第3話

 ベテルギウスの超新星爆発、それに伴う様々な影響。月面基地は興奮と困惑と混乱を混ぜ合わせたような、不思議な慌ただしさに包まれた。それは運良く駐在していたディーさん他の月面天体観測班にとってみれば、まるで宝くじに当たったような幸運だろう。不眠不休で活動する彼らの元には、地球上の天文学者、物理学者からの問い合わせがひっきりなしに届き続け、新たな観測装置、新たな解析装置を急ピッチで整えている。


 しかし基地の運営を担当する運営班にしてみれば、それは災厄と云うより他になかった。ようやく基地増設の第一ラウンドが終わってコーナーポストに戻った所で、不意に相手に殴りかかられたようなものだ。飛来するガンマ線の影響を慌ただしく調査し、基地の資源を整理し、これから先の運営計画を組み直すのに忙殺されていた。


 その結果は徐々に、私たちにも通知される。羽場が云ったように、ベテルギウス観測のために当面の人的・資源的リソースは観測班に集中され、せっかく慣れてきた広報任務は暫く中断。一方で地球からの補給船についても、超新星爆発の影響が見極められるまで見合わされることになった。加えて月面に露出していてガンマ線をもろに浴びる太陽光発電設備についても、念のために半数は土を被せて埋めることになる。つまり使える電気も半分。


「暫くは、苦しい生活を余儀なくされるだろう」基地の隊長、四方は、そのよく通る深い声で隊員たちに通知していた。「だが、生命の危険を感じる必要はない。今のところ基地に水、食料は潤沢に蓄えられているし、いざとなったら緊急脱出用のランチで国際宇宙ステーションまで向かい、地上に戻ることだって出来る。だからまぁ、色々と不自由はあるだろうが、天体観測班以外は長い冬休みだと思って。のんびりすることだ」


 そして私たちウサギ牧場にも、多少の影響があった。


 隊長から肉の増産を依頼されてしまったのだ。


「そりゃ、米も味噌も野菜も、水耕栽培施設で生産できるが。副食品、つまりオカズは心許ない。ネットも電気も制限されてる状況だ、食い物で懐柔したい」


 真剣な表情で、なんだか笑える話をされる。


「それは肉の供給は増やせますけど、一瞬ですよ?」と、私は生産計画書を眺めながら答える。「食い頃のウサギをいっぺんに捌いたら、その後は当面出荷出来なくなります。また育てなきゃならないですから」


「構わん。一月、隊員の気を紛らわせられれば。それでいい」


「それに一度にウサギの総量を減らしたら、生ませる量を増やさないといけませんから。その分あとから餌が大量に必要になります」


「どれくらいだ?」


 私は軽く計算し、その見込みを口にする。すると隊長は一瞬だけ驚きの表情を浮かべ、僅かに思案を含ませ、答えた。


「わかった。何とかしよう。輸送船が再開されたなら、ウサギの餌を最優先で送らせる」


 そこで急に隊長は哄笑し、綺麗に剃り上げた浅黒い頭を撫で上げた。なんだろう、と怪訝に見つめる私の前で、彼は少し顔を紅潮させながら云った。


「いやいや。最初はウサギ牧場だなんて冗談にしか思えなかったが。今でもなんだか馬鹿馬鹿しく思えて仕方がない。この月で、だよ? ウサギを増産しろと。この私が依頼してるだなんてね! しかもこれほど、真剣にだよ?」


「確かに笑えます」


 いや、笑えない。私にとっては切実な現実になってしまっている。


「とにかく、後のことは心配しなくていい。やはりこの極限環境だ、米や野菜だけではなく、肉といった嗜好品に関しても自給自足の体制は必要だったということだ。きっとこれを期に、筑波もウサギ牧場の重要性を再認識するだろう」


「じゃ、次は魚を飼わなきゃなりませんね」


 適当に云った私に、隊長は急に表情を固まらせる。


 不味い、と私は途端に思った。どうもこの隊長は、馬鹿馬鹿しい計画を真剣に取り上げ、考え、それを実現させてしまう不思議な手腕を持ち合わせている。それは魚牧場は魚牧場で面白そうだが、ウサギに加えて魚まで任されてはたまらない。


「いや、冗談ですよ? 隊長?」


 彼はまるで聞こえない風で、魚、魚か、と呟き、首を傾げながら牧場を後にした。


 そして私たちは、数日のうちに食い頃のウサギを出荷してしまうと、不意にやることがなくなってしまった。それはまだ子供のウサギ五十匹程度を世話しなければならないというのには変わりない。けれども筑波のウサギ牧場タスクチームとの定期打ち合わせが出来なくなったことで、それに向けた結構手間のかかる準備作業が不要になってしまったのが大きい。ウサギ牧場だけでなく基地全体が似たような状況らしく、観測班以外は日常業務が大幅に縮小され、百人の隊員の内の六十名ほどが半無職状態。暇を持て余しては基地内をフラフラ漂ったり、ただ呆然とベテルギウスの残光を眺めたりする研究者の姿が、日に日に増えてきた。確かにこの状況では、暇を持て余して悪さをする隊員がいないかと、隊長が心配するのも無理はない。だいたい我が牧場でも、暇のあまりに悪さをしかねないメンバーが、一人だけいた。


「やべえ、なんか暇じゃね」


 呟いたのは、ウサギ牧場の設備担当であるテツジ。何かと問題児な彼は牧場の椅子に身を深々と沈ませ、口を半ば開け放ち、手垢のついた眼鏡の奥の細い瞳で、ぼんやりと天井を眺めていた。


「ちょっと久々に麻雀でもやらね?」残る三人は完璧に無視。テツジはようやく身を起こし、一同を眺めた。「なにしてんの、みんなして」


「勉強だ」


 応じたのは、机の上に教科書とノートを広げている殿下。彼はチーム随一の真面目人間かつ秀才で、中央アジアにある某国の、亡命王家の王子様という不思議な肩書きを持っている。けれども彼自身にはまるで故郷の記憶はなく、中身は完璧に日本人だった。


「勉強って? 何の」


 尋ねるテツジに、大きくため息を吐いて見せる。


「我々は月面基地の駐在員になっているとはいえ、未だに工業高専の学生であることには変わりない。そして四月からは大学に編入予定だ。今のうちに、必要な勉強は続けなければ。おちこぼれる事になるぞ」


 だが彼の説教にも、ふぅん、と興味なさげに応じるテツジ。そして彼は、同じように机に向かっているいまひとりの男に顔を向ける。


「岡は? まさか岡は勉強じゃねーだろ」


「勉強だよ」


 笑いながら答えるのは、我らが月面牧場のリーダー、岡。


 リーダー。そうとしか云いようがない。彼は殿下ほど生真面目でもなく、テツジほど適当でもなく、程々の真面目さと程々の適当さを持ち合わせている。そして彼の持つリーダーシップは、地上で結構真剣に取り組んでいたバンド活動の経験によるのだろう。


 彼が率いるのはファンクラブもあるほどのインディーズ・バンドらしかったが、照れくさいのか、どうもその辺の話を私たちにしてくれない。それでも未だにコソコソと地上のメンバーたちとは連絡を取り合っているようで、パソコンで曲を作ってはネットで発表するようなことは続けているらしい。


 寄ってくるテツジ。それを彼は五月蠅い蠅を追うように片手で払いのけていたが、ついにノートを取り上げられると、諦めたようにテツジに向き直った。


「数学?」


 尋ねるテツジに、岡は答えた。


「音楽理論だよ。結構今まで、適当にしか作ってなかったからな。せっかく暇になったし、ちょっとは勉強した方がいいかな、って」


「何だよ。遊んでるんじゃん。そんなら麻雀しようぜ」


「いや、結構、難しいはずだぞ?」と、殿下。「音楽理論の根には、様々な学問が関わっている。物理学、信号処理、電気工学の方面も」


「そうなのよ。周波数とか共振とか。結構ワケわかんねぇ。あ、そうだ殿下、ちょっと教えてもらっていい?」


 テツジからノートを奪い返して、早速殿下と話し始める岡。それを渋そうに一眺めしてから、ふらり、と彼は私に視線を送ってきた。


 クソッ、こっち来るな!


 渋い顔を作りつつ、私は背を向ける。しかし彼はゆらゆらと私の背に寄ると、隠そうとする私の左右から手元を覗き込もうとする。


「あぁっ! 鬱陶しいよ何処か行け!」


 叫んだ途端、手元からデジタル・タブレットを取り上げられてしまった。私は手にしていたペンで、容赦なく彼の露出した腕を突き刺す。


「痛ってぇ! 何すんのよ!」


「そっちこそ何すんだよ! 邪魔なんだよ!」


「おっ、何これ。結構格好いいメカじゃん?」


 まるで構わず、タブレットに描かれたロボットを評するテツジ。私は仕方なくため息を吐いて、それでも隙を見てタブレットを取り戻そうとする。


「ちょっと下手に触んないでよ? 私もまだ使い方よくわかんないんだから」


「ふぅん。まぁなかなかカッチョイイけど、頭部は永野護の影響が強すぎだな。あと胴体はシド・ミード臭い。それにこんな股関節じゃ、キックとか出来ないぜ? 曲げられねーし、強度弱すぎ」


 これだからテツジにだけは見られたくなかった。重度のロボット機械オタクなものだから、駄目な所を一発で見抜かれてしまう。


「だから試し書きしてるだけだっての!」


「待てよ、手伝ってやるって。まずこの膝だけどな」


「テツジ、邪魔すんなよ!」遠くから岡に窘められ、口を尖らせるテツジ。「暇なら自分でもロボット描いてみたらどうなんだ? 文句ばっかりじゃなくてよ。創作活動、いいもんだぜ?」


 更に口を尖らせ、頭をバリバリと掻きながらタブレットを私に手渡すテツジ。そう、きっと彼も何度かやってみたことがあるのだろう。だが他人に口出しするのと、自分で一から作り上げるのでは、面倒臭さが段違いだ。それに彼は最終的に〈物〉にならない物を設計するのは気合いが入らないタイプだから、とても完成には至らないだろう。


 あぁあ、と喘ぎ声を上げつつ、元の椅子に倒れ込むテツジ。


「おかー、ひまー」


「だから勉強でもしろって云ってんだろ!」


「いやだー。ほかに何かないー?」


 その時、ウサギ飼育モジュールから、一つの真っ白な毛玉が飛び出したのが目に入った。それは美しい曲線を描きながら飛んできて、ぼすん、とテツジの後頭部にぶち当たる。


「いってぇ!」叫びながら、テツジは足下に転がった直径五十センチほどの毛玉を拾い上げる。「ったく、またお前かよキュベレイ! いい加減に大人しくしてないと、真っ先に絞めんぞ?」


「止しなよ、そうやってウサギにモビルスーツの名前付けるの」


 云った私に、彼は毛玉を胸に抱えながら応じた。


「あ? いいだろその方が覚えやすいんだよ」


 私にしてみれば、どの毛玉も同じウサギにしか見えない。


 いや、一般人からしてみれば、これはウサギに見えないだろう。月面での飼育のために選ばれた食用ウサギの品種で、最大で十キロもの巨体になり、真っ白な長い毛に覆われていて、耳はだらんと脇に垂れている。


 その毛玉はテツジに抱かれ、辛うじて覗く真っ赤な瞳を私に向けていた。彼らは地球上では、その大きさ故に、殆ど動くことが出来ない。けれども月面という六分の一重力下ではポンポンとスーパーボールのように跳ね回り、時々こうして飼育部の柵から飛び出してしまう。


「にしても、キュベレイは足腰強いよな。何度目だよ脱走」


「さぁ。いつもアンタにぶつかってるから。親だとでも思われてるんじゃない?」


「そうだ、ちょっと飼育部改造してよ。レーン作って、ウサギ競争でもさせねぇ?」


「ハッ、どうせそれで賭事でもするつもりなんでしょ。駄目だよそういうの」


「テツジ、暇なら克也さんの手伝いにでも行ったらどうなんだ?」


 見かねたらしい殿下が云う。


 そう、上井克也。テツジの親分格とも言える月面基地の設備担当ブルーカラーで、月面基地の様々な設備の建設、構築に関わっている。テツジは暇ともなれば彼の所に顔を出して工事の手伝いをしていたのだが、事今に関しては駄目らしい。


「克也さんも超暇してるんだよ」


「じゃあ麻雀でも誘ったらどうなんだ。喜ぶと思うぞ?」


「そりゃ喜ぶわ。カモが来たって」


 その時不意に、ウサギ牧場の大きな扉が、空圧の心地よい音を発しながら左右に分かれた。


「話は聞かせてもらった! テツジ、来い!」


 噂をすれば何とやら、だ。現れたのは赤と黒のツナギに覆われた上井克也の大柄な姿で、彼は髭禿の頭を輝かせながらノシノシと牧場に入り込むと、おもむろにテツジの首根っこを掴む。


「いやいや、ちょっと待ってよ克也さん。聞かせてもらったって、聞こえるはずないでしょ!」


「あぁ、それはお約束みたいなもんだ。聞こえんが、どうせ暇してたんだろ?」


「暇じゃないですし! 勉強忙しいですし!」


「勉強? じゃあ社会勉強させてやるよ!」


 云いながら彼はテツジの両脇を抱え、扉の外に向かって放り投げてしまった。六分の一の重量の中を、キュベレイ諸共ポーンと飛んでいくテツジ。それを楽しげに眺めてから、ふと、彼は私たち三人にも笑みを向けた。


「あぁ、オマエ等も暇だったら来ないか? ちょっと面倒な事になってな」


「まぁ、別にいいっすけど」云いながら立ち上がる岡。「でも何です? オレら、あんま溶接とか得意じゃないっすけど」


「いや、そう話じゃない。どっちかっていうと、面白いアイディアが必要な場面でな」


 アイディア、と首を傾げる私たち。それを楽しげに眺めてから片手を振り、克也は私たちを牧場の外に促した。

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