第58話 運命に押されて・・・
小さなスーツケースに身の回り品だけ詰めてとりあえず真奈美は家を出た。日本で父が渡してくれた20万円をドルにしたものだけを持って出て来た。ひとまずホテルに泊まることにした。旅行会社のつてでホテルだけは安く泊まれる。
真奈美は本気だった。しかし、トロイの方は真奈美が本当にその晩家に帰らなかったことにとても驚いたようだった。
翌朝から真奈美の携帯電話が鳴り出した。出るとトロイの声、
「今どこにいるんだ?今晩は帰って来てくれるんだろう?」
「トロイ、私はもう帰って来ないのよ。」
「マナミ、お願いだ。帰って来て欲しい。僕が悪かった。」
こうやって謝られて何度許したことだろう?
もう許しては駄目だ。トロイのためにも、もう許してはならないのだ。真奈美は心を鬼にした。何か運命のようなものにグイグイとある方向に引っ張られている気がしたからだ。
「トロイ、ごめんなさい。もう元へは戻れないわ。さようなら。」
真奈美はそこで電話を切った。
するとまた、5分もしないうちに電話は鳴り出した。真奈美は鳴らせるだけ鳴らさせて出ようとしなかった。そのうち諦めたのか一旦電話は切れた。かと思うとまた鳴り出した。とうとうトロイはこれを一日中繰り返した。
時折、そんなトロイが可哀相になって電話の受話器を取りそうになる自分の気持ちを遮った。
「ここでまた、緩んでしまっては何にもならない。今私が勇気を失ったら、私もトロイもまた前と同じ泥沼にすっぽり浸かってしまう。お互いの人生のために、私だけでも気持ちを強く持つんだ。」
祈るように目を閉じたまま電話の音を聞いていた。それは長く辛い作業だった。
真奈美はトロイの妻としてやってきたこれまでの18年間を思い起こしていた。その思い出は心の奥底のあまりにも深いところまで入り込んで行くため、まるで心臓の全てが飛び出してでも来そうなほどに重く、その感情は真奈美の心臓の上まで駆け上がり、喉を通り、やがては眼球にまで押し上げてきて、どっと溢れる涙となって頬を伝い、雨垂れのようにとうとうと止まることを知らなかった。
それでも、真奈美は涙を振り切って自分に言い続けた。
「負けるな、頑張れ、強くあれ、気持ちを崩すな!今こそが人生の分かれ道だ!」
翌日もまたトロイからの妻探しの電話は鳴り続けた。
真奈美はわざと電話の電源を切らなかった。鳴り続ける電話の音と対戦し続けることは自分への挑戦だったからだ。どこまで自分の決心が固いのか確かめたかった。
まる2日間鳴り続けた電話は、その晩になって疲れ果てたかのようにピタっと泊まり、それはまるで嵐の後の静けさのようだった。
To be continued...
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