対 サンドスター・ロウ④


――…ザーッ


しばらく続いた沈黙を破ったのは、外から聞こえてきたそんな音。

その音に皆は頭を上げて、大きく開いた壁の穴から外を見た。

真っ黒の空から降り注ぐ無数の水滴。

どうやら雨が降り始めているようだった。


「――ちょうど良いのです。まだまだ確かめたいことや議論したいことは山ほどありますが、夜も更けてきたし、皆疲れすぎているのです。今後に備えて、休息をとるのです」


重い空気の流れを断ち切るように、博士はそう提案する。

確かに今日は身も心もすり減るような事件が立て続けに起き、皆の疲労はピークに達していた。


「私も本来ならもう少し起きているのですが、今日はへとへとなので少し仮眠するのです」


博士は翼を広げると、大木の幹に沿って飛び上がり、かなり上ったところにある木の洞の中に体を納めた。


「…雨は私達の匂いを隠してくれますからね。暴走したフレンズに居場所を悟られず、安心して休むのは、今がチャンスです。…私も今日は疲れたので、先に寝ますね…」


博士に続き、リカオンも足を重たげに引きずるようにしながら、部屋の隅へ移動しうつ伏せに寝転がった。

黒セルリアンとの戦闘に始まり、大事な仲間を二人も失いつつも、ここまで追いかけてきた彼女は、おそらくこのメンバーの中で一番心身共に疲労が積み重なっているだろう。


「…漫画と同じで、煮詰まったときは一眠りするのが一番だよ。目が覚めたら、良いアイデアがフッと沸いてくるかもしれない」


ぽん、とかばんの頭に軽く手を置いてから、タイリクオオカミもリカオンに続く。


「――博士さんたちの言うとおり、休めるときにしっかり休んでおきましょう」


気になることは山積みだ。休んでいる暇なんてないかもしれない。それでも、動けなくなってしまっては元も子もない。

かばんは帽子をはずして、アライグマたちを見回した。


「ア、アライさん…今日は狭いところで寝たい気分なのだ…」

「…たしかあの木の根元に、大きな洞があったよー。そこで寝よっかー」


開放感のある図書館に、不安で落ち着かない様子のアライグマ。

そんな彼女をなだめるように、フェネックはそっと背中をなでてやりながら本棚に囲まれた木の根元へと共に歩いて行った。

残ったのはかばんとサーバル。サーバルは気まずそうに、目を泳がせてもぞもぞとしている。

かばんはやはりいつもと違う彼女の様子に少々困惑しながらも、無理に問い質すのはよくないと判断した。

だから、せめて自分はいつもと同じように振る舞うようにする。

下ろした鞄を床に置き、そこに頭を乗せて寝転がった。

ボスが無言でぴょこぴょこ近づき、かばんに寄り添って動かなくなる。

かばんは、ボスがいない側の自分の隣にサーバルを招くように、床を手でそっと撫でた。


「サーバルちゃん、一緒に寝よう?夜行性だけど…疲れてるよね?」


大きな耳がぴこんと立って、少し折れる。

相変わらず泳いでいる目は、自分の目を見つめ返してはくれなかったが、


「う、うん…。わたしも寝るよ」


しっかり誘いには応じてくれた。サーバルはかばんの隣でうつ伏せに寝転がると、何度か顔をこすった後、背中を丸めて横になる。

本来は木の上で寝ることが多いサーバルなのだが、一緒に旅をするようになってからは、こうやって横で寝てくれる。

そこは変わっていない。いつものサーバルだ。

少し安心したかばんは、同じように体を横にすると、自分の背中にサーバルの背中のぬくもりを感じながら、次第に眠りの中へと落ちていった。










「…ルルルルル…」


聞いたことのない、不思議な声が耳をついて眠りから覚める。

何の音か確かめるために身を起こそうとするが、妙な圧迫感のせいで体が動かない。

唯一動かせる瞼を開く。目に映ったのは、


「…ゥルルルルルー…」


自分の上に覆い被さるようにして身体を押さえつけている、サーバルの姿。

鋭い牙をむきだして、喉の奥を震わせ、聞いたことのない似つかわしくない唸り声をあげている。


「サーバル、ちゃん…?」


何が起こっているのか、全く理解できない。

ギラリと金色に光る目に射貫かれるように見つめられると、体だけでなく呼吸までも封じられてしまいそうで。


「…」


サーバルが、ゆっくりとその口を開く。尖った犬歯がよく見えた。

あぁ、自分は今、彼女に食べられようとしているんだ、と。

まるで他人事のように、ようやく事態を理解する。

大きな声をあげて助けを求めなければ、そう思うのに。

口を開けても喉に何かがつっかえたように声が出ない。


「――…た、食べないで…」


かろうじて声にできた言葉を絞り出すも。

さらけ出された白い首にむかって、サーバルは牙を突き立てんと身を乗り出してくる。

小刻みに乱れる呼吸の中、なんとか大きく息を吸って、もう一度。


「食べないでください!!」







飛び起きるように身を起こす。――身を起こすことができた。


「はっ…はぁっ…はっ…」


身動きがとれないほどの圧迫感は嘘のように消えていて、かばんは胸に手を置いて乱れる呼吸を整えながら辺りを見回す。

真っ暗闇の図書館。目をこらすと、離れたところで疲れ果てたリカオンとタイリクオオカミが、四肢を投げ出してぐったりと寝込んでいるのがかろうじてわかった。

雨が降り続けているザーザーという音だけが耳をつく。


「…夢…?」


寝起きでかすれた声が、無意識に溢れる。

じっとりと、嫌な汗が首筋を伝っていくのを感じながら、かばんは先ほどまでの光景が非現実のものだと理解した。

どうやら眠りについてから、それほど時間は経っていないようだった。


「はぁ…よかっ――」


思わず脱力し崩れ落ちそうになった体を、床に手をついて支えた瞬間、気付く。


隣で眠っていたはずのサーバルの姿が、ない。


「…あれ?」


寝場所を移したのだろうかと再び視線を巡らせたかばんは、図書館の入り口の扉が開け放たれているのを発見する。

前にもロッジでこんなことがあったのを思い出した。

夜行性の彼女のことだから、ひょっとして前回と同様、寝付けずにジャパリまんを探しに行ったのだろうか。

でも、今外に出るのは良くない。我を忘れた助手が、近くにいるかもしれないのに。


かばんは、サーバルがもし外にいるようならば急いで呼び戻そうと、帽子も鞄もその場に置いたまま小走りで扉の外に出て辺りを見回した。

かばんが動いたことに反応したボスも、ぴょこぴょことついてくる。


「サーバルちゃん、どこに行ったんだろう?」


雨脚はかなり強く、少し外に出ただけでもずぶ濡れになってしまった。

こんな中、サーバルは本当に外に出たのだろうか。やはり寝床を変えただけで、中にいるのでは。

焦って確認不足だった自分に反省し、かばんは図書館の中に引き返そうとする。その時。


『前方ニ、動体反応アリ』


ボスが目前に広がる森を見つめたまま、短くそう発した。その視線の先を追って、かばんは息をのむ。


「――サーバルちゃん…!?」


月明かりのない闇の中、見覚えのある明るい色の耳と尻尾が、遠く離れた茂みの中へと消えていくのをかばんは見逃さなかった。


「う、そ…!?待って…どこに行くのサーバルちゃん!!」


反射的に後を追って走り出すかばん。ボスも飛び跳ねながら後を追ってくる。

暗闇が怖い、とか、襲われるかもしれない、とか、どうして、など考える余裕は全くなかった。

いつもなら冷静に考え、最善の行動を見つけてから行動するのが自分のやり方だ。

ただこのときばかりは、見失ってはいけない、その一心だった。

ここで一瞬でも迷って足を止めてしまえば、二度と彼女に会えない気がして。

かばんは闇夜に消え入りそうな山吹色を必死で、がむしゃらに追いかけた。






しばらく後に、この自身の行動が正しくもあり、誤ちでもあったと気付くことになるとも知らずに――

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