第13話

「ホント、馬鹿じゃないの?」


 現れたドクター津田の第一声。ドクターは厳しいというか、若干サドなんじゃないかと私は思っていたが、彼女はプリプリと頬を膨らませながら、まるで起きあがれずにいる羽場の腰をパチンと叩いた。


「痛っ! ちょっと津田ちゃん、止めてよ! マジで痛いんだって!」


「ちゃんと決められた運動してないから、そんなことになるのよ。はい、ぎっくり腰です。寝てれば治ります。以上」そして工場の壁に背を付けて座り込んでる岡の具合を確かめる。「で? こちらは?」


「すんません、肘が」


 岡は申し訳なさそうに、さすっている左の腕を差し出す。ドクターは岡が悲鳴を上げるのにも構わず、それを色々な方向に曲げてみて、最後にはため息を吐きながら湿布をぺたんと貼り付けた。


「骨には異常ない。捻挫です。全治一週間。他には?」彼女はこんがらがったムーンキーパーを起こそうと四苦八苦している技師たち、そして申し訳なさそうに肩を落としている克也他数名を眺めてから、云った。「まったく、いくら暇だからって。大の大人がこんな玩具を作って怪我するなんて。何なの一体?」


「いやぁ、そうは云うが、これは隊長の命令で」


 言い訳するように云う克也。ドクターは理解できない、というように目を剥いた。


「隊長の? 何なの?」一通りの説明を受けるドクター。しかしそれを最後まで聞いても、彼女の感想は変わらなかった。「隊長も、仕様がないヒトだこと」呆れたように呟いて、克也に云った。「いいこと? 暇をつぶすのはいいけど、私の仕事を増やさないでちょうだい。わかった?」


「了解です」


 しおらしく答える克也。そして軽く床を蹴って工場の扉から去っていくドクターを見送ってから、彼は大きくため息を吐き、床に転がる羽場と岡を眺めた。


「ったく、何でオレがドクターに怒られなきゃならねーんだ」


「だから、最初から無理だって云ってたじゃんボクは!」と、俯せで転がる羽場。「てか、それより誰か、ボクを部屋に運んでくんない? マジで立てないんだけど」


「しかし、参ったな」どこからともなく、佐治が現れて云った。きっとドクターに怒られるのが嫌で隠れていたのだろう。「羽場はいいとして。岡クンが使えないのは痛い」


「あ? 〈羽場はいいとして〉って云った? 冗談じゃないよマッタク! ちゃんと後で空軍に傷病手当請求させてもらうからね!」


「オレは公団に出向中の身だ。請求するなら公団にしろ」そして彼は腕を組み、僅かに考え込む仕草をした。「さて、代わりのパイロットを、どうするか」


「まだ、やる気なんですか?」


 呆れて云った私に、彼は重々しく頷く。


「あぁ。幸いと云っては何だが、今の事故でムーンキーパーの安全性が確認された」


「安全? どこが安全なのさ!」


 叫ぶ羽場の腰を、佐治もパチンと叩いた。


「オマエのは単なる運動不足だろう。ムーンキーパーが原因じゃない。だいたいあれだけ派手に転がったのに、他は無傷だろう? 岡クンも軽く捻っただけだし」


「まぁな」と、腕組みしつつ克也。「ダンパーが効いてる。あれを追加してなきゃ、確実に岡の肘は折れるか脱臼してたな。格闘でもすることにならなきゃ、まず怪我はしないってことだ」


「で、だ。他に使えそうな候補は? 一号機はいいとして、問題は二号機だ。あの調子じゃあ、ドクター津田は無理そうだが」


 そう佐治に尋ねられ、克也は腕組みしたまま四方を見渡す。佐治も似たような素振りで辺りを見渡し始めたが、二人とも身体は完璧に私の方を向いていた。


「いや。だから無理ですって私は」


 面倒臭くなって云うと、すぐに二人は私に詰め寄った。


「いや、行ける。キミなら大丈夫だ」


「なんでそう根拠のないこと云うんです佐治さんも。だいたい羽場さんが無理だったのに、私に出来るはずが」


「羽場は無視して構わん」と、克也。「アイツは例外だ。だいたいゴッシーちゃん、オレと毎日筋トレしてるだろう。あれくらい出来るなら余裕だ!」


「それは、運動しておかないと地球に戻ってから大変だからしているだけであって」


 何とか回避しようとブチブチと反論する私に、佐治と克也は揃って腕を組み、顔を見合わせた。


「何か餌がいるな」と、佐治。


「空軍に餌は? 彼女、機械物が結構好きだが」と、克也。


 佐治は、ふむ、軽く唸って、首を傾げた。


「そうだな。例えば、オレの権限でF3に乗せるくらいのことは出来る」


「え、F3? マジですか?」私は耳を疑った。日本の誇る、先日配備されたばかりの主力戦闘機だ。「マジで心神? Aですか? Bですか?」


 予想以上に食いついてきた所為か、佐治は少し戸惑っているようだったが、そんなこと気にしていられない。


「いや。AとBは単座だからな。訓練用の複座のDだ」


「Dか。そりゃそうだよな」私は肩を落とし、少しガッカリしながら云った。「どうせならB。垂直離着陸のに乗ってみたかったな」


「馬鹿云うな! あんなの格好だけだ! 航続距離は短いし、積める武器にも限度が」余計なことだ、と思ったのだろう。佐治はすぐに頭を振り、云った。「とにかく、地球に戻ったら。乗せてやれる。どうだ? この条件」


 戦闘機なんて、軍関係者だって、そうそう乗れる代物じゃない。しかもそれが最新鋭のF3。


 私は腕を組み、頭の中で双方を天秤にかける。ワケのわからない理由での、月面徒競走数時間。得られる報酬は、最新鋭戦闘機の搭乗券。それは非常に魅力的な提案には違いなかったが、履歴書に〈苦手なもの:運動〉と書くくらいな私に、そんなことが出来るのか。


「F3はいいぞ?」煽るように、佐治は云う。「ものすごい操縦席がシンプルだしな。ヘッド・マウント・ディスプレイで、様々な情報がオーバーレイされて見える。あとは変形してくれれば完璧なんだがな」


「で、それって。アームストロングに勝たないと。駄目なんですよね?」


 駄目元で聞いてみたが、彼は大きく頷くばかりだった。


「それはそうだ。部外者をF3に乗せるのは、かなり大変な事だ。書類を何枚も書かなきゃならん。最重要機密だからな」


「わかりました!」どうも慎重に物事を考えるのが苦手な質だ。私は面倒臭くなって、判断を勢いに任せてしまった。「いいでしょう。やってやりますよ。でもいいです? 絶対、絶対F3に乗せてもらいますからね!」


 佐治はニヤリとして、私の両肩に手を置いた。


「よし。それでいい。以前からキミには根性があると思っていた。どうだ? どうせなら卒業したら、空軍に入らないか? 別に技研なら体力は求められないし、広報官って重要な枠も」


「ちょっと、こんなとこで引き抜きなんて止してよ!」相変わらず転がされたままの羽場が叫ぶ。「ゴッシーは公団の期待のホープなんだから!」


「オイ、誰か! そこに転がってる役立たずを廃棄物処理場に運んで行け!」


 すぐに現れた佐治の部下に、軽々と運ばれていく羽場。克也はそれを苦笑いで眺めつつ、云った。


「とにかく、これで二号機はいいな。あとは一号機だが。百七十くらいで、体力のあるヤツは」


 思案しつつ辺りを見渡す克也に、私は片手を挙げた。


「あの、それなんですけど。テツジにやらせたらどうです?」


 テツジ、と、少し怪訝な顔をする克也。


「まぁ、別にアイツでもいいが。大丈夫なのか?」


 彼の不真面目さを指摘しての言葉だろう。だが私はおもむろに頷いて、云った。


「自分で作ったのですもん。大丈夫だと思いますよ? それに結構、克也さんの所で働いてるから、体力ありますし」


「ま、ゴッシーちゃんがそう云うなら」


 渋々といったように同意する克也。一方の佐治は腕時計に目を落とし、ようやく起きあがりつつある二機のムーンキーパー、そしてそれに取り付いている技師たちに向かって叫んだ。


「無駄な時間を使った! 二十分で機体の確認、十分で搭乗確認、そして十分で出発だ! ちゃんとハンマーも装着させるのを忘れるな! 急いで片づけてくれ!」


「え、アレ、持って行くんですか?」


「JTVの扉が破損して動かない事も考えられるからな。念のためだ」


 きっと単に格好を付けたいだけなんだろうな、と思いつつ、私は踵を返した。


「じゃ、私はテツジを探してきます」


 工場から通路に出る。余計なお節介かもしれなかったが、せっかくテツジが頑張って作った物なのだ。最初は彼が天狗になってしまうのを恐れていたが、こんな状況になってしまい、このままムーンキーパーが彼の手を放れていってしまうのは、何だか可哀想に思えてならなかったのだ。

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