対 セルリアン②
「――…イ……オイ、オオカミ…聞こえてるか…?」
かばんと黒かばんが対峙し、緊迫する中会話を続けるその後方で。
ろくに動けぬまま二人の様子を見守っていたタイリクオオカミの耳に、囁くような微かな声が掠めた。
聴力の良いこの耳でなければ聞き落としてしまいそうなほど小さく、風の中に消え入りそうな声。
タイリクオオカミはその声の出所を探ろうとしたが。
「…聞こえてんなら、尻尾を軽く振れ…。それ以上は動くなよ。怪しまれるからな…」
その前にそんな警告が耳に入り、タイリクオオカミは何気ない所作で黒かばんに視線を戻す。
彼女は特にこちらを怪しむ様子もなく、かばんとの対話を続けている。
タイリクオオカミは尻尾の先を軽くゆらゆらと揺らした。
「……よし…じゃあそのまま聞け…。悪いがオレはお前みたいに耳が良いわけじゃないから、お前の声は聞けん。こっちから一方的に伝えるぞ――」
声の主は――ツチノコは、タイリクオオカミの少し後ろでフードを深く被りなおし、その奥から黒かばんを睨んだ。
「――ヒトを食べて…進化…」
やはり、間違いない。
ミライの記録からの推測は、正しかった。
目の前のこの自分は、かつてのパークをも騒がせていた、凶悪な巨大セルリアンだった者。
――歪んだ想いを抱いてパークに侵入した密猟者から【輝き】という名の悪意を奪った、あのセルリアンなのだ。
『そウ…たくさんサンドスター・ロウを食べ、成長シ、進化しましタ。この身体と頭脳を作り上げるのも維持するのもとっても大変なんですヨ』
牙のセルリアンの頭を撫でてやりながら、黒かばんは穏やかに微笑む。
『この子達にある牙や翼を【再現】し変形する力はボクにはありませン。ヒトの身体と頭脳の再現で精一杯でス。フレンズさん達を喰らえばそれも可能なんですけどネ。あーァ、鳥のフレンズさんを食べられたラ、空もひょいっと飛べるのになぁ…なんてネ』
ぶるっと震えるショウジョウトキの様子を見てケラケラ笑った後、黒かばんは自分のこめかみをとんとんと指で叩いた。
『マ、そんな欠点もありますガ、ボクはヒト型に進化したことデ、ある程度の知識や記憶ヲ、喰らったヒトから引き継いでいるんでス』
得意げに語る黒かばん。かばんはちらりとボスに視線を落とす。
「…だからラッキーさん達の力のことも知っていたんですか?――ボク達が、ラッキーさんを通して遊園地の様子を見ているとわかったんですか?」
あぁ、と同じように黒かばんはボスを見下ろす。
『その子、【通信】ができるんですよネ。それぐらいのことなラ、当然知っていましたヨ』
小さく首をかしげ、黒かばんはかばんに向き直った。
『あレ?ひょっとして君ハ、そんなことすらも知らなかったんですカ?』
嘲笑うかのような、その態度。
かばんは彼女の流れに飲まれないように、ただひたすらに感情を抑え込む。
これでわかった。
ヒトの遺物から生まれた自分と、ヒトそのものから生まれた彼女。
生まれ持った知識は、確実に相手の方が上だった。
『遊園地の中で会った子は不審な動きをしていたのデ、ひょっとしたら誰かと繋がってるのかなぁと思ったんでス。やっぱリ、君たちだったんですカ?』
そして、先ほどからずっと気になっていたこの話し振り。
こちらの行動を、人員を、把握していたと言わんばかりの素振りに、かばんは質問に質問で返した。
「…あなたも、ボク達の様子を監視できる力を持っているんですね?だからボク達のことも知っていたし、こうして自分の縄張りとしている所にみんなが集まってもその様子をずっと見ていたから――余裕を崩さない」
にっこりと穏やかに笑って、黒かばんは頷く。
『えぇ…まァ、さすがにパーク内全てを見通せる訳じゃないですけド。…ボクはその青い子がいなくてモ、ある程度フレンズさん達の様子を観察することができまス』
「どうやって見ていたんですか?」
『……君たちがどうやってサンドスター・ロウを止めたのか教えてくれるなら教えてあげてもいいですヨ?』
お互い穏やかな口調で続けられる腹の探り合い。
ジャガーが腕を組んで、小さく唸った。
「…教えるわけないだろ…」
『あはハ、ですよネ。まぁ別に山のことなんてどうでもいいでス』
山はどうでもいい。その言葉に博士の肩が揺れた。かばんも眉を顰める。
黒かばんはそんな二人の様子などお構いなしに、ゆらりと手を背後に回したかと思うと。
ずぶり、と背中の鞄の側面に手を突き刺して、まるで中身を漁るようにぐじゅぐじゅと探るような仕草をした。
そんな鞄のようで鞄でない何かから彼女が取り出したのは、一冊のノート。
『君たちがこうやって集まってここまでやって来たのハ、ボクの目的を知るたメ、ですカ?』
「…それと、フレンズさん達を苦しめている今のパークを、元のパークに戻してもらうため、です」
語気を強めるかばん。黒かばんはわざとらしい悲しみの表情を浮かべた。
『苦しめているなんてとんでもなイ…。ボクは皆さんを偽りの生き方から解放しているだけなのニ…』
「何ですって…?」
博士が怪訝な顔で黒かばんを見据える。
『ボクがこうやって皆さんの前に出てきてお話しようと思ったのハ、ボクの目的を皆さんに知っていただくたメ。そして、理解していただくためでス』
ぱらぱらとノートのページをめくりつつ、黒かばんは静かに語り出した。
『残念ながらボク達セルリアンは各々の考えや意思というものを持って生まれることはありませン。ただただ行動原理に刻み込まれた、【輝き】を追い求める、という目的に沿った行動しか本来はできないんでス』
黒かばんはぴくりとも動かず待ち続けるセルリアン達を見回した。
『でモ、ボクは恵まれていましタ。ボクが喰らったヒトが持っていた【輝き】は恐ろしいほどに強かっタ。たくさんの知識が、ボクに考える力をくれましタ。大きな意思が、ボクに新たな目的を与えてくれましタ』
そう言って彼女は、遠くに見えるサンドスターの山を憎悪のこもった表情で眺める。
『ボクはヒトを喰らったおかげで気付くことができたんでス。サンドスターが作り上げたこのパークは、間違いだらけの世界なんだト』
「まち、がい…?」
サーバルが震える声を絞り出した。
黒かばんの紅い瞳が、真っ直ぐに彼女を射貫く。
そして。
一気に、語った。
『君たち獣が生きる世界は弱肉強食があるべき姿のはズ。命と命がぶつかりあい、強い者が弱い者を喰らう…そんな刹那的なやりとりが獣の世界の美しさなんでス』
『食べなければ死ぬ者と食べられれば死ぬ者。それぞれの剥き出しになった獣の本能ガ、生きるために争い合うことデ、一際強い輝きを放つんでス』
『それなのにサンドスターは皆さんに新しい姿という新たな可能性を与えておきながラ、皆さんから【獣の本能】というとても大事なものを奪い取ってしまっタ』
『だからボクハ、サンドスター・ロウに働きかけテ、大量摂取した生物の闘争本能が刺激されるような細工をシ、この島に獣たちの本能を取り返すことにしたんでス。間違いだらけのこのパークヲ、あるべき姿に直すためニ』
彼女がつらつらと話す間、皆は完全に凍り付いていた。
自分の正しさを熱弁する黒かばんの言葉が、何一つ理解できなかった。理解したいと思えなかった。
自信に満ちた笑顔を浮かべる彼女と正反対に、真っ青な顔をしてへたり込むフレンズもいた。
『そのためにボクは長い年月をかけて準備してきましタ。自分の進化に必要なサンドスター・ロウ、そしてパークを作り替えるために必要なサンドスター・ロウ…貯め込むのは本当に骨が折れましたヨ。――ボク達に骨なんてないですけどネ』
くだらない冗談に笑いを返す者など、誰一人いない。
『――この島全体に行き渡る量のサンドスター・ロウがようやく確保できたのが昨日。そしてボクは古い身体を捨てて爆発させることデ、サンドスター・ロウの嵐を引き起こしましタ』
「…そのお前が細工をしたというサンドスター・ロウのせいで、フレンズ達は野生暴走を起こし、セルリアン達はお前の言いなりになっているのですね…」
血の気が引いた顔色の博士が、それでも強く黒かばんを見つめたまま口を開く。
黒かばんは腕を組むと、少し不機嫌そうな顔をした。
『言いなりにしている訳ではありませン。意思のない可哀想な彼らニ、ボクの意思をサンドスター・ロウと共に分け与えているんでス。言うなれバ、彼らはボクの身体の一部。ボクの分身に近い状態なんですヨ』
「…言いなりよりもっと酷いじゃない…」
トキが黒かばんから目をそらし、小さな声で独りごちた。
『それに皆さんは本能に目覚めたフレンズさん達を【野生暴走】と呼んでいますけど…ボクから言わせれバ、あれは暴走ではなく【覚醒】ですヨ。本来の姿を取り戻したのだかラ』
「――つまり私達はお互いに命を狙い合う姿こそが正しい生き方だって言いたいのか…?」
ライオンが低い声で唸る。黒かばんは満面の笑みを浮かべ、まくしたてた。
『そうですヨ!現にまだこの島にはフレンズ化していない動物たちも暮らしていますガ、彼らはどうやって生きていますカ?あなたたちみたいに仲良しごっこしながら生きていますカ!?』
声を荒げる黒かばんに、皆は完全に呑まれてしまっていて。
『違いますよネ!彼らはちゃんと【獣の本能】に従イ、生きるために命をぶつけ合っていますヨ!あなただってフレンズ化する前はそうやって生きてたんですよネ!?草食動物を狩って生きていたんですよネ!?』
それまで黒かばんに対する怒りに燃えていたライオンの表情が歪む。
ひどく、悲しげな表情に。
そんな彼女に、黒かばんは突き刺すように言い放った。
『誰かの命を喰らって生きていたんですよねェ!?』
ライオンは項垂れ、崩れ落ちる。
部下達から見えるその背中は、酷く小さく、弱々しく。
勢いを失ってしまった彼女を見て、黒かばんは楽しそうに笑った。
かばんは反論せねばと思うものの、言葉を紡ぐことができなかった。
黒かばんの言動は悪意を孕み、歪んでいるのかもしれないが、動物たちの生き方に対する理解と命に対する考え方は確固たるもので。
生まれ持った知識の差を痛感せざるを得なかった。
パークで出会ったフレンズ達の優しさは間違いではないと、声を大にして言いたいのに。
彼女の確かな知識と強烈な意思を持った主張に打ち勝てる自信が、持てない。
ここで反論してもし言い負けてしまったら――彼女の考えは正しいと認めてしまうことになるのだから。
そんな葛藤に、かばんが苦しんでいたときだった。
『あはッ、セルリアン達と違って皆さんはちゃんと反応を返してくれるから嬉しいなァ。やっぱり誰かとお話しするのってたのし――』
「――そうだ、お前の言うとおりだ」
黒かばんの弾む声を、静かな、しかし確かな力強さを秘めた声が遮った。
黒かばんも、かばんも、その声の主を振り返る。
視線の先には、ヘラジカがいた。
「確かに私達は動物であった頃は互いに命を懸けあって生きていたのだろう。肉食動物は狩りをしなければ死ぬ。草食動物はそいつらを撃退せねば死ぬ。獣の常識とは、野生とはそういうものだったのだろうな」
ヘラジカの言葉がライオンに重くのしかかる。
彼女に打ち明けたノマドの話が、ライオンという獣としての本能に刻まれた生き方が強く思い出され、ライオンはきつく目を瞑った。
ヘラジカは今、どんな想いで自分を見ているのだろう。
『そウ、そうですヨ!ヘラジカさんって案外物わかりがよかったんですネ!素晴らしいでス!ボクの思いをわかっていただけて――』
「だが、それがどうしたというのだ」
同意の声に喜んでいた黒かばんを、再度ヘラジカが遮った。
今度は、否定の形で。
『…エ?』
黒かばんの顔から笑みが消える。
ライオンがゆっくりと瞼を開く。
「――それはあくまでも【獣】の常識だ。そうしなければ生きられなかったのだから、仕方が無いではないか。それ以外の方法を知らなかったのだから、選べなかったのだから、仕方がないではないか」
ヘラジカの言葉に、何人ものフレンズ達が大きく頷いた。
「だが私達は違うぞ。命を懸けあわなくても生きていける。互いに手を取り合って生きる方法を考えることができる。誰かを傷つける以外の方法を――選ぶことができる」
ヘラジカは肩の傷を包帯の上からぎゅっと押さえ、黒かばんをキツく睨んだ。
「――私達はフレンズになった時点で【本能的】にそのことに気付き、そして自分たちで選んだのだ。共に協力し合い、仲良く生きる生き方をな!」
ヘラジカの部下達が、草食動物のフレンズ達が、揃って賛同の声をあげる。
項垂れていたライオンは恐る恐るヘラジカを振り返った。
目が合うと、ヘラジカはニッと笑った。
「なんて情けない顔しているんだライオン!立て!百獣の王らしい堂々とした姿を見せるんだ!」
どこまでも真っ直ぐなその言葉。
ヘラジカに鼓舞され、ライオンは小さく笑うとブルブルと頭を振るった。そして――
「ガオオオオオオッ!!」
大地を震わすような雄叫びを放つ。
肌がびりびりと引き締まるようなその咆吼に、フレンズ達は気圧されながらも表情に明るさを取り戻した。
「…ごめんよ、かっこわるいとこ見せたね」
「これから存分に活躍するがいい。それでチャラだ」
立ち上がったライオンも腕を組んだヘラジカも、黒かばんを睨んだまま微笑んだ。
その様子を見て、黒かばんは眉間に皺を寄せる。
『仕方なイ…?仕方ないってなんですカ…?何なんですかそレ…』
「――かばん、ヘラジカの言うとおりなのです」
博士が、黒かばんを見つめつつかばんに声をかけた。
「お前達二人共に教えてやるのです。そっちのかばんがいう【獣の本能】の話も、【野生】の生き方も正しいのです。動物たちはそうやって日々必死に命を紡いでいるのです。何も間違っていないのです」
ですが、と博士は黄色い瞳を輝かせる。
「――我々は【けもの】であって、【獣】ではない。新たな生き方を獲得したアニマルガールという――フレンズという全く新しい生命なのです」
博士は大きく息を吸って、腕を、翼を広げ、声高に叫んだ。
「生きるために互いに助け合い、楽しみ合い、笑い合える――誰も傷つかない道を選ぶ…それが我々フレンズの――【けもの】の本能なのです!!」
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