラムあたり二十万円払わなきゃならないんです。逆に言うと、月面基地が廃棄するものを引き取れるなら、二十万とは云わなくても、十万円くらいはもらえるんじゃないでしょうか」

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