対 ヒグマ①
それは完全に獣の咆吼だった。
一瞬びくりと身体を震わせたかと思うと、ヒグマは牙をむきだして、吼えた。
瞳が野生解放の光を放ち、握りしめた熊手からサンドスターが吹き出す。
しかしその光はいつも以上に鋭く、あふれるサンドスターも鮮やかな虹色ではなく。
――漆黒。どす黒いサンドスターが、ヒグマの身体からあふれていた。
「ヒグマさ――」
状況が飲み込めないキンシコウ。
そんな彼女の目に飛び込んできたのは、自分めがけて振るわれる、鋭利な爪が光った熊手。
「え――」
気付いたときには、キンシコウは尻餅をついて、倒れ込んでいた。
頭が、やけにずきずきと痛む。
身を起こそうとすると、額を生温いものが伝うのを感じた。
「ひっ――」
かばんが喉の奥で悲鳴を飲み込むのが聞こえる。
ゆがむ視界にキンシコウが捉えたのは、唸り声をあげて自分を睨むヒグマ。
その手に握られた熊手の爪には、紅い液体がこびりついている。
キンシコウはようやくそこで、自分がヒグマの一撃を額に受けたのだと理解した。
「――っな、何してるんですか!!ヒグマさん!!」
リカオンが悲鳴に近い叫び声を上げ、キンシコウを助け起こす。ヒグマは声にならない咆吼をあげるのみ。
「やめてよヒグマ!!わたしたちはセルリアンじゃないよ!!キンシコウとリカオンは、大事な仲間なんでしょ!?」
サーバルもかばんの隣で必死に叫ぶ。が、ヒグマはじろり、と彼女を睨み付けて低い唸り声をあげた。
それを見たサーバルは無意識的にか、かばんをかばうように少し前に出て姿勢を低くする。
「キンシコウさん…平気ですか?」
「えぇ…」
キンシコウに肩を貸したリカオンが、ヒグマを睨んだまま問いかけてくる。
目に入りそうになる血を拭い、キンシコウは小さく頷いた。
目の前の相手がセルリアンならば、突然の奇襲にも反応できただろう。
しかし、今自分の前にいるのは先ほどまで共に闘っていた大切な仲間。
身をなげうって、自分たちの命を守ってくれた仲間なのだ。
その仲間に襲われるなんて、誰が想定できようか。
戦いに慣れた体が無意識のうちに避けていたようだが、まともにあの一撃を食らっていたら――。
「ヒグマさん…どうして…」
「があああああああああっ!!」
セルリアンと闘っていた時の冷静で、頼りになるヒグマはどこへ行ってしまったのか。
理性のかけらもない獣の咆吼をあげる彼女の姿に、一同は困惑を隠せなかった。その時。
荒れるヒグマの横を、音一つ立てず、滑るように紙飛行機が滑空していく。
ぴたり、と吼えるのをやめ、ヒグマは眉をひそめてそれを目で追う。
ハッとして振り返ったサーバルの後ろで、かばんが投擲の姿勢のまま小さく震えていた。
「ごるる……」
木々の間をすり抜けて森の中へと消えていった紙飛行機に興味を持ったヒグマは、おぼつかない足取りでそれを追いかけ始める。
「――…今のうちに逃げましょう…!」
ヒグマの関心が自分たちからそれたことを確認し、かばんは皆に呼びかけた。
大事な仲間がどうしてああなってしまったのか、あのまま放置していいのか。
キンシコウとリカオンは顔を見合わせてしばらく黙っていたが、キンシコウの怪我と、なすすべのないこの状況から、ヒグマの救出は不可能と判断したようで、バスへとむかうかばんとサーバルに続いた。
…
『カバン、ドコニイッテタノ。アブナイヨ』
バスに戻ると、復活したボスがぴょこぴょこと近付いてきた。
「ラッキーさん。キンシコウさんが怪我をしたんです。どこか…安静にできる場所はないですか?」
その言葉に、ボスはしばらく電子音をたてて考え込むと、バスの運転席にむかいながら答えた。
『ナラ、ロッジニ戻ロウカ。アソコハ緊急時ノ避難所ニモナッテイルカラ、安全ニ休メルヨ』
「でも、いいの?船とか、山とか、まだちゃんと調べられてないし、ヒグマも置いてけぼりになっちゃうよ?」
ボスとかばんの会話に割り込むサーバル。
かばんは、表情から疲れが抜けきらないリカオンとキンシコウをちらりと振り返って答えた。
「山は気になるけど…船はいつでも確かめに行けるよ。ヒグマさんは、きっと今行っても怪我人が増えるだけだと思う…。ヒグマさんのことをゆっくり考えるためにも、落ち着いて話せるロッジに行こう。――それで構いませんか?」
きっと一番後ろ髪がひかれる思いをしているだろう二人に確認をとる。
リカオンは悔しげに、キンシコウは悲しげに無言で頷いた。
ボスがバスを発進させる。一体何が起こっているのか。セルリアンが消滅して、それでおしまいじゃなかったのか。
不安にかられる一行は、休息を求めてロッジへと向かう――
…
『先ニロッジニ入ッテテ。ボクハモウ少シ調査シタイコトガアルヨ』
バスがロッジに到着するやいなや、ボスはそう言って、またピロピロと電子音を立て始めた。
こうなるといくら話しかけても反応が返ってこないのは、今までの旅でかばんも理解済みだった。
言われたとおり、ボスをバスの中に残し、かばんは一同を引き連れてロッジの中へ足を進めようとする。
「――あ。あれって…」
ちょうどその時、ロッジの入り口から外へ飛び出してきたフレンズの姿が目に入った。
「あぁ!かばん!ちょうどよかった!助けてくれ!」
彼女たちを出迎えたのはタイリクオオカミだった。しかしどう見ても、様子がおかしい。休息どころの雰囲気ではなさそうだ。
「なになに?ひょっとしてまたわたしたちを怖がらせようとしてるんじゃないの?」
いぶかしむサーバルの言葉を、タイリクオオカミは真剣な表情で否定する。
「違うんだ!…さっき、妙な嵐が起きなかったかい?真っ黒い風がごうごうと吹き荒れて――」
「それなら、わたしたちはバスの中でやりすごしたよ。砂嵐みたいで、すごかったよね」
「こんなところにまで爆風が…」
タイリクオオカミと会話するサーバルの後ろで、リカオンが小さく呟く。
「あの嵐が収まってから…アリツさんの様子が変なんだ。話そうにも会話にならないし…もっと驚いたのは、近付くものなら野生解放までして攻撃してきたり…」
腕を組んだタイリクオオカミの口から語られた内容に、一行は息をのんだ。
「それって…!」
「ヒグマさんと同じですよ!」
思わず声を上げたハンターの二人に、タイリクオオカミはようやく気付いた様子で驚く。
「なっ…どうしたんだ、一体。ひどい怪我じゃないか」
「詳しい事情は後で。とにかく、キンシコウさんを中で休ませて、アリツカゲラさんを落ち着かせましょう」
うろたえるタイリクオオカミを制し、かばんは冷静に思考を巡らせる。
ヒグマ、アリツカゲラの変貌。サンドスター・ロウの嵐。
じわりと嫌な感覚が脳裏をよぎるのを振り払うように、かばんは軽く頭を振った。
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