第14話

 牧場に戻ってみたが、そこには留守番の殿下がいるばかりだった。テツジの行き先を尋ねると、どうもディーさんの頼まれ事を片づけに天文台へ向かったらしい。


 私は床を蹴って通路を進み、基地の本体から分かれて地下を延びる百メートルほどの通路を抜け、天文台へと向かう。そこは相変わらずムーンキーパーで遊んでいる私たちが申し訳ない程の熱気に包まれていて、十数人の観測班の面々が忙しそうに働いていた。超新星爆発から半月ほど経過しているが、その残光は数年に渡って輝き続ける。地球からの眺めもディーさんに見せて貰ったが、日中でも青空にポツンと光り輝くのが見えるほどで、多分その様子は私が月から帰る半年後でも確認できるはずだった。


 コンソールに映る、様々なグラフ、数列、マップ。そんなものをコソコソと眺めながらテツジとディーさんの姿を探すと、二人は例の中二階にあるラックの前に屈み込み、前回の作業の続きをしているらしかった。


「でな、ここのレールにコンピュータを乗せて」と、金具を備え終えた所らしいテツジは、ディーさんに使い方を説明していた。「そんでこの脇のガードを押して、ズルッと差し込む」


 するすると収まっていく大きなコンピュータ。それを見てディーさんは歓声を上げていた。


「わぁ、すごいですね、こうするんだ!」


「いや、このラック、ちょっと変なんすよ。見たことないし、こんなの」


 テツジは上に三人の姉がいて、散々虐められてきた過去があるらしい。それで女性恐怖症というか、女性不信が根強くて、ディーさんに対しても素っ気ない態度で応じている。だが彼女はまるで気づかない様子で、残りのコンピュータを装着しようとするテツジに手を貸していた。


「でも、ウチのメンバーじゃ、全然。どう使うかわからなかったんですよ。やっぱり餅は餅屋ですね!」少し、きょとん、とした様子でテツジは動きを止めた。「どうか、しました?」


「いや、餅には苦労させられてるんで」


 ディーさんは首を傾げ、テツジと一緒にコンピュータの四隅を持ちながら尋ねた。


「すいません、何か言い回し、間違いました? 仕事は専門家に任せるのが一番だ、っていう風な語彙のつもりで」


「いや、それは合ってるっす」


「でもテツジさんって、本当に何でも出来るんですね。溶接したり、ロボット造ったり。ウサギ牧場の設備もテツジさんが設計したんでしょう? それにこんな、コンピューター・ラックの事まで知ってる」


「いやラックは。ウチの実家、工場で。こういう室内設備系の、あんま数の出ない特殊な什器、専門に造ってるんす。だから殆ど手作りで。ラダーとか、足場とか、前は軍の基地に何か納めたとか云ってたし」


「へぇ、それで何でも作れるんだ。凄いですね!」


「いやぁ。しがない町工場っすよ、ただの。親父は〈ウチの技術は世界一〉とか云ってるけど、儲からないから他にやってる所がないってだけで。工場は小汚いし、工員のオッサンらもパチンコとか女の話しかしねーし」苦笑いしつつ。「つか、ディーさんこそ、専門は天文学っしょ? 何でコンピュータの相手なんかしてるんすか」


 いやぁ、と、彼女は微妙な笑みを浮かべた。


「私は一番下っ端ですから。それに元々、インドの大学では情報科学専攻でしたし」


「へぇ。そっから日本に留学したんすが。それで何で、天文学?」


「それを説明すると、長くなるんですが」よいしょ、と声を上げて、コンピュータを備え付けた。「そもそもインドで学者になるには。バラモンやチャットレアでないと難しくて」


 カースト、か。


 さすがにテツジもその程度の知識はあったようで、厳しい顔でディーさんを眺める。だが彼女はそれを苦笑いで払いのけた。


「それは、本当に優秀だったら、別にカースト関係なく学者になれるんでしょうけど。でも私、そこまで頭良くないですから。それでも私、子供の頃から星が好きで。それで何とか、その道に進みたいと四苦八苦したあげく、こんなことになってるワケです」


「でも、コンピュータだって、上の方の仕事なんじゃないすか?」


「そこが他の国の方からすると不思議らしいんですが。コンピュータっていうのは、カーストの職能外なんです。昔はなかった、新しい仕事だから」馬鹿馬鹿しい、というように笑い声を上げた。「だからインドって、プログラマーとかの仕事が盛んなんです。カーストに縛られないですからね。で、私もその方に進んで、そこから無理矢理、交換留学生に潜り込んで。色々言い訳して帰国しないで、国立天文台に潜り込んで、こっそり天文学をやってるというワケで。秘密ですよ?」


 テツジは少し感銘を受けた様子で、彼女と共に次のコンピュータを運びつつ、云った。


「へぇ、凄いっすね」


「別に凄くないですよ。やりたいこと、やってるだけです」そしてディーさんは、美しい笑顔でテツジを見上げた。「テツジさんは? やっぱり、機械物が好き?」


「ま。まぁ。そうっすけどね」


「うらやましい。あんな凄いロボット作る才能があって、お若いのに月にまで来れて。凄い恵まれてますよ。将来は三菱とか、川崎とかに就職を? じゃなきゃ実家を継ぐとか?」


「さぁ、どうっすかね。あんま考えてないっす」


「そうですか。でも羨ましい。色々な選択肢があるんですもん。それにお若いし!」


 テツジは、しがない町工場の跡取り息子。両親からは跡を継ぐことを期待されていて、彼はそれがもの凄く厭で。かといって正面から向き合うことも出来ず、結局、逃げるようにして月面基地に来てしまった。


 そんな彼にとって、彼女の言葉は酷く痛いだろうな。


 私はそう、柱の影から、テツジの心情を勝手に想像していた。


 だいたい私にとっても、進路は他人事じゃない。何か成り行きでこんな事になってしまっているが、いつまでも月にいてウサギを世話してるワケにも行かないし、そうやって一生を終えてもいいと思えるほど、今の任務に熱意があるワケでもない。とりあえず半年後には地球に戻って、工科大学の三年に編入、そして必要に応じて修士、博士と進んで、望むならば宇宙公団に入ってもいい、という所までは決まっているが、そうして公団に入って何をしたいか、何が出来るかと問われると、まだ頭の中には霧がかかっている。今となっては漫画は〈人生を賭けた趣味〉としか思えなくなっていて、食べて、生きていく事は、別に考えなければならない。


 果たして、私は。博士やスペシャリストといった、もの凄い優秀な人たちばかりの月面基地に来て。


 何を、やっているのだろう。


 ただの家畜の世話係? ただの広報のアルバイト?


 私は何のために、月に来たのだろう。


 それは月面に来てから、ずっと考え続けていること。だが未だに、その答えは出ていなかった。


 そしてムーンキーパーに乗り込むテツジは、酷く微妙な表情だった。それはそうだ、彼が作り上げたはずの二機のロボット。それが今では変わり果てた姿になっていて、なおかつ、動かしてみると格段に性能が向上しているのだ。苦労して産んだ子供が一瞬で青年になってしまったようなもので、その変化に戸惑いを隠せずにいる。


 一方の私は、なんとかムーンキーパーを歩かせられる所までは行けた。四肢が長くなったようなもの、という説明は的を射てはいたが、さすがに急に自分の手足が六倍になると色々と戸惑う。目の位置も五メートルほどの高さだし、細部に目が届かない。ともするとすぐに躓きそうになるし、バランスを保つのに神経を集中させなければならない。


「ホント、こんなんで何十キロも歩けるのかな。しかもアームストロングより先にJTVに行かなきゃならないなんて」


 宇宙服を身につけ、足腰をグラグラさせつつも、なんとか直立を保ちつつ云う私。宇宙服を身につけて三輪車に跨がる佐治は苦笑いして、宇宙服内蔵の無線経由で云った。


「なに。別に勝ち負けはどうでもいい。ムーンキーパーの実用性が確かめられれば、それで十分だ」


 それで彼は、計画に酷く乗り気だったのか。


「じゃあ、負けてもF3に乗せてくださいよ」


「それは駄目だ。餌がないと、本気にならないだろ? 全力を出して貰わなきゃ」私の舌打ちを聞き流して、彼は指令所の回線に向けて声を上げた。「よし、エアロックを開け!」


 月面基地にある、一番巨大なエアロック。その扉が開いていくと、次第に私の目前に、灰色の砂と岩に被われた月面が現れ始めた。


 それは展望ラウンジで、月面は何度も見ている。だがこうして宇宙服を身にまとい、直に月面に出るのは初めての事だった。


 おおお、と、思わず声を上げてしまう。大気のない月面では、光の拡散が極々少ない。だから太陽光に照らされる所と影になっている所の濃淡が激しく、何もかもが、くっきり、はっきりしていた。


 これも地球上では、目にすることの出来ない光景だ。その不思議な光と影の世界に私が感動している間に、佐治は電動バイクのアクセルを開いて三輪車を飛び出させる。彼が楽しそうに全速でドリフトして見せると、途端に車輪は月面に積もった砂礫を吹き飛ばし、ぱぁっ、と宙に舞う。


 不思議な動きで拡散し、散っていく砂塵。


 そして見上げれば、ベテルギウスの残光が輝いていた。


「よし、行くぞ!」


 楽しげな佐治の声。そして戸惑う私より先に、テツジが月面に足を踏み出させていた。砂礫に足跡を残しながら、前に進むムーンキーパー。私も仕方がなく、操作モジュールに固定された重い足を上げ、一歩、足を進める。


 月面は思いの外、ふわり、とした感触だった。まるで粉雪に被われた地面のよう。


「いや、もう、私、大満足です。終わりにしましょう」


 半分泣きそうになりながら云った私に、佐治は哄笑した。


「いいから行くぞ! ほら、イチ、ニ、イチ、ニ!」


 かけ声につられ、仕方がなく両足を上下に動かす。不時着したJTVまで、一時間半。長い、長い旅になりそうだった。


 改良のおかげなのか、それとも元々そういう作りなのかは不明だったが、ムーンキーパーは思ったほど力を必要としなかった。それは基地の中を漂うように歩くのと、同じようにはいかない。けれどもせいぜい、毎朝の、足に重りを付けたランニング程度の感覚だ。十分も進むと次第に感覚も掴めてきて、下手に戸惑っているより、勢いを付けた方が全然楽だというのがわかる。慣性の法則、〈物体は外部から力を加えられない限り、静止しているか、もしくは等速直線運動を続ける〉。事それは真空や無重力下では顕著で、月面はかなりその条件を満たしている。空気抵抗がないのだ。運動の損失が起きるのは地面との摩擦のみで、それにさえ定期的に反力を与えてやれば、永遠に等速直線運動を続ける。


 つまり私は、宙を飛ぶ弾丸。地面に落ちそうになった所で、ぽんと足で地を蹴る。それだけでいい。


「いいな。だいぶ慣れて来たようだ」徐々に速度を上げる二人に伴走しながら、佐治は云った。「しかし、問題はここからだ」


 三輪車を飛ばしながら佐治が端末を操作すると、ムーンキーパーの中に急遽設置されたインフォメーション・パネルに月面地図が表示された。


「言わずもがな、かぐや基地は、月面の北極に近い、直径五キロほどの小クレーターの外延部に存在している。北極点に近いクレーターの底は、一年を通して陽が差さず、氷が蒸発せずに残っているからだ。アメリカのアームストロング基地にしても同様」


 彼が端末を操作するに従って、赤い点でかぐや基地、そして青い点でアームストロング基地が表示される。


「そしてJTVが不時着したのが、この地点だ」と、黄色い点滅する点が現れる。「まっすぐに向かいたい所だが、経路上にはいくつかのクレーターや岩場が存在している。我々はそれを避け、このルートで向かう」


 地図上に赤い、多少うねった線が現れた。いくつかあるクレーターの外輪山を掠めるようにして移動し、ゴールはその先にある開けた平原。


「敵のLRVにしても、クレーターの高低差は避けるはずだ。だからおそらく、この経路」と、青いラインが引かれる。「つまりJTVを挟み込むようにして、向こう側から来るだろう」


「敵って云ったって、別に戦うワケじゃないでしょうに」


 正面衝突という流れに辟易して云うと、佐治は鼻で笑いつつ答えた。


「むしろ、JTVで、はち合わせてくれないかと期待してるんだがな。そうすればアメリカのLRV相手に、ムーンキーパーがどこまで対抗できるか。わかるってもんだ」


「なんですか、それは!」


「嫌なら、一分一秒でも。敵より先にたどり着かなきゃな」


 煽るように言い残して加速する佐治。


「もう、何だっていうの」


 ため息を吐きつつ、仕方がなく加速する私。どう考えても、これ以上面倒事が出てくるのは、勘弁して貰いたかった。


 それでも月面ランニングは、思ったより楽しかった。私は地球上でもアウトドアというタイプではなかったから、山や、谷や、そうした物を殆ど眺めた事がない。日常目にする物と云えば、遠くに聳える山々、ビルに埋め尽くされた平坦な地。そんな程度だ。しかし月面は風雨による浸食がないだけに、様々な凹凸が切り立って残っている。開けた平原が続いたかと思うと小さなクレーターの外輪山が現れ、中心部に向かって鋭く落ち込んでいく。深々とした谷には一筋の光も射さず漆黒に包まれていて、まるで地面にぽっかりとあいた穴のような恐ろしさがある。テツジは散々基地外の建築などを手伝っていたので飽きてしまっているようだったが、少なくとも私は小一時間ほど、辺りの景色を記憶に留めるのに夢中になっていた。

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