第9話 トロイの来日

 ニューヨークでの劇的な最後を終えて日本に戻ってからも、デトロイトと東京を結ぶトロイと真奈美とのラブレターの交換はほとんど毎日のように続いていた。


 最初、一週間に一回ぐらいの割で手紙を書くつもりでいた真奈美は、デトロイトからのエアーメールが毎日の様に郵便箱に詰まっていて度肝を抜かした。でも、そこまで相手に想われていることは嬉しかった。


 だから、トロイから一週間に一回の手紙では想いが足らない、便箋一枚だけでも想いが足らないと次々に指摘され、その度に反省を繰り返していた。


 しかし、なんと言っても彼らのコミュケーションに共通の言語は英語だったため、毎日のように数枚の手紙を全部英語で書き続けることは真奈美にとって並大抵の努力ではなかった。


 帰国後は、来る日も来る日もこの作業と戦っていた。すなわち、その頃の真奈美の毎日は、まるでトロイへの英語の手紙を書くためだけに生きている様なそんな日々であった。

 

 そのトロイが、なんと翌年の夏休みに東京の真奈美の家族の家まで来てしまったのである。いつも大変理解のある父親だったが、トロイがその父に向かい、

「お父さんが何と言おうと我々は結婚をすることに決めたのです」と言い渡し、真奈美がそれを通訳したとき、父はむっとして、珍しく大声で、

「出て行け!」と怒鳴った。


 今になって考えてみれば、トロイの発言ほど一方的で失礼な発言はなかったわけだが、恋に、しかも国際的な恋に夢中になっていた真奈美には、

「出て行け!」という父の言葉のみが失礼な発言と写ったのだった。


 そればかりではなかった。

「お父さんがなんと言おうと我々は・・」と言い切った若き恋人が、20歳の真奈美にはとても新鮮で頼もしく見えたのだった。 


 いつにない感情的な発言をしてしまったのが、今にして思えば父が真奈美に対して犯した数少ないミスだったのかもしれない。なぜなら、若い恋とは反対されればされるほど燃え上がってしまうものだから・・・。


 彼らの場合も例外ではなかった。

「私の婚約者に向かって出て行けと怒鳴るなんて、なんてひどい父親だ」

 そのときの真奈美はひたすらそのことに固執していた。


 その晩の父の日記には、

「さすがに寝られなかった。寝られぬままにあれこれと考えた。もし、私が反対することで、真奈美を不幸にしたらと思うと、結局許す他はないという結論に達する。自らが選んだ道ならば、たとえどうした結果になろうとも、責任は自分にあるわけだ。それがこれから彼女が生きていく上での力となっていくはずだ。


 トロイという青年はきわめて真面目にものを考えて、責任感もあるようだ。だとすれば、親権を振り回し、あるいは冒険を恐れてばかりもおれないように思う。しかし、トロイと話していると、ものの考え方が日本人と根本的に違う点に気付く。つまり、アメリカ人には個人主義が骨の髄まで染み付いていることが分かる。従って、権利義務の考え方にしても、個人が主体となっている。


 また、真奈美や息子の文彦の論理にしても、私たちのそれとは異なっていることが分かる。私は親の責任からして、経済的安定のない生活、風俗習慣の相違など、種々の不安定要素のあるこの結婚に反対しているのだ。


ところが、若い人たちはそうしたデメリットをそれほど意に介してはいない。彼らはそれを克服しうるとの自信を持っているようだが、私から見れば、未成熟な若者がと心配になる。それが取り越し苦労であってくれればいいが、必ずしもそうとは言えないところに問題がある。


 いずれにしても、すでにルビコン川を渡ったのだ。(以後の運命を決め、後戻りのできないような重大な決断と行動をすることのたとえ)ニチェボー(ロシア語で『気にしない、気にしない』という意味)というより他はない。


また、トロイにしても、私の反対と怒りを承知の上で、一応私を説得したのだから、自分の今後には責任を持ってくれるだろう。


 真奈美にしても、本日のネゴの結果、事態は急転したため、私の胸にすがりついて感謝した。私はこのとき、しみじみと娘を可愛いと思った。それでいいと思う。これも娘を持つ父親の悲哀かもしれぬ」


To be continued...

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