対 セルリアン①



対峙する、フレンズとセルリアン。

対峙する、二人のかばん。

まるで時が止まったかのように、誰も動かず、誰も口を開かない。

刹那。


たった一人、時を取り戻した影が、光を纏ってフレンズ達の間を駆け抜けた。

ごう、と吹き抜けた風に我に返った皆は、黒かばんの前で飛び上がったその影を視界に捉える。


「がああッ!!」


その影の正体は、ライオン。

バチバチと弾けるほどに野生解放の力を乗せた爪を、黒かばん目がけて振り下ろす。


『ひどいご挨拶ですネ』


ライオンを見上げぽつりと呟いた黒かばんを庇うように、側に居た牙のセルリアン達がライオンと彼女の間に飛び上がり割って入った。

ライオンの爪は彼らの石を、身体を、尽く砕き。

勢いを殺すことなく、守りを失った黒かばんを狙う。


『うわッ』


黒かばんの背中の鞄が歪に蠢いて変形し、牙の触手がずるりと伸びる。

その触手がライオンの爪をしっかりと防いだ。

硬い物がぶつかり合うような不快な音が響く。

一撃を防がれたライオンは、着地してもなお攻撃の手を緩めない。

地面から掬い上げるように腕を振り上げる。

その攻撃も、新たに鞄から飛び出した触手によって弾かれる。


『はー怖い怖イ。まるで肉食動物に追われる獲物になった気分ですネ』


俯いたままそう言う黒かばんの声色は、言葉とは裏腹に平坦で。

頭を上げてライオンに向けた表情は、皮肉めいた笑みを浮かべていた。



『食べないでくださーイ』

「――」



胸の奥に火がついたように身体が熱くなる。

ライオンは牙を激しく軋ませると、猛攻を開始した。

百獣の王の振るう爪の嵐を、黒かばんは四本に増やした触手だけで全て受け流していく。

忙しなく触手を動かしつつ、黒かばんは自身の両手を胸の前で合わせると困ったような顔をした。


『あーごめんなさイ、怒らせちゃいましたネ。でもボク、みなさんと戦おうと思って出てきたんじゃないんでス。みなさんとお話がしたいなぁと思っテ。だから一旦やめにしませんカ?』


ライオンは黒かばんの言葉に耳を傾けない。

自分の正気を奪い、仲間を傷つけ、パークに混沌をもたらしている元凶である目の前の相手を、一刻も早く討伐せんと攻め続ける。

二人の激しい競り合いに目を奪われていた他のフレンズ達も、ようやく動き始める。

ライオンの部下であるアラビアオリックスが角を構えなおし、加勢しようと足を踏み出した。


その時、サーバルの耳がびくっと震えた。



「あっ――危ない!」



甲高い声で、サーバルはオリックスに向かって叫ぶ。

直後、彼女の足下の地面がぼこっと盛り上がった。


「――…っ!」


いち早く反応したのは彼女の側に居たヘラジカだった。

反射的にアラビアオリックスに体当たりし、彼女を突き飛ばす。

瞬間、地面から大きな腕を持ったセルリアンが飛び出し、アラビアオリックスの身代わりとなったヘラジカの身体を押さえつけた。

地面に伏せられたヘラジカは抵抗しようとするものの、体勢も悪い上、厄介なことにこのセルリアンもかなりの怪力で。

身動きがとれず呻くことしか出来なかった。


「ヘラジカ様!」


ヘラジカの部下達の悲痛な声に、ライオンはハッとして手を止め、野生解放を収める。

黒かばんが紅い目を細めて笑う。


『ネ?一旦やめにしましょウ。じゃないとあなたの大事な仲間ガ、以前のあなたみたいに本能に目覚めることになりますヨ』


その言葉は、自分がこれ以上攻め続けるとヘラジカが傷つくことを意味していて。

ライオンは思わず背後を振り返りそうになる。が、


「っ止まるなライオン!そのまま突撃して攻め落とすのだ!!」


地面に縫い付けられたままのヘラジカが怒号をあげた。


「私のことは気にするな!!そいつを今ここで落とせば全て終わる!!」


セルリアンがヘラジカの拘束を強める。

助けに入ろうとしたフレンズ達の目の前にも、地中からセルリアンが飛び出して威嚇し、妨害する。

そうだ、今、ここで片をつけなければ――

ライオンはぎり、と歯を食いしばると、喉の奥で呻くように呟いた。


「ごめんよ、ヘラジカ…!」


ぐわ、と爪に力を込め、黒かばんに向き直る。

このまま一気に仕留めるんだ――

野生の力を解放しようとしたライオンの耳に。




『あレ、勘違いしていませんカ?』




黒かばんの声は冷や水のように冷たく流れ込む。




『人質はヘラジカさんだけじゃないですヨ?』




「………は?」


爪を構えたまま、ライオンは黒かばんを忌々しげに睨んだ。


『ご覧の通リ、ボクの仲間には地中から襲いかかることができる子達がいるわけですガ――』


黒かばんは紅い瞳を、並んで立つツキノワグマとパンサーカメレオンに向けた。


『その内の一匹が今、あの二人の真下で大きな口を開けて待機中でス。二人とも丸呑みできるサイズの子が、ネ』


皆が一斉に二人を振り返る。

パンサーカメレオンが震え上がり、その場から逃げ出そうとするも。


『動くナ』


トーンを落とした黒かばんの短い一言が彼女をその場に縫い付けた。


『…これだけお願いしてもまだ続けるなラ、あの二人には申し訳ないですが食べられてもらうしかないですネ。ボクとしてはフレンズさんの数が減っちゃうのは残念でしかたないんですけド…』


ふ、と小さく溜息をつき、黒かばんは微笑みを浮かべてライオンを見た。


『…まだやりますカ?やるならヘラジカさんは傷つき――あっちの二人は消滅しまス。会話に応じてくれるなラ、誰も傷つけたりしませン』


固まるライオンの頬を冷や汗が伝う。

先ほどまで果敢にも自分の身をなげうってライオンの後押しをしていたヘラジカも、カメレオンとツキノワグマの二人を見つめたまま呆然とし。

ゆるゆると首を振って言葉を溢した。


「あ…だ、だめだ…」


傷つけられて野生暴走を引き起こす程度なら、まだ救いはある。

しかしセルリアンに喰われて消滅してしまったら、もう二度と取り戻すことはできない。

自身だけでなく部下まで人質に取られてしまっている現状に、ヘラジカは項垂れた。


「――…すまない、ライオン…」


悔しげに低く、小さく謝罪するヘラジカ。


「ライオンさん…ここは一旦、ひきましょう」


動けないフレンズ達、押さえられたヘラジカ、見えない脅威を突きつけられているツキノワグマとカメレオン。

かばんは皆を見回した後、静かにライオンに声をかけた。

自分たちを傷つける目的が第一なら、とっくにヘラジカはやられている。

それをしないということは、おそらく会話が目的だと言っているのは事実なのだろう。

ライオンは背中で二人の声を受け止めると、構えていた爪をゆっくり、ゆっくりと下ろし。

黒かばんをキツく睨んでから数歩後ろへ後退した。



『ふぅ…これで落ち着いて話ができますネ』



肩をすくめた黒かばんは、にっこりと笑ってかばんを見る。

対するかばんは少しの笑みも浮かべることなく、眉間に微かな皺を寄せたまま彼女を見つめ返した。


「ボクもあなたと話してみたかったので、あなたの会話に付き合います。でもその前に、ヘラジカさんとカメレオンさん、ツキノワグマさんを解放してあげてください」

『えー…でもそうしたら皆さんボクに一斉に襲いかかるでしョ…?』


不服そうに表情を歪め、触手をうねらせる黒かばん。


『――じゃア、ヘラジカさんは離してあげまス。でもその二人はまだ動かないでくださいネ。周りの皆さんも怪しい素振りはしちゃだめですからネ。ほら、飛んでる皆さんも降りて降りテ。自分のせいでお友だちが喰われるところなんテ、見たくないでしょウ?』


ツキノワグマとカメレオンの二人は真っ青な顔をしたままぴくりとも動かない。

他のフレンズ達も、拳や爪を震わせながらも、黒かばんを睨み付けることしかできなかった。

沈黙を了解と受け取ったのか、黒かばんはヘラジカを押さえつけるセルリアンを見やる。

セルリアンはヘラジカから手を離すと、黒かばんの方へとのそのそ移動した。

解放されたヘラジカは、怒りと悔しさを表情に滲ませながら立ち上がり、身体についた土を払った。


『これで満足ですよネ?』

「その触手も、危ないのでしまってください。ボク達に攻撃するつもりがないなら、必要ないはずです」

『注文が多いなァ…。ボクは早くあなたとお話がしたいんですけド――』



「――ふざけるな…」



溜息をつく黒かばんに、怒りに震える声を投げつけたのは、博士だった。

かばんは息を呑んで彼女を振り返る。


「我々はお前と楽しくお話なんてしている暇はないのです…!今こうしている間もパークは蝕まれ続けている…!そんなに我々と話がしたいのなら、とっとと皆を、パークを、元に戻して――」

『うるさいナ』


その声には明らかな苛立ちが現れていて。

黒かばんの表情から、ずっと浮かべていた笑みが、消えていた。


『さっきから話の腰を折られてばかりでいい加減腹が立ってるんでス。非力な小鳥如きがピーピー鳴いてヒトの会話を邪魔しないでくれませんカ』


血流が凍り付くほど冷たい視線が、博士を射貫く。




『喰い殺しますヨ』




初めて黒かばんが剥き出した殺意。動きを止めていたセルリアン達が、ざわつく。

こんな邪悪な気に当てられることなど、これまで平和に過ごしてきたフレンズ達にとって当然あり得なくて。

口の中がからからに乾ききるような緊張感が博士を、フレンズ達を圧迫した。

かばんが即座に二人の間に割りこむ。


「…博士さん…悔しいですけど今はあまり刺激せず、相手の様子を伺いましょう…。向こうは会話に乗り気だし…新しい情報が得られるかもしれません…」


黒かばんを視界に捉えたまま、かばんは博士にだけ聞こえるような声で囁きかける。

博士は唇を噛んで俯き、黙り込んだ。


「…会話の条件はここにいるみなさんを傷つけないことのはずです。お願いします、触手を収めてください」


頭をさげるかばんに、黒かばんは冷たい怒りを曝け出していた瞳を伏せると、先ほどまでとはうって変わってにっこり笑った。


『わかりましタ』


揺らいでいた触手が見る間に縮み、黒かばんの背中の鞄が元の姿に戻る。


『これでいいですよネ?』


にこにこと笑う黒かばんに返事は返さず、かばんはただ正面から彼女を見つめる。

返事くらい返してほしいな、なんてブツブツ文句を垂れながら、黒かばんが動いた。



一歩、また一歩とかばんに、歩み寄る。

迫ってくる黒かばんに、かばんはごくりと唾を飲み込んだものの、逃げ出すことはせず待ち受ける。

フレンズ達も固唾を呑んで二人を見守った。

目と鼻の先まで近付いた黒かばんは、へぇ、と声を漏らしてまじまじとかばんを観察し。

舐めるようなその視線が気持ち悪くて、かばんは俯いて彼女から目をそらすも。

顎に手を添えられたかと思うと強引に引き上げられ、強制的に目と目を合わせられる。

その真っ赤な瞳が鈍く放つ光も、グローブ越しに伝わる血の通っていない指の冷たさも、生き物としての何かが欠落している気味の悪さを孕んでいて、かばんの背中を汗が伝った。


『改めて近くでじっくり見てモ、本当にうり二つで面白いなァ』

「…やめてください」


たまらずその手を払いのける。

黒かばんは払われたその手をひらひらと動かし、目を細めて微笑む。


『初めて君の姿を見たときかラ、君のことはずっと気になっていましタ。ここにたどり着くまでにモ、ずいぶん活躍してたみたいですネ』


違和感の残る顎周りをさするかばんの様子に、そばにいたサーバルが心配そうに声をかける。


「…かばんちゃん、へーき…?」

「うん…ありがとう」


二人のやりとりに、あ、と声を上げる黒かばん。


『そうそうそれでス。ずっと気になってたんですけド、かばんって君の名前ですカ?もしかして鞄を背負ってるかラ?安直ですネ。どうしてそんな捻りのない名前で満足してるんですカ?』


黒かばんはまくし立てるように問い詰めてくる。

力なく耳を折るサーバルをちらりと見てから、かばんははっきりと答えた。


「…この名前は、生まれて間もないボクにサーバルちゃんがくれた…初めてのプレゼントだから。大切な、名前なんです」


サーバルの耳がぴこんと立つ。黒かばんはまたも目を細めて笑った。


『へェー…』


その目が、滑るように動き、サーバルを捉える。

サーバルはびくり、と肩を震わせた。


『サーバルちゃんっテ、君ですよネ?そっちのボクと随分仲がいいんですネ?』

「あ…」


かばんの次はサーバルとの距離を詰める黒かばん。

顔をのぞき込むように身体を傾け、彼女はサーバルに笑いかけた。

近い。爪を振るえば充分ダメージを与えられる距離。触手もない。

今なら、攻撃できる。

でも。


『ねぇサーバルちゃン。ボクにも名前をつけてほしいナ。ボク達…友だちだよネ?』


自分に向けてくる笑顔も、声も、しゃべり方も、大好きな友だちとうり二つで。

サーバルは動くことも喋ることもできず、ただただ呼吸だけが荒くなっていく。


「――やめてください」


先ほどと同様、かばんが拒絶の言葉を口にし、黒かばんは顔を上げて彼女を振り返る。

先ほどと全く同じ言葉だったものの。

その声は僅かに冷たさを滲ませていて。

向けられた瞳は鋭さを帯びていた。


『あハ、ちょっと怒っタ』


いたずらっぽく笑って、黒かばんはサーバルから離れる。


『そう言えばさっキ、生まれたばかりって言いましたよネ。君ってヒトのフレンズでしょウ?どうやって生まれたんですカ?』


黒かばんはかばんについて興味津々のようで、次々と疑問を投げかけてくる。

フレンズ達は焦る気持ちを必死に抑え、ただ彼女たちの様子を見守ることしか出来ない。

かばんも淡々と質問に応じていく。


「ボクは…この帽子についていたヒトの髪の毛から生まれました」

『――…ハ?髪の毛?えっ…髪の毛って…こレ…?こんなものかラ…?』


自分の髪を一本引っこ抜いて、黒かばんはそれとかばんを交互に見やり。

腹を抱えて、笑った。


『あっははははハ!冗談でしょウ!?こんなちっぽけな物から生まれたんですカ!?あはははハ!そんなことあるんですネ!』


完全に侮辱しているその様に、フレンズ達は怒りを露わにして彼女を睨み付けるも。

当のかばんは特に動じることもなく、ただ無表情でケラケラ笑うもう一人の自分を眺めていた。


「――…あなたは…」

『ハー…ハー…――なんですカ?』


笑いすぎて乱れた呼吸を整え、黒かばんは首を捻る。


「…あなたは何者なんですか…?どうやって生まれたんですか…?」


ミライの記録から得られた情報による推測を、答え合わせするために。

かばんはその質問を相手にぶつけ返す。

黒かばんは、あぁ、と微笑んで腕を広げ、皆を見回した。




『自己紹介がまだでしたネ。ボクは見ての通リ、ヒトのフレンズ型セルリアン。かつてパークにいたヒトを喰らって生まれましタ』


にぃ、と笑って黒かばんはいともあっさりと、自分の正体を明かしたのだった。





『ヒトを喰らう以前ハ、【黒セルリアン】だとか【超大型セルリアン】だとカ、いろんな呼ばれ方をしていましタ。ボクは喰らったヒトの意思と知識などの輝きを得テ、進化することに成功したんでス』




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