対 黒セルリアン⑥



着実に力を強めている黒かばん。

その巨大な能力を見せつけられて、かばんは自分の未熟さを痛感しつつ、その自信のなさを悟られないように手にした棒をきつく握って構えた。


「ボクはあなたのものじゃない…。フレンズさん達も、このパークも、あなたのものじゃない…!」


黒かばんは、にぃと笑い。


『いいエ、ボクのものにすル。ヒトは欲深い生き物なんでス。君もわかるでしょウ?ボクに支配されるのが嫌だって言うなら――』


一度だけ博士に対して見せたあのどす黒い殺気を、剥き出しにした。




『――せめて無様に抗ってみなヨ』




背中の鞄に残された二本の触手が、踊るように伸びて口を開く。

狙いは、サーバルだ。


「みゃっ!!」


サーバルは即座に反応し、一本は身を捻って、もう一本は跳躍して躱す。

触手はなおも牙を剥いて、しつこくサーバルを追跡する。

サーバルは伸びる触手に体を捕らわれないよう気をつけつつ、牙の一撃を躱していった。


「サーバルちゃん…!」

「へーき!」


かばんの声にサーバルは短く答え、触手をすり抜けて駆ける。

黒かばんの言うとおり、一度サンドスター・ロウにその身を冒され、獣としての本能を引きずり出されたからか、いつも以上に聴覚や嗅覚の感覚が鋭く、体が良く動いた。

得意の跳躍でアトラクションの屋根に飛び上がると、動きを止めずに屋根から屋根へと飛び移って黒かばんとの距離を縮めていく。


跳躍と木登り。

得意な力を活かした高所からの襲撃は、ライオンやセルリアンとの戦いでも有効だった。

サーバル本人もこれまでの経験から自信があるようで、建物の中で話しながら作戦を練っていた際、同様の攻め方でいくと主張していた。

確かにその力を存分に生かせる地形での戦いなら、サーバルは強い。

あっという間に黒かばんの背後のアトラクションまで回り込んだその姿を見て、かばんは確信した。


(でも――)


サーバルは、反応が遅れて隙だらけの黒かばんの頭上目がけて飛びかからんと、爪を構えて足を曲げる。


が。


黒かばんはサーバルのその姿を確認していないにも関わらず、触手を自らの頭上に向けて伸ばし、サーバルを牽制した。

思わぬ対応の早さに、サーバルは慌てて跳躍するのをやめ、屋根の上に踏みとどまる。


『サーバルちゃんが獲物の頭上から飛びかかって狩りをすることが得意なことぐらイ、ボクだって知ってますヨ』


上を見上げながらサーバルを振り返る黒かばん。


(そうだ。あのボクはサーバルちゃんの戦いを見ていたはずだし、そもそもフレンズや動物に対する知識も豊富だから…サーバルちゃんと戦う上での対処方法をしっかり考えてるはずなんだ)


かばんはそんな黒かばんとサーバルの様子を視界に捉えながら。


(――だから)


サーバルに意識を向けている黒かばんへ肉薄し、手にした棒を振りかぶる。


(ボクが攻めなきゃ…!!)


気配を察して振り返ろうとした黒かばんの体目がけ、かばんは武器を薙いだ。

鈍い音がして武器は黒かばんの腕を打ち付け、衝撃でサンドスター・ロウが僅かに飛び散った。

手に伝わる感触に表情を歪めるかばんに対し。

黒かばんは、呆れたような目を向ける。


『何ですかそレ…思い切りが足りないなァ…』


大してダメージを受けていないその様子に、かばんは奥歯を噛みしめるとがむしゃらに棒を振るった。

黒かばんはそれをひょいひょいと躱し、挙げ句の果てにはガシッと片手で掴んで止めてしまう。

自分と大して腕力は違わないはずなのに、掴まれた武器をぐいと引かれただけでかばんの足はふらついた。


『あのさ…それで戦ってるつもりなんですカ?ヒトとサーバルキャットのタッグがどんな面白いもの見せてくれるのかちょっと期待したのニ、戦いに対して怖じ気づいちゃってちゃ話にならないですヨ』


サーバルは襲い来る触手を爪で弾いたり、飛び越えたりしながら攻撃を必死に防いでいる。


『――せっかくヒトとして恵まれた能力を持って生まれてきたのニ…君もフレンズ達と一緒でいろいろと中途半端な出来損ないで憐れですネ』


かばんは黒かばんに握られたままの棒を懸命に引っ張り、抵抗していたが。

急に黒かばんがその手を離し、かばんは思わず蹈鞴を踏む。

よろけながら視界に捉えたのは、振り上げられる足。


「…っ!」


容赦なく繰り出された蹴りを、かばんは咄嗟に両手で構えた棒で防いだ。

伝わる衝撃に両手がびりびりと痺れ、尻餅をついた。


「かばんちゃん…!」


高所からその様子を見ていたサーバルは、押されるかばんの姿に気を取られる。

結果、食らいついてくる触手の先端は躱したものの、細く伸びた部分に足を絡め取られてしまった。


「あっ――」


黒かばんがにやりと笑う。

そのまま触手をぶんぶんと大きく振るい、サーバルの体を振り回し始めた。

勢いをつけて、叩きつける気だ。


「わあああああ…!」

「サーバルちゃん!切って!!」


かばんは倒れ込んだまま声を張り上げる。

あの触手は口の部分は異様に硬いが、伸縮する部分はぶよぶよと柔らかい。


「う、みゃあ!!」


サーバルは振り回されながらもかばんの声をしっかり聞き取ると、強引に体を捻って爪を振るった。

半分ほど裂けた触手はぶちっと千切れ、サーバルの体は遠心力により投げ飛ばされる。

普通ならこのままどこかに叩きつけられて、大ダメージは避けられないが。

サーバルは器用に身を翻すと、しっかり両手両足を地面につけて受け身を取り、爪で大地を抉って勢いを殺した。


「あ、危なかったぁ…」


ほっと息をつきながら、サーバルは小さく呟く。

かばんもそんなサーバルを見て胸をなで下ろしながら立ち上がった。

対する黒かばんは、千切られた触手を修復しながらニヤニヤと余裕めいた笑みを浮かべている。

――やはり、強い。


『ネ?そんな調子の君達にはボクは止められないんでス。断言しまス。サーバルちゃんはともかく…【かばん】』


人差し指を突きつけて、黒かばんは紅い目でかばんを見据えた。


『君ハ、ボクよりモ、劣っていル。ボクには勝てなイ』


かばんはその声を耳に入れたくなくて、黒かばんが言い切るのを待たずに再度棒を握りしめ、走り出す。

黒かばんの言葉に左右されていては彼女の思うつぼだ。

揺さぶるような言葉を吐いて、相手の心を乱すのが彼女のやり方なのだ。

それがわかっているからこそ、かばんは闇雲に動いていた。

いつも冷静に考えて行動する彼女らしくないその行動に、サーバルは驚いて止めることも忘れていて。


『…ヒトの話はちゃんと聞きなヨ』


またも呆れたような目を向けて、黒かばんは溜息をつき。

傷ついていない方の触手を軽く振るって、かばんの体をはじき飛ばした。

軽い一撃でもかばんは大地に投げ倒され、武器が手を離れてカランと小気味のいい音を立てて転がった。


「うぅ…」

「かばんちゃん!」


慌てて駆け寄ったサーバルに助け起こされる。

黒かばんはそんなかばんを鼻で笑って、続けた。


『…だからボクガ、いろいろ教えてあげようって言ってるんですヨ。頭の使い方モ、力の使い方モ、ヒトという生き物についてもネ。そうすれば君ハ、このパークを支配できる程の存在になれル』

「そんなものっ…なりたくない…!」

『自分に正直になったほうがいいですヨ。ヒトである君モ、支配欲は持っているでしョ?かつてこのパークにいたヒト達モ、フレンズ達を管理して…支配していたんだかラ』


その言葉に、ボスの耳がぴくりと動いた。

かばんは拳を握りしめて声を荒げる。


「違う…!!ミライさんは、そんなヒトじゃ――」

『あーはいはイ…ミライさんだか誰だか知りませんガ…とにかく君は大人しくボクのものになってくれればそれでいいんでス』


癖のある毛を軽く掻いて、黒かばんは空を見上げた。


『覚醒したフレンズ達の所へたどり着いたセルリアン達も出てきましタ。ここからもっと面白いことが始まりまス。もう止められませン』


気味の悪い微笑みをかばんに向け、黒かばんは腕を広げた。


『でもまぁ…君がボクのものになるというのなラ、君のお気に入りのサーバルちゃんだけハ、君の好きなようにさせてあげますヨ。逃がすなリ、弄ぶなリ、ペットにするなり――』


サーバルがちらりと自分に視線を向けるのを感じながら、かばんは歯を軋ませる。

黒かばんは薄ら笑いを浮かべたままの紅い目に、そんなかばんを映しこんだ。




『さァ…どうしますか?』













黒かばんの言うとおり、各地に散ったセルリアン達は、暴走フレンズの拉致を始めていた。

遊園地から放たれ、空から強襲する翼のセルリアンを始め。

地上を素早く駆けるセルリアン、地中から見えない攻撃を仕掛けてくるセルリアンもいて。

我を失ったフレンズ達は、未知の襲撃者に抗うものの。

為す術無く捕らわれるフレンズ達も少なくなかった。


セルリアン達の襲撃は、建物の中に身を潜めたり、確保されたりしているフレンズ達にまで及んだ。

ロッジ、温泉宿、城――様々な建物の窓や入り口を突き破り、セルリアンはフレンズを求めて建物内まで侵入していく。


フレンズ達の悲鳴のような咆吼と、セルリアン達の不気味な鳴き声が島中に響き渡り始める。

遊園地で黒かばんの求める【ショー】が始まってしまうのは、時間の問題だった――。













どれだけ立ち上がろうとしても、無力さを突きつけられる。

どれだけ対抗しようとしても、自分でもわからないヒトという生き物の在り方が枷となって締め付けてくる。


(それでも――)


諦めるわけにはいかない。

かばんはサーバルに支えられたまま、乱れてずれた帽子を被りなおした。


「ボクはあなたの思い通りには――」

『ならないっテ?さっきから君は口ばかりデ、ボクにダメージを与えることすらできないじゃないですカ』


黒かばんの言葉は的確に痛いところを貫き、抉ってくる。


『さっきから言ってますよネ?知識量でボクの方が上回っている時点デ、こうなることはわかっていたでしョ?君はボクよりモ、ヒトとして劣っているんですヨ!そんなのデ、どうやってボクを止めるつもりですカ!?』


馬鹿にしたような黒かばんの高笑いが、木霊する。

う゛ぅーと唸るサーバルの横で、かばんは唇を噛んだ。





その時だった。





『――カバン、コンナ時ダケド、マダ君ニ解説シテイナイ動物ガイタカラ、ガイドヲ開始シテモイイカナ?』





完全に場違いな発言をし始めたのは、ずっと黙していたボスだった。

突拍子もないその発言に、かばんとサーバルはおろか、黒かばんまで笑うのをやめて眉を顰める。


「ラ、ラッキーさん…?何を言って――」

『君の仲間は本当にポンコツだらけだネ…』


黒かばんの煽りを無視し、戸惑うかばんを振り返って、ボスは続ける。


『カバン――【ヒト】ニツイテ解説スルネ』

「えっ…」


ぴくり、と肩を揺する黒かばん。

ボスはかばんをその目でしっかりと見つめ、解説を始めた。


『解説スルトハイッテモ、【ヒト】トイウ動物ハ本当ニ特殊ナ生キ物デ、簡単ニハ説明デキナインダ。一ツ、特殊ナ点ヲ挙ゲルトスルナラ…【ヒト】ハトテモ学習能力ガ高ク、知能ハ他ノ動物ヨリモトテモ優レテイルンダヨ』


ぴこぴこと歩き回りながら、ボスは話すのをやめない。


『豊富ナ知識ヲ身ニツケタ【ヒト】ハ、確カニ他ノ【ヒト】ヨリモ優位ニ立ツ場合ガ多イヨ。チカラト知識ヲ多ク蓄エタ【ヒト】ガ、他ノ【ヒト】ヲ従エルコトハ珍シイコトデハナイネ』


それは、黒かばんの主張を裏付ける言葉だった。

くだらないやりとりを中断させようと触手を動かしていた黒かばんは、思わぬ賛同に動きを止め、にやりと笑う。

対するかばんは、ボスにまで自分では勝てないと言われているような気がして、どうしようもなく悲しくなる。

諦めろ、ということなのか。


『あーあー可哀想ニ。お仲間さんにまでそう言われちャ、どうしようもない――』

『デモ、ヒトハ大イナル【可能性】ヲ秘メタ生キ物デモアルンダヨ。ソシテソノ【可能性】ハ――ソノヒトガ得タ【経験】ニヨッテ培ワレル』


黒かばんの言葉を遮って、ボスは少し声を大きくしてそう言った。

かばんが、黒かばんが、同時に「え?」と声を漏らす。


『自分以外ノ存在トノ多クノ出会イ、様々ナ環境・自然トノ触レ合イ、五感ヲ使ッタ経験――ソノ学習能力トコミュニケーション能力ヲ活カシテ、他者トノ関ワリノ中デ、【ヒト】ハ自分ノチカラヤ知識ノ使イ方ヤ新タナ発見ヲ獲得シ、自分ノ可能性ヲ高メテイクンダヨ』


逆に言えば、とボスは語る。


『多クノ知識ヲ持ッテイテモ、他者トノ関ワリガ薄カッタリ、様々ナ体験ヤ経験ヲ得ラレナカッタリシタラ、ソノ知識ノ上手ナ使イ方ガワカラズ、チカラヲ上手ク発揮デキナインダ』



語る。



『カバン』



語る。



『君ハ、サーバルヤボクト一緒ニ旅ヲスル中デ、タクサンノフレンズ達ト出会イ、自然ヲ感ジ、感情ヲ動カシ、時ニ考エ時ニ体ヲ使ッテ、成長シテキタ』



語り続ける。



『非常ニ多クノ【経験】ヲ積ンダ君ニ――勝テナイ相手ナンカナイハズダヨ』






『そこまででス』


低く、冷淡な一言と共に、黒い触手が風を切って伸びる。


「みゃあ!」


サーバルがその攻撃を爪で妨げようとするが。

一本は狙い通り柔らかな部分を裂いて千切ることに成功したものの、もう一本は硬い部分とぶつかり、相殺しきれず逆にはじき飛ばされてしまった。

そして、残った一本の触手は。

かばんを見上げたままの、ボス目がけて襲いかかる。


「ラッキーさん!!」


無防備な彼を庇おうとしたかばんの目の前で。

ボスの小さな体は、凶悪な触手の口に捉えられて宙を舞い。




黒かばんの足下に、触手ごと叩きつけられた。




「ボス!!」

「ラッキーさん!!」


サーバルとかばんの、悲鳴に近い声が、重なる。


『無能なガイドだネ。くだらない解説を聞かされてイライラするヨ。お客さんにこんな不快な思いさせてもいいのかナ?』


地面に押さえつけられたまま、ボスは変わらない表情で――時折火花をその体から散らしながら――怒りを滲ませた表情の黒かばんに返答する。


『…ボクハ君ノコトヲオ客サンダト認識シタ覚エハナイヨ。君ハアクマデモ、ヒトヲ模倣シテイルセルリアンニスギナイカラネ』


再度ボスの体を持ち上げ、叩きつける黒かばん。

武器を拾って止めに入ろうとしたかばんは千切れた触手ではじき飛ばされ、同じく体勢を立て直して駆け出そうとしていたサーバルを巻き込んで、転がった。


『…ボクはヒトを喰らって生まれたんダ。ヒトの髪の毛なんてちっぽけな遺物から生まれたあの子よリ、完璧なヒトに近イ』

『……生マレ方ガドウダッタトシテモ…旅ヲ通シテ成長シタカバント…遊園地ニ籠モッテ誰トモ関ワラナカッタ君トデハ……差ハ大キインジャナイカナ……』


不規則に震える体からバチバチと火花を散らすボスは、それでも黙らない。

無表情になった黒かばんは、そんなボスの体を触手に咥えたまま、顔の高さまで持ち上げる。



「ラッキーさん…駄目…」



痛む体を無視し、かばんはボスを、黒かばんを、止めなければならないと動く。

しかし、二人までの距離は、あまりにも遠くて。








『――…カバンハ…キミニ…マケタリシナイ……。キミハカバンヲ…オモイドオリニナンテ……デキナイ…』






黒かばんに刃向かうことを止めないボスの体を。






『――もう充分だヨ』






黒かばんの触手の牙は、無慈悲に噛み砕いて、両断した――。



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