第26話
一週間ぶりに、寮に戻る。私は最終日近くに思い至った自分の不真面目さに対する嫌気がずっと続いていて、それは羽場から受け取った膨大な取材スケジュールで増幅されていた。
「まぁ、実際の計画なんて、タスクチームの云われたとおりに直してりゃいいのさ。ゴッシーは知名度アップ、一気に人気アイドルの仲間入りだけに専念してればいいのよん」
羽場は、女はみんなアイドルとかいう馬鹿げた商売に夢中なんだと思いこんでいる。だからモテないのだ。しかし彼のプロデュース能力は確かに高いらしく、最近は彼の取ってきた仕事以外にも、ポツポツとワイドショーの独自取材が組まれているらしい。
まったく、私は何をやってるんだろう。
そんなことを考えながら重い足を引きずって寮の玄関を潜ると、私のポストボックスに大判の封筒が入っていた。
楓からだ。
一般受けを狙った〈作品A〉に違いない。
私は複雑な気持ちのまま手に取り、部屋に戻って机の上に置く。椅子に座り込んだ私は、なかなか封を切る気になれなくて、じっとその茶色くて分厚い封筒を見つめていた。
考えていることは簡単だった。
運だろうが何だろうが、羨望の的である月面基地滞在員に選ばれた以上、こんなことを続けていてはいけない。
一方、こうも考える。
もう出来上がってるんだし、新人賞に送るだけ送ってしまって、あとは計画に専念すればいいじゃん。
そのどちらも論理的で、隙がない。あとは私の気持ち一つだった。
不意に脇に置いていた携帯が鳴り出して、無意識に取り上げる。ディスプレイには楓の名前が浮かび上がっていた。とても出る気にはなれなくて、私は鳴り続ける携帯を布団の中に押し込んだ。
とにかく、見るだけ見てみよう。
そう思って、封筒の口を引き裂き、中の原稿を引っ張り出す。
一週間という短い時間だったに関わらず、綺麗に仕上がっている印象だった。彼女は几帳面で辛抱強い性格で、修正らしい修正というものが殆どない。私のペンと共通した特徴で、アールヌーボーの影響が強い大胆な曲線を多用する。
まぁまぁ、いい出来じゃないか。
でも、なんだろう。何か違う。
そう一通り軽く眺めてから、今度は子細に確かめていく。途端に私はあることに気が付いて、急激に頭に血が上ってきた。すぐさま布団に押し込んでいた携帯を引っ張り出すと、楓を呼び出した。
すぐに、呼び出し音が途切れる。私は相手が何か云う前に、思い切り怒鳴りつけた。
「おい、ふざけんなよ!」
「後藤? どうしたのさ藪から棒に」
「どうもこうもねぇよ! オマエ、桜庭に手伝ってもらっただろう!」
確かに、見間違えはなかった。
背景や登場人物の一部に、彼の特長である細くて緻密な線が見え隠れしていたのだ。
楓は一瞬、返答に詰まっていたが、すぐに苛立った声を上げた。
「あぁ。そうだよ。何か悪いか?」
「何か悪いか? ふざけてんのかオマエ! これは、私たちのネタだろ!」
「だって、一週間で二十枚なんて、そもそも無茶じゃん。そこまで仕上げられたのは桜庭のおかげなんだぜ?」
「そういう問題じゃないだろ!」
「何? そんなに桜庭が嫌なのかよ?」
「違うって! これは〈後藤楓〉で出すネタなんだぜ? 他のヤツの手が借りられるかよ!」
「いいじゃん別に。ベタと細かい背景程度だぜ、ヤツがやったの」
「だから」
「いいよわかったよ。そんなに嫌なら、後藤の単独名義で送ればいいじゃん。いいよ別に私は」
「はぁ? どうしてそうなるんだよ! オマエ、やる気ないのか? せっかくこうして、二人でさ」
「もう、いいよ私は。それ仕上げるの、どんだけ大変だったと思ってるのさ」
「それは楓が悪いんだろ! 勝手に勘違いしてサボってたから。こっちは随分前にネーム送ってたのに」
「だって、誰だって月に行く方が大事だと思うじゃん。それにこっちは桜庭が送るヤツも手伝わなきゃならなかったし」
そこで、しまった、というように楓は口を噤んだ。
「え? ちょっと待ってよ。なんでアンタが桜庭を手伝うのさ。おかしくね? それ。私が送ったネームを放ったらかして、桜庭のを手伝ってた? 何それ?」
「うるせぇな! いいだろ、付き合ってんだからさ!」
あぁ、そういうことか。
急に私は全てが馬鹿らしくなって、無性に笑いたくなってきた。
結局、無二の親友より男が大事、って訳だ。
いや、それも怪しい。私が楓の親友だったのかすらも。
「オッケー、わかったよ楓ちゃん」不意に羽場の口調を真似していた。こういう時には、何とも使いやすい。「つまりこういうことなんだろ? ボクには月が大事、キミには男が大事。マンガ? 何それ? ってワケさ。何だか想像できるねぇ、『忙しいでしょう? 手伝うわ』、『あぁ、ありがとうマイハニー。でもキミも仕上げなきゃならないのがあるんだろう?』、『いいのよダーリン、あんな変な女のネタなんて、受賞出来る訳なんかないんだから。それよりあなたの力になれるほうが嬉しいわ』って感じだろ? いや、いいのよん、結局それが人類の定めっていうかな? まぁボクのことは放っといて、二人で仲良くやってればいいさ。そうじゃないと人口が増えないしね。少子化対策ってヤツさ。じゃあ、通信終了!」
私は速攻で終話ボタンを押して、裏蓋を引き剥がして電池を引っこ抜き、そのまま思い切り壁に投げつけた。
さすが安くて丈夫な日本製品だ、携帯は壁を少し傷つけただけで、元の形を保ったまま床に転がり落ちた。私はそれを思い切り踏みつけようとしたが、その頃には頭に上った血が冷え始めていて、寸での所で思いとどまる。
「まったく、何をやってるんだろうねぇ、私は」
そう呟きながら椅子に座り込み、二週間近く止めていた煙草に火を付ける。煙を吸い込んだ途端にもの凄い目眩がして、椅子から転がり落ちそうになった。
やっぱり毒だ。特にあれだけ訓練した後には。
煙草をもみ消して、ベッドに転がる。直ぐに色々な疲れが襲ってきて、私は何も考える間もなく、眠りに落ちていた。
翌日からは、再び月面に向かう準備と広報活動が再開した。私は岡とペアで動くことが多くなり、テツジと殿下が公団のタスクチームという名の専門家集団との調整を行う。
残り一ヶ月半という短い時間ながらも、物事は着々と進んでいく。殿下がタスクチームと相談した結果、一つの大きな事案が決まろうとしていた。
「やはり、我々四人が一度に月面に向かうのは、あまり意味がないという結論に達しつつある」
そう久々に四人で麻雀卓を囲んでいる時、殿下が淡々と報告した。岡は盲牌しながら、少し首を傾げる。
「と、云うと?」
「施設の建設に時間がかかるのだ。どう見積もっても一月。この間、主に必要なのはテツジの頭と身体のみで、私も含めた残り三人は邪魔になるだけだ。それならば先にテツジだけ送り込み、克也さんと設備の建設を行い、我々は地上で計画の詰めを行った方が効率的だ」
「そういうこと」
くわえ煙草のテツジが、フガフガと云う。岡はそれを眺めながら、おもむろにツモ切りした。
「けど、心配だなぁ。大丈夫なの?」
「それは心配の種類によるな」
冷静に皮肉を云う殿下。テツジは無精髭を掻きながら宣言した。
「また、そうやって。オレだって、やる時はやるよ?」
「何を?」
怪訝そうに問い返す岡。
ともかく、克也さんに面倒を押しつけるという意味では、残された三人の負荷は減る。
「酷いなぁ、それが結論か?」
一方、上井克也氏のテツジに対する評価は比較的良好らしかった。
「まぁ、経験不足ってのはどうしようもねぇが」と、彼はスクリーンの向こうから岡に話していた。「良くやってると思うぜ? あの年で溶接溶断の結構いい資格ももってるしな。発想も悪くない。まぁ心配ないと思うぜ? っていうかな、こっちに来たら遊んでる暇なんてねぇからよ。ただでさえ多目的モジュールの仕上げでドタバタしてるところに、マスドライバーの建設も重なってる。猫の手でも借りたい」
そう蛸のような頭の克也に云われると、なんだか手が八本ある彼を想像してしまう。
その週は月面基地に送る部品を大急ぎで仕上げ、公団の検査に回さなければならなかった。殆どの構造物は月面基地の設備で製造可能だったが、やはり精密部品はそうはいかない。テツジはほぼ実習工場に籠もりきりで、私は機器を管理制御するパソコンや、主に照明と散水周りの細々とした部品の発注、公団へ提出する性能証明書等の手配で大わらわだった。そして殿下は環境制御用のコンピュータプログラムを書き上げ、岡はその性能試験を手伝っていた。
その嵐のような一週間が終わると、テツジは早々に公団に向かい、部品の最終チェックの立ち会いを行い、そのまま渡米、丁度別件で打ち上げられるスペースプレーンに便乗し、一足早く月面基地へ行くことになっていた。
「オマエ、英語出来たっけ?」
一応、駅まで見送りに来た私たち。とにかくテツジは実家の軛から更に遠くへ逃げ出せることが嬉しくて仕方がないらしく、ニヤニヤと笑いながら岡の軽口に答えた。
「おう、完璧。ニュートン? ジュール? キューポラ?」
「単語だけじゃん」
「まぁ山田総研の人も一緒だから、大丈夫っしょ」
初耳だった。私たち三人は顔を見合わせて、一斉にテツジに尋ねる。
「誰?」
「んー、豊橋さんとか云ってたかな?」
「あのダンディーな人だわ」呟く岡。今まで私たちとは接点が殆どない、いかにもインテリ風な優男。「そういえば確か、その人も施設担当って云ってたな。やっぱりあっちも、先に設備だけ作っちゃうんだろな」
ふぅん、と興味なさそうに云うテツジの肩を、岡はがっちりと掴んだ。
「おい、なんでもいいから、向こうには負けんなよ?」
「へ? 何で?」
「なんかな、感じ悪いんだわ。勝田ってオバサンは完全にこっちのこと見下してるし、鳥取ってペーペーは完全に仕事って割り切って嫌々やってんだから」イマイチ反応の薄いテツジに、彼は思案のあげく付け加えた。「あとな、ガンダム嫌いだってよ? 信じられるか?」
「マジで? それは許されんな!」急に目を見開いて激高するテツジ。「ガンダム嫌いは、月に行く資格ないっしょ」
そう彼が無意識に取り出した煙草を、殿下は慌てて握りつぶした。
「何だ? まだ止めてなかったのか? 誰かに見られたら、どうするつもりだ」
「いやぁ、ここんとこ忙しかったからよぉ。なかなか」
岡は彼のよれたスーツを、ポンポンと叩きながら云った。
「ったく、今更高専チームが煙草吸うなんてばれてみろ、公団のPR計画はオジャンだぜ? ほら、全部出せよ」
結局ポケットに二箱、鞄に入っていた一カートンの煙草は没収され、彼はさい先の悪い船出を飾ることになった。
「じゃあな、次は月だ。麻雀牌くらいなら持ってくからよ!」
そう岡に励まされ、イマイチ複雑な表情のままのテツジを乗せた電車は、轟音を立てて走り去っていった。
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