第6話

 ま、工場で何かするなら。克也さんが見張ってくれるから良いか。


 結局そういう判断で、岡はテツジに一週間の休暇を与える。途端に静かになった牧場では、殿下は黙々と勉強を続け、岡はギターを持ち込んで様々な音階を試み、私はタブレット相手に四苦八苦し始める。それは月面基地に来て半年目にして、初めての休暇と云える休暇だった。それは基地では、羽場が云っていたように好きなだけ映画や音楽、ゲームなんかを楽しめる。けれども私の場合、受け入れるだけでは、様々な妄想が膨らんでいって爆発しそうになってしまう。寝ようとしても、あぁ、この映画はここが気に入らない、私ならこうするのに、というように考えてしまって、イマイチ満足に休めなくなってしまうのだ。だがタブレットという低重力でもそれなりに想像を絵に落とせる武器を手に入れると、それまで半年間に溜まり溜まった想像力が、一気に吹き出してきた。様々なイメージ、様々な展開をラフ画に落としていくだけで、急激に日々の睡眠が深くなっていく。


 だが、暇を有効活用出来ているのは、基地の中でも極一部の人間だけらしかった。


「やぁ、ゴッシーちゃん。ウサギたちの調子はどう? 何か手伝えることない?」


 最初に牧場に現れたのは、羽場だった。酷く気怠そうな様子で牧場を一眺めしつつ云った羽場に、私はタブレット上に書き殴ったプロットの細部を考えながら答える。


「特にないです」


「そう? 何か、改造とか。改良とか。何でもいいよ?」


「じゃあ肩揉んでもらえます?」


「よしきた!」


 楽しそうに叫んだ羽場に、私は慌てて身を翻した。


「いや、冗談ですって! 何なんです。そんなに暇なんです?」


 彼は大きくため息を吐きながら、肩を落とした。


「暇って云うかさぁ。まぁぶっちゃけ暇。節電のおかげでマスドライバーも動かせないしさ。仕事にならないんだ」


「じゃあゲームでもやってればいいじゃないですか」


「もうやったよ。でもさ、地球から新しいの手に入れられるワケでもないし、さすがのボクでも、同じゲームを百時間もぶっ続けでやってたら。飽きちゃったよ」


「寝てくださいよ。そんなんだから飽きちゃうんですって」


 他にもパラパラと、暇そうな隊員たちが牧場に現れては、適当にウサギと遊んで帰って行く。彼らは一様に、考えつく限りの暇つぶしは、し尽くしてしまったらしい。元々広い基地ではないからスポーツ競技が出来るワケでもないし、地球から新しいコンテンツを手に入れられるワケでもない。加えて映画やゲームなどを蓄えていた基地の小さなコンピュータも、天体観測班の解析に流用されることになってしまい、早々にネタが尽きるのは目に見えていた。


「確かに、不味い状況よね」と、基地のドクターである津田女史も、ウサギと遊びに来た時に云っていた。「貴方たちみたいに創作の趣味なんかがあれば暇しないんでしょうけど。研究者って基本的に研究が趣味なのよね。だから、それをするな、って云われても。何していいかわからないのよね」


「ドクターは何してるんです?」


「私? 私は元々、月面基地での隊員たちの健康管理が仕事よ。隊員たちがいる限り、仕事はなくならないわ。暇なときはウサギと遊んでるだけで幸せだし!」


 そして遂に、隊長まで牧場に現れてしまった。彼はするすると開いた扉から姿を現すと、何事だろう、と目を向ける私たちに声をかけることもなく、例によって後ろ手に手を組みながら、ゆっくりとした足取りで牧場を眺め回す。


 数分、それが続く。


「あの、何か、ご用が?」


 鬱陶しいし緊張するから帰れ、というのが本音だが、さすがにそんなことは云えない。仕方がなく遠回しに声をかけると、彼は少し驚いたように身を震わせ、答えた。


「あ。いや。別に」そして見つめる私、殿下、岡に漠然と瞳を向けると、僅かに考え、云った。「あぁ、キミら、何か困ってることはないか?」


「いえ。特に」


「水は足りてるか? 餌や、養分や」


 それは慢性的に足りてないが、それが月面基地というものだ。


「いまのところ、計画通りです」


 そう答えるしかない。それは隊長もわかってるはずで、ふむ、と頷いてから、出口に向かう。だが彼は扉の前でクルリと踵を返し、そういえば、というように指を鳴らした。


「そうだ、キミらはゲームはするか?」


 私たちは顔を見合わせ、岡が代表して答えた。


「いやぁ。ゲーマーはいないっすね。元々金ないですしオレら」


「そうか」と、残念そうに肩を落とす。「いやね、この基地の連中は、だいたい潰してしまって、新しいメンツが欲しくてな。FPSだ。戦場で、銃を撃って手榴弾を投げて戦うんだよ。どうだ? やってみないか?」


「そういうのなら、羽場さんとか?」


 云った私に、彼はため息混じりに頭を振る。


「とっくにお互いに手の内を知り尽くしていてな。ゲームにならないんだ」


「でも、そう云うことなら。たぶん、私らじゃ、お相手にならないかと」


 逃げ腰な私の台詞で、彼も諦めたらしい。まぁ気が向いたら、と言い残して、ようやく牧場から去っていく。私たちは再び互いに顔を見合わせて、誰ともなく大きくため息を吐いた。


「まったく、暇人の巣窟かよ」


 苦笑いしながら云う岡。殿下は手元の教科書を閉じつつ、云った。


「ま、私もそろそろ、何か気晴らしが欲しい所だがね。通信教育で先生に尋ねることも出来ないから、疑問点が溜まりすぎて行き詰まってる」


「そういや、オレもそろそろギターの弦がヤバいわ。今度の補給船で届く予定だったんだけどな。ベテルギウスのおかげでスケジュール狂ってるって云うし」


 そして二人揃って、私に目を向ける。


「私は、暇してないよ? まだまだ行ける」


「ま、最悪ゴッシーは紙と鉛筆あれば幸せだもんな。いい趣味だわ」


 そして私たちは、すっかりテツジの存在など忘れ去ってしまっていた。それを思い出したのは彼が牧場から消えて七日目、不意に天体観測班のディーさんが、牧場を訪れてからだった。


「あら、ディーさんが来るなんて。珍しい」


 タブレットを抱えたまま、思わず目を丸くしつつ云う私。彼女は牧場の入り口で立ちすくんだまま、笑みを浮かべ、軽く私に頭を下げた。


「いえ。ちょっとお願い事があって」そう、まるでジャングルジムのような構造の牧場に、首だけを突っ込む。「あの、テツジさんって。どの方ですか?」


 私は首を傾げ、彼女の前に軽く飛んでいった。


「今、ちょっと休暇を取ってるんですけど。アイツ何かしました?」何か、と首を傾げるディーさんに、慌てて言葉を被せる。「あ、いえいえ、違うならいいんです。でも。アイツに何の用です?」


「実は克也さんに、ちょっと作り物をお願いしたくて伺ったんですけど。どうも今、JTVの騒ぎで手が放せないらしくて。牧場のテツジさんに頼んでくれと」


 ははぁ、と私は唸りながら、彼女を廊下に促し、狭い通路の先に彼女を促した。


「テツジなら工場にいると思いますよ。でも。JTVの件、って。何です?」


 尋ねた私に、ディーさんは軽く首を傾げた。


「聞いてません? ベテルギウスの爆発直前に、種子島から打ち上げられていた補給船。それがようやく月の周回軌道付近までたどり着いたんですけど、どうも制御がうまく出来ないみたいで。昨日から運営さんたちが大変みたいです」


「あらら。ガンマ線の影響ですか?」


「良くわからないみたいです。とにかくスラスターが何個か駄目になっていて、筑波が基地までの誘導に苦労していると」


 これは羽場が必死になっているだろうな、と想像する。彼はとにかくデジタルオタクなものだから、ネットとかメディアとかがないと生きていけない。その補給船には最新型のゲーム機が搭載されているというし、この暇すぎる状況だ、羽場としては一刻も早く手に入れたい所だろう。


「それで、作り物って。何です?」


 工場の扉の前。そこでコードを打ち込みながら尋ねる私に、彼女は胸に抱えていたパッドを翻して見せた。


「なんて事はないんです。天文台に慌てて設置してるコンピュータなんですけど、どうも今のラックに規格が合わなくて。取り付け金具を幾つか作って欲しくて」


「あぁ、その程度、テツジなら一瞬ですよ」


 請け負いながら、開いた扉の奥に足を踏み込ませる。途端に怪訝な物を感じて、私は足を止めていた。


 真っ暗だ。


「あっれー。誰もいないのかな」


 云いながら、壁脇のスイッチを探る。そしてパチンと明かりを灯した瞬間、ヒッ、と、脇にいたディーさんから、聞いた覚えのあるひきつった声が発せられた。


 驚いて、ディーさんに顔を向ける。彼女はまるでベテルギウスの爆発を目にした時のように、表情を硬直させ、瞳を真っ直ぐ、正面に向けている。


 そして私も、彼女の視線を辿って、正面に目を向けた。


 瞬間、まるで思考が麻痺する。確かにこれは、ベテルギウスの爆発を目にした瞬間の驚き、困惑、混乱に近い。それでも数秒後には我に返り、思わず叫び声を上げていた。


「な、なんじゃこりゃああああ!」


「んだよ、うっせーな」


 僅かな間の後、傍らに置かれた工作機械の影から、テツジの寝ぼけた声がした。姿を現した彼は、普段以上にゲッソリとやつれている。頬はこげ、眼孔は真っ黒になり、不精髭は延び放題。だが彼の瞳ばかりは爛々と輝いていて、驚きに顔を歪めている私たちに、多少誇らしげな表情を向けてきた。


「チッ、なんだよ見つかっちまったか」


「そ、それより、アンタこれ」


「これ、って何だよ。ちゃんとした名前があるんだぜ? 名付けて、〈ムーンキーパー試作一号、二号〉だ!」


 ばっ、と彼が腕を振った先には、二体の巨大な人型の骨組みがあった。


 全長、六メートルはあるだろうか。まるで装甲のない、ただむき出しの鉄骨で作り上げられたロボットの実寸大玩具のような外観。だがそこには確かに工学的見地が散りばめられていて、肘、腕、腰、膝などといった所は動かせるように見える。巨大な手にも五本の指が備え付けられていて、確かに関節らしき物が伺える。まるでデッサンに使う、ポーズを自在に取れる木製人形のようだったが、胴体部分には、何か人が乗り込めそうなスペースが存在している。


 ロボット。


 テツジが、月に来る前から作りたがっていた、人型ロボット。


 どう見ても目の前の巨大な骨組みは、それとしか思えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る