太平洋を渡った父の日記

真奈・りさ

第1話 父の想い

小説 「太平洋を渡った父の日記」 

日本を去ることで見えてきた日本人像


                       真奈・りさ


父の想い

                    

 中国の親は子供に必要な教育を与えた後は、独立させる為に崖から突き落とす思いで子供をどこへでも平気で行かせるということを聞いた。

 日本の親はどうだろう?

 子供がいくつになっても自分のそばに置いておきたいと思う人が大半らしい。

「甘えの国、日本」ゆえのことだろうか? 

 真奈美はそっと呟いた。  

「人間らしくて、それはそれでいい」 

  

 真奈美の父親がこの世を去ってもう20年以上経つ。若い頃新聞記者だった父の記者時代、更に、新聞社定年後に大学でマスコミを教えていた時代、年老いて誰に宛てるわけでもない時事解説を、かつての新聞記者らしく細かくメモる形で織り込みながら、自ら「城」と呼んだ書斎に閉じ篭って毎日こつこつと死ぬまで書き続けた日記。


 その父の日記が、真奈美がアメリカに住み移って30年後、真奈美の兄嫁、啓子さんの手で丁寧に箱に詰められ航空便となって真奈美と現在の夫、テイトの住むデトロイト郊外の家まで遥々太平洋を渡ってやって来た。


 雪吹雪の中で届けられたダンボール箱は溶けた雪で湿り、少し押しつぶされて変形していた。灰色の冬空に囲まれて暗くなっていた部屋の片隅で段ボール箱を開けた瞬間、淡いブルーの光線が箱から姿を現した気がした。なんだか父の魂がそこに静かに潜んでいたようで、真奈美は目頭が熱くなった。日記に差し伸べた指も心なしか震えた。


「お父さん、ごめんね。こんな遠くに来てしまった私だけれど、お父さんが死んだ後もこうして毎日お父さんに話しかけているんだよ」


 心の中でそうつぶやいた途端、喉の奥が詰まったように息苦しくなって、黒カバーの日記帳の表紙に涙がポタポタとこぼれ落ちた。大変な親不孝をしてしまったという罪悪感が鋭く真奈美の胸をえぐった。  

         

 日記というのはプライベートなもので、いくら娘といえども、本人以外が読んではならないものという認識があった。それゆえ、箱から出したはいいものの、すぐに日記そのものを開けて読み始めることはできなかった。


 そんなこんなで、30冊以上ある父の日記は8年ほど真奈美夫婦の寝室の片隅で眠ったままとなっていた。なんとなく読むのが怖い、そんな思いもあったのだ。


 それが最近になって突然時効とでもなったかの様に、

「真奈美、お願いだから読んでくれよ」と父がそっと囁いているような、そんな気がして真奈美は何気なく手に取った1冊を開いてみて驚いた。  

               

「私の日記は出版するわけでもなく、ましては人に見せるものでもない。しかし、プライベートなものであるわけではない」


 下線の引かれたこの奇妙な文を読んだとき、真奈美は思わずハッとしたのだ。というのも、この下線文の後に父はサインをし、ご丁寧に捺印までしていたからだ。


 小さい頃からよく顔や性格まで父に似ていると言われてきた真奈美にはその瞬間、父の真意が光を伴って鮮明にキラキラと見えてきた。父は自分が死んだ後、家族、つまり自分の子供たちに日記を読んで欲しかったのだ。


 特に真奈美に対しての願いは、最愛の娘を遠い外国へ嫁がせたことに対する親の苦しみを、そして、それを耐え忍ぶことが父にとってどんなことであったかを、真奈美がその日記を読むことで静かに悟り、自分自身が親としてすべきことは、究極的には、生きるとはどういうことか、死をどう捉えるべきかなど、生きる上で大切なことについてじっくりと考えられると察したのだろう。


 それが後年に教育者となった父独特の押し付けではない自然な教育法であったことを真奈美は知っていた。


 第二次世界大戦中、特派員として中国に渡り、赤紙をもらって軍隊にも入った父に、真奈美は物心付いた頃から戦争の話をしてくれとせがんだものだった。


 というのも、日本の社会科の教科書には、ごく手短に、日本が戦争に突入して破れ、広島、長崎に原爆が落とされた。と、あまりにもシンプルに述べられていただけで、それ以上、何も詳しいことが書かれていなかったからだ。


 戦争を経験した親たちから、戦争がどんなものだったのか、一度は聞いておくべきだと真奈美は幼心にも思ったものだった。しかし、そんなとき父の言うことはいつも決まっていた。


「この世に戦争ほど馬鹿げたものはない」

 そして、父はそれ以上は決して語りたがらなかった。


 ところが、ある日忘れた頃に、突然父が新聞社から一つの箱を家に持って帰ってきた。神妙な顔をした父が口を開いた。


「真奈美、おまえはいつも戦争がどんなものであったか知りたいと言っていたな。ここにある写真のすべては新聞社外部の者に見せてはならないものだ。でも、おまえがあまり何度も聞くから、きょうだけは特別家に持って帰ってきた。これがお前の質問に対する答えだ」


 そう言われて、真奈美は目の前に置かれた黄色い箱を恐る恐る開けてみた。新聞記者が戦争の様子を語った文章の数々がずらずらと並んでいるのだろうと思いきや、中には写真が入っていただけだった。それらの写真を指で動かしてみると、なんと兵士たちが捕虜を残虐に殺しているむごたらしい写真ばかりが何枚も、何枚も飛び出してきた。


 真奈美は思わずヘドが出そうになって、素早く黄色い箱の蓋を閉めて、それらの写真を父の方へ押し戻した。そして、それ以降は、もう二度と父に戦争の話をせがむことをしなかった。言葉少ない父の教育法とはそういうものだったが、真奈美はあれほどパワフルな教育を、その後どこにおいても受けたことはなかった。


To be continued...


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