第35話 誰も教えてくれなかったことが起きた!
真奈美は自分の子を産むという人生の一大事を自分の国、日本で経験できることを嬉しく思った。
日本で妊娠した米人女性が、破水をしたときに、日本人の看護婦にそのことを知らせようと必死で、
「Water!」と叫んだら、看護婦がグラスに水を入れて持って来てくれたという話を聞いたからだった。
妊娠という初めての経験をするとき、言葉の壁に惑わされている余裕などない。妊娠に関するありとあらゆる本を自国語でかなりの量読みこなしたのだった。無理なく読める日本語は嬉しい。
それぞれの指導書には、授乳の仕方、風呂の入れ方など懇切丁寧に書かれてあったのだが、唯一つ真奈美が読んだどの育児書にも書かれていなかったこと、なんとそれが実際に起きてしまったのだった。
2月13日、バレンタインデーの前日、世界中で皆が愛を打ち明け合う日に女の子が生まれたら素敵である。真奈美がそんな夢のようなことを考えていた矢先、”Water!”の破水が起きた。トロイが外に走って行って手を振り、すぐにマンションの下でタクシーが止まった。
真奈美は襲ってきた陣痛の凄さに驚いた。痛いとは聞いていたが、感電による電気ショックのような痛みであるとは誰も教えてくれていなかった。
「こんなに激しいとは・・・」
まるで誰かに裏切られたような気がしたほどだった。
息ができないほどの痛みは、ショックと言った方がぴったりだった。しかし、そのショックこそが新しい生命を押し出す力となっていった。
真奈美とトロイの子、エミリアはその翌日の愛の日、バレンタインデーに生まれた。
驚いたことに、エミリアが真奈美の体内から生まれ出た瞬間、まるで映画のフィルムの早送りのように、エミリアの一生が素早く真奈美の目の前をよぎった。
それはとても不思議な現象だった。エミリアの目はキラキラと濡れて輝いていた。真奈美は、半分がトロイで半分が自分の人間がこの世に出て来たという事実が信じられなかった。嬉しくて嬉しくて、踊り出したいような気持ちだった。
あまりにも自分の赤ん坊のときにそっくりな赤ん坊だったことが愉快で、大声で笑ってしまった。エミリアの顔を一日中眺めながら、歌を歌っていた。
前の晩は出産で一睡もしていなかった上に、またその晩も興奮冷めやらず、寝るどころではなかったため、とうとう丸二日寝ずじまいで浮かれまわっていた真奈美。
エミリアの将来を考え、独り言を言い、頭の中は色々な思いで一杯となっていた。あの思い、この思いと入り乱れ、突然それらのすべてが頭の中でグルグルと円を描いて回転し始め、病院の外の車の音と、壊れた蛇口の水の漏れる音と重なり合い、ついには、いくつもの思いと音の混ざり合った回転が止まらなくなってしまった。
それは睡眠不足と興奮による疲れとホルモンの乱れだったのだが、訳分からなくなった真奈美は、一瞬気が狂うのではないかという思いがして怖くなった。
「あー、誰かこのグルグルを止めて頂戴!」
真奈美は必死でナースコールのボタンを押していた。
夜勤の看護婦と若いインターンがバタバタと足音を立てて入ってきた。興奮した真奈美は、お産で死ぬ女性もいることを思い出していた。
「先生、もしかして私は死んでしまうのでしょうか?」
看護婦はインターンの顔色を窺いながら、いかにもうるさそうに言った。
「先生、この人すべて正常なのに、死ぬとかなんとか言って・・・、鎮静剤を打って眠らせちゃいましょうか?」
次の瞬間、お尻りにグサリと痛みを感じたと思いきや、真奈美の意識はだんだん遠くなって行った。
To be continued...
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