第47話 日本語が英語に聞こえてしまった?

 実は、関西に住み着くまでの間、真奈美は大阪で暮らすことを少なからず心配していた。いくら日本とはいえ、自分の育った東京と違って、知る人もいない土地で、しかも外人の夫を連れているとあれば、偏見の目で見られるに違いないと思っていたのだ。


 ところが、オープンな関西人。トロイが到着してからも、関西弁での挨拶が済むと、ガイジンであれなんであれ、大手を広げて受け入れてくれた。


 しかし、そんな開放的な関西人の中でも英語アレルギーの人はいた。


 あるとき、トロイが一人で留守番をしていると、誰かが外のブザーを鳴らした。

「どなたでしょうか?」トロイがインターカムを通して日本語で答えると、

「郵便配達の者です」という応えが返ってきた。


「はい、すぐ行きます」

トロイが東京在住中に覚えた日本語はまだそれほど錆びれてはいなかった。


 ところが、トロイが玄関から顔を覗かせた途端、郵便屋はまるでお化けにでも出くわしたかのようにびっくり仰天。


 トロイがまた日本語で、

「なんですか?」と言っていても、郵便屋の耳には英語のように聞こえたらしい。


「ありゃー、こりゃあ、困った。」と叫びながら、用事も忘れて吹っ飛んで行ってしまったという。


 あるときは、再びトロイが一人で留守番をしていたことがあった。京都かどこかのお婆さんが何やら袋を背にやって来て、ものすごい癖のある関西弁でまくし立てたらしい。トロイが理解できたのは、このお婆さんがハサミと包丁を貸して欲しいと言っていたということだけだった。


 近所のおばあさんがハサミを借りに来ただけだと思ったトロイは、奥へ行って引き出しからいつも使うハサミを持って来てそのお婆さんに渡した。ところが、お婆さんは、

「もっとあらへんか?」と言う。


 トロイは「もっと」という言葉だけが分かった。変なお婆さんだなと思いながらも、家中をかき回してハサミや包丁を集め、ジュリアン用のウサギの形をしたうさちゃんハサミまでみんなそのお婆さんに渡してしまった。


 お婆さんは、やっと満足したようにニッコリと笑うと、沢山のハサミを手に外へ出て行ったという。


 その後真奈美が帰宅して暫くすると、そのハサミのお婆さんが戻って来た。トロイから話を聞いていた真奈美は、お婆さんからすべてのハサミを受け取った。


 ところが、「おおきに」とだけ言って帰るであろうと思っていたお婆さんが、なんと2500円というお金を請求してきたのだ。


 不思議に思った真奈美が、なぜハサミを貸した上にお金まで払わなくてはならないのかと尋ねた。


 すると、お婆さんは言った。「ハサミの研ぎ代や」


「ああ、そうか。トロイは研ぐという日本語を知らなかったんだ。大阪へ来て買ったばかりのハサミや包丁は皆とてもよく切れたのだったが、やれやれ、こりゃあ、仕方がないわ」


 諦めた真奈美は、財布から2500円を出してお婆さんに渡した。


 そう言えば、アメリカに住んでいた日本人のところへよくセールスの電話が入って来て、とかくセールスマンが早口で捲くし立てるものだから、何がなんだかさっぱり理解できない日本人が適当に“Yes”“Yes”と返事をしていたら、頼みもしない百科辞典のセットが送られて来てビックリ仰天したという話を聞いたことがある。


 そのまったく逆のことが関西でガイジン相手に起きていたわけだった。


それ以来、トロイは家にいるときに人が来てもまったく玄関に出なくなってしまった。


 その上、トロイが共に研究をすることを楽しみにやって来た音楽大の教授がある病気にかかってしまい研究が進まず、彼のプランは完全に狂ってしまっていた。しかし、一年分の奨学金をすでに受け取ってしまっていただけに、デトロイトに帰るにも帰られず、トロイは毎日家に閉じ篭って誰にも顔を見せず、ただただデトロイトに戻る日を指折り数えるようになってしまった。 

    

 何もせずに日数だけ数える夫を持つことになった真奈美の生活はとても忙しい毎日となった。夕食の支度中にジュリアンが泣き叫び、電話が鳴り、ドアのベルまでが同時に鳴っていても、ガイジンの夫は知らん顔。


「ちょっと電話ぐらい出てくれたっていいでしょう!」


 苛々とした真奈美もいつしか声をあげるようになっていた。


 そんなこんなで順調なスタートを切った大阪での生活も散々な結果となり、一年後の秋、トロイが待ちに待っていたデトロイトへ戻る日がやってきた。


To be continued...

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