対 ライオン⑫


すっぽりと抜け落ちた記憶、全身の痛み、疲れ果てた一同、取り押さえられた自分、傷ついたヘラジカ、舌の上にかすかに残る鉄臭い味。

点と点を結ぶように、ばらばらの情報から考えられる状況を導き出したライオンには、平静を保つ余裕がなくなっていた。


「ここで全てお話したいんですけど…図書館で待ってるみなさんに、早く無事を伝えないといけません。詳しい話は図書館に帰ってからにしましょう。それでも良いですか?」


色めき立つライオンに、かばんはヘラジカの体に巻く途中になっていた包帯をしっかり整えながら冷静な返答を返した。

ヘラジカにも詳しい説明をする必要がある。

でも、ここに長居していては雨で体力が奪われる上に、図書館の皆も心配するだろう。


「……」


ライオンは口を覆い隠していた腕をおろすと目を伏せ、しばらく黙り込んでいたが。


「……よくわかんないけど、しっかり教えてもらえるならそれで良いよ」


二、三度深い呼吸をした後、いつもの声色でそう言った。

しかし、その表情は相変わらず硬いままであった。


「ごめんなさい…ありがとうございます。――ラッキーさん、今どこにいるんだろう…」


そうと決まれば、早く図書館に戻らなければならない。

そのためには別行動中のボスと合流する必要があった。

サーバルに巻き終えた包帯を前と同じように切り離してもらいながら、かばんは辺りを見回す。

その心配そうな表情を見て、サーバルは口の横に両手を当てると、大きく息を吸い。


「ボスー!!聞こえるー!?もう大丈夫だよー!!どこにいるのー!?」


静かな森に、甲高い声を響かせた。

突然大声を出したサーバルに、かばんとリカオンは驚いた様子で視線をやる。


「サ、サーバル、びっくりしたじゃないか――」

「しー!」


文句を垂れようとするリカオンを制し、サーバルは大きな耳をぴんと立てて動かした。と、


「――そこだー!」


声をあげるや否や、サーバルは高々とジャンプして木に登ると、俊敏に木々を飛び移って闇の中へと消える。


「えっ!?サ、サーバルちゃん!?」


突拍子もないサーバルの行動に、かばんは慌てて立ち上がるも。


「いたよー!」


彼女の心配などつゆ知らず、少し離れた所からそんな暢気な声が帰ってくるのが聞こえた。

茂みをかき分けながら駆け戻ってきたサーバルの腕に、ボスはしっかりと抱きかかえられていた。


「こっちに戻ってくる途中だったみたい!かばんちゃんじゃなくてもお話してくれるようになったのって、本当だったんだね!ちゃんと返事してくれたよ!」

『サーバル、近クニ外敵ガイルカモシレナインダカラ、慎重ニ行動シナイトダメダヨ』


ボスが話してくれたのが嬉しかったようで、サーバルは心なしか興奮気味だ。

そんなサーバルにしかと抱かれたボスは、ゆらゆらと尻尾を振ってかばんを見た。


『…カバン、無事デヨカッタヨ』

「ラッキーさん…!」


サーバルが抱きかかえる上から、かばんもボスの柔らかいような、硬いような体を抱きしめた。


「ラッキーさん!ありがとうございます!ラッキーさんのおかげで、ボク達本当に助かりました!」

『チカラニナレテウレシイヨ。パークガイドヲサポートスルノガボクノ役目ダカラネ』


ボスはかばんとサーバルの腕の中から、どこか自信に満ちたような声をあげた。


「――ボスも帰ってきたし、戻りましょう。ヘラジカさん、動けますか?」

「ん、あぁ…」


そんな三人の様子をしばらく見守った後、リカオンが改めてそう切り出す。

声をかけられたヘラジカは立ち上がろうとしたが、足に力が入りきらずに膝が折れた。

よろめいたその体を、ライオンが隣に立ち、しっかりと支えた。


「私が肩を貸すよ。行こう」

「ははは…すまない。安心したら腑抜けてしまったようだ。どっと疲れが出てしまった」


血色の悪い顔に笑みを浮かべるヘラジカを支え、ライオンはかばんを見た。

かばんはサーバルから受け取ったボスを抱えたままこくりと頷き、図書館に向かって歩き出した。

ヘラジカと密着したことで、脳の奥をガンガンと刺激してくるむせ返るような血の臭いを感じつつ、ライオンは奥歯を噛みしめてかばんに続くのだった。











長い長い戦いを経て、ようやく図書館に帰ったかばん達を迎えた皆の反応は、まさに千差万別だった。


「かばんさああああん!サァバルウウウウウ!!ふえぇええええ!」


アライグマは惜しげもなく涙を流して声を上げ。


「いやー無事で本当に良かったよー」


腰に片手をかけて立つフェネックは相も変わらずのんびりで。


「百獣の王相手によく頑張ったね。どうやって勝利したのか、また参考までに聞かせてもらうよ」


腕を組んで微笑むタイリクオオカミは、興味深そうにかばんやサーバルを見つめ。


「一体!どこを!ほっつき歩いていたのですか!!なんで!こんな危険な時に!勝手な行動をするのですか!心配したのですよ!!」


普段は淡々と話す博士は、顔を真っ赤にしてわめき散らした。


「ごっ、ごめんなさい!」

「ちがうよ!謝るのはわたしだよ!かばんちゃんは悪くないんだから!!」


慌てて頭を下げるかばんに、サーバルが腕をぶんぶんと振るった。


「おぉ、ずいぶんと賑やかだな」

「…」


そんな大騒ぎの図書館に、遅れて足を踏み入れたヘラジカとライオン。

その二人を見た途端、図書館の皆はすっかり黙り込んでしまった。

包帯で隠されているとはいえ、誰もが一目で軽い物ではないとわかるほどの傷を負ったヘラジカと。

ラッキービーストの通信で襲撃者として名前が挙がっていたライオン。

皆が固まってしまうのも、仕方がなかった。


「あの…」


沈黙を打ち消すように口を開くかばんに、博士が大きな目を向ける。


「疲れているでしょうが…もう少し頑張ってもらうのです。休むのは何があったのか全て話してからにするのです」

「はい。そのつもりです」

「わ、わたしも!…わたしにも話させて…」


頬にこびりついた泥を指で拭って頷くかばんと博士の間に割り込むように、サーバルが声を上げた。

驚いたようにかばんが見つめてくるのを感じながら、サーバルはぎゅっと指を丸めた。

話の大筋は、自分よりも伝えるのが上手なかばんに説明してもらう方が良い。

ただ、皆を巻き込んでしまった元凶は自分だ。

事情を説明する責任があることは十分に理解していた。

皆の視線を感じながら、二人は顔を見合わせつつ話を始めた。









かばんはヘラジカとライオンの二人に語った。黒い嵐のこと。野生暴走のこと。セルリアンの石のことを。

サーバルは皆に語った。かばんに対しておいしそうという感情を持ってしまったこと。負い目を感じて皆から離れようとしたこと。かばんが追いかけてきてくれたこと。そのせいで彼女を危険に晒してしまったことを。

その後のことは二人で語った。ボスが助けを呼んでくれたこと。ヘラジカとリカオンのおかげでライオンを元に戻すことができたこと。ヘラジカを負傷させてしまったことを。


二人の話が終わり、少しの間図書館に沈黙が流れる。

その沈黙を破ったのは、囁くようなライオンの声だった。


「ほんとに…ごめんよ…」


俯いた彼女の表情は、乱れて落ちたたてがみに隠されて窺えない。

ただ、床に置かれたその手には。


「今すぐにでも自分の身体に爪を突き立ててやりたいけど…それさえ許されないんだな…」


震えるほどに力が込められていて、鋭い爪が床板に穴を開けていた。

それに気付いたアライグマが小さく息をのむ。

本棚に背中を預けていたヘラジカが、疲れた顔に笑みを浮かべた。


「おいおい勘弁してくれ。また暴走されたら、もう一度止めてやれる自信はないぞ」


俯いていたライオンは、頭を上げてそんなヘラジカを見やる。

ライオンと目が合い、ヘラジカは笑みを消すと真剣な表情になった。


「そんなことより…私達が何をすべきか――言わなくともわかるだろう?」


真っ直ぐなヘラジカの視線から思わず目をそらすライオン。

あんなにも酷い傷を負わせた自分を全く責めようとしないヘラジカ。

そんな良き友を傷つけてしまったことを、誰よりも自分が許せなかった。

――だから。


「あぁ…この落とし前は、きっちりつけさせてもらう」


たとえ命を懸けてでも。自分にできることがあるなら全力で。

それが今の自分にできる罪滅ぼしなのだと、ライオンは自分に言い聞かせた。


「かばん、サーバル。お前達を傷つけてしまった分、どんなことにでも協力する。お前達を苦しめた百獣の王の力…今度はお前達を助けるために奮わせてくれ」


低く、威厳のある声で、ライオンはかばんに誓う。

かばんを見つめるその目は金色に輝いていて。

しかしそれは先ほどまでの飢えと殺意にぎらついた野生の眼光ではなく、決意と威厳に満ちた力強い輝きだった。


「――ライオンさんに協力していただけると、心強いです。お願いします」


その強い思いに応えるように、かばんは瞳を見つめ返し、手を差し出した。

爪も力もない、小さな手。それでもこの手は荒れ狂う自分を止めてみせた。

ライオンはちらりと自分の掌に視線を落とした後、しっかりとかばんの手を握り返した。


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