対 ライオン⑩


「あ……あぁ…!」


ライオンを受け止めきれず体勢を崩し、倒れ込むヘラジカ。

そんな彼女の肩にしつこく鋭い牙を突き立てたままのライオン。

リカオンはその光景に、一瞬ひいてしまった血の気が、すぐに頭までのぼってくるのを感じた。


「うわああああああああッ!!」


まただ。

また自分の目の前で、仲間が傷ついてしまった。

このままでは、また失ってしまう。

それだけは。それだけは絶対に許してはいけない。

リカオンは悲鳴に近い叫びをあげながら、拳を握って疾走する。

大地で組み合う二人に駆け寄ると、ヘラジカに食らいつくライオンの脇腹に、突き上げるような打撃を見舞った。


「カッ…!」


たまらず息を詰まらせたライオンの牙が、ヘラジカから離れる。

その瞬間、ヘラジカが自分に乗りかかっていたライオンの体を、倒れたままの姿勢で蹴り上げ、強引に引きはがした。

跳ね上げられたライオンは、ネコ科特有のしなやかさで空中で身を翻すと、四つん這いで着地した。


「ヘラジカさん…!!」


ライオンから視線を外さないようにしながら、リカオンはヘラジカを助け起こす。

ヘラジカはリカオンの手を借りて立ち上がると、小さく笑った。


「ははは…これは一本、取られてしまったなぁ…。かばんとの約束を破ってしまった…」


ちらりと横目でヘラジカの様子を確かめるリカオン。

ライオンが牙を突き立てたその左肩からは、雨水に混じって鮮血が腕を伝っている。

強い笑みを浮かべるヘラジカだが、眉間には皺が刻まれており、痛みを堪えているのが見て取れた。


「くっ…」


リカオンは辛苦の声を漏らす。

いくら身体の強いヘラジカでも、この状態では全力を発揮できない。

満足に戦えない状態で、あのライオンを相手するのはどう考えても無理だ。

加えて、今このパークで負傷することはある意味フレンズとしての死を意味していて。

一刻も早くこの戦いを終わらせて、すぐにでも傷を保護しなければならないのに。


(ダメだ…)



――勝機が見えない。一気に形勢が逆転してしまった。



「グルル…」


ライオンは舌なめずりをして、口についたヘラジカの血を舐め取った。

これまでオーロックスを始め数々のフレンズを襲ってきたものの、狩りは失敗続きだった。

苛立ちばかりが募っていた彼女は、ようやく手応えのある一撃を与えられたことに満足げに呻る。

この獲物は逃さない。絶対に仕留める。

ライオンはヘラジカだけを視界に捉え、彼女の流す血の臭いを吸い込み、気を高ぶらせた。

低く身を構え、ヘラジカの出方を伺う。


「…ふむ…どうやら私を本気で喰らうつもりのようだぞ」


肩の傷を手で押さえながら、ヘラジカは他人事のように呟いた。

こんな危機でもあまり動じていない彼女の様子に、焦るリカオンは困惑する。

大物故か、理解力に欠けているのか…。


「と、とにかく…その傷ではもうまともに戦えません。後は私がどうにかして気を引くので、その間に逃げて――」

「それは無理だ。もはやアイツの目には私しか見えていないようだからな。どこまでも私を狙ってくるだろう」


理解力に欠けている訳ではない。十分にライオンの様子を把握している。

なのにこの危機に対する焦りのなさはなんだ。

リカオンは焦りと憤りを、思わずヘラジカにぶつけてしまう。


「じゃ…じゃあどうしろって言うんですか…!?この状況で戦っても、私達にはもう決定打を打ち込むことは到底不可能ですよ…!?」

「大丈夫!」


力強い一言に、リカオンは言葉を飲み込む。少し乱れた息を整え、ヘラジカは呟く。


「……これで良い」


ヘラジカは、ニィ、と笑ってライオンを正面から睨み付け――




「――アイツにとどめをさすのは…私達ではないからな」




視線を、そのまま彼女の頭上に上げた。

リカオンはその視線を追って。


「……うみゃあああああーっ!!」


枝を蹴り、生い茂る木の葉を散らし、ライオンの背中目がけて流星のように落ちる、黄色と赤の影を見た――













「お願い、とは?」

「ライオンさんの意識が、ボク達から完全に逸れるようにしてもらいたいんです」

「ほう…?つまり、私は囮になればよい、ということか?」


近付いてくるライオンの足音を意識しつつ、ヘラジカはかばんの言葉に耳を傾けた。


「暴走状態のライオンさんを、正気に戻す方法があります。そのための作戦を一つ思いついたんですが…狙われてしまっている今のままでは、少し難しくて…。不意を突く必要があるんです」


けほっ、と小さく咳き込んでかばんは手の甲で口を拭う。

ライオンの攻撃によるダメージが抜けきっていないその様子に、ヘラジカは一抹の不安を感じて眉を顰めるも。


「――こんなにも弱いボクだけど…ライオンさんは必ず元に戻してみせます。協力してもらえませんか?」


見つめてくる瞳はどこまでも力強く、真っ直ぐで。

ヘラジカは一度目を伏せて黙すと、力強い笑みを返す。


「かばんの作戦は前も完璧だった。お前を信じよう」


かばんの頭に手を置いて、癖のあるその髪をくしゃりと撫でて誓った。


「お願いします!…あ、でも…一つ、注意していただきたいんです――」











「えっ!?」


想定外の出来事に、リカオンは目を見はる。

かけ声と共にライオンの背中に爪を立ててしがみつくのは、サーバル。

そんな彼女ががっしりと脇に抱え、落ちないように支えられているのは、かばん。

二人は戦線から離脱して、逃げ出した訳ではなかった。

ライオンの意識がそれたことを確認し、不意打ちの準備に取りかかっていたのだ。


「!?」


想定外の出来事に驚いたのはリカオンだけでなく、ライオンも同じ。

完全に虚をつかれたライオンは、何が起きているのか理解に遅れ、目を白黒させて一瞬固まる。その隙に。


「――っ!」


サーバルに抱えられたかばんが、ポケットから取り出したものを背後から素早くライオンの首に巻き付ける。

それは、ライオンが破壊したラッキービーストの遺品――かばんが外して持ち帰っていたワンタッチ式のベルトだった。

ライオンが暴れ出すよりも早く、カチッと音を立ててベルトが留まる。


「グア――」


ようやく背中に受けた衝撃の正体に気付いたライオンが顔を上げて吼えようとするが。

さらにかばんは、そのベルトを押し下げて豊かな首の毛皮の内へと隠し込む。

ベルトに挟み込んでしまったたてがみの一部をかき上げ、首元を覆う。

僅かな時間で、持ち前の器用さを発揮し、流れるように作業を行い。


「いいよ!サーバルちゃん!」


かばんが上げた声に耳をぴくんと動かし、サーバルは彼女をしっかりと抱えなおすとライオンの背中を蹴って跳んだ。


「オオオオォォ!」


ライオンは大地を転がって二人をふるい落とそうとしたが、それよりも一足早くサーバルとかばんは彼女から離れていた。

四つん這いの体勢を立て直し、ブルブルと身体をふるって、離れたところに着地した二人をライオンはギンと睨む。


と。


「ガ――」


怒りに燃えていたその表情が、突如苦悶に歪んだ。


「アアアアアアアァッ!!!」


悲鳴のような咆吼をあげて、ライオンはのたうった。

身をよじり、四つ足で駆け、近くに生えた木に身体を打ち付ける。


「な…」

「なんだ…!?」


唖然とするリカオンの横で、ヘラジカもこの事態は予測していなかったのか、驚きの声を上げた。

サーバルが悲しげな顔をして、大きな耳を寝かせて手で顔を覆った。

かばんも苦しそうに目を細めたものの、その目を背けることはせず、黙って拳を握っていた。


「ガァアッ!!アアアアッ!!」


木の幹に首をこすりつけるようにして呻るライオン。

その乱れたたてがみの隙間から、首元の毛皮の下で、かばんが彼女の首に巻き付けたベルトが青く輝いているのをリカオンは捉えた。


「あの光は――」


見覚えのある光だった。

暴走しかけたサーバルを抑えた、あの時。

タイリクオオカミがかばんから受け取って使用したセルリアンの石の輝き。


その光と、同じだった。











「かばんちゃん、それって…」


ヘラジカに作戦を伝えたかばんは、戦いの行方を見守るためにサーバルと共に彼女から離れた。

そこでサーバルにも作戦を伝えるために取り出した道具に、彼女は驚いたように声を上げた。


「サーバルちゃんが戦ってくれてる間に、へいげんちほーのラッキーさんがつけてたベルトを使って作ってみたんだ」


かばんの手に握られたラッキービーストのベルトには、細い枝や草のツルを使って、お守り石ががっちりと固定して結びつけられていた。


「首輪…っていうのかな?これをライオンさんにつけることができたら、暴れるライオンさんを押さえつけながらお守り石を押しつけ続ける必要がなくなるかなって」

「すごいよかばんちゃん…!でも、どうやってあのライオンにつけるの?」


隙のないライオンに近付いてこれを取り付けるのは難しい。

さすがにサーバルにだってそれはわかる。


「ヘラジカさんに囮になってもらうんだ。ライオンさんの注意がボクらからそれたら…」


かばんはベルトを握りしめると、サーバルを見つめた。


「サーバルちゃん、さっきまでやってた木登り攻撃…あれを今度はボクと一緒にしてくれないかな?」

「えぇ!?かばんちゃんと一緒に…!?」


突拍子もない作戦に、サーバルは思わず声を上げるも、ライオンを刺激しないよう慌てて口を塞いだ。


「あの攻撃ならライオンさんの背後をとって、このベルトを首に巻き付けられるよね」

「で、でも、かばんちゃんも一緒って…危ないよ?もしかしたら、攻撃されるかもしれないし――」

「みんな危険を顧みずに戦ってくれてる。ボクだって戦うよ」


それに、とかばんは続けた。


「攻撃されるよりも早くこのベルトを取り付けないといけないでしょ?こういう細かいことって、ボクにしかできないことだと思うんだ」

「う、うぅ…それを言われちゃうと、何も言えないよ…」


困ったように耳を垂らすサーバルに、かばんは安心させるように微笑んだ。


「危ない作戦に巻き込んでごめん。でも、サーバルちゃんのことを信じてお願いするんだ。サーバルちゃんも、ボクのこと信じてくれる?」


サーバルはそれを聞き、垂らしていた耳をぴんと立てるとしっかりと頷いた。


「…わかった。かばんちゃんはすごいもん。きっとうまくいくよ」


ありがとう、と笑うかばんに、サーバルは、でも、と疑問を投げた。


「首じゃなきゃダメなの?腕とか足の方が簡単そうだけど」

「うーん…腕や足だったら、ひっかいてちぎっちゃうかもしれないよね」


姿を現したライオンと、対峙するヘラジカを眺め、かばんはベルトをポケットにしまった。


「でも、首だったら――」











首から襲う絶えようのない苦痛と嫌悪感に、ライオンは木や地面に首をすりつけてあがく。


「ガフッ!!フーッ!!」


前足と化した腕で首元を引っ掻こうとするものの。

サーバルの渾身の一撃をも防いだたてがみが、喉元を隠す厚い首の毛皮が、その邪魔をした。

肉食動物の牙や爪さえ通さない鉄壁のたてがみが、今回ばかりは痛手となる。

かばんはこれを狙って、首輪を取り付けることを考えたのだ。


「耐えてください、ライオンさん…!」


荒ぶるライオンにかばんは届かないとわかっていても声をかける。

泥と汗にまみれたライオンは、そんなかばんを血走った目で捉えると、言葉にならない咆吼をあげ、彼女目がけて闇雲に突進した。


「アアアアアアアアァアアアア!!!」


四つ足で駆けるライオンの体から溢れるサンドスター・ロウを、首輪が尽く吸収していく。

迫るライオンとかばんの間に割って入るリカオンとサーバル。

それでもライオンはとまらない。

サーバルとリカオンの目が、野生解放で光る。

三人がぶつかり合うと思われた、その直前。




「ッ――…」




まるで彼女を操っていた糸がぷつんと千切れたかのように。


怒りに身を任せてあがいていたライオンはついに悶絶し。


ずしゃぁ、と泥の中に身を横たえ、動かなくなった。




「…なんということだ…」


呆気にとられたヘラジカの小さな呟きだけが、静寂が戻った夜の森に消えていった。


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