対 ライオン⑦


「ヘラジカ、さん…!」


倒れたままのかばんがかすかに明るい声でその名を呼ぶと、ヘラジカは応えるように頷いてからライオンと向き合いなおした。

武器を握る両手に力をこめ、一歩足を踏み出すと、頭の大きな角――正確には角を模した髪である――が小さく揺れた。


「…ぬぅうううううおおおお!」


競り合う爪と角。

突然の乱入に対して動じることもなく、しつこくかばんへとその爪を突き立てようとしていたライオンの腕が、だんだんと力負けして曲がっていく。


「おおおおおりゃぁあああ!!」


猛々しいかけ声と共に、一閃。

野生解放により輝く武器が、赤い軌跡を描いて振るわれた。


「ゴァッ…!?」


ヘラジカの怪力により、ライオンは枝や茂みをへし折りながら森の奥へと凄まじい勢いではじき飛ばされて見えなくなった。


「すっごーい…」


ライオンの安否が心配になってしまうほどのその力に、サーバルは無意識に感嘆の声を漏らす。

ヘラジカは一つ息をついてから、かばんを振り返った。


「かばん、立てるか?」


武器を携え、真剣な表情で見つめてくるヘラジカの雰囲気は、猪突猛進っぷりを晒していたへいげんちほーでの合戦の時とは異なっていて。

「森の王」と呼ばれる由縁がわかったような気がした。

その威厳に満ちた姿に思わず見とれてしまっていたかばんは、一瞬反応に遅れるも慌てて返答する。


「…は、はい!あっ、いえ…ちょっとまだ、無理そう、です」


かすれた声でそう返したかばんに、ヘラジカはほんの少し表情を暗くした。

が、すぐにいつもの自信に溢れる笑顔を見せた。


「そうか、無理をするな。先にサーバルを助けてこよう。しばらく待っていろ」


踵を返して、ヘラジカはサーバルの元へと大股で歩み寄ると、彼女の上に重なる倒木の山を眺める。


「苦しいだろうサーバル…すぐ出してやるぞ」


ヘラジカは重なる倒木の隙間に武器を差し込み、そのままぐいっと持ち上げた。

かなりの力業にも関わらず、絡まり合っていた枝が離れ、下半身を挟み込んでいた幹と幹の隙間が広がる。

サーバルはその隙に、細い隙間からするりと器用に這い出した。


「あ、ありがとう!ヘラジカ!助かったよ!」


本当ならばしっかりと感謝の気持ちを伝えたいところだが、手短に礼を述べたサーバルは、すぐに駆け出す。かばんの元へ。


「かばんちゃん!大丈夫!?」


俯せになったままのかばんの傍らで膝をついたサーバルは、かばんを抱え起こそうとした手を止める。無理に動かすとかばんが苦しいかもしれないと思ったからだ。

心配なのにどうしたら良いのかわからないサーバルは、倒れるかばんを眺めることしかできない。


「サーバルちゃん…良かったぁ…怪我はないんだね…」


雨水で濡れた額に脂汗を滲ませるかばんは、側に来てくれたサーバルににっこりと微笑んだ。

もう一度地面に手をつき、身体を起こそうと腕を伸ばす。動いたことで全身に痺れるような痛みが走り、肘がかくんと折れかけた。

思わず手をさしのべて、サーバルはそんなかばんの体を支えてやった。


「あ、ありがとう…サーバルちゃん」

「ううん…いたかったら、すぐに言ってね…」


壊れ物でも扱うかのようにそっと、優しく手を貸すサーバルに支えられ、かばんはふらつきながらも立ち上がった。


「うん…。ヘラジカさんも、本当にありがとうございます。ヘラジカさんがいなかったら、ボク達…」


そんな具合でもしっかりと礼を述べるかばんに歩み寄りつつ、ヘラジカは表情を歪ませた。


「ライオンめ…なんてことをするんだ愚か者が…」


口調は怒りに満ちているように感じられるが、表情には悲しみが滲んでいる。

かばんは泥にまみれた顔を上げると、小さく首を振った。


「ライオンさんは悪くありません…。ああなってしまったのには、理由があるんです…」

「理由…?」


かばんの言葉が気になるように身を乗り出したヘラジカだったが、いや、と目を伏せ、ライオンを吹き飛ばした方を向いた。


「その話は後にしようではないか。あのライオンのことだ。あれしきの攻撃では気絶すらしていないだろう」

「あれでも平気なんだ…」


ありえない、というように呟くサーバル。ヘラジカは腕を組んで続ける。


「今のライオンは、【ノマド】と化していると言っていい。お前達は標的として完全に定められてしまっている。執念深く戻ってくるに違いないぞ」

「ノマド…?」


聞き慣れない単語にかばんは首を捻った。


「あぁ…前にライオン本人から聞いたんだ。仲間を無くし、放浪するライオンのことをそう呼ぶのだそうだ。そしてノマドとなったライオンは、絶えず飢えて獲物を求め彷徨う、と」


ぎり、とヘラジカは武器を握る手に力をこめた。


「あいつは突然自ら大事にしていた仲間を捨て、ノマドになったのだ。私は変わってしまったあいつを追って来たのだが、この森に入ったところで見失ってしまってな。探し歩いていた時に、突然ボスが私に話しかけてきたのだ。とても驚いたぞ」


ラッキーさんだ。

かばんは胸が熱くなるのを感じた。

自分の頼みを、しっかりと遂行してくれたのだ。


「えっ?かばんちゃんと一緒じゃないのにボスが喋ったの?」

「うん。ボクがラッキーさんにお願いしたんだよ。誰か、助けを呼んで来てって」

「なるほどそういうことか。かばんとサーバルを助けてくれ、なんて言うものだから聞けば、ライオンと戦闘中だと言うではないか。急いで方角を教えてもらって駆けつけたが…本当に危ないところだったな…。お前達も無茶をする…」


ヘラジカと会話を続けていたその時。

ガサッ、パキッ、と草や枝を踏みしめる音が聞こえてきて、かばんとサーバルの少し安堵して緩んでいた心が、一気に冷え込んだ。

次いで、低い、低い唸り声が闇の中から轟く。


「なぁに心配はいらん。後は任せておけ。ライオンとの手合わせなら、これまで何度もしてきたからな!お前達は下がっているんだ!」


ブンブンと武器を振り回し、音のする方を睨んで構えるヘラジカ。

かばんはサーバルと共に言われたとおり下がろうとして、ハッとしたように顔をあげるとサーバルから離れてヘラジカに駆け寄った。


「いたたた…」

「か、かばんちゃん、無理しないで」


オロオロするサーバルに小さく笑いかけ、かばんは表情を引き締めなおすとヘラジカと向き合った。


「――ヘラジカさん、お願いがあるんです…」









『…』


そのかばんの頼みにきっちりと応じることができたボスはというと、ヘラジカが草木をまき散らしながら猛スピードで走り去っていった方角を眺めたまま、目を光らせていた。


“うぉ!?なんだこれは…ボス、お前喋れたのか!?”

“かばんとサーバルが…ライオンに襲われている…?”

“任せておけ!私が二人を助けてやろう!!待っていろかばん、サーバル…ライオン!!”


自分を置き去りにして、怒濤の勢いで戦いに向かったヘラジカの様子をメモリ内で思い返す。

あの勢い、あの頼もしい笑み。

彼女なら、きっとかばんたちの力になってくれるはずだ。

だが、安心はできない。相手はあの百獣の王なのだから。


『通信チュウ…通信チュウ…』


だからボスは、次の策に取りかかる。

その目を虹色に光らせて、ジジジと音を立て。

恐らく近くにいるであろう、図書館付近を管理しているラッキービーストに、通信をいれる。

うまくいけば、ここからでも図書館の博士達に助けを求められるはずだ。









「うーん…」


図書館で耳をそばだてていたフェネックが、口に手を当てて小さく呻る。

相棒のそんな様子を見て、アライグマは不安げに声をかけた。


「ど、どうしたのだ、フェネック?」

「やー…さっきからちょくちょく、変な音とか声とかが聞こえてくる気がしてねー」


皆がフェネックに視線をやる。見つめられていることに気付き、フェネックは目を伏せて首を振った。


「でも、雨の音のせいで雑音がかかって、はっきり聞こえないんだよー。音がばらつくせいで方角も定まらないしー」

「や、やっぱりかばんさん達の身に、何か起こっているんじゃないかぁ?」


気が気でない様子のアライグマ。

その時だった。


『通信チュウ…通信チュウ…』


アライグマに拉致されてきてから、図書館の中を所在なげにうろついていた欠け耳のラッキービーストが、突然目を光らせて声を発した。


「ぎゃああああなのだあああ!!」

「お前はいつもそればっかりなのです!静かにするのです!」


驚くアライグマの声に耳を塞ぎながら、博士はラッキービーストを注視する。

虹色に光る目で虚空を見つめたまま、ラッキービーストはさらに言葉を続けた。


『パークガイドニ同行中ノ個体ヨリ移動指示及ビメッセージヲ受信。――現在地ヲ確認。スデニ目的地ノジャパリ図書館ニ到着済ミノタメ、コノママメッセージ再生ニ移リマス』

「これはひょっとして…ラッキービースト同士の通信…?一体何が…」


不思議がる博士の前で、ラッキービーストは少しの沈黙を挟んだ後、再び声を上げた。


『救助依頼。救助依頼。タダイマ暫定パークガイド一名ト、「サーバルキャット」ノフレンズガ、「ライオン」ノフレンズニ襲ワレ交戦中。「ヘラジカ」ノフレンズガ現場ニ急行中。サラナル応援ヲ求メル。場所はジャパリ図書館カラ東ヘ、距離ハ――』


ラッキービーストが発する聞き慣れない単語の数々に頭を抱えていたアライグマも、さすがに「サーバルキャット」が「ライオン」と「交戦中」という単語は聞き漏らさなかったようで。

顔面蒼白になったアライグマは、事の重大さにいつものように騒ぐことさえ忘れ、言葉を失った。


『――カバン達ヲ、タスケテ』


全てを伝え終わり、短くも切実な願いの言葉を溢すと、ラッキービーストは目の輝きを消して再び沈黙した。

固まるアライグマの隣で平静を装って話を聞いていたフェネックは静かに唇を噛んだ。

ふと、頬にぴりぴりしたものを感じた気がして、ラッキービーストに落としていた視線をあげ、息をのむ。


消えかけたろうそくの明かりにぼんやりと照らされた博士の顔には影が落ちていて表情が読み取れないが。

奥にいるリカオンとタイリクオオカミの瞳は燃えるように光を発していた。

その表情は無表情ながらも、猛る思いを抑え切れておらず、あふれ出るサンドスターがひりつくような空気を生み出していた。


「お前達、落ち着くのです」


ぴくりとも動かず淡々とした声を発する博士に、リカオンが文字通り牙をむいて吠える。


「これが落ち着いてられますかッ――」

「頭を冷やすのです!相手はあのライオンなのです!環境条件も悪い!他の外敵だっているのです!」


ギン、と大きな目を光らせて、博士はリカオンを睨み付けた。

リカオンは剥き出していた牙を軋ませて黙り込んだ。


「冷静さを欠いて判断を誤ると、全滅の可能性があるのです。まずはどう動くのが最善か、皆で考えるのです」


首を巡らせ、博士はその大きな目で一人一人を見つめていく。



「――可能な限り、早急に」


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