対 黒セルリアン④
床に放置された松明に集い、『消火、消火』などと声を上げながら大きな尻尾でバシバシと燃える炎を叩き消すラッキービースト達を尻目に。
もう何度流したかわからない涙と共に、かばんはサーバルのぬくもりを腕に捉えたまま安堵の声を溢し続ける。
「よかった…よかった…本当に、よかったっ…」
「かばんちゃん…」
先ほどまでセルリアンに対し残虐に振るわれていた腕が、そっと背中を撫でる。
「…何があったのかよく覚えてないんだけど…うまくいったみたいで良かったよ」
その口からは、鋭い咆吼ではなく、優しい言葉が紡がれた。
「――ありがとう、かばんちゃん。さすがかばんちゃんだよ」
言わなければいけない言葉を先に言われてしまい、かばんはサーバルから身を離して慌てて首を振った。
「ち、違う…お礼を言わなきゃいけないのは、ボクだよ…!サーバルちゃんが…あんな風になってまで…必死に戦ってくれたから、ボクは助かったんだよ…。本当に、ありがとう」
「えへへ…ごめんね?かばんちゃんだったらもっと良い作戦思いついたのかもしれないけど、わたしにはあれが精一杯だったよ。…でも、わたしの思った通りだったね」
少し誇らしげにそう言うサーバルの言葉の意味がわからず、かばんは、え?と疑問の声を漏らす。
「思った通りって?」
首をかしげるかばんを、サーバルはうっすらと細めた目で見つめ、穏やかに笑った。
「――かばんちゃんならわたしが暴走しちゃっても…約束通り目を覚まさせてくれるかなって」
「――…!」
それは、暴走しかけたサーバルが自分の危険性を感じ、一人で去ろうとしたあの夜の森で、かばんがサーバルにかけた言葉だった。
――暴走しかけても、自分が目を覚まさせてあげる。
サーバルはその言葉を信じ、自ら暴走を選んだのだ。
自分がどうなっても、かばんが助けてくれると、信じて。
「やっぱりかばんちゃんはすごいよ。ちゃんと約束、守ってくれたんだもん」
「…っ…!」
違う。違うんだ。
かばんは奥歯を軋ませて、大きく首を振った。
「違うんだよサーバルちゃん…!ボクは…ボクは…諦めかけちゃったんだ…。サーバルちゃんを元に戻すのも、パークやみんなを元に戻すのも、もう何もかも無理だって…。それどころか、ボクは、サーバルちゃんに、ボクの命を、終わらせてもらおうと思って――」
懺悔するようにぼろぼろと涙を零すかばんに、サーバルは小さく息を呑む。
「全部、サーバルちゃんのおかげなんだ…。ボクがもう一度立ち上がろうと思えたのも…。すごいのはサーバルちゃんなんだよ…。暴走しててもボクのこと…食べないよって、言ってくれて――ボクのこと、襲わないでいてくれた。だから、ボクは――」
黒いグローブで涙を拭いながら懸命に話すかばんを、今度はサーバルが抱きしめた。
まだうまく体が動かせないのか、歩み寄る脚は辿々しく、包み込む腕は弱々しかったものの。
そんな状態でも、サーバルはしっかりとかばんを抱きよせると、穏やかに声をかけた。
「…ごめんね、かばんちゃん。わたし、後のこと考えずに先走っちゃうから…かばんちゃんに辛い思いさせちゃった」
「…う、うぅ…」
「…かばんちゃんに褒めてもらえて嬉しいよ。そっか…わたし、暴走してたけどかばんちゃんのこと、襲わなかったんだ…」
うーん、なんでだろう、なんて声を漏らしながら、サーバルはかばんが落ち着けるように、力が入らない手で、背中をさすり続けた。
「きっと…かばんちゃんだからだよ。暴走しちゃってても、【ほんのー】が強くなっていろんなことがわからなくなっても、傷つけちゃダメだって思えるぐらい、かばんちゃんのことを覚えておけるぐらい――今までかばんちゃんがいっぱい、いーっぱいたのしーこととかすてきなこと、教えてくれてたからだよ。だから…えっと…やっぱりかばんちゃんはすっごいね」
どうあっても自分をすごいと言ってくれるサーバルの優しさに、かばんは思わず涙と共に笑いが溢れる。
ふふ、と泣き笑いするかばんの様子に、サーバルもほっとしたように表情を崩して、えへへと笑った。
『カバン、落チ着イタカナ?』
涙を収め、サーバルから身を離し、ラッキービースト達が鎮火してくれた松明を拾いに動いたかばんを見て、それまで黙して様子を見守っていたボスがそう声をかけた。
さんざん取り乱した姿を見られたことに、今更ながら少し恥ずかしさも感じつつ、かばんはこくりと頷いた。
「あ、えっと…はい。もう大丈夫です。ラッキーさんのおかげで、サーバルちゃんの治療がスムーズにできました。ボク一人じゃとても無理だったから助かりました。…ありがとうございます」
誇らしげに尻尾を振った後、ボスはサーバルの方へと体を向ける。
『サーバルハ大丈夫?マダ痺レガ残ッテイルカナ?』
ボスの問いかけに手を握ったり開いたりしながら、サーバルは耳をぴこぴこと動かした。
「うーん…なんか指先がシビシビする感じがするよ。変な感じ…」
『早ク次ノ行動ニ移リタイト思ウダロウケド、薬ノ効キ目ガ薄レルマデモウ少シ休息シタ方ガ良サソウダネ』
かばんが拾いあげた空になった容器を興味津々な様子で受け取るサーバル。
恐る恐るそれをいじくっていると、使用済みの針が、収納されていた所から偶然ニュッと顔を覗かせて、うみゃっと悲鳴をあげて手放した。
「…ちゅーしゃ?だっけ。暴走してたからよく覚えてないけど、できればもう、使われたくないなー…」
「あはは…ごめんね…」
ボスはひょこひょことかばんに近付くと、彼女の足下でぴょこんと跳ねた。
『サーバルノ調子ガ戻ルマデノ間ニ、ゲートノ外デセルリアント交戦中ノフレンズ達ニ連絡ヲトッテオクトイイヨ。皆心配シテイルカラネ。君タチノ無事ハ彼女達ノ士気ヲ上ゲルコトニ繋ガルト思ウヨ』
「そ、そうでした…。早く無事を伝えないと…」
下ろしていた鞄に荷物を詰め直しながらボスと会話するかばんは、サーバルが自分をじっと見つめていることに気付いて手を止める。
「…?どうしたの、サーバルちゃん?」
「かばんちゃん、その傷――」
サーバルの瞳は腕の包帯を捉えている。
かばんはその視線から逃れるように、腕の傷をもう片方の手で押さえた。
「あ、あぁ…これなら平気だよ。…セルリアンといっぱい戦って、サーバルちゃん最初は興奮してたから…」
「うぅ…ごめんね…痛かったよね…」
「それを言うならサーバルちゃんだって」
自分で切り裂いた腕の傷は、サンドスター・ロウの影響で綺麗さっぱり癒えている。
毛皮は未だに裂けたままになっているが、そのうちこれもサンドスターの未知の力で修復されるのだろう。
ふと、サーバルの腕から顔へと、再び視線を戻す。
どうも、まだ何か言いたそうな様子で彼女は瞳を泳がせていた。
「…この傷が、どうかしたの?」
かばんはもう一度、サーバルに問いかける。
曖昧な返事を返したサーバルは、少し悩んだように間を置いてから、ようやく口を開いた。
「――あのね…ちょっとわたし、気になったことがあって…」
遠慮がちに切り出したその様子を見て、かばんは首をかしげながらも耳を傾け、とりあえず彼女の話を聞いてから連絡を取ることに決める。
二人が静かに話を始めた建物の外では、相変わらず翼のセルリアンが壁にぴったりとくっついて不気味に監視を続けていた。
…
『ツウシンチュウ…ツウシンチュウ…』
ダウン気味のシロサイに水とじゃぱりまんを渡して休息させていたアルパカのそばで、ラッキービーストの一体が目を虹色に輝かせる。
「ふぇっ!?博士ぇ!ボスがなんか言ってるよぉ!」
空中からの襲撃で的確にセルリアンの石を潰していた博士は、そんなアルパカの甲高い声に即座に反応して身を翻した。
「通信が入ったのですか!?」
音もなく空を滑空し、アルパカたちの側に着地する博士。
ちょうどその時、ラッキービーストがピーンと音を立てて声を発しだした。
『――聞こえますか!?誰か聞いてますか!?』
「かばん!!無事だったのですね!」
喜びを隠しきれない博士の声に、近くで石による治療を受けていたヘラジカと、治療を進めていたカワウソの表情も明るくなる。
『心配をおかけしてすみません…。サーバルちゃんのおかげで、ボクは無事です。今は遊園地の中の建物の中にいます』
「近くにセルリアンはいないのですか?」
『いるよ、一匹。かばんちゃんを捕まえてきた翼が生えたセルリアンが、建物の外に。さっきから何もせずに、ずっとこっちを見てるんだ』
サーバルの元気そうな声が聞こえ、博士は無意識にほっと息をついた。
『初めはたくさんいたんですが、全部サーバルちゃんが退治してくれました。今確認できるのは、この一匹だけです。あとは――とても静かで、他にいる気配を感じないです』
『うん、わたしもさっきから音や匂いを探ってるんだけど、他にいるようには感じないよ』
「サーバルが…」
あの戦いをあまり得意としない彼女が、一人でセルリアンの群れを退けたという事実に、博士は詳しく話を聞きたくなるものの、今はそれどころではないと自分を制する。
「ふむ…やはりこちらに戦力を集中させた結果、遊園地の中にはもうほとんどセルリアンは残っていないのかもしれないのです。その一匹残ったセルリアンはおそらく――」
『はい…たぶん、ボクらの監視役、ですね。あのボクはセルリアンを通して、ボクらの様子を見たり、聞いたりすることができるんだと思います』
冷静に推測を口にするかばんに、博士はならば、と呟く。
「わかっていると思いますが、お前達の行動は全てヤツは把握しているのです。ひょっとしたらすでにそちらにむかっているかもしれません。迎え撃つ覚悟はできていますか?」
『…はい。大丈夫です。…今あのボクを止められるのは、ボク達だけですから…』
「――我々はここで、セルリアン達と…暴走フレンズ達を食い止めます。お前達はそっちで、ヤツを…ヤツの思惑を、止めるのです。危険な役回りを押しつけて…すまないのです…」
小さな拳を握りしめ、博士は唸るようにそう言った。
ラッキービーストの向こうから、穏やかなかばんの声が返ってくる。
『いえ…危険なのはお互い様です。厳しい戦いをお願いしてすみません。あと少し、耐えてください』
「かばん、サーバル。大丈夫だ。お前達ならやれる」
治療を終え、博士の隣へとやって来たヘラジカが、ラッキービーストを見下ろして、そう強く語りかける。
ありがとうございます、と小さく呟くかばんに、博士は指示を出した。
「かばん、そっちにいるラッキービーストから、常に映像と音声がこちらに届くよう通信をつないでおいてほしいのです。我々も常に確認できるような余裕はないですが、それでもそちらの様子がすぐにわかるようにしておきたいのです」
『はい。ボクもそのつもりでした。…ボク達に何が起きてもいいように、ラッキーさんのお仲間さんに通信をお願いしておきます。――ボクたちに万一のことがあった時は、そこから逃げてください』
「…ヒトは心配性な生き物ですね…。もう少し良い方向に考えるのです。我々は良い報告しか期待していないのです。お前に打ち負かされるあのセルリアンの泣き面を拝んでやるのですよ」
ははは、と困ったような笑い声を漏らし、かばんは少し息を整えて。
『――じゃあボク達、行きますね』
「…健闘を祈るのです…」
最後にそう言葉を交わし、通信を切った。
すぐにラッキービーストは、モニタリング通信に移行します、などと音声を発しながら、目をチカチカと光らせ始める。
おそらく、映像付きの通信を開始しようとしているのだろう。
博士は後ろ髪を引かれる思いでしばらくそのラッキービーストを見つめていたが、軽く頭を振ってヘラジカを見やった。
「さぁ、我々もかばんばかりに任せていられないのです」
「わかっているさ。とっととセルリアンを蹴散らして、助太刀に行く方法を考えねばな!」
角をがっしりと握りしめ、戦場に加勢していくヘラジカと、再び宙を舞う博士。
残されたアルパカとカワウソは、チカチカと目を点滅させ続けるラッキービーストを、不安な面持ちで、ただ見つめることしかできなかった。
…
『――大好きなお友だち達にきちんとお別れすることはできましたカ?』
通信を終えたかばんたちの耳に届いたのは、あの胸をざわつかせる、自分とそっくりな声。
びくり、と身を震わせるサーバルの腕をぎゅっと握り、かばんは建物の外へと目をやった。
その姿は見えなかったものの、さっきまで壁に張り付いて触手を伸ばしていた翼のセルリアンが、ゆっくりと建物から離れていく。
『出てきてくださイ。今度は邪魔者がいないかラ、ゆっくりお話できそうですネ』
ガチャリ、とドアを開け放ち。
忌々しき存在――黒かばんは、警戒するかばんとサーバルとは対照的に、満面の笑みを浮かべてそこに立っていた。
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