対 ライオン⑧





枝を踏み折りながら近付く足音が、止まる。


ヘラジカは回想にふけるために閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。


「これで何度目の対戦になるかな…」


正面には、たてがみを乱し、泥や千切れた草木などで身体を汚したライオンが鬼の形相で立っていて。

良き好敵手であった友の、「獣」の一面を曝け出す姿に、ヘラジカは眉を顰める。


「こんな形の勝負は、望んでいなかったが…」


ほんの少し、ライオンから目を背けるヘラジカ。

ライオンはそれを見て、空を裂くように腕を振るい、吼えた。


「――いくぞ」


キッ、とライオンを睨め付けなおしたヘラジカの目が、赤く光る。

姿勢を低くし、武器を構えてライオンを見据えた。



「でりゃああああああ!!」



武器を脇に構えたまま、ヘラジカは泥を跳ね上げて突進する。

ライオンをはね飛ばした力もさることながら、その突進のスピードも桁外れで。


「!!」


想定外のスピードにライオンも怯んだように身を震わせたが、すぐに前傾姿勢をとって迎え撃つ。

突き出された武器の角を柔軟に身を捻って躱し、そのままの勢いで爪を薙ぐ。

ヘラジカはその一撃を、自らの腕とライオンの腕を打ち付け合うことで防いだ。


「ぬぅっ!」


ヘラジカはその腕を強引に振るい、ライオンを押し返す。

体勢を崩し、蹈鞴を踏んだライオンに、今度はヘラジカが間髪入れず攻める。


横薙ぎにされる角。

ライオンは顔の前で腕を交差させて身を固める。

鈍い音がしてヘラジカの一撃がライオンを捉え、衝撃でその足が泥濘んだ地面を滑るが、防御の姿勢をとっていた彼女は先ほどのように吹き飛ばされることはなく。

一撃を受け止めた痕が赤く残った腕の下から、ぎろりと黄金の瞳を覗かせた。


「腕で防御する知性はまだあるか…。完全に獣となっているわけではないようだな。やっかいなヤツめ」


なぎ払った角を手の中で遊ばせるようにくるくると回して構えながら、ヘラジカは不敵に笑った。






「すごい、ね…」

「うん…」


一撃一撃がぶつかり合うたび、二種類のサンドスターが飛び散り、空気が震える。

目の前で繰り広げられる強者同士の戦いに、かばんもサーバルもただただ呆気にとられていた。


「…」


かばんは一度、同じように二人の戦いを間近で見たことがあった。

へいげんちほーでの合戦。その大将戦。

あの時も息をのむような激しい攻防に水を差すこともできず、ただ立会人のような立場で見とれていただけだった。


しかし今回の戦いは、あの時とは訳が違う。

ぶつかり合うのは武器に見立てた巻物ではなく、生身の体。

懸けるのは急所に見立てた紙風船ではなく、互いの命だ。

戦いの行く末を見守るかばんの手にも、力がこもった。






『一つ、注意していただきたいんです。…絶対に、怪我をしないでください』


幾度も襲い来るライオンの爪を角で捌きながら、ヘラジカは戦い始める前のかばんの言葉を思い返す。


『今のライオンさんは、黒いサンドスターを取り込んでしまったせいで、【野生暴走】という状態になってしまっています。…もし身体に傷を負ってしまうと、そこから黒いサンドスターを取り込んでしまって、ライオンさんと同じようになってしまうんです』


「末恐ろしい話だな…!」


血走った目。燃えるような野生解放の光。容赦のない猛攻。

少しの判断ミスで、自分もこうなってしまうのかと思うと、武器を握る手に汗が滲む。


『…ライオンさんは、自分の意思でああなってしまった訳じゃないんです。本当は今までと変わらない、優しい方のはずなんです』

『――可能なら、ヘラジカさんだけじゃなくて、ライオンさんも傷ついてほしくないです…』


ライオンが正気ではないと聞いて、このパークにこんな異変をもたらした正体のわからぬ元凶に腹が立ったと同時に、少し安心した。

彼女が自分の意思で仲間を傷つけ、去って行ったわけじゃないとわかったから。

しかし――


(すまないかばん…お前のその頼みを聞いてやるのは…少し難しそうだ…!)


頭上に振り上げた両腕を、ライオンは同時に振り下ろしてくる。

迫る大量の鋭い爪。

ヘラジカは腕を伸ばして差し出した武器の柄でそれをしっかりと受け止めた。


大事な仲間だ。自分でもできることなら傷つけずに済ませたいと思う。

――だが、加減をして勝てるような相手ではないのだ。

本気で、全力で立ち向かわなければ、やられるのは自分だ。守らなければいけない、二人だ。


「ゴルルルルル…!」


ギリギリ、とヘラジカの握る武器に爪を立てながら、ライオンは視線をヘラジカから彼女の背後へとやる。

――未だに自分たちを狙っている。かばんは生唾を飲んだ。

この場をヘラジカに任せ、自分たちは去った方がいいのかもしれない。でも――

かばんは、確かめるようにズボンのポケットの上から、そこに入れたままのラッキービーストのベルトとお守り石を握りしめた。


「戦いの合間によそ見とは、随分と馬鹿にされたものだな!!」


自分ではなくかばん達を睨んでいるライオンに、ヘラジカは怒号を飛ばす。

爪を受け止めていた武器を、押し返すのではなく、あえて腕を折って引き寄せた。

体勢を崩し、自分の方へとよろけるライオン。

それに合わせるように、ヘラジカは背中を反らせると、勢いよく頭を振るった。


ゴッ!!


渾身の頭突き。

重い音が響き、かばんの横で、サーバルが思わずうわっと小さく声を上げた。


「ガゥ…!!」


ライオンの足がふらつく。ヘラジカは小さく頭をふるって体勢を整える。

その時。


「てええええぇい!!」


一つの影が、風のように走り込んできた。

その影は走る勢いを拳に乗せ、ダメージが抜けやらぬライオンの脇腹へと打ち込んだ。


「ッ…!」


たまらず身体を折ったライオンは、ついに膝をつく。

しかし欲張って追撃を試みるのは危険と判断したのか、影はライオンから一旦離れ、思わぬ乱入者に驚くヘラジカ達の側に駆け寄った。


「なんとか無事、みたいですね…!」

「リカオン!」

「リカオンさん!!」


暗い夜の森に輝くサンドスターを両手の平から溢しつつ、安堵の笑みを浮かべた乱入者は、図書館にいるはずのリカオンだった。

その背中には、かばんが図書館に置いたまま出てきてしまった鞄が背負われていた。

リカオンは鞄をおろすと、少し不機嫌そうな表情でかばんとサーバルに早足で歩み寄り、突き出すようにして渡してきた。


「こんな時になんでこんな所にいるのか、とか、何をしてたのか、とか…いろいろ聞きたいこととか言いたいことが山ほどあるけど、後でゆっくり…図書館に帰った後に話してもらうよ」


かばんとサーバルの返事を待つことなく、リカオンは踵を返してヘラジカの隣に並んだ。


「君は?」

「セルリアンハンターの、リカオンです。加勢します」


地面に膝をつきこちらを睨んで荒い呼吸をするライオンを睨み返し、拳を構えてリカオンは答える。


「ほう…ハンターの噂はよく聞いたぞ。日々セルリアンと戦う者達がどれほど強いのか、一度手合わせをお願いしたいと思っていたんだ」

「え、えぇ…!?今はそんな話をしてる場合じゃないですよ!」


どこまでもマイペースなヘラジカに戸惑いつつも、リカオンはライオンから意識はそらさない。


「と、とにかくライオンをどうにかしましょう。…私は仲間との連携を得意としているので、作戦を伝えてもらえたら、それに合わせて動きます」

「作戦…作戦か…」


短い思考の後、ヘラジカはドンッと武器で地面を突くと、胸を張って答えた。


「――怪我に気をつけて突撃だ!!」



しばしの沈黙。

小さく息をついて、リカオンはぎゅっと拳を握りなおした。



「…オーダー、了解です」


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