対 火山③
「――…は、はは、何言ってるのだ、2号。じょーだんはやめるのだ…」
アライグマが、乾いた笑いと共に声を絞り出す。
2号は何も言わない。ヒグマも俯いたまま黙っていた。
「リ、リカオンは、強いのだ。ライオンとの戦いでも無事に戻ってきたし、セルリアンの群れだってたった一人でほとんどやっつけてたし――」
沈黙を許さないように、アライグマは必死に言葉を紡いだ。
そのアライグマの言葉に、ヒグマはそうか、と小さく溢した。
「アイツ、やっぱり強くなってたんだな…」
腕を動かし、手の甲で鼻を拭うヒグマ。
今までフェネックのことで頭がいっぱいだったアライグマは、そこでようやくそれに気付く。
ヒグマの腕に巻かれた、お守り石のついたベルトの存在に。
「あ、それ…アライさんがつくって、リカオンに、あげた…」
アライグマの声から、だんだんと勢いが失われる。
よく見ればそのベルトに、べっとりと赤い血がついているのだ。
ボス2号についた赤い手形、血塗られたベルト。
認めたくなくても、認めざるを得ない。
あの血はきっと、リカオンのものだ。
「なんでなのだ…どうして、リカオンが…」
「私が、やったんだ」
うわごとのように呟くアライグマの声を遮り、ヒグマが言い放つ。
目を見開き、ヒグマを見るアライグマ。何も言わないまま静かに座っているフェネック。
「全部、ボスが…教えてくれた」
ヒグマは腕に巻かれたベルトを、もう片方の手で確かめるように握りしめた。
…
「ガウウウゥゥ…!ウウウゥ…!!」
『――…ン……カ…ン…!』
「ガウウッ!!」
『リカオン!』
はっきりと耳に届いた自分を呼ぶ声。
その声を聞いて、ヒグマの毛皮に食らいついて唸っていたリカオンはハッと我に返った。
『…モウイイヨ。ヒグマハ気ヲ失ッテイル』
側までやってきたボス2号が、諭すような口調でそう言い、リカオンはようやくヒグマが動かなくなっていることに気付いた。
ライオンと同じで、吸収による苦痛に耐えられなかったのだろう。
暴走の進行具合で、石によるサンドスター・ロウの吸収の負担にも差があるのだろうか。
何にせよ、自分が戦闘中に気絶するようなことにならなくてよかった。
身を起こし、ふらつく足取りでヒグマから離れるリカオン。
ぐったりと倒れ込んで動かないヒグマの姿を、朦朧とした意識の中で見つめる。
やったんだ。やれたんだ。
ヒグマさんを、とりもどすことができたんだ。
よかった。ほんとうによかった。
――あんしんしたら、きゅうにつかれがでてきた。ぼろぼろだし、へとへとだ。
おなか、すいたなぁ。
ヒグマさん、うごかない。
さいきょうの、ヒグマさん。
だれにもたべられたことがない、ヒグマさん。
いったい、どんなあじが、するんだろう――
「――…!!」
リカオンは握りしめた拳を、咄嗟に自分の額に打ち付けた。
2号がまるで驚いたかのように、尻尾をぴんと立たせる。
(私は今、何を)
何を、考えていた?
(だめだ、このままじゃ)
ちかちかとする視界と混濁する意識の中で必死に自分を保ちながら、リカオンは考える。
この状態でヒグマのつけたお守り石に触れたら、二人同時にサンドスター・ロウの除去を行うことができるのだろうか。
しかし、そんなことをしても、いいのだろうか。
ヒグマの治療に悪影響がでてしまったら、元も子もない。
そもそもそんなことが可能かどうかすら、わからないのに。
だめだ、やっぱり、自分は――
リカオンは鈍く光を放つ瞳でボス2号を見下ろす。
荒れる呼吸に言葉を途切れさせながらも、なんとか声を発する。
「ボス、おねがいが、あるんです」
『…ドウシタノ?』
「わたしのこと、ゆうえんちのみんなには、つたえないでください」
作戦は滞りなく進んでいる。そう報告してほしい。
遊園地の皆に、余計な心配をかけたくないから。
『…』
「ヒグマさんに、いまのパークのこと、おしえてあげてください。うえにいる、ふたりのことも、まもってほしい、と」
『…ワカッタヨ』
2号の短い了承の言葉を聞いて、リカオンは安心したように笑った。
「…ありがとう」
2号は何も言わない。ただ黙って、自分を見上げてきた。
その時だった。
『ア――!』
2号が声を上げたのと、リカオンの身体に何かが素早く巻き付いたのは、ほぼ同時だった。
腕ごと縛り上げられたリカオンは、抵抗する間もなく身体が宙へ持ち上げられる。
『キィイイイ!』
今までずっと、何をするわけでもなくただ宙に浮いてこちらを眺めていた翼のセルリアンが、急に襲撃してきたのだ。
細い触手に拘束されたリカオンはなすすべ無く空中で身じろぐ。
翼のセルリアンはもう片方の触手を、気絶したヒグマへと伸ばす。
しかし彼女の方は拘束するわけではなく。
光を放つお守り石がついたベルトを狙うように、触手は動かないヒグマの腕に絡みついた。
「やめろ!!!」
血を吐くような叫びをあげて、リカオンがもがく。
セルリアンは彼女を完全に無視して、ベルトをいじり始めた。
治療を妨害するつもりなのだ。
まだ、ヒグマに暴れさせるつもりなのだ。
そして自分もこのまま我を失えば、ヒグマと同じように他のフレンズの居るところへ強制的に連れて行かれてしまうに違いない。
たとえば、山頂の二人の所――
もがけどももがけども、爪で簡単に引き裂くことができそうな細い触手だというのに、力任せに引きちぎることはできず。
諦めと絶望の中、頭の中が白く塗りつぶされていくリカオン。
しかし。
諦めていない獣が、まだそこにいた。
『――!』
ヒグマの腕に絡みつく細い触手の上に器用に飛び乗ったのは、ボス2号。
セルリアンは無感情の瞳でその小さな姿をじっと見つめる。
直後。
『【除草】ヲ開始シマス』
ビイイィと耳障りな音を立てて、突如2号の足下で触手が削られ始めた。
本来ならばパークの環境維持目的で、草を刈るために備え付けられた回転刃。
2号はそれを触手に押し当て、表面をガリガリと削りだしたのだ。
『キイイイィッ!』
セルリアンはこれを攻撃だと認識し、それまでは危険分子として見なしていなかったボス2号を排除せねばと動く。
ヒグマの腕から触手が離れ、2号をふるい落とし。
――リカオンの動きを封じていた触手の拘束が、緩んだ。
「ガウウゥッ!!」
瞬間リカオンはその触手に食らいつく。
落下しながら触手をがっちり掴むと、思い切り首を振るった。
ガクガクと揺さぶられ、バランスを崩す翼のセルリアン。
着地したリカオンに強く触手を引かれ、ついにセルリアンは地面へと墜落した。
「グルルルッガウァッ!」
興奮したリカオンは止まらない。
触手を掴んで振り回し、セルリアンの身体を木々や大地に叩きつける。
セルリアンが必死にばたつかせる翼に食らいつき、牙をたて、引きちぎる。
『…』
地面に転がったまま呆然とその様子を眺めるボス2号の無機質な瞳と、野生の光を放つリカオンの瞳が、一瞬交錯した。
「グルル…」
2号にはその時、ほんのわずかにリカオンの瞳が理性の色を取り戻したようにも見えた。
次の瞬間には、リカオンは飛べなくなったセルリアンの触手を咥え、山に背を向けて走り出した。
地面を弾み、引きずられていくセルリアンと、あっという間に遠くなっていくリカオンの背中を、ボス2号はただ見送ることしかできなかった――。
…
「――…私が目を覚ましたのは、どうもその少し後だったらしい」
重い空気で満たされるバスの中で、ヒグマは静かに語り続ける。
「目が覚めた瞬間は何がなんだかよくわからなかった。ボスも急に話し出すしな。だけど一つ、あることにはすぐに気付いた。――私が、リカオンを傷つけてしまったんだということには」
フェネックがちらりとこちらを見てくる。ヒグマは未だに時折うずく鼻をこすった。
「戦闘中仲間の怪我にはすぐ気付けるよう、血の臭いは覚えてるんだ。…私の持ってる熊手についた血は、間違いなくリカオンのものだった。目眩がしたよ。何が起こったんだってな」
あとは全部ボスが丁寧に教えてくれた、とヒグマは頭を抱えた。
「今パークに起こっていることも、その元凶のことも、それに対抗するべく立ち上がってるやつらのことも、お前らのことも、私がしでかしたことも…リカオンが自分を犠牲にしてまで、私を正気に戻してくれたことも…」
アライグマが、悲しみに染まった表情をヒグマに向ける。
「…なんでヒグマは、リカオンを追いかけて探さなかったのだ…?目覚めてすぐ探してたら、ひょっとすると追いつくことができてたかもしれないのだ…」
「…リカオンがボスに託した頼みは、お前達を守って作戦を成功させることだった。それにたとえあいつの頼みがなくてもそうしてる。――今優先すべきは、サンドスター・ロウを封じる作戦だろ」
この短時間で、ヒグマは状況を充分に把握し、何を優先するべきなのかすでに理解していた。
「わざわざアイツを追いかけて探している暇はない。事実すぐに山頂に向かっていなかったら、お前達を助けることはできなかった」
涙をいっぱいに溜めたアライグマを、ヒグマは真剣な表情で真っ直ぐ見つめた。
「大事な作戦を置いてアイツを探すことに時間を割くのは、私やお前達の足を引っ張らないよう、残った力を振り絞ってこの場を去ったアイツへの冒涜になるんだ」
静かだが、揺るがない思いを秘めた言葉だった。
迷いのないヒグマの表情に、アライグマは自分がぶつけてしまった無責任な言葉を悔いる。
一方でフェネックの大きな耳は、ヒグマの拳がギリギリと音を立てて握り込まれていることに気付いていた。
きっと、彼女だって、本心は――
「さあ、長話をして時間を無駄にするわけにはいかない。…もう動けるか?」
ヒグマが腰を上げて、フェネックを気遣うように見つめる。
ヒグマの心境を考えていたフェネックはその彼女に突然声をかけられて飛び上がりそうになったものの、なんとか平然を装って頷いた。
「あ、あーうん…。もー大丈夫だよ」
ヒグマに続いて立ち上がるフェネック。
アライグマはごしごしと腕で顔を拭うと、四神像を大事に抱えた。
「…ヒグマ、リカオンはいいやつだったのだ」
「あぁ」
「とっても強かったのだ。いっぱい助けてもらったのだ」
「…あぁ」
「アライさんは、リカオンを早く助けてやりたいのだ。お礼を言いたいのだ」
「あぁ…私もだよ」
四神像を掻き抱き小さく震えるアライグマの頭に、ヒグマは優しく手を置いた。
「――だからヒグマ、手伝ってほしいのだ。とっととサンドスター・ロウを封じて、セルリアン達をこてんぱんにやっつけて、パークの危機を救うのだ」
「――任せろ。全身全霊をかけて、お前達を守る。約束だ」
アライグマの震えが止まる。ヒグマは彼女から手を離す。
顔を上げたアライグマは、にぃと歯を剥いて笑みをつくった。
「アライさーん、鼻水でてるよー」
「ずずっ…出てないのだ!!いいから早く行くのだ!!みんな待ってるのだー!!」
バンッと勢いよくバスの扉を開け放って、アライグマは駆け出す。
次いで小走りで追いかけていくフェネック。
ヒグマはもう一度だけ腕に巻かれたお守り石を優しく撫でると、ボス2号を抱え上げて全力で走り出した。
…
『2号カラ連絡ダヨ。ヤッパリ、飛行能力ヲモッタセルリアンガイルミタイダネ』
役割分担や作戦会議を続けていた待機中の遊園地組は、ボスが放ったその一言に顔を歪ませた。
「やっぱりそうでござるか…厳しい戦いになりそうでござる…」
「うへー…手強そうだねー…」
思わず弱音を吐くパンサーカメレオンとオオアルマジロの肩をぐいっと抱き寄せ、ヘラジカは相変わらずペースを崩さずに笑う。
「大丈夫!私達ならやれる!!」
「ヘラジカ様…」
かばんは心配そうにボスをのぞき込んで訪ねた。
「ラッキーさん、他に何か情報はありませんでしたか?」
『翼ヲ持ッタセルリアンノ他ニ、地中ヲ潜行スルセルリアンモイタラシイヨ。凶暴化セルリアンニハ、イロンナ種類ガイルト考エタホウガイイネ』
ふん、と鼻を鳴らし、ツチノコが尻尾をしならせる。
「爪があろうと翼があろうと、所詮セルリアンだ。いつも以上に用心すりゃいいだけだ。…問題はそいつらにそんなもんを与えている、元凶のアイツだろ」
「それって遊園地の中にいる、黒いかばんのこと?いまいちよくわからないんだけど、一体何者なのさ」
頭を掻くジャガーを始め、遊園地の映像を見ていない合流組は、待ち受ける強敵について当然ながらあまり理解できておらず。
かばんは、ミライの記録から得た情報を紡ぎ合わせ、仮説を交えながら説明する。
「全ての元凶であると考えられるヒトのフレンズ型セルリアン…黒いボクは、おそらくサンドスターの山付近に生息していた黒セルリアンが変化したもの――もしくはそのセルリアンから新たに誕生したもののどちらかです。いずれにせよ、誕生のきっかけは黒セルリアンが密猟者――動物の命を狙うヒトを食べてしまったことにあります」
真剣に耳を傾ける皆の視線を感じながら、かばんは続ける。
「密猟者の【悪意】と【知識】を吸収して生まれたあのボクの目的は、動物としての本能を剥き出しにしたフレンズさん達の争う姿を見たい、もしくはそんなフレンズさん達と争いあいたい、というものだと考えられます」
「そんな…そんな訳のわからない理由で、こんな大事を引き起こしているのか…?」
理解できない、というように頭を抱えるアラビアオリックス。かばんは無言で頷く。
「あのボクの能力は、まだ未知数です。サンドスター・ロウを呼び寄せたり、変異させたり、それによってセルリアンまでも進化させたり…ヒトの能力とセルリアンの能力、どちらも併せ持っているのかもしれません。間違いないのは、他のセルリアンと違って考える力があり、会話もできるということ」
それは、自分たちに非常に近い存在であるということ。そんな存在と、戦わなければならないということを、フレンズ達は改めて理解する。
かばんの脳裏には、図書館でのサーバルとの会話が蘇っていた。
『その子を探して、追いかけて、直接会って――』
「…できることなら、ボクはあのボクと話し合ってみたい。一体どんな考えを持っていて、どうなりたいのか。どうしたいのか。…歩み寄る方法はないのか」
「かばん」
博士が短く、しかし強い口調で声を上げる。
「お前の考えを否定するつもりはないのです。ただ、そこにつけ込まれてはいけないのですよ。事態は最悪なのです。今回ばかりは、こちらも本気で立ち向かうしかないのです」
黄色い瞳で、睨むように。博士はかばんをじっと見つめた。
「我々は、多くの仲間の命を、あいつの身勝手な願望によって弄ばれているのです。一刻も早く、皆を取り戻さなければならないのです」
大事な仲間を。助手を。一刻も早く。
なるべく表情を崩さないようにしているのだろう博士の切なる願いが、痛いほどに伝わってくる。
かばんは目を伏せると、小さく一言、わかっています、と呟いた。
「…もしあのボクが、黒セルリアンの進化型だったとしたら、ミライさんの情報によると弱点の石を二つ持っているはずです。他のセルリアンよりも討伐が難しくなると思います。牙のついた触手を持っているのも、非常に厄介です」
「あの遊園地を包む黒い嵐も厄介じゃない?サンドスター・ロウの流れを止めたところで、あれはすぐに収まるのかしら?」
『――…ソレニ関シテハ問題ナイヨ』
不安そうに窓の外を眺めるトキに答えたのは、ボスだった。
同じ疑問を抱えていたフレンズ達が、一斉に彼を見る。
『サンドスター・ロウノ粒子ハ、通常ノサンドスターヨリモ空気中ニ分解シヤスインダ。カツテパークニイタヒト達ガ、サンドスター・ロウノ調査ニ手コズッテイタノモソノセイダヨ。アアヤッテベール状ニ保ツタメニハ、膨大ナ量ノサンドスター・ロウガ必要ナンダ』
「だから絶えず山からの供給を受けて、変異させ続けている、というわけか…。なるほどね」
腕を組み、合点がいったとでも言うかのように頷くタイリクオオカミ。
『山ノフィルターヲ張リ直シ、供給ヲ断ツコトガデキレバ、アノ嵐ハ時ヲ置カズニ消滅スルダロウネ』
思わぬ朗報に表情を明るくするフレンズ達に、ボスはただし、と釘を刺す。
『消滅スルトイッテモソレハ空気中ニ溶ケコムダケダヨ。ツマリ、他ノ場所以上ニ変異サンドスター・ロウノ濃度ガ高クナッテイルンダ。シバラクノ間負傷ハ命取リダヨ。暴走ガスグニ始マッテシマウカモシレナイ』
まさに一喜一憂。先ほどまで笑顔を浮かべていたフレンズ達はごくりと生唾を飲んだ。
「…とにかく、山の皆さんが作戦に成功してサンドスター・ロウの流れが止まれば、あのボクは必ず何か行動に出る。そこを叩きます。次の行動は、取らせません」
ぎゅっと、きつく拳を握る。しかしどんなに強がっても、意思を強く持っても、どうしてもこの臆病な身体は小刻みに震えてしまう。
そしてそんなときはいつも――
「…」
斑点模様の毛皮に包まれた手が、そっとその拳を上から包み込んだ。
何も言わず、ただ優しい微笑みを向けてくれるサーバル。
いつも彼女が、こうやって背中を押してくれる。寄り添ってくれる。
だから、大丈夫。
そして、その時は訪れる――
『――2号カラ通信ダヨ。四神像ガ、全テ見ツカッタミタイダ。今カラフィルターノ修復ヲ開始スルヨ』
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