対 ライオン⑤
「ふぅっ…はぁっ…」
視線は決して落とさずに乱れる呼吸を整えながら、サーバルは額から顎へと伝う、雨水だか汗だかわからない水滴を手の甲で拭った。
正面には剥きだした牙を軋ませるライオンが、丸めた指を開いたり閉じたりさせてこちらの様子を伺っている。
戦闘を始めてからどれだけ時間が経ったのかわからないが、相変わらずお互い無傷のままだった。
幾度も襲い来るライオンの攻撃に対して、サーバルは気を抜くことなく全て躱してみせた。
しかし肝心の攻撃にうつることがサーバルにはできなかった。
全くもって隙を見せないライオンは、攻撃の手も緩めない。
サーバルは完全に防戦一方だった。
「うぅ…」
圧倒的に力不足。
戦いの経験も、技術も、容赦のなさも、全てが劣っていることを痛感する。
それでも唯一、自分がライオンに勝っていることがある。それは――
「みゃああああああ!!」
全速力でライオンの傍らへと駆け出すサーバル。
ライオンはそれを目で追いながら、爪を構えた手に筋が通るほど力を込める。
「グオアッ!!」
大振りの爪がサーバルへと迫る。
が、彼女は近くの木の幹に向かって跳び上がると。
「えーーいっ!!」
そのままその木の幹を強力な脚力を持った脚で蹴り、ライオンの一撃を躱しながら対面に伸びていた別の木に飛び付いた。いわゆる、三角跳びだ。
その木を素早く登り切ると、枝から枝へと飛び移ってライオンの目をくらませる。
「ゴルルルルルル!!」
憤怒の唸りをあげながらも、ライオンは次々と自分の周りに生えた木の上を移動していくサーバルの姿を見上げることしかできなかった。
木登り。
身軽なサーバルが得意とするそれは、ライオンにとっては不得手な代物だった。
本来、力に特化したライオンは身体が重く、木登りは可能なものの登れるのは低木程度。
素早く登って木から木へと移っていくなど到底難しく、木の上での行動はサーバルの方が優位に立っていた。
フレンズ化してヒトの特性を得た今なら、しっかり手足と頭を使えば、バリケードをよじ登ることができたアライグマやオオカミたちのように、木登りなどしない動物だったとしても多少高い木にも登れるのだろうが。
野生暴走下で、しかも完全に頭に血が上っている今のライオンは、ただの獣同然だった。
「ガルッ…!?」
サーバルの素早い動きに翻弄され、その姿を見失うライオン。
その隙に彼女の背後の木へと移ったサーバルは、最初の一撃と同様に枝を蹴って飛び降りる。
「うみゃぁああー!!」
一度目の失敗を活かし、狙いをつけたのは背中。
サーバルは握りしめた拳を、防御の薄いライオンの背中にたたき込む。
「ガッ!」
息が詰まったような呻きをあげて、ライオンの身体がよろめいた。
ついに一撃、サーバルの攻撃がライオンに届いた。
「よぉしっ…!」
確かな感触を得たサーバルは、ライオンが体勢を整える前に再び木の上へと避難する。
怒りの咆吼と共にライオンが振り返った時には、すでにサーバルは先ほど同様枝の中に姿を隠していて。
(こっちだよっ!!)
素早く背後に回って飛び降り、もう一撃。ライオンの背中にサーバルパンチが突き刺さる。
「ガフッ…!」
((いける…!))
木の上を移動するサーバルと、一連の様子を眺めていたかばんは、かすかに希望を抱いた。
このヒットアンドアウェイ作戦ならライオンにダメージを与えられる。
百獣の王に、勝てるかもしれない。
(サーバルちゃん…すごい…!)
地道な作戦ではあるが、こうやって少しずつ攻め続け、戦意をそいで撃退するか、戦闘不能にしてサンドスター・ロウの吸収を行うことができれば――
(もう一回…!)
サーバルは木の上から地上のライオンを見下ろし、枝伝いに移動を続ける。
当のライオンは、先ほど二撃目をもらってよろけた後から、だらりと腕を垂らしてうつむき、棒立ち状態であった。
もうすでに、いくらか戦意が削がれているのかもしれない。
今が攻め時だ。サーバルは、そう判断した。
動かないライオンの背後に回り、攻撃の姿勢をとる。
しかし。
(――…ッ!!)
地上でライオンの様子を観察していたかばんは、彼女よりも異変に気付くのが早かった。
木上のサーバルからは確認できなかったライオンの表情が目に入った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
怒髪天。
今まで以上に牙を剥き出しにして目を爛々と光らせる激しい怒りの形相。
殺意に満ちたその目が空を仰ぎ、ライオンは大きく腕を広げて吼える。
サンドスター・ロウがブワッと全身から溢れ出した。
「ガアアアアアアアアアアッ!!!」
ライオンはそのまま勢いよく身を捻り。
燃えるように光を放つその両腕が、凄まじい勢いで振るわれた。
瞬間、サーバルとかばんは自分たちの認識の甘さを思い知った。
許容範囲を超えた出来事に、全ての音が耳をすり抜け無音空間に包まれる感覚。
サンドスター・ロウをまき散らしながら、小さな竜巻を生じさせるかのごとく、風を巻き起こして振るわれたその豪爪の斬撃は、光の奔流のような衝撃波を生み。
ライオンの周りを囲むように伸びていた無数の木々の幹を、たった一撃で、いとも簡単に両断した。
「――」
信じられない光景に、ただただ固まるかばんの目の前で、それまで奪われていた音が一気に押し寄せたかのように、耳を塞ぎたくなるような轟音を立てながら木々が倒れていく。
無論、叩き切られた木の中には、サーバルが登っていたものも含まれていて。
「みゃああああああっ!!」
甲高い悲鳴をあげながら、サーバルは大地に落とされる。
ネコ科の彼女はそれでも空中で身を捻り、無事に着地したものの。
次々と倒れかかる無数の叩き切られた木から、逃げ出すことはできなかった。
「わああぁっ…!!」
どうにかして避けようとしたサーバルの姿が、重なり落ちる倒木の中に、消える。
「サ――」
思わず声をあげて立ち上がりかけたかばんは、咄嗟に自分の口を押さえてしゃがんだ。
フレンズの技や能力の凄さは底が知れない。
バスを持ち上げてジャンプして見せたサーバルを見たときに、フレンズの力は計り知れないものなのだと思った。
だが、野生暴走によりリミッターが外れてしまっているにしても、まさかこれほどにまで凄まじいものだなんて想像もつかなかった。
かばんは口を押さえたまま、茂みの隙間からサーバルの姿を探す。
まさかあの大量の倒木に、押しつぶされてしまったのではないか。
そんな不安に駆られるかばんは、目に映った光景に言葉を失った。
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