第10話 ゴシップのネタに最適?

 その夏、真奈美はある会社の輸出部で工場とカスタマーの間の連絡渡しをする仕事を始めたばかりだった。


 大学の夏休みを利用して日本に来ていたトロイは、真奈美が仕事をしている間、他に知る人もいず時間を持て余していた。そんな中で、彼が突然真奈美の仕事場だった会社に現れて、10階建てのビルで一階一階階段を上がっては、目に入る人ごとに片言の日本語で、

「東真奈美はどこですか?」と聞きまわったものだから、聞かれた人々は皆、

「この外人は一体何者だ?そして、東真奈美とは何様なのだ?」と言って騒ぎ始めていた。


 そんなわけで、トロイが上の方の階にあった真奈美の部署にたどり着く頃までに真奈美の名前はすっかり会社中で有名になってしまっていた。


 輸出部の先輩の佳子さんが息を切らして真奈美目掛けて走ってきた。

「東さん、外人・・・ハァ、ハァ・・・がねー。あなたを探してあちこちを歩き回っているわよー!」

            

 何の計画もなく日本にやってきたトロイのフラストレーションはエスカレートしていた。昼間英語の分からない真奈美の母と日本語の分からないトロイが顔を合わせていて、二人の間にどんどん誤解が生じていた。たまらなくなった二人が、まだ新入社員だった真奈美に毎日のように電話を入れてきた。


 電話は大抵母が入れてきたのだったが、ある時、なぜか最初からトロイが電話をしてきたことがあった。これは大問題へと発展していってしまった。


 外人が英語で電話を入れてきた事で、アメリカと取引のあった会社だけに、カスタマーからの電話だと勘違いした電話交換手が大慌てで、まず会社社長に電話を繋いでしまったから堪らない。


 必死で真奈美の名前を言い続けていたトロイの声を聞いて、社長は輸出部に電話を廻した。社長からの取り継ぎ電話だった為、トロイからの電話はまず真奈美の属した輸出部の部長に繋がれ、次は真奈美の直属の上司だった課長へと渡り廻り、自分の部下となった新入社員への私的電話だと悟った課長は、苛立った声で真奈美に向かって、

「東君、君へのパーソナル・コールのようだよ」と、パーソナルの部分を強調してウサン臭そうな顔を見せた。


 あまりにも課長の声が大きく且つ苛立っていたので、真奈美の同僚たち全員も真奈美の方を見て、真奈美がなんと答えるのかをじっと見守っているのが目に見えた。


 真奈美は、頭がカーッとして、顔が熱くなるのを感じた。

「トロイ、家で何か大変なことが起きたの?」

 トロイは言った。

「なんかよく分からないけれど、君のママが僕のことを怒っているみたいなんだ」


 次に母、

「ママ、なんでトロイのことを怒っているの?」

「そうじゃなくて、トロイがママのことを怒っているみたいなのよ」


「OMG! (オーマイガー!)」


 トロイと母は、まず朝家の雨戸を開けるか開けないかで意見が衝突していた。通常隣との距離が日本の都会よりふんだんにあるアメリカでは、朝パジャマの上にバスローブを羽織ってコーヒーを飲んだり、新聞を読んだりする人が多い。もちろん、アメリカの家には、ハリケーンのよく来る海岸沿いでもない限り、日本の家の様な雨戸なども付いていない。


 ところが、朝起きたらまずちゃんとした洋服に着替えて雨戸を開けて、それから朝食を取るのが日本の習慣だと主張する母。


 真奈美が、

「アメリカ人はよくバスローブのまま朝食を取るのよ」と説明すると、

「ここは日本!」と頑張る母。


 隣の家との距離がない東京の住宅街の状況、そして、「郷に入っては郷に従え」ということわざの意味を考えると、母の言い分の方が正しく、日本でアメリカ式を主張した方が自分たちこそが間違っていたことに気付くわけだが、あの頃まだ父親を失くしたトロイの弁護人と成りかわったままでいた真奈美。何が何でも彼を弁護する、それしか頭になかったようだった。


 真奈美はそのことを今思い出すと、母に謝りたい気持ちで一杯だが、その母ももうこの世にいない。


To be continued...

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