第32話 父の秘密

 真奈美の父には沢山の秘密があった。他ならぬ父の日記がそれらをそっと暴露してくれた。


 真奈美にとっては完璧に近い父だったが、実は、一度死の谷をさまよってまた生き返った人だったのだ。暗く醜い過去があった。


 父の父、つまり真奈美の祖父は若い頃結構男前だったらしい。家具作りの職人だったが、学校の教師をしていた祖母と結婚した後も女遊びが後を絶たなかったようだ。


 可哀相な祖母は、祖父がよそでもらってきた性病にかかってしまい、しかも、それが彼女の脳を冒していったようで、最後は性病が原因で半狂乱になって精神病院で死んで行ったという。その祖母を最後まで一人で看取ったのが真奈美の父だったのだ。


 父は教師であった祖母から教育の大切さを早くから学んでいたのだろう。何があっても絶対に大学まで行くと決心していた。家具職人の祖父は教育よりも金儲け、つまり、ビジネスの方に重きを置いており、高校以上の教育は無駄だと見ていた。それゆえ、父は牛乳配達と家庭教師をすることで大学に通う授業業を自分で賄う毎日を送っていた時だった。


 母親のあまりにも悲惨な最期をその目で目撃した真奈美の父は、人生に失望し、睡眠薬を多量に飲むことで自らの命を絶つ決意をし、そして、実行した。


 生気なく横たわっていた父を見つけた下宿の叔母さんの素早い行動がなければ、そこで父の人生は終わっていたところだった。


 ということは、もし、その時父がそこで命を失っていたら、その娘となった真奈美自身もこの世に生まれてくることはなかったことになる。なんというショック!!!


 自分の意思に反して生き続けることを強いられた父は、まずキリスト教にすがり、教会でカトリックの信者であった年上の女性と知り合った。その女性と結婚して子を授かった。それが真奈美と文彦の異母兄弟である卓也と隼人だった。


 しばらくして、戦争という人々の運命を変える出来事も勃発した。最初特派員として中国入りしていた父だったが、その後兵隊となり、何年も家族に連絡をつけることができず、家族はもう戦死したものと思っていたようだった。


 戦争の最中、中国で恋愛した真奈美の父と母。戦争が終わって日本に戻ってきたとき、父は初めて、実は自分には日本に妻がいたと告白。彼らの関係は戦時中の一時的な出来事であったと大人としてお互いに納得した上で辛い別れを告げ、それぞれ別々の現実へと戻って行ったようだった。


 ところが、父が妻のところへ戻ってみると、自分はもう死んだものとされていたため、洋服など、父の持ち物がすべて売り払われていた。自分の床には義理の母が寝ており、生きていたことを喜ばれるどころか、寝る場さえなく、玄関で寝なければならないような味気のない日々が続いた。


 その後、父が福岡へ単身赴任をし、傷心の父は中国で知り合った母への想いが募り、四国まで母を訪ねて行ったらしい。母にはすでに親の選んだ婚約者がいたが、周囲の猛反対の中、二人は駆け落ちして一緒になったということだった。


 ところが、カトリック信者だった父の前妻は離婚を認めず、間に入った弁護士の取り持ちで、卓也と隼人が20歳になったときに初めて離婚が正式に成立して2度目の結婚が認められるということで同意したようだった。


 つまり、父と母との間に生まれた文彦と真奈美は、父と一緒に住んでいたにも拘わらず、戸籍上では父のいない私生児という異常な状態が何年も続いていたわけだった。子供に与えるショックを考慮してか、真奈美の両親はそういった複雑な事情を幼い子供達には一切語らないようにしていた。


 卓也と隼人に対する罪悪感を強く感じていた父は、物理的父親の存在があった第2家族には最低限必要な金だけを使い、少しでも余分にあった金はすべて父親の存在がない第1家族に送っていたのだ。


 父は、真奈美が子供の頃、新聞社で相当な地位を維持していたにも関わらず、真奈美の家族がなぜいつもキュウキュウの生活を送っていて母ができる限りの節約をしていたのか、その理由がこれではっきりとした。


 確かに、事実を知った時の真奈美は動揺したにはしたが、もうすでに自分自身の人生を確立した後だっただけに冷静に受け止めることができた。


 子供時代の複雑な事情が原因となって大人になってからも苦しんでいる人が多い中、小さな子供たちが何も知らずにのんびりと育つようにと配慮してくれた両親の知性に心より感謝するのだった。


 父が普段からどうしても言わなければならないことに限ってだけ口を開くような言葉少ない人であった理由も分かったような気がした。


 死を知っている人は生をもよく知っている。父は、一度は死んで、2度目の人生を、それも多くの問題を引きずりながら何とか生きていた人だったのだ。  


 父の日記は遥々海を超えて、初めてこれら多くの真実を知らせてくれたのだった。


To be continued...

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