対 ライオン⑪


「…ライオンは大丈夫なのか…?死んでしまったのではないか…?」


長い息を吐いてへたり込むかばん。

そんな彼女に、何も知らないヘラジカは倒れ伏したライオンを眺めながら問う。

その表情には、心配やら困惑やら、様々な感情が滲んでいて。


「――大丈夫です。息はありますよ。気絶しているだけです」


その問いに答えたのは、ライオンの元へ歩み寄って状態を確認したリカオンだった。


「サンドスター・ロウの吸収に伴う嫌悪感に、耐えられなかったようですね」

「わたしの時は量が少なかったけど、それでも辛かったよ。きっとライオン、すっごく苦しかったんだと思う」


その時のことを思い返すだけでも戦慄するようで、サーバルは自分の身をさすりながらそう溢した。

気絶したライオンの首では、未だにお守り石を結びつけたベルトが光っている。

時折苦悶に顔を歪めて呻きながら、ライオンは眠っていた。


「目が覚めたときには、きっといつものライオンさんに戻ってます。だから、安心してください」

「…そうか」


かばんの一言にようやく安心したかのように、ヘラジカはふっと息をついて微笑むと。

踵を返し、かばん達に背を向けて、森の奥へと足を進めようとする。


「ま、待って。ヘラジカ、どこに行くの?」


呼び止めたサーバルは、鼻についた生々しい臭いにハッとした。

ヘラジカの左肩に刻まれた大きな傷からは、腕全体を汚してしまうほどに血が流れ、指先から地面へと滴っていた。


「怪我を負ったフレンズの末路はライオンと同じ…だったな?」


振り返ったヘラジカが浮かべる笑みは、今まで見てきた彼女の笑顔の中で一番弱々しく。


「私を置いて、早くここから離れるんだ。私が暴走してしまったら、この馬鹿力を抑えられる者はほとんどいないぞ」


サーバルは唇を噛んで俯いた。

せっかくライオンを取り戻したというのに。

今度はヘラジカを失ってしまうのか。

救いを求めるように、サーバルはかばんに目をやるものの。

彼女も自分と同様、真っ青な顔をしていた。


「ごめん…なさい…。ボクが危険な作戦を、お願いしてしまったから…」

「何故謝るのだ?お前は私に言ったとおり、ライオンを止めてくれた。この怪我はむしろ、警告をしてくれたお前との約束を破ってしまった私に責任がある。気にするな」


その声色はとても優しくて。

かばんはこみ上げてくるものを飲み下すように、ごくりと唾を飲み込んだ。

せめてここが図書館からすぐの場所であったなら、救急箱で治療が行えるのに。

…そうだ。傷を露出した状態のままでも、お守り石を身につけていたら暴走を遅らせることができるのではないか。

身体が取り込むサンドスター・ロウの量よりも、石が吸収する量の方が上回っていたら、それが可能かもしれないじゃないか。

でも。でももしそれが逆だとしたら――


思案が行き詰まり、かばんの胸にじわりと絶望が滲んだ、その時。


「何言ってるんですか。私は図書館のみんなから、全員無事に連れて帰るようにオーダーされてるんですよ」


リカオンの言葉が、かばんの思考を中断させた。


「かばん。それ開けてみて」


リカオンは、駆けつけた際に図書館から持ってきた鞄を指さす。

かばんは言われたとおり、リカオンから渡された後、結局使えず終いになっていた鞄を開き、目を見開いた。


「これ…!!」


その中には他の荷物に混じって、図書館で使った救急箱が詰め込まれていた。


「必要になるかもしれないと思って、図書館で待ってるときに入れておいたんだ。それ使えるの、かばんぐらいだしね。――さぁ、早く」

「ありがとうございます!リカオンさん!!」


取り出した救急箱を抱えて、かばんは心から礼を述べる。

一日中辛い戦いを強いられていたリカオンは、その言葉に、その笑顔に、ようやく自らも救われたようで、心底嬉しそうに微笑んだ。







かばんは道具や身体がこれ以上雨に濡れないよう、大きな木の下にヘラジカと共に移動すると、リカオンが救急箱と共に鞄に入れてくれていた応急処置マニュアルに再び目を通し、肩への包帯の巻き方を学習する。

サーバルとリカオンは、眠り続けているライオンのぐったりとした身体を二人がかりで持ち上げると、同じように木陰へと移動させた。

マニュアルを読み終わり、かばんは傷の保護に移る。

無残な傷を直視することに心苦しさを感じつつも、躊躇している暇はないと、かばんは意を決して手当てを始めた。


「う…」

「ご、ごめんなさい…」


大きな負傷にも関わらず堂々としていたヘラジカであったが、やはり傷口に触れられるのは辛いようで。

毛皮の上から傷口をしっかり覆うためにきつめに包帯を巻いていくと、時折眉をしかめて呻いた。


「いや、大丈夫だ。しかし本当にかばんはすごいな。私にはそれを見ても何がどうなっているのかさっぱりだ」


かばんが見ていたマニュアルにヘラジカも目を落としていたが、そもそも文字がわからぬ上、絵を見てもどうやったらこんな風にできるのか全く理解できなかった。

そもそも自然の中で生きる彼女たちは、怪我の保護など考えたこともなく。


「…それで、これで傷を塞いで何の意味があるのだ?」

「こうしておくと、ケガしたところからサンドスター・ロウが体に入ってくるのを防ぐことができるんだよ!」


かばんの代わりに、サーバルが自身の腕の包帯を示しつつ得意げに答えた。


「サンドスター・ロウ…というのはかばんが話していた黒いサンドスターのことか?」


難しい顔をして、ヘラジカはかばんに訊ねる。

簡単な説明止まりになっていたパークの異変についてしっかり伝えなければと、かばんが口を開きかけた時だった。


「うっ…」


小さく呻いて、ライオンが身じろいだ。

側で監視をしていたリカオンが、すぐさまその体を取り押さえる。大事をとっての行動だ。

処置が終わっていないかばんとヘラジカを庇うかのように、サーバルが二人の前に立ってライオンの様子を伺った。


「――ん…うぅ……」


気がついたライオンが、ゆっくりと瞼を開く。

その瞳は、もう強烈な野生の光を放ってはいなかった。


「あれ…ここ、どこ…?」


俯せのまま顔だけを上げ、のろのろと視線を巡らせたライオンは、少し遅れて自分を押さえつけているリカオンに気付く。


「な…なんだお前!?」

「あっ…えっと…すみません」


先ほどまでの荒れ具合が幻かのように落ち着いているライオンを見て、にわかには信じられないというか心底安心したというか、思わず放心していたリカオンは、慌てて彼女の上から身を退いた。

体を起こしたライオンの首元から覗いた首輪ももう光を放ってはおらず、サンドスター・ロウの吸収が完全に終わったのだと示していた。


「あいたたた…なんか、体があちこち痛いなぁ。これ、君の仕業?」

「えっ!?あー…えっと…」


体を動かすと戦いの際に攻撃を受けた箇所が痛むものの、何があったのか記憶に残っていないライオンは、目を覚ましたときに自分を押さえ込んでいたリカオンに疑いの眼差しを向ける。

返答に困るリカオンがうろたえる中、同じく驚きと安堵で言葉を失っていたヘラジカが、ぽかんと開け放った口からようやく声を漏らした。


「ラ、ライオン…本当に、元に…!?」


聞き慣れた声に小さな耳をぴくんと動かして反応し、ライオンが振り返る。


「おぉヘラジカー!なんだ、お前もいたのかぁ」


身に覚えのない場所と身に覚えのない状況に困惑していたライオンは、友の姿を見て安堵したように笑う。

その笑顔は間違いなく、これまで手合わせを共に楽しんできた良き好敵手の表情で。

座り込んだまま少しばかり体を前のめりにさせていたヘラジカは、気が抜けたかのように背後の木に背中を預けて息を吐いた。

包帯を巻き終えていないかばんは、体勢を崩したヘラジカにアワアワとうろたえ。

尻尾の毛を逆立たせて爪を構えていたサーバルも、その場にへたり込んだ。


「あれ?かばんとサーバル、なんでこんな所に…?えーダメだぁ何が起こってるのか、さっぱりわかんないぞ」


ガシガシとたてがみをかいたライオンは、そこでようやく大きな違和感に気付き、すん、と鼻で空気を吸った。


「血の…臭い…?」


無意識に言葉を漏らしながら、臭いのする方へ頭を巡らせ、ヘラジカに目を留める。

改めて闇の中の友の姿をじっくりと見つめたライオンは、先ほどは気付けなかったそれに目を見はった。

ヘラジカの体に巻かれた白い物。それが特にしっかりと巻き付けてある左肩。その下の腕が、指先まで真っ赤に染まっていた。

未だにもうろうとしていた意識が一気に覚醒する。

そのせいで、ライオンはもう一つの違和感に気付いてしまう。


口の中に、わずかに残った鉄臭い味に。


「――!」


バッ、と口を腕で拭ったライオンは、その姿勢のまま低い、低い声で呻るように呟く。


「…教えてくれ。一体何があった…?」


いや、と口に当てた腕の下で牙を軋ませ、ライオンは続けた。



「――私はお前達に、何をした…?」



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