第33話 母の苦悩


 更に父の日記の中にあった事実は真奈美の母の人生をも明確に説明してくれた。


 物心つく頃から、真奈美はときおり訳もなく母の様子がおかしくなることに子供ながら気付いていた。急に暗く落ち込んだ母のネガなエネルギーを幼いなりに感じ取って、真奈美は母の邪魔をしたりしないようにいつも注意して様子を見ていた。


 それでも、しょせん子供は子供。つい忘れて騒いだりしたときには、普段よりずっと厳しく、そして、冷たく叱られたものだった。


 一番悲しかったことは、真奈美が過ちを認めて泣きながら謝ったときでも、どこか別の問題で暗く悲しみに包まれていた母は一度も真奈美を抱いてくれなかったばかりでなく、泣いている真奈美をそこに残したまま他の部屋に消えてしまうのが常だったことだった。


 その上、消え去る前に、真奈美の欠点が父親譲りだと苦々しく言い放したのだった。


 今になって考えてみると、あの周期的に母を襲った暗黒の時期は、ちょうど父が彼のもう一方の家族を訪問していた時期と重なっていたのだと理解できる。


 父があちらに度々顔を出していた理由は、残してきた子供に対する罪悪感からだと母も理解を示していたようだが、そこには必ず前妻が子供たちと一緒にいたわけだ。

 

 彼女のお陰で自分の結婚すら認めてもらえなかった母にとっては、夫が本妻といると思うだけで、きっといても立ってもいられない状態だったに違いない。だから、父の立場を理解はしていても、そんな辛い状況に母を置いていた父を恨んでいたのであろう。それで、父に対する怒りが、父によく似た真奈美に投げられていたのだ。


 そんな境遇に14年もの長い間耐え続け、その後やっと正式な妻の座を得た時の母の思いがどんなものであったか、真奈美には分かるすべもなかった。勝気で負けず嫌いだった母だからこそ強く耐え抜くことができたのかもしれない。


 真奈美は知ってはいけなかった事実について誰かに話すことをしなかった。父の秘密は秘密のままそっとしておいてあげたいという思いからだった。


 もし、文彦と真奈美が私生児であったことを小さいときから知っていたとしたら、今のようにのほほんとした呑気者の自分があっただろうかと疑う。


 兎にも角にも、事実を隠していた両親を責めるより、何も知らずにのんびりと子供時代を過ごせる様に配慮してくれた両親にただただ感謝する真奈美だった。


 父が日記の中でこのことについて触れていた部分があった。

「何を言っても言い訳になるから、また、それを知ったからと言って、いまさらどうにもならぬことだから、その事実を知らなければ知らないままにと私はそのままにしていた。それは卑怯な逃避かもしれない。そして、今日まで知られないままに来ている。


 しかるべき機会を捉え、文彦と真奈美に事実を話し、できれば兄妹の対面をさしておくべきだったのかも知れぬ。


 でも、私は対面させることを躊躇している。できればそっとそのままにと考えている。いわんや、自分の若い時の不始末について、自己弁護するようなことはしたくない。


 要は、私が悪かったのである。卓也や隼人に対しては、いくら詫びても詫び足らないほどの心の痛手を与えたことはいうまでもない。その反省があるからこそ、私は真相を四人の子供に言うのを躊躇うのだ」


 真奈美としては、ここでも日本人的反省精神が働いていることに驚愕せざるを得なかった。


To be continued...

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