第18話

「高専? なにそれ。 どうして? 一緒に同じ大学行こうよ。寂しいじゃん」


 二年前の今頃だ。私が高専へ編入するつもりだという話をすると、彼女は半分泣きそうになりながら云ったものだ。


「んー、でもさ。高専って面白そうなんだよね。パンフレット見たんだけど、普通の大学のような授業の他に、実習とかもあるんだよ。溶接とか、鋳造とか」


「後藤、好きだもんねぇ、そういう機械機械したヤツ」そう諦め気味に云って、「でもさ、きっと女なんていないでしょ? そんなとこ。きっと居づらいってば」


「私、そういうの気にしない人だからな」


 だが桜庭のような友人を難なく得ている楓を見ると、そういう経路も有りだったかな、と少し思ったりもする。


 別に岡、テツジ、そして殿下という三人組を卑下している訳ではない。ただ明らかに彼らと私の感覚は大きくずれていて、とても学業の範囲外まで一緒に活動しようとは思えない。


 なんというか、彼らは根本的なところで、真摯ではないのだ。


 どんなことでも、表面的なところで済ませようとする。月面基地のためではなく、自分たちのために公募に参加しようとしている。三人が一緒にいるのも、それは私と楓のような互いのためなのではなくて、単にそれが楽だからなのだろう。彼らは一緒にいても何かを生み出すことはないし、ただただ日々を面白おかしく楽しもうとしているだけ。


 そう、それだ。


 彼らには、何か夢のようなものはあるのだろうか。


 私や、楓や、桜庭のような。


 なんとなく、三人組と私との違いが見えたような気がする。


 彼らは何をするにしても、一生懸命になっている様子がないのだ。今回の公募にしても、幾ら期限が短くて徹夜を何度かするにしても、どこか余裕を残している風がある。この程度でいいだろう、と中途半端に諦めて、まぁ別に死ぬわけではないし、と目先の楽なほう楽なほうへと逃げようとしている。


 そんなことをうつらうつらと考えていると、次第に苛立ちは治まるどこら募る一方だった。おばちゃんに云われた八時までに煙草を数本灰にする。その頃には既に空腹などどうでも良くなって、このまま眠ってしまいたい気分になってしまっていた。


 だが、ここで適当に投げ出してしまえば、私もまた彼らと一緒になってしまう。一つ大きくため息を吐いて、仕方がなく重い腰を上げた。


 渡り廊下からは、がらんとした食堂に煌々と明かりが灯っているのが見える。扉を開けても、おばちゃんの姿は見えなかった。続きになっている厨房を覗き込むと、彼女は難しい顔をしながらオーブンの中を覗き込んでいた。


「あの、来ました」


 私が云うと、彼女は驚いたように身を震わせた。


「あぁ。びっくりした。貴方ね。いらっしゃい」


 手招きする彼女に釣られて中に入る。調理台の上には、既に幾つかの料理が出来上がっていた。シンプルなステーキ、丸いフライ、それに角煮風のもの。そして彼女が覗き込んでいるオーブンでは、手足の形がわかる丸々一匹のウサギがグルグルと回っていた。


「凄い。丸焼きですね。私、こういうの食べたことないです」


 肩越しに覗きながら云うと、彼女は振り返らずに少し首を傾げた。


「内臓を取って、詰め物をしてるの。いいのかどうかわからないけど。まぁ食べれないことはないでしょう」


 そう笑いながら云った時、オーブンが小さな音を立てて止まった。彼女は鉄板の上に載った肉の塊を少し指先で押してみてから、鍋掴みで慎重に取り出す。


「あ、ここでいいでしょう? 外で食べて、学生に見つかると面倒だし」


「えぇ。椅子持ってきます」


 私は椅子を二脚持ってきて、調理台の脇に置く。おばちゃんは大きな包丁で肉を切り分けて、二つの皿に載せた。


「さて。どれから行ってみる?」


 私は沢山並んだ皿を一眺めして、とりあえず丸い小さなフライを手に取った。


「これ、何です?」


「ミートボールフライね。じゃあ私もそれから」


 二人で一斉につまみ上げて、口の中に放り込む。私はモグモグと口を動かしてから、ふと呟いた。


「肉、ですね」


「肉ね。確かに」彼女は笑いながら云って、今度は半分だけかじって断面を眺めた。「淡泊だって聞いてたけど。確かに淡泊ね」


「あっさりしてますね」


「小さいからかしら。次はこれ、行ってみましょう」


 と、私たちは一通り箸を付けてみる。ステーキは少し堅めで、食べられないことはないが、やはり牛ほどのものではなかった。角煮は柔らかく煮込まれてはいたが、どうも肉自体があっさりしすぎていて、タレの味しかしない。


 メインディッシュの丸焼きは、中に野菜とご飯が詰められていて、肉と混ぜるようにして食べるものらしい。


「うーん。これも、もう少し味が濃くてもいいかしら」


 首を傾げながら云うおばちゃんに、私も小さく頷いた。


「そうですねぇ。別に食べられなくはないですけど。何かひと味足りないような感じですねぇ」


 あぁでもない、こうでもないと話しながら、ひとまず満腹になるまで食べ尽くす。そしておばちゃんはお茶を入れに立って、大きくため息を吐いた。


「やっぱり、初めての食材は難しいわね。今、肉なんて、殆ど鶏か豚か牛しかないでしょう?」


「というか、思うんですけど。ウサギの肉が美味しかったら、もっと普通に食べてると思いません?」


 彼女は笑いを堪えながら、私の前にお茶を置いた。


「核心ね。美味しくないから、食べられてない」そして慌てて付け加えた。「あ、別に言い訳してる訳じゃないのよ?」


「いいんじゃないですか? 言い訳で」


 彼女はひとしきり笑ってから、ふと呟いた。


「五所川原さんて、面白いわね。いつもそうなの?」


「何がですか?」


「なんというか。時々、わざと筋を外して話すでしょう?」


 そうだろうか。


 私が首を傾げていると、彼女はしみじみとした声で云った。


「まぁ、理系の女の子は、変わった娘が多いから。あ、別に悪い意味じゃないのよ? 私も昔は、その一人だったし」


「まぁ、そうでもなきゃ、高専に編入しようだなんて思わないでしょうけどね」


「それも核心」


 穏やかな笑みで人差し指を突き付ける彼女に、私は大きくため息を吐いた。


「別に狙ってやってる訳じゃ、ないんですけどね。それにイマイチ、彼らにも馴染めないし」


「あら、そう? 仲良くやってるように見えたけど」


 なんでこんな話をしてるんだろう。


 そう思いながらも、私は一通りの事情を説明するしかなくなってしまった。おばちゃんはいつものように、あら、そうねぇ、と相づちを打ちながら、困ったように眉間に皺を寄せていた。


「まぁ、そんな訳で、赤字なのに試算を〆てしまった訳なんです。赤字じゃあ意味がないって云うのに」


「それでご立腹な訳ね」


「別にいいんですけどね、私は」と、残っていたフライを口に放り込む。「ただ、せっかく二ヶ月かけて、もう少しの所まで行ってるっていうのに。なんだか馬鹿みたいで」


 おばちゃんは難しそうに考えて、お茶を一口すすった。


「まぁ、でも。岡くんの云うことも尤もだと思うわ。それは、黒字になるのに越したことはないでしょうけど。期限が守れないんじゃ、それこそ意味がないでしょう?」


「そうじゃないんです。考え方の話ですよ。彼らは、なんて云うか。適当なんですよ何事も。色々言い訳して頼んだこともやってくれないし。楽な方、楽な方に行こうとするんですよ。その挙げ句がコレですもん。なんか彼らのためにも、留年した方がいいんじゃないかって気がしてきました」


「まぁまぁ、そう興奮しないで」私の手をポンと叩いた。「つまり、彼らは五所川原さんから見れば失格ってことなのね?」


「それは、それぞれいい面もありますけど。59点。ぎりぎりD評価ですね」


 ひとしきり笑ってから、おばちゃんは小さく息を吐いた。


「じゃあ、私は彼らの弁護士になろうかしら」何の話だろう、と首を傾げる私に、おばちゃんは静かに云った。「あまりこういうこと云うのは駄目なんでしょうけど。あの子たちはあの子たちで、色々事情があってね」


「事情?」


「そう。まず岡くんだけど。彼は結構本気で音楽をやっててね。知ってた? ファンクラブもあるくらいだって。でもオーディションなんてなかなか通らないし、親御さんには当然反対されてるから。体面として大学に編入して、時間を稼ぐしかないの。だから彼が、今は無難に話を纏めようとするのは無理がないことだと思うわ」


 まるで知らなかった。


 そう口を開け放っている私に小さく微笑んで、彼女は続けた。


「次にテツジくん。彼は小さな町工場の跡取り息子でね。親御さんからは、高専を出たら一緒に働くのを期待されている。けれど彼は嫌でね、何とか逃げようと画策してるって訳。それで仕送りなんかは全部貯め込んで、卒業したらそれを元手に自活しようとしてるの。彼は確かに無気力だけれど、それは全ての意識がそこに向いているからなんでしょうね。実家の跡を継ぐことに比べたら、きっと留年なんてどうってことはないんでしょう。それでも自分の将来は不安だから、その間で揺れ動いている。


 そして殿下。彼は知ってるでしょうけど、大変な立場だから。彼が出来ることをやっていないっていう非難は、まず無理があるでしょうね」


「殿下のことは、良く知らないんですけど」


 辛うじて云った私に、彼女はお茶を飲みながら澄まして云った。


「あら、そうなの? でも、これは私の口から云う事じゃないし。そのうちわかるわ」不意に彼女は、背筋を伸ばした。「それで、如何でしょうか、検察官さん? これでも彼らは不真面目で、駄目な人たち?」


 それは、駄目に決まってる。


 そう私は思ったが、先ほどまでの自信は少し薄れていた。


 寮の自室に戻った私は、ベッドに寝ころんで満腹になったお腹に手を乗せる。


 ちょっと今回は、私の負けかな、と思い始めていた。


 別に勝ち負けが重要な訳じゃないが、ここ二ヶ月で、私は岡たち三人組の上辺しか知ることが出来なかったのかもしれない。岡がそれほど本気で音楽をやってるだなんて知らなかったし、テツジの貧乏生活にパチンコ以外の理由があるのも知らなかった。そして殿下のことは、今でもまるでわからない。


 とはいえ、それと公募への応募の結末が不本意なのには、何の変わりもない。赤字の計画なんて、採用されるどころか評価のテーブルに上がることもないはずだ。


 そう、採用されればされたで大変なことになるだろうが、結果が出る一ヶ月後くらいまでは少しでも希望を持って、『やっぱり駄目だったか。でも、高専生にしては良くやっただろう』と思いたかった。


 まぁ、いいか。もう終わったことだ。


 切り替えが早い五所川原がそう結論付けて、それ以上の思考をストップさせる。それよりもそろそろ、後藤の出番だ。公募のおかげで、もう一つの応募計画が完全にストップしていた。〆切まで、あと二ヶ月しかない。私が当初応募する予定だったものは殆ど楓が仕上げている頃だが、もう一つ、桜庭と約束した〈一般受け〉を狙った作品は、ネームすら出来ていない状況だ。

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