第20話

 ゴトゴトと、LRVは揺れている。通信が終了した後も一同は黙り込んだままで、渋い顔をしたジョーがパネルに映し出されているグラフを真剣に眺めている。恐らくそれは、LRVの放射線測定器からの値なのだろう。十五分ほど前に私たちを襲ったバーストが細長い針を形作っていて、それからは十ミリシーベルト程度の値をうろうろとしている。


「かぐやの緊急脱出手段は、何があった?」


 尋ねたジョーに、佐治は苦い表情で答える。


「ランチボックスだけだ。しかし何時ガンマ線フラッシュがあるかわからない状況じゃあ、下手に地球を目指す方が危険だ」


「だな。モグラよろしく、なるべく地下に潜るしかない」そしてジョーは、目の前のグラフを軽く指し示した。「おっと。また来た。七十ミリ近いバーストだ。一体何が起きてるんだか」


 ヒトの健康を害さない放射線許容量は、おおよそ百ミリシーベルトとされている。緊急時でも二百五十ミリシーベルトまでならば、一時的な白血球の減少で済む。


「さっきのバーストは六十ミリシーベルト程度の強さだったらしいですけど。ハードタイプの宇宙服って、そこそこ放射線防護能力がありました、よね?」


 少し不安になって尋ねると、佐治が顎髭を掻きながら答えた。


「あぁ。食らったのは、せいぜい五ミリとか、それくらいなはずだ。だいたい六十ミリシーベルトくらいなら、別にベテルギウスに限らず、太陽フレアの活動でも出る値だ。隊長は深刻に捉えすぎだ」


「しかし、楽観視してた結果がコレだ」グラフから瞳を上げつつ、ジョーが云った。「現に電子機器に影響が出てる」


「六十ミリくらいで異常が出る方がおかしい。本来機械は、ヒトより放射線に強いんだ」


「昔はな。最近は、そうとも云えないらしいぜ? なにしろCPUは、どんどん超集積化されてる。僅かな宇宙線で異常が出るらしい」


「〈インテル入ってる〉だろう。オマエ等の国が適当な物を作るから」


「オレに云うなよ。だいたいインテルは実質イスラエルの企業だ」


 それから会話らしい会話もないまま、LRVは基地に辿り着く。かぐや基地には、これほど大きな車両が乗り込めるほどのエアロックはない。そのため私たちは宇宙服のヘルメットを閉じて車外へ、そして半地下になっているエアロックへと向かう準備をしていたが、そこまで来て基地のエアロックが開かれ、慌ただしく何体かの宇宙服が活動している姿が目に入った。


「何事だ。全員待避じゃなかったのか」


 呟き、真っ先に彼らに向かっていく佐治。私たちも後を追って巨大LRVから飛び降りて行くと、どうやら克也らしい大柄な宇宙服が私たちを見咎め、無線チャネルを開いた。


「おう、帰ったか。とにかくムーンキーパーを入れてくれ」


 そう、格納庫を指し示す。云われたテツジはLRVに積まれた一号機を振り返りつつ、尋ねた。


「え。なんすか。今、んなことやってる場合なんすか?」


「いいから降ろせ。必要になるかもしれん。オマエ等は司令室に。あぁ、アームストロングの連中も一緒にな」


 どうにもとりつくしまがなさそうだった。彼はそれだけ云うと、数人の技師たちと共に、工事用の装置の調子を確かめに向かう。


 とにかく大至急ムーンキーパーを格納庫に戻し、私たちは促されるまま司令室に向かった。そこには運営幹部が勢ぞろいしていて、まるで一時間ほど前とは打って変わった真剣さを見せていた。慌ただしく幾つもの通信を行い、キーを叩き、ホワイトボードを前にして何事かを論じ合っている。


「だから、無駄だよ!」一際高い声を発し、ホワイトボードに何かを書き殴る羽場。「いい? ここの回線がこうなって、ルーティング的にはこっちに向かってる! コイツに下手に手を入れたら、基地の通信網が全部死ぬかもしれないよ!」


「でも、天文台に向かってる線はそこしかない。何とか通せないか? トンネルを造って」


 別の技師の言葉に、羽場は両手を投げ出した。


「トンネル? トンネルね! それが出来るんなら最初からやってるよ! いいから無駄で使えない案を聞かせてボクの邪魔をしないでくれる?」


 そんな騒ぎの中、中央のテーブルに広げた幾つもの図面に向かっていた隊長が、私たちを見咎めて片手を挙げた。


「あぁ、佐治。それにジョーとベン。済まんな」


「何事です」


 早速尋ねる佐治に、隊長は月面基地の平面図を指し示した。大きな円盤状の本館。そこから数本の地下通路が延び、例えば天文台といった、基地の発するノイズから距離を置かなければならない施設が幾つか描かれている。


「ここだ」と、隊長が叩いたのは、当の天文台に延びる百メートルほどの直線通路。「二度目のバースト。十五分ほど前のヤツで、ここのエアロックを制御する装置が暴走した。現在、天文台に天体観測班の一名が取り残されている」


「誰です?」


 尋ねた私に、隊長は素早く答えた。


「カーン博士だ。待避する前にコンピュータ・シミュレーションの結果を見届けたかったらしい。不味い事に、通路と一緒に、各種通信回線も破断してしまった。現状、内部の状態を確かめる術がない。エアフローも止まっている。ガンマ線も問題だが、酸素も問題だ」


 なんてこと。


 そう呆然と顔を見合わせる私とテツジ。一方の佐治は、すぐに危機管理担当という主任務の立場に頭を切り替えていた。


「あそこのエアロックは百ミリの扉が三層でしたね。基地側、中央、天文台側の三カ所」


「あぁ。現在、なんとかこじ開けられないか技師を向かわせている」


「破損具合次第ですね。基本、エアロックは閉じている状態を正としている設計です。機構的に開くより壊す方が早いかもしれない」と、彼は図面に顔を近づけた。「広さからして、酸素は一日は保つでしょうが。通信回線も破断しているというのが気になる。ひょっとしたら気密が漏れている可能性がある。どうにかして内部の状況を知りたい」


「現状羽場が、何とか生きていそうな回線を探っている所だ」と、未だに数人の技師と議論を戦わせている彼を振り向く。「だが、簡単じゃあなさそうだ。あとは克也に、月面活動の準備をさせている。工作機械の動作確認も含め。今のところ、打っている手はそこまでだ」


「了解です。まず、私の部下を月面から天文台に向かわせ、何とかカーン博士とコンタクトが出来ないか試します」そこで不意に言葉を濁らせ、彼は頭を振った。「いや。今は宇宙線が問題だ」


「その役目なら、オレたちが引き受けよう」場所柄を弁えて静かにしていたジョンが、不意に声を上げた。「オレたちのスーツなら、普通の宇宙服の十倍の遮蔽能力がある」


 隣のベンの胸を叩き、早速駆けていく二人。


「頼む」


 二人の背中に佐治が声をかけた時、通信回線が開いて誰かの声が響いた。


「天文台通路前です! エアロックは完璧に閉じてますね! ステータス的には、天文台側のエラーを検知して緊急遮断している状態です!」


「そのエラーの種類は?」


「エラー・ステータス35。これって何だったかな」


 答えたのは、背後にいた羽場だった。


「ステータス35。それって天文台側の環境測定センサーが切れた状態だ」彼はテーブルを囲む私たちに加わり、広げられた書類や図面の山を漁った。「でも中間エアロックが切れていたら、ステータス36になるはずだ。だから少なくとも、基地側のエアロックと中間エアロックの間の通路内の気密は保たれてる」


「じゃあ、基地側のエアロックは開いても問題ないということだな? 緊急閉鎖命令をオーバーライドして、開けることは出来ないか」


 佐治の案に、羽場は爪を掻んで、少し考え込んだ。


「やってみたい所だけど。時間かかるよ。なにしろこういう時の対応マニュアル的には、天文台側の気密が失われてるってことが前提になってる。ここまで中途半端な状況は想定外なんだ。筑波の意見を聞きたい所だけど、さっきから通信がブチブチ切れて話にならない」


 そこで佐治は、耳に装着した通信装置を叩いた。


「克也さん。天文台に向かうエアロックの爆破を試みたい。強度計算の出来る人物は?」


「何だって!」途端に克也の叫び声が響いた。「そんなの、無理に決まってる! 下手をすると月面まで穴があいて、基地は一巻の終わりだ!」


「だから、その計算が出来る人物はいないかと聞いているんです」


「無理だな! 時田教授を墓から掘り起こさん限り、不可能だ!」


 一斉に、一同の視線が、私とテツジに注がれた。


 時田教授。私たちの、工業高専での指導教官。彼はかぐや基地の設計に携わった科学者たちの中の一人で、特に月面構造物の基礎設計については彼の力が大きかったという。けれども私たちは先生の授業や指導など殆ど受けたことがなく、弟子とも云えない立場だった。

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