第19話

 全長三十五メートル、全幅二十五メートルという巨大LRV。地球と合わせても世界最大級の車両で、内部にはパワードスーツの整備場の他、幾つかの個室、そして万が一の場合にアームストロング基地の指揮命令機能を代行できる司令室が備え付けられているという。


 私たちはエアロックを抜けてすぐの、パワードスーツの整備場までの入場を許可された。そこは天井の低い十五畳程の部屋だったが、八つのスーツが整備ベッドの中に整然と並べられていて、うち二つは引き出されて横にされ、分解整備が行われつつある。またここは作戦の打ち合わせなどを行うブリーフィングルームも兼ねているようで、正面には大きなスクリーンが備え付けられ、設えられた広いテーブルはタッチパネル型のディスプレイになっていて、様々な情報を刻々と表示し続けていた。


 ジョーはクシャクシャっとした感じの黒い髪と、私たちとそう変わらない黒い瞳を持った、白人とはいえ少し不思議な血の入った三十代の男性だった。背もそう高くなくて、せいぜい百八十くらいだろう。その彼は空軍の黒い戦闘服に着替えていて、袖を捲りながらテーブルパネルを操作している。


「LRVのデータリンクは無事だ。今、かぐや基地と繋いだ」


 彼が云うと、テーブルの中に一つのウィンドウが開き、見慣れたオペレータの顔が映し出された。


「中佐。それにテツジくんとゴッシーちゃん。無事ですか」


「あぁ」佐治が応じ、テーブルに両手を付いた。「恐らく一時間以内には帰投出来る」


「四十五分」と、ジョー。


「四十五分だそうだ。それで、一体何があった」


「少しお待ちを」


 オペレーターは隊長と席を替わった。彼の瞳も普段の鋭さを取り戻していて、前置きも抜きにして尋ねる。


「そのLRVは、どれくらい宇宙線の遮蔽能力がある」


「ほぼ、アームストロングの中層と同じ程度です」答えたのはジョーだった。「死なば諸共、ってね。それよりシカタ隊長。一体何が起きたんです。ヤバい兆候はオタク等の天文台が見つけて、全基地に伝えたらしいですが」


「三十分ほど前から宇宙線の増加を検知していた。それ自体は誤差の範囲で危険な値ではなかったんだが、それを分析していたカーン博士から、未知の現象が起きている可能性が高いという報告を受けて。念のために全基地に連絡し、幾つかの装置を安全停止させた途端、この有様だ」


「この?」尋ねた私。


「幾つかの電子機器に異常が出ている。何かしらの宇宙線バースト的な現象が発生したらしい。私も今から、詳細を聞くところだ。回線を開いておくから、キミらも聞いてくれ」


 彼が手元のパネルを幾つか操作すると、新しい通信画面が開いた。現れたのは天体観測班の主任である眼鏡の男性、そしてその脇にはディーさんが控えていた。


「主任」と、隊長は向きを変えて彼に尋ねる。「それで一体、何が起きた」


「まず、基地の被害を教えてもらえませんか」


「まだ確認中だが、基地外に設置してある幾つかの電子機器が暴走したようだ。それとルナ衛星の幾つかがダウンしている。現状、筑波が再起動を試みているようだが」


「いえ。まだ停止しておいた方が良いでしょう」


「それは、どういう意味だ?」


「先ほどのバーストで終わりだという確証がないんです」


 答えたのはディーさんだった。彼女は胸にファイルを抱えたまま、酷く表情を不安げにしている。隊長はディスプレイ上の彼女に視線を向け、首を傾げた。


「しかしカーン博士。先ほどのバーストを予言したのは貴方だ。何が起きているか、わかっているんじゃないのか?」


「いえ。はい」相反する答えをした。「何となく想像は出来ていますが、確実では」


「構わん。説明してくれ」


 彼女は軽く、脇の主任を見上げる。そして少し躊躇ってから彼が頷くと、ディーさんは気後れした風にしながらも、口を開いた。


「本当に、まだ想像の段階ですけど。現在の超新星爆発の理論モデルによると、ベテルギウス級の恒星はII型の超新星爆発を起こすとされています。恒星は最初は水素を燃料として核融合を行いヘリウムが生成されて行きますが、水素が切れるとヘリウムを燃料としてネオンや炭素などを生成し、それも切れるとネオンや炭素などを燃料として」


「それは知っている。そして最終的に燃料を使い果たして核融合が弱まると、燃焼による外向きの力と、内向きの重力のバランスが崩れ、爆発が起きる」


「はい、そう、そうです。その爆発の衝撃波によって、多量のX線やガンマ線を放出されます。特に超新星の自転軸方向には強烈な放射が行われて、その直撃を受ければ、六百光年離れた地球も無事では済まないとされています。たった数秒の直撃でオゾン層が破壊され、生物のDNAが破壊され」


「それも知っている。ガンマ線バーストだろう? しかしベテルギウスの自転軸は地球を向いていない。だから超新星爆発の際にも、それほど強力なガンマ線は飛来しなかった」


「はい」そこでディーさんは、口ごもった。「その理論モデルが正しければ、地球に飛来するガンマ線は衝撃波ベースの物だけです。爆発の瞬間が最大で、あとは弱くなっていく一方だったはずなんです。でも昨日からガンマ線量が微妙に増え始めていて、三十分前からそれが顕著になって。先ほどは一瞬、超新星爆発の直後の値を超える六十ミリシーベルトほどのガンマ線が観測されて」


「どうして、そんなことが?」


「思うに。本当に想像なんですが。爆発の衝撃で、自転軸が回転し始めているんじゃないか、と」隊長が何か云う前に、彼女は恥じ入ったように声を高めた。「すいません、本当に想像なんです。今、その想定でコンピュータ・シミュレーションを始めた所なんですが、結果が出るまでまだ時間が」


 庇うように、主任が声を発した。


「あり得るかあり得ないかと云われると、あり得るとしか云えません。実際に既知の超新星爆発の残骸を観測すると、中心部分にあるはずの中性子星が存在しないケースが多いんです。それは爆発の影響で中心核が弾き飛ばされてしまうからだとされていて、そのメカニズム次第では爆発直後に自転軸が揺らいでいく程度のことは十分にあり得る話で。それに現在地球上で観測されているガンマ線バーストは数秒という短いものと数十秒という長い物に大別されていますが、どうしてこういう違いが出るのか良くわかっていないんです。それもひょっとして爆発の影響で自転軸が変化するからだと考えれば」


「つまり、こう云うことだな?」取り留めのない言葉を遮り、少し思案を含めて、隊長は云った。「これまでは、ベテルギウスの自転軸は地球を向いていないから、ガンマ線バーストの影響を受けることはないとされていた。しかし爆発のおかげで、その自転軸は傾くか何かしつつある」


「あくまで、可能性です」


 科学者というものは、検討中の物事に対しての断定を嫌う。それもあってか、自説に自信がないのもあってか、ディーさんは弱々しく答える。対する隊長は再び思案を含めてから、尋ねた。


「つまりこれから、この月や地球に、強烈なガンマ線が降り注ぐ可能性がある、と?」


「いえ。ガンマ線バースト自体は、爆発の直後で収束しているはずです。ですのでこれから被る影響は、あくまでガンマ線バーストの残りというか、あるいはそもそもガンマ線バーストは関係なくて、単純に恒星構造の非対称性による衝撃波の強弱なだけかもしれませんし、あるいは衝撃波の先に星間ガスが大量流入してきて、それによってプラズマ化したガスからの放射が」


「わかった。もういい」隊長は静かに遮った。「こういう理解で正しいかな? 現時点では原因は不明だが、先ほどレベルのガンマ線が再び来る可能性は高い。しかしそれも数十ミリシーベルト程度の物で、シールドの弱い電子機器に影響を及ぼす程度である、と」


「わかりません。場合によっては、更に強烈なガンマ線が来る可能性も」


「地球文明が滅亡してしまう程の、ガンマ線が?」


 重々しい、そして苦々しい隊長の言葉。ディーさんは僅かに口ごもり、そして瞳をあげた。


「とにかくコンピュータ・シミュレーションの結果が出て、それが現状と一致すれば、これからどうなるかの予測が可能かもしれません」


「それに、どれくらいかかる」


「あと、三十分程度で、暫定値は出るかと」


「しかし天文台は、基地の中でも、一番地表に近い。鉄板一枚しか隔ててないんだ。もし先ほど以上の宇宙線が照射された場合、ヒトの被爆限度を超える恐れがある」


 言葉を詰まらせるディーさん。それを隊長は慎重に眺め、続けた。


「今の話を聞いて、全隊員の待避が必要じゃないかと考えた。全隊員は、B2以下への待避を行うように、と」


「い、いえ、しかし。本館のB2までは、天文台のリモート回線が届いていません」


「しかしベテルギウスは、今すぐにでも致死量の放射線を浴びせかけて来るかもしれない。だろう?」


「でも、今、ここを離れたら、貴重な観測機会を逸して」


「キミの熱意はわかるが、落ち着いて聞いてくれ」隊長は大きくため息を吐き、軽く頭を撫であげてから、云った。「死んだら、元も子もない。違うか? だいたい何十年とかけて研究してきた理論モデルも、現実を前にしてはこの通りなんだ。我々は、大宇宙という物に対して。無力であることを認めるべきだ」


 確かに私も、隊長と似たような気持ちを抱いていた。


 天才と呼ばれる天文学者たちが打ち立ててきた、様々な天体の理論モデル。それは観測データと一致しているように見え、またベテルギウスの爆発に際しても、これまでは概ね、その将来を予期できているように見えた。仮にベテルギウスが爆発しても、地球文明が崩壊してしまうようなことはない、とされていたし、現に爆発から二週間ほど過ぎた今の今まで、人類が滅亡してしまうかもしれないなんて。一瞬でも、考えたことはなかった。だから隊長にしても他の隊員たちにしても、危機意識が薄かったのだ。


 けれども、この異常事態。


 これまでの私たちは、多少の想定外があったとはいえ、計算通りのロケットの性能を使い、計算通りの環境の月に来て、計算通りに基地を造って。あとは金さえあれば、計算通りに何でも出来るんじゃないかという気がしていたのかもしれない。


 だが実際は、人類が絶滅してしまうかもしれない程の現象を、私たちは計算出来ていなかった。


 所詮人類は、この程度なのか。


 ウサギ牧場程度ではあるが、その苦労を乗り越えてきた私でさえ思うのだ。更に様々な苦難を乗り越えてきた隊長にしてみれば、まるでお釈迦様の手のひらの上で踊っていたのを知った時の、孫悟空のような気持ちになったろう。


 馬鹿馬鹿しい。なんて無駄な事をしていたんだろう。


 私たちの力は、所詮、その程度の物でしか。なかったのだ。


 あるいはそれは、佐治やアームストロングの面々にしても。同じ気持ちを抱いていたのかもしれない。場は重苦しい沈黙に支配されていたが、しかし不意にディーさんが、それまでの自信なさげな表情から一転し、きっぱりとした口調で言い放った。


「いえ。違います。まだまだ、これからですよ!」彼女は眉間に皺を寄せ、酷く苛立った様子で言葉を強くした。「冗談じゃありません! そんなに簡単に諦めるなんて。それは確かに、今の科学は万能ではありません。でもそれで諦めたら、私たちは何のために宇宙に出て、月にまで来てるって云うんです? そもそもこれは危機じゃない。チャンスなんです! これまで宇宙が見せてくれていなかった非常に貴重な姿が、ほんの、たった六百光年先にあるんです! 今、正確にその姿を捕らえなかったなら。また何百年、あるいは何千年も待たなきゃならないんです! その間、天文学者たちは何をします? こうかもしれない、あぁかもしれないって、乏しい情報を元に机上で理屈を捏ねるしかなくなるんです! これがどれだけの損失になります? ひょっとしたらそのおかげで、人類は貴重な神の姿を見逃した馬鹿な種族、滅びて当然っていう道を歩む可能性だってあるんです! それを考えたら、多少の危険は受け入れる覚悟で」


「天体観測班は、今すぐ本館B2以下に待避」否応のない口調で、隊長は断言した。「これは命令だ」


「隊長!」


 ディーさんは叫んだが、脇の主任が彼女を押し留めた。


「自動観測に切り替えても、大体のデータは取得できる」


「でも、コンピュータ・シミュレーションは」


「それは宇宙線の観測値が落ち着いてから再開すればいい」


「でもそれで、これから起きるかもしれない強烈なガンマ線放射を予知出来なくなるかもしれないんですよ? そうなったら月だけじゃなく、地球だって」


「予知できたら対応出来るのか?」静かに云った主任に、ディーさんは沈黙した。「何百シーベルトのガンマ線放射なんか、予知できた所でどうにもならない。人類は死滅するだけさ」

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