対 火山②



『ギイイイイイィ!!』



セルリアン達が奇声を発して、腕をしならせる。

ぽっかりと空いた穴のように大きくて暗い瞳が、一斉に乱入者へと向けられた。

二体のセルリアンが同時に動く。

まるで挟み撃ちをするかのようにヒグマの両脇に迫り。

おどろおどろしい無数の爪が、ヒグマ目がけて振り下ろされる。



「…ふざけるな…」



――その腕が、一陣の風と共に消し飛んだ。

その風を巻き起こした熊手が、橙の軌跡を描き、再度大きく薙がれる。


熊手の爪が放った斬撃は、溢れ出したサンドスターの力で威力が増幅され。

セルリアン達の体を、背中にある石ごと真っ二つに両断した。


一斉に破裂して煌めく残骸を舞い散らせるセルリアンだったものをきつく睨み付け、ヒグマは低く、唸るように呟く。


「…今の私はお前らに心底腹が立ってるんだよ…」


怒りに燃える表情は、思わずアライグマが萎縮してしまうほど迫力があった。

セルリアンに感情があるならば、恐怖し、怯み、存在しない尻尾を巻いて逃げ出していたに違いない。

しかし彼らにそんな感情があるはずもなく。

感情がない彼らには、こいつと戦うのはまずい、なんて直感的な判断ができるはずもない。

やることは一つ。行動原理に刻み込まれた、「フレンズを襲え」という命令に従って、爪を振り上げ彼女に襲いかかることのみ。


「どうやってそんな爪を手に入れたのか知らないが――」


徒党を組んで襲いかかってくるセルリアンたち。並のフレンズならこの絶望的な光景に震え上がることだろう。

しかしヒグマは、そんなセルリアン達を狩る者――セルリアンハンターである。

むしろこの光景は、彼女の闘争本能を奮い立たせる。

瞳が、熊手が、燃えるように光を放つ。


「そんな貧弱な爪で、私の爪が止められるわけないだろ」




そこから先は、あっという間の出来事だった。




爪を破壊して無力化し、足を崩し、大地に叩きつけ、石を潰す。

ヒグマの流れるような熊手捌きに、アライグマとフェネックはただただ見惚れ、感動すら覚え。

セルリアン達はただただ圧倒され、駆逐されていくのだった。

一対多とは思えない光景。

多の軍勢が少となり、やがて無となるのに、さほど時間は要さなかった。




「つ、強いのだ…」


最後の一体を倒し、大きく息をつくヒグマに、そんなアライグマの溢した声が届く。


「…いや、お前も大したもんだよ。よくあの状況で立ち向かって、粘ってくれたな。おかげで間に合った」


先ほどまでの覇気を嘘のように収め、ヒグマは優しい微笑みをアライグマに向けた。


「セルリアンハンターの、ヒグマだ」

「ア、アライさんは、アライグマのアライさんなのだ…って――」


いろいろと思考が追いついていないアライグマは、差し出された手を握り返したところでようやくハッとする。


「ヒグマって、リカオンのお仲間さんのあのヒグマなのか!?野生暴走してしまったって聞いてたけど、元に戻ることができたのか!?すごいのだ!頼りになるのだ!!一体どうやって正気に戻ったのだ!?――あっ、ひょっとしてリカオンが!?」


喜びと憧れに笑顔を輝かせるアライグマとは対照的に、ヒグマの表情が暗く曇った。

アライグマはそれに気付かない。


「そーいえばそのリカオンは一体どこに行っちゃったのだ?セルリアンを追いかけていったっきり、帰ってこないのだ。ヒグマ、何か知らないか?」

「――…っ」


何も知らない純粋な瞳が見上げてくる。

ヒグマが悲しげに表情を歪めたのを見て、アライグマは不思議そうに首をかしげた。が。


「あっ!!」


突如大きな声をあげたアライグマに、さすがのヒグマもビクッと肩をふるわせた。


「な、なんだいきなり…」

「話し込んでる場合じゃなかったのだ!フェネック!フェネックを助けないと!」


先ほどまで明るい笑顔を浮かべていた顔に、焦りと悲しみを滲ませ、アライグマはどたばたと少し離れた所で座り込んでいた相棒の所へ急ぐ。

コロコロと変わるアライグマの表情に置いていかれそうになりつつも、ヒグマも小走りで二人に駆け寄った。


「どうしたんだ?」

「アライさんをセルリアンから庇って、ケガをしてしまったのだ!ケガをしてしまうと、そこからサンドスター・ロウが体の中に入り込んで、野生暴走してしまうのだ!早く、早くどーにかしないと…!!」


切迫した様子でうろたえるアライグマに抱えられたフェネックの顔色は、あまりよくなかった。

白い肌を伝う額からの出血は、未だ収まっていない。

呼吸を乱れさせ、脂汗を滲ませるフェネックは、それでもヒグマの方を見ると微笑を浮かべてみせた。


「やー…アライさんを助けてくれてありがとねー、ハンターさん…」

「今はそれどころじゃないだろ…!なぁ、どうにかするって、具体的にどうすればいいんだ?」


フェネックを抱いたまま小さく震えるアライグマをのぞき込み、ヒグマは冷静に訊ねる。


「き、傷を塞げばサンドスター・ロウの吸収を食い止めることができるって…でも、その道具はかばんさんしか持っていないのだ…!かばんさんはゆうえんちに行ってしまったのだ…!」

「あいつが…?というか、遊園地ってたしか、セルリアンの巣窟になってるっていうあの――?ここからじゃあまりにも遠すぎる…」


目に涙をいっぱいに溜めて、アライグマはヒグマとフェネックを交互に見る。

ヒグマは小さく舌を打った。

ハンターの経験上負傷することも何度かあったが、相手はセルリアンなので大きな傷を負ったりすることはなく。

たとえ怪我を負っても、安静にしていれば次の日には治っていたため傷の手当てなどしたことがなかった。

一体どうすれば――そう焦り、悩む二人に。


『ケガノ手当テガシタインダネ。マカセテ』


救いをもたらしたのは、ひょこひょこと近付いてきたボス二号だった。


「二号!?戻ってきてたのか!?」

「あぁ。ここに二人がいるって、このボスに案内してもらったんだ。ここまで来る途中、いろんなことを教えてもらったよ」

「って…どうしたのだ、二号…。二号も怪我したのか?耳の間…ち、血がついて――」


ぴょこんと飛び跳ねるボス二号。欠けた耳が大きく揺れた。


『詳シイ説明ハ後回シダヨ。アライグマ、フェネックヲ連レテバスニ戻ルンダ。四神ガ気ニナルナラ、一度持ッテ下山シテモ構ワナイヨ』

「わ、わかったのだ…!ヒグマは四神像を頼むのだ!」

「…あぁ、わかった」


アライグマはフェネックを、ヒグマは二人が掘り出した四神像とボス二号をしっかりと抱えると、麓のバスに向かって一直線に斜面を駆け下りた。









アライグマ達が転がり込むようにしてバスにたどり着いたとき、すでにフェネックの傷口からの出血は収まっていた。

傷が治り始めている証。それはすなわち、暴走までのタイムリミットが迫っている証でもあった。


「二号!二号!!どーすればいいのだ!?」

『ジャパリバスニモ、オ客様ニ万一ノコトガアッタ場合ニ備エテ、応急処置セットガ積ンデアルンダ。運転席ノ座席ヲ動カシテミテ』


ヒグマに下ろされたボス二号が、運転席へと飛び移りながらそう声を上げる。

アライグマは言われたとおり、運転席の座席を叩いたり揺らしたり、手当たり次第に触りまくった。と。

何かの拍子で座席の座るところが蓋のように開き、収納スペースとなったその中に図書館で見たものと同じ小さな箱を発見した。


「あ、あったのだー!」

『アトハソノ中ノ包帯トガーゼヲ使ッテ傷ヲカバースルダケナンダケド…』


言葉を濁すボス二号。なぜなら、救急セットを用いて傷の手当てをするなど、かばんのようによほど手先が器用でないと難しい。手先が器用な動物でないと――


『ア…』

「アライさんに任せるのだ!」


グッとサムズアップを決めるアライグマ。

そう、彼女はかばんが作った首輪を拙いながらも再現して見せた器用さの持ち主なのだ。


「かばんさんの見よう見まねでやってみるけど、わからないところは教えてほしいのだ!」

『マカセテ。足ノ怪我ハ大キナ絆創膏デ充分保護デキソウダネ。ソッチノ手当テハヒグマニマカセテ、君ハ頭ノ傷ヲ保護シテアゲルンダ』




――ボス二号の的確な指示と、必死になって集中したアライグマの努力の甲斐あって、フェネックの傷の保護は無事、彼女が完全に我を失ってしまう前になんとか完了することができた。




しかし。


「フッ…フッ…ゥー…」


座席に腰掛けたフェネックはかなり呼吸が荒い。薄く開かれた瞳は、ぼんやりと光を放っているようにも見えた。


「フェネック…」


心配そうに見つめるアライグマの手には、フェネックが手当ての最中に嫌がって放り捨ててしまったお守り石が握られていた。


『アライグマ、マダ治療ハ終ワッテナイヨ。コノママダトフェネックハスグニ暴走シテシマウ』

「わかってるのだ」


二号の言葉に短く返事を返したアライグマは、その石をヒグマに渡す。


「手伝ってほしいのだ、ヒグマ。アライさんがフェネックを押さえておくから、その石をフェネックに押し当ててサンドスター・ロウを取り除いてやってほしいのだ」


石を渡されたヒグマの表情が、山頂でのやりとりの時と同様に少し強ばった。

さすがのアライグマも異変を察し、眉を顰める。


「ヒグマ、さっきから様子が変なのだ」

「あ、あぁ…すまん」


石をきつく握りしめ、ヒグマは小さく謝った。


『――ヒグマ、君ノ気持チハワカルケド、今ハフェネックノ治療ガ最優先ダヨ』


ボス二号が、二人に視線を向けることなく淡々と言い放つ。

その声は、心なしかいつにも増して抑揚がないようにも聞こえ。

まるで、存在しない感情を、押し殺しているようでもあった。


「――やるぞ」

「わかったのだ。…フェネック、ちょっとだけ我慢するのだ」


ぎゅっ、と包み込むようにフェネックを抱きしめ、嫌悪感から暴れてしまわないようにする。

フェネックは返事を返す余裕はなかったものの、ほんの少しだけ笑って、アライグマの背中を優しく撫でた。


ヒグマが手にした石を、フェネックの体に押し当てる。


「――ッ!!」


言葉にならないフェネックの叫びがバスの中に響き、アライグマはきつく目を瞑ると彼女を抱きしめる手にさらに力を込めるのだった。








「未だにサンドスター・ロウの供給は止まらない、か」


管理小屋の窓から遊園地を見つめ、タイリクオオカミがぽつりと呟いた。


「山組に何かあったんじゃないの…?」


心配そうに同じ窓から外を見るショウジョウトキ。

彼女の言葉に、何人かのフレンズ達が無言でボスを見やる。

ボスは体を傾けて否定した。


『作戦中止ノ緊急通信ハ入ッテキテイナイヨ。作戦実行中ノ連絡ハ定期的ニ入ッテキテイルカラ、大丈夫ジャナイカナ』


それを聞いて、安心したように息をつき、各々の会話に戻るフレンズ達。


「…詳細な状況はわからず、ですか」


博士がボスに歩み寄り、小さく訊ねる。


『…ソコガ少シ気ニナルネ。サッキ現状報告ヲ求メタンダケド、時間的ナ余裕ガナイカラ後デ必ズ報告スルトシカ返ッテコナカッタンダ』


同じように音量を絞った声で、ボスは博士に小さく答えた。

山で何が起こっているのか。博士は腕を組んで目を瞑り、ざわめく心を落ち着かせることしかできなかった。


少し離れた所では、かばんが合流したフレンズ達と作戦会議の真っ最中で。


「見てきたでござるよ」


何もないところから姿を現したパンサーカメレオンに、その光景に見慣れていないフレンズ達は驚きの声をあげた。


「ありがとうございます、カメレオンさん。お怪我はありませんか?」

「平気でござるよ」

「遊園地に近付きすぎなかった!?サンドスター・ロウの嵐に巻き込まれてない!?」

「大丈夫でござるよ」

「本当に平気か?私が誰だかわかっているか?」

「ヘラジカ様でござるよ。――あの、そろそろ報告してもいいでござるか…?」


得意げな顔で受け答えしていたカメレオンだったが、立て続けにかけられる心配の声にしびれを切らしたように皆を制した。

姿を景色に紛らせての隠密行動。

カメレオンにしか出来ないその技を用いて、彼女は遊園地の周囲を見回り、敵の根城の様子を把握することに成功した。


「やはり入り口はあの一つだけだったでござる。あとは全方位高い塀に囲まれていて壊れている所もなく、鳥のフレンズ以外は潜入不可能でござる。そしてやはり、外回りにはセルリアンの姿は一切無かったでござる」

「あの入り口以外侵入できるところはやはりない、か。ご苦労だったなカメレオン」


頭領に褒められ、思わず顔がにやけるカメレオンだったが、あっ、と声をあげるとすぐにその表情を引き締めなおした。


「大事なことを忘れていたでござる。遊園地の周りにセルリアンの姿はなかったでござるが…遊園地の上空…空に何か、飛んでいるものが何体か見えたでござるよ」

「――飛んでいる、もの…?」


アラビアオリックスが眉を顰める。まさか、とその隣でツキノワグマが恐る恐る訊ねる。


「それって…セルリアンが空を飛んでたってこと…?」

「黒い嵐の中だったからはっきりは見えなかったでござるが、その可能性は高いでござるよ」


ライオンが低く呻いた。


「もしそれがホントなら、鳥のフレンズ達に塀の上から奇襲をかけてもらうのも難しいな…」


敵の思わぬ戦力に、黙り込んでしまうフレンズ達。

空気を紛らわせるために、かばんはとにかく、と声を上げた。


「へいげんちほーの皆さんは戦うことに長けた方が多いので、本当に頼りになります。自分の得意なことをしっかり活かして、落ち着いて戦ってください」


自分の得意なこと。その言葉に、オオアルマジロが笑顔を取り戻す。


「あはは、かばんに教えてもらったおかげで、あたし達自分の得意なこと活かした戦い方がうまくなったもんね」

「戦いごっこで培った経験を、今こそ発揮するですぅ!」


やっちゃうですよー、と拳を振り上げるヤマアラシに、へいげんちほーのフレンズ達はオーッと同じように拳を突き上げた。

それを見ていたコツメカワウソが、らしくない苦い笑みをかばんに向けた。


「へいげんちほーのみんなはすごいねー。私、たたかいにはむいてないし…どーしたらいいかなー」


どうやら彼女も彼女なりに、どうすればこの戦いの力になれるか悩んでいるようで。

彼女の長所を理解しているかばんは、信頼の目をコツメカワウソに返す。


「カワウソさんは、橋作りのときに縄を作るのを手伝ってくれましたよね。巻いたり結んだりするの、まだできますか?」

「へ?あれなら超とくいだよ!かばんが行っちゃってからも、いろいろ結んだりして遊んでたからねー!」


彼女の長所は、その手先の器用さと底なしの明るさだ。

そんな彼女にしかできないことがある。


「カワウソさんには、万が一フレンズさんが怪我をしてしまったときに、治療をお願いしたいんです。きっとボクだけじゃ間に合わないし…ボクにはやらなきゃいけないこともあるので」

「ちりょー…?」

「はい。後でやりかたを教えますね。手先が器用なカワウソさんにしか頼めないことなんです。それに、カワウソさんの明るさに励まされたら、きっと怪我をしたフレンズさんもすぐに元気を取り戻せると思うんです」


にこっと笑うかばんに、カワウソは長い尻尾をひゅんひゅん振って飛び付いた。


「まっかせてー!やるやるー!それなら私もがんばれそー!ねぇねぇかばん、早くやり方教えて!」


体を張って戦う者、そんな者達をサポートする者。

それぞれが自分の役割を確かめながら、迫る決戦の時に備え、準備を進めていた。











「…迷惑かけてごめんよーアライさん…もー大丈夫みたいだよ」


山の麓のバスの中では、お守り石での荒療治に耐え抜いたフェネックが落ち着きを取り戻し、アライグマの背中をぽんぽんと叩いた。

そのアライグマは、もうフェネックが暴れる心配はなくなったというのに未だ彼女の体をキツく抱きしめていて。


「えぐっえぐっ、ふえっ、よ、よがったのだ~フェネッグぅ~…」


ようやく顔を上げて絞り出した言葉は嗚咽混じりで、顔面も涙やら鼻水やらでぐずぐずだった。


「アライさーん、せっかくのかっこよさが台無しだよー」


くすくすと笑うフェネックの様子を見て安心したのか、アライグマはやっと彼女から体を離すと、腕で顔をごしごしと拭った。


「ぐすっ…次アライさんを庇ってフェネックが怪我するようなことがあったら、アライさんはフェネックに本気で怒るのだ…」

「あはは、そうならないようにアライさんもよーく気をつけてよー」


フェネックはアライグマに向けていた視線を、ヒグマへと移す。


「改めて、本当に助かったよー。アライさんと私を助けてくれてありがとー。さすがハンターさんは強いねー」

「あ、あぁ…無事でなによりだ…」


フェネックに声をかけられたヒグマは、曖昧な笑みと曖昧な返事を返し、手の中のお守り石をじっと見つめた。


「…私もこうやって元に戻ったのか…くそっ…」


そう呟いたヒグマは、悔しげな、悲しげな顔をしていて。

ずっと訊き逃していた質問を、アライグマは今一度ヒグマにぶつけた。


「ヒグマ…一体どうやって元に戻ったのだ…?リカオンが戻してくれたんじゃないのか?リカオンは、一体どこに行ったのだ…?」


ヒグマはその言葉に、拳をきつく、きつく握りしめ。

大きく溜息をついた後、静かに語り出した。




「――リカオンは…間に合わなかった…」

「…へ?」

「すまん…私のせいだ。私のせいでリカオンは…」


俯くヒグマ。きょとんとするアライグマ。何かを察し、無表情になるフェネック。

続きを紡げなくなったヒグマの代わりに、ボス二号がはっきりとそれを言葉にした。




『――…リカオンハ野生暴走ニ陥ッタンダ』





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