ベテルギウス作戦

第1話

 冬の戦場、数十万人のオタクたちが集結するコミックマーケット。私がここに、ただ一人で店を出すなんて初めてだった。


 これまでずっと、三年以上、コミケには〈後藤楓〉というサークル名で参加してきた。けれども私単体のペンネームは〈司楓〉で、後藤楓は共同執筆者でありパートナーであり、無二の親友である〈後藤葵〉との連名なのだ。


 彼女とは何度も喧嘩した。お互いに口が悪いし、オタクならではの拘りもあるものだから、いつも仲良しこよしという訳にはいかない。とはいえ私が、たった一人でコミケに参加することになったのは、別に壮絶な喧嘩の結果などではない。彼女はひょんなことから、東京どころか、日本でも、地球でもない。月面基地という遙か手の届かない所に行ってしまい、私はポツンと独り、残されてしまったのだ。


 まったく、後藤は昔から唯我独尊のキャラだったが、まさか高専卒業の危機を乗り越えるために突っ走った挙げ句、月にまで行ってしまうなんて。


「あれ、今回は楓さんだけ? 後藤さんはどうしたんですか?」


 そう何度もファンに聞かれては、返答に窮する。後藤は〈月面のアイドル枠〉として宇宙公団に採用されたものだから、まさか根暗が持ちネタの人気同人作家として活動しているなんて明かせようもない。


「まったく、後藤のヤツ。それでもコミケには絶対に店を出せだなんて。私独りに面倒押しつけてさ。全然変わってない」


「独りはないでしょう。せっかくボクも手伝ってるのに」


 そう、独りじゃなかった。私の愚痴に応じたのは、同人仲間の桜庭。後藤楓は、毎回コミケともなると百部は売りつくす人気サークルだ。とても一人では捌ききれないと売り子をお願いしたのだが、彼は彼で最近人気が出てきて、会場直後の後藤楓ブースは阿鼻叫喚一歩手前になりかけてしまった。


「手伝うって、アンタの本も売れすぎなんだよ。オマケなはずだろ、オマエのは!」


「だって抽選落ちちゃったんですもん。仕方ないじゃないですか」ニコニコとして云う桜庭に愚痴を続けようとした所で、彼は見本用に置いてあった後藤の新作を手に取り、パラパラとめくって見せた。「でも後藤さんの作風、ちょっと変わったと思いません? まさか童話で来るとは思わなかったなぁ」


 確かに。彼女の作るシナリオは暗い物が多く、鋭く世の中の矛盾を抉って、「ホント、この世界はどうしようもないね」と冷笑するような物が多かった。けれども彼女が月面で仕上げて送りつけてきた新作漫画は、僅か五ページながらも、なんだか奥深い童話。


「仕方ないだろ?」と、彼女はまるで自らの変心を恥じるように抗弁していた。「あのデジタルタブレットってヤツ? 月でも漫画描けるように、って送ってくれたのはありがたいけどさ、使い方さっぱりわからないんだもん。簡単な線しか描けないから、童話に仕立てるしかなかったんだよ」


 それにしては、結構使いこなしてる風がある。中身にしても、ニンゲンってそんなに悪くないね、という感じのオチで、まるで月に行く前の彼女らしくない。


 別に私は、それはそれで嬉しくもあった。以前の後藤は、鋭くはあったが、どうにも世の中の上っ面だけを見て絶望していたような所があった。話は深いが、浅かったのだ。


「語らぬ技、ってヤツなんだろうねぇ、これ」呟いた私に、桜庭が軽く首を傾げる。「前の後藤は、お話を全部解決させないと気が済まないところがあった。でも、今回のはボンヤリ終わってる」


「うん、ボク、こういうの好きですよ」


「やっぱ多少、変わったのかもね」


 嵐のような一日を終え、私と桜庭は確保していた秋葉原のインターネット喫茶に向かう。そこで簡単な祝杯を挙げた後、備え付けのパソコンを操作して、宇宙公団の動画配信サイトに接続した。


 あまりお金のかかってなさそうな、オープニング映像。炎を吹いて飛び立つロケット、地球を周回する人工衛星、彗星、地球、そして月。最後に現れたのは、コンクリート打ちっ放しの貧相な部屋で待ちかまえる、二人の男女だった。


「はいっ! 今日も始まりました月面通信十二月号! お送りするのは私、月面ウサギ牧場管理人の五所川原と!」


「宇宙公団のスーパーエンジニア、羽場順平だよっ! みんなよろしくねっ!」


 途端に画面には、一万人以上の視聴者が一斉に放つ「ゴッシー!」という文字列が流れていく。後藤こと五所川原ことゴッシーは、多少顔は工事しているようだったが、髪は相変わらず適当に首筋で纏めているだけ。そしてアイドル役を任された当時は無理にニコニコと引きつった笑みを浮かべていたが、今では猫を被るのを辞めてしまっていた。仏頂面のままゴッシーコールが収まるのを待つと、鋭く言葉を発する。


「はい、いつもいつも有り難うございます」


 人間とは不思議なもので、何故かこういう彼女の愛想の悪さが、彼女の人気を押し上げる結果になっていた。パラパラと、相変わらず格好いい、だの、渋い、だのといったコメントが流れていく。一方で相方の男は、ツンツンに立たせた髪を捻りつつ渋そうな声を上げた。


「あっ、ちょっと待って。今回羽場ちゃんコールって何個あった?」


「さぁ。殆ど見えませんでしたけど。十個くらいありましたかね」


「十個? ホントに? そんだけ?」途端に画面には、羽場ちゃんコールが百個くらい流れた。「あっ! ちょっと待ってそのお情けみたいな感じの。ちょっと公団は宣伝戦略間違えてるんじゃない? 男はみんな元々ロケット好きなんだから、女の子をもっと集めるようにしないとさぁ」


「だとすると羽場さんをイケメンの人に変えないと駄目ですね。さて! 今月の月面基地のイベントですが、そろそろお正月ということで、かぐや基地でも餅つき大会が企画されています。これは他のアメリカ、インド、ヨーロッパの月面基地の人たちも招待されていて、とても楽しみですね。このイベントに向けて水耕栽培施設では半年前から餅米の育成を行っていました。この辺の苦労についてはまた、以前ゲストとして来ていただいた戸部さん木村さんに語っていただきたいと思っています。羽場さん、お餅ですよお餅! 私、ずっと寮に入っていたので、お餅なんてもう何年も食べていません!」


 話を振られた羽場は、不意に瞳を輝かせてパチンと両手を打ち合わせた。


「ゴッシーちゃん、もちつけ(落ち着け)!」


 途端に流れてくる、死ねとか何とかいうコメントに目を通し、後藤は素っ気なく言い放った。


「はい、死ねは言い過ぎですが、私も羽場さんは少し人生を見つめ直した方がいいと思います。さて、他のイベントですが、先月から続いていた月面天文台の建設が完了、試験運用フェーズに入っています。そこで早速いつものコーナー、〈あなたは何しに月面へ?〉。今日のゲストは、国立天文台のディーヤー・カーン博士です!」


 笑みを浮かべ、ペコペコと頭を下げながら現れたのは、いかにもインド美人といった感じの小柄で浅黒い女性だった。瞳が大きくて、大きな二重瞼。長い髪を後頭部で纏めていて、頭の小ささが際だっていた。


「はい、カーン博士は、基地ではディーさんと呼ばれています。それでそもそもなんですが、どうしてディーさんは、インドの基地じゃなくかぐや基地にいるんですか?」


 中央の席に座ったディーさんは、控えめな笑顔を浮かべつつ、少し臆したような様子も見せつつ、はにかみながら答えた。


「インドはお金がなくて。アメリカは三百人、日本は百人も月面基地にいますが、インドは二十人だけ。とても月面天文台なんて作れないから、国立天文台。それに、この基地でお世話になっているんです」


「へぇ、成る程。私は月に来て半年近くなのに、未だに基地から出たことがないです。一度くらいは他の基地に行ってみたいですね」


「でもね、インドの宇宙開発は結構スゴいよ?」と、羽場。「実際、有人宇宙飛行は日本よりも先に成功してるし、その技術の殆どを独自開発してるからね。まぁインドの場合、核ミサイルの開発ってタスクがあるから、日本と比べて色々有利だけどさ。それは公団も頑張ってるよ? でも同じ少ない予算で頑張ってるインドもスゴい。美人さんも多いし!」


 ウィンクする羽場に、ディーさんはひとしきり笑う。そこに後藤が、怪訝そうに身を乗り出させた。


「そういえばディーさん、日本語完璧ですよね。どうしてですか?」


「日本の大学に留学させてもらって、それからずっといますから。もう十年ほどですかね。ですから、これくらいは」


「へぇ。成る程。さて、そんなディーさんが関わってる月面天文台ですが、それってどういう物なんでしょう。どうして月面に天文台を?」


「それはですね、地球上から星を眺めると、どうしても大気が邪魔をするんです。大気汚染もあるし。プールの底から外を眺めるような物です。だから大気のない宇宙空間に望遠鏡を作った方が、宇宙が良く見えるんです」


「ハッブル宇宙望遠鏡衛星が有名だね」と、再び羽場が口を挟む。「ハッブルはそれまでに発見できてなかった星や星団、銀河なんかを、ものすごい発見した」


「はい。でも衛星はメンテナンスとか色々大変ですし、なら月面にあった方が楽だよね、と。そういうお話です。ただ月も大気は0という訳ではありませんし、月震という地震に似た現象があったり、色々考慮しなければならないことがあって。今でも精度を出すのに苦労しています」


「成る程。月に望遠鏡を置けばいいとか、そう簡単なお話じゃないんですね」


 関心したように云う後藤。けれども彼女にとって、そんな事は百も承知だろう。


「いやぁ、後藤さんも随分手慣れた感じですねぇ」画面を眺めつつ、桜庭が云った。「最初の頃は羽場さんが司会だったのに。いつの間にか逆になってるし」


「これはヤケクソの顔」私も笑いながら云った。「結局後藤、不精だからリーダー役とか嫌がるけど。任せられたら、だいたい何でも出来ちゃうからな。それで羽場さんの司会がグダグダだったってのもあって、交代させられることになったらしいよ」


「へぇ。ホント、後藤さんは何でも出来るんですねぇ」


「運動以外はな」


 そう雑談している間に、さらに月面天文台の突っ込んだ話に向かっていく。時にはVTRも挟まれて、灰色の月面に設えられた真っ白なドーム、そしてそれが展開して黒々とした望遠鏡が現れる様が映し出された。


 こういう映像を見せられると、素直に、凄いな、と思ってしまう。子供の頃には人類全体の夢でしかなかった月面基地。それが今では現実の物となっている。


「いやぁ。夢があっていいなぁ」思わず呟いていた。「私も行ってみたいなぁ」


「ボクも。でも何年後の話になりますかねぇ」


 桜庭も呟く。そして番組も終盤に差し掛かり、後藤がまとめの言葉を発していた時だ。不意に彼女はカメラから視線を外し、何事か、というように首を突き出す。どうやら画面外の人物から何事かを云われているらしかったが、なかなか状況が判然としなかった。


「え? 何?」


 訳がわからない、というように問う後藤。その時ようやく、マイクが小さな、それでいて緊迫した声を拾った。


「いいから! 早く早く!」


「え? でも中継中で」


「続けろ! カメラも!」


 ただならぬ事態を察し、立ち上がる羽場。そして彼がカメラマンになったのだろう、画面がグラグラと揺れて、慌てて出口に向かう後藤とディーさんを追っていった。


「えっと、ちょっと良くわからないんですが、移動します」


 先を行くのは、私もテレビ電話で何度か話したことのある、後藤の同僚、岡という月面牧場のリーダーだった。狭く、薄暗い、金属に囲まれた通路。それを一同が月面らしいフワフワとした足取りで半ば飛んでいくと、岡は潜水艦にあるような重々しい扉を開き、中に入っていく。


「展望ラウンジです」半ば息を切らせながら、後藤が軽く振り向いて注釈した。「基地内で唯一、自由に月面を眺められる場所です。窓は全て放射線を遮断する特殊なガラスが用いられていて」


 ラウンジは、地球上の寂れた喫茶店のような佇まいだった。テーブルや椅子が簡単に並べられているだけで、展望と云っても窓は小さい。しかもその窓際には既に無数の隊員たちに埋め尽くされている。月面で何か起きているらしかったが、まるで状況がわからない。


「ちょっと! どいて! 月面アイドルのお通りだよ!」


 羽場の叫び、そしてカメラの存在に気づいた隊員たちが、ぱらぱらと左右に分かれる。それらにペコペコと頭を下げながら後藤が窓際に寄ると、途端に彼女は硬直し、ガバッ、と窓に食らいついた。


「あ、あれは、まさか!」


 同じように。いや、それ以上の勢いで窓に食らいつくディーさん。続いて辛うじてあいた隙間から、カメラが差し込まれる。


 月面。灰色の大地。砂と岩以外は何もない、不毛の地。


 それが半分映し出されていたが、更にその半分の真っ暗な宇宙空間には、何か一つだけ、眩く輝く星があった。


 眩く、輝く。


 それだけは、言葉が足りないかもしれない。私も何度か月面中継で星を眺めた事があったが、その星はまるで、地球から眺める月のように、強烈な光を発している。


 ヒッ、ヒッ、と、息苦しい声をマイクは拾っていた。それが不意に途絶えたと思うと、耳を切り裂くような悲鳴がスピーカーを振るわせ、同時にディーさんが狂乱した表情を一瞬だけ残し、何処かへと走り去っていった。


 残された後藤。だが彼女もまた身体を小刻みに振るわせ、まるで呼吸困難に陥ったように息を詰まらせ、ようやく羽場に肩を叩かれ、我に返った。


「あっ、あれはっ、そのっ!」


 カメラに一瞬だけ視線を向ける。しかし窓の外の光を少しでも見逃したくないといった風に、何度も瞳を向け直す。そして最後には興奮のあまり羽場の持つカメラを鷲掴みにすると、レンズを窓にピッタリと付け、叫んだ。


「ベテルギウス!」


「ベテル?」


 首を傾げる桜庭。私もあの光の何が問題なのかわからずにいると、途端に画面には、日本中の宇宙オタクたちからの膨大なメッセージが飛び交い始めた。


「そう! そう!」後藤は息苦しい叫びを発した。「あれは、ベテルギウス! これは、百年、いや、千年に一度の、ビッグ、イベントです! ベテルギウス! 超新星爆発!」


「ちょう、しんせい?」


 思わず声を揃えて云った、私と桜庭。


「はい、超新星爆発! そうに違いありません! ディーさんは興奮のあまり、何処かに行ってしまいました! 何処に行ったんでしょう! 天文台でしょうか! とにかく良くわかりませんが、皆さんも今すぐ、外を見てください! オリオン座! その右肩です! ベテルギウス! とうとう、ベテルギウスが超新星爆発を」


 そこで画面が硬直した。中央には、暗闇の中で光る大きな星。どうやらこれはかなりの出来事らしく、ネット回線がパンクしてしまったようだった。


 私と桜庭は、後藤ほどSFや何やらに詳しいわけではない。だが後藤の興奮具合からして、余程の出来事に違いない。


「外を見ろ、って云ってましたね」


 途方に暮れたように呟く桜庭。私は首を傾げつつも、桜庭を促し席を立ち、店の外に出る。


 オリオン座。私たちが住む街とは違って、東京は星が殆ど見えない。だからオリオン座はどっちだったかな、と宙を見回していたが、同じように足を止めて宙を見上げる人々の存在に気がついて、そちらに目を向ける。


 あった。辛うじて見える、オリオン座。


 けれどもその星の並びに気づく前に、異常なほどに輝く星の存在に気づいていた。


 月面からの中継では、比較対象がなく、良くわからなかった。けれども実際に地球上から見るそれは、隣に浮かぶ月に負けず劣らずのほどの、強烈な輝きを発していた。

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