対 サーバルキャット②






――敵意を曝け出していた奇妙な外敵の群れを全て排除し終えたものの。

次から次へと湧いて出てきた外敵との争いに必死になっていたサーバルの興奮は収まらない。

滾る血は全身を駆け巡り、野生の生存本能を高ぶらせる。




  「――…サーバルちゃん」




そんな激情に駆られ、冷静さを失った彼女は、聞こえてきた声に大きく反応した。



「――フゥッ…フウウッ…グルル…!!」



呼吸を荒げ、振り返った先に、こちらを見つめている【誰か】の存在を認める。







まだだ。

まだいる。

まだおわってない。

やらなきゃ。






――狩らなきゃ。




「――ウウウウミ゛ャアアアアッ!!」







つんざく様な咆吼をあげ、サーバルは焦点の定まらない瞳をぎらぎらと光らせた。

思わず呆然と立ち尽くしてしまっていたかばんは、サーバルが腰を落として姿勢を低くしたのを観て、ようやく我に返る。


「…っサ――」


疾走。

名前を呼ぶ余裕など、与えてくれない。

サーバルは言葉にならない声を漏らしながら、かばん目がけて真一文字に突っ込んできた。


「う、わ…!」


サーバルの腕が動いたのを視界に捉え、反射的に体が動く。

がむしゃらに身を捻ると同時に。

サーバルが迷うことなく振り下ろした爪が、すぐ側を通過した。

かばんは絶句してサーバルの横顔を見やるも。

対するサーバルの瞳は、かばんのことを見つめてはいない。

どこを見ているのかもわからない金の瞳が、光を放って揺れている。


「――ッ!!」


追撃。

わずかな隙も許さないサーバルは、腕を横薙ぎに振るった。

かばんは体勢を崩しつつも、またギリギリでその一撃を避ける。

受け入れがたい現実に思考がついていかないが、体は考える前に勝手に動く。

崩れてしまった体勢を、足の筋肉が悲鳴を上げながら踏ん張って支え。


そのまま踵を返し、脇目も振らずに走り出した。


(サーバルちゃん…!サーバルちゃん…!!)


その名を呼びたくても、喉の奥が麻痺してしまったかのように言葉が紡げない。

逃走し、サーバルから距離を取りながら、かばんはズボンのポケットからお守り石を取り出そうと手を突っ込んだ。

しかし。


「あっ…!!」


手が面白いぐらいに震えて、石を上手く握れない。

その結果、お守り石はポケットからこぼれ落ち、固い地面の上に転がった。

振り返り、足を止めかけたかばんだったが。


「ニャウウウウッ!!」


猛烈な勢いで後を追ってくるサーバルの姿が目に入り、石どころではなくなった。

止めかかった足を強引に捻り、急激に進行方向を変える。

勢い余ったサーバルが地面に足を滑らせながら方向転換するのを背中に感じつつ、かばんはただひたすらに、走った。

早く走れない分、急な方向転換でサーバルの攻撃を躱しながら、攪乱する。




それは皮肉にも、彼女と初めて出会ったときの、狩りごっこのようで。




「はぁっ、はぁっ…――っ」



滲む涙を拭う暇も無く、かばんは走り続けるものの。

体は動くが、さっきから頭が全く働かない。

状況をよくするために考えて、アイデアを絞り出すのが自分の取り柄だというのに。

サーバルにもたくさん褒めてもらった、自分の【得意なこと】だというのに。


脳内に響き渡る黒かばんの声が、フラッシュバックする数々の騒動の場面が、かばんの思考をぐちゃぐちゃにかき乱す。


「う、ぅ…」


――もう、限界だった。

いっぱいいっぱいの状態の彼女は、サーバルが足を止めていることにすら気付くことができず。


「――」


跳躍。

サーバルは狙いを定めると、脚を折り曲げ、力強く大地を蹴った。

高く、高く跳び上がった彼女は、空中で身を翻し。


かばんを、頭上から強襲した。







ドサッ







静かな遊園地に、鈍い音が響く。

二人はもつれ合うように地面に倒れ込んだ。

鞄越しではあったものの背中を地面に打ち付け、かばんは息を詰まらせる。

咳き込みかけた彼女は、両腕を上から強く押さえ込まれたのを感じて呼吸を止めた。


「…」


ゆっくりと、閉じていた瞼を開き、瞳を動かす。

そして。


(あぁ…)


黒いサンドスターを纏い、覆い被さる様にして自分を押さえつけているサーバルの顔を、至近距離で捉えた――











『たっ、食べないでくださーい!』

『たっ、食べないよ!』



生温い風が帽子のつばを揺らし、頬をなでる。

固い大地を背中の鞄を通して感じながら曇った空を仰ぎ、かばんはそんなやりとりを思い出す。


あのときも、こんな感じだった。


訳もわからぬまま逃げ惑う自分を、遊び相手だと思った彼女に、あっという間に捕まって大地に倒されてしまった。



あのときの楽しそうな彼女の笑顔はよく覚えている。


眩しいサバンナの太陽に負けないぐらい、輝いていたあの笑顔。


そうだ。あのときと、今…決定的に違うのは――



「フゥウウウーッ……グルル…」



自分の上に覆い被さるようにして身体を押さえつけている彼女の――サーバルの表情だ。


鋭い犬歯をむきだして喉の奥から呻り声を漏らすサーバルを見つめ、かばんはぼんやりとそんなことを考えていた。



「サーバルちゃん…」



名前を呼ぶと、特徴的な大きな耳がぴくりと動く。

野生の光を灯した瞳がかすかに揺れる。


押さえつけられた腕に爪が食い込み、血が滲む。



「…どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」






爪が腕の皮膚を突き破る痛みを気に留めず、かばんは小さくサーバルに語りかけた。

初めてそこで、サーバルとしっかり、目が合った。

爛々と光るその目に見つめられると、暴れていた胸の鼓動が静まっていき、脳内が妙に冴えていった。

覚悟が決まると逆に心は穏やかになるものなんだと、かばんは他人事の様に感心し。

先ほどまでは全然役に立たなかった頭を、最期に少し働かせて、この騒動の発端からここまでの苦闘を静かに思い返していく。




――身勝手なヒトの欲望と狂気が、パークに歪んだ輝きをもたらしてしまった結果、最悪のセルリアンが生まれてしまい。

彼女が起こした変異サンドスター・ロウの嵐により、フレンズ達は封印していたはずの本能を無理矢理晒されて。

楽しくて、平和で、愛に溢れていたはずのパークは今、恐れと、悲しみと、暴力が渦巻く混沌に支配されつつある。



大好きなこのパークを危機から救うために、自分を助けてくれたフレンズ達に恩返しをするために、ここまで頑張ってきた。

今もその思いは諦めてはいない。パークに平和を取り戻したい気持ちに嘘はない。

けど――




――『そういうものなんですヨ!ヒトという生き物ハ!』




こんな危機をもたらした元凶と同じヒトである自分も、ひょっとするとこの先パークになんらかの悪影響を及ぼすのではないか。




――『いくら否定しても変わらないものは変わらないんでス。ボクもそっちのボクモ、ヒトのフレンズなんだから共通する所はあるはずですシ』




この危機を解決しても、もしかすると自分は知らないうちに彼女と似たことを繰り返してしまうのではないか。

自分という存在は、パークにとってイレギュラーなものなのではないか。




――……いなくなってしまった方が、良いのではないか。




パークのために、という思いで必死にごまかし、気付かぬふりをしていたが。

騒動に向き合い続けていたかばんの胸中には、密猟者の記録を見て、黒い自分と出会って、苦しむフレンズ達の姿を見て、自ら暴走してしまったサーバルを見て…隠しきれないそんな考えが、だんだんと大きく、渦巻いていった。



それならば。

それならばいっそ。








――せめて、大好きな友だちの手で。








「…ゥルルルルルー…」


自分を押さえつけたままのサーバルは、いつか夢の中で聞いたのと同じような唸り声を喉の奥から漏らし、じっと見つめてくる。

ゆっくりと開いた口からは、これもまた、いつか夢の中で見たのと同じような尖った犬歯が覗いていた。


「――…サーバルちゃん」


しかし、あの時の夢とは違い、かばんは彼女を受け入れるように、穏やかに笑う。

精一杯の愛情を込めて愛おしい名前を呼ぶと、金の瞳がまた微かに揺れて。



かばんは、前に彼女に向けて投げかけた言葉を、今一度口にした。










「――…ボク、サーバルちゃんになら、食べられてもいいよ…」










――無責任で、ごめんなさい。

――パークを救えなくて、ごめんなさい。

――みんなを守れなくて、ごめんなさい。

――サーバルちゃんに、こんなことさせて、本当に、ごめんなさい。



でも、サーバルちゃんを拒絶するなんてこと、もうしたくなくて。

サーバルちゃんに抵抗して、傷つけるなんてこと、できるわけ無くて。


だから…こんな選択をして、ごめんなさい。







「…」


鋭い犬歯が覗く口が開かれ、徐々に近付いてくる。


かばんはそれを見て、静かに目を閉じた。


曝け出した首筋を、サーバルが吐く熱い呼気が撫で。


かばんの目尻から、涙が一筋地面に向かって流れ落ちた。







そして――――
















その柔らかな喉元に牙を突き立てられることは――なかった。


頬をざらついた舌が優しく這った。


ぽつ、ぽつ、と温かい水滴が、顔を打った。


「……?」


かばんは、ゆっくり、ゆっくりと瞼を開く。






視界に捉えたサーバルは。


その瞳の輝きを不安定に明滅させながら大粒の涙を零していて。


体からは漆黒と七色、二種類のサンドスターが入り交じりながら溢れ出し。


爪を突き立てて傷つけてしまったかばんの腕を、強く、握りしめ。


野生と理性の混じった瞳を細めて、唸り声の漏れる口を震わせて。




微かに、しかし確かに一言、かばんに向かって、紡いだ。












「―――……タ……たべない…よ…」











「え――」


何が起きているのかわからず、かばんの口からはただ声だけが漏れる。


「グルル…」


サーバルは喉を鳴らしながら、かばんの拘束を解き、立ち上がる。

そして、よろよろとよろめきながらかばんから距離を取り、地面に座り込んで動かなくなった。


「サーバル、ちゃん…?」


身を起こしたかばんは、血が伝う腕を押さえつつ、混乱する思考の中でその名を呼ぶ。

呼ばれたサーバルは返事を返すことはなかったが、じっと、かばんのことを見つめていて。

その瞳は未だに野生の光を灯したままだが、奥深くに理性の灯火を宿しているようにも見えた。


状況が全く理解できないかばんだったが、ただ一つ。





サーバルは、もう自分を襲おうとはしていないということだけ、理解した。





「…なんで…?」


ぽつりと呟いたかばんの脳裏に、図書館での会話がよぎる。




『野生暴走してるのに襲わない…そんなこともあるの?』

『――自分に害を及ぼさない、獲物とすべき相手ではないと本能的に察した相手には手を出さないのかも知れないのです。恐らくギンギツネはキタキツネのことを、家族かなにかだと理解しているのです。希有なパターンでしょうね…』




「……なんで……」


キタキツネとギンギツネは特別なはずだ。

彼女たちは、種として非常に近い存在だったから。

だから、ギンギツネは、キタキツネを同族だと…仲間だと思って襲わなかった。

彼女たちだけの、希有なパターンのはずなのに。


自分とサーバルは、種として全く異なる存在なのに。


自分の中の奥深くに刻み込まれた本能に逆らうことは、不可能なはずなのに。





――それでもサーバルは、自分を襲ってはいけないと、強く想ったというのか。





「う、あぁ…ああぁ…!」


それなのに、自分はどうだ。

自分は、サーバルに、何をさせようとした。

何もかも、もう無理だと諦めただけでなく。

その幕引きを、サーバルに任せようとするなんて。





――それこそ、あの自分と同じ、ただのエゴじゃないか。





「サーバルちゃ…うあぁ…ごめん…ごめん…!うああぁ…!!」


むせび泣くかばんを、サーバルは何をするわけでもなく、ただ静かに見守っていて。




上空からは、翼のセルリアンが無機質な目でずっと、ずっと、二人の様子を眺めていた。


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