第24話 眠れない父が日記を綴る・・・

 お父さん、あのときお父さんはどんな気持ちでいたのでしょうか?


 1976年5月の父の日記、

「今12時少し前、例によって寝られず、時々叫び出したいような焦燥感を覚える。大役も終わって、もう日本に帰りたい気持ちで一杯である。実に笑うべき女々しさか?海外旅行はもう嫌というのが現在の心境。」


海外旅行には慣れていたと思っていた父が、実は時差ぼけに伴う海外旅行のわずらわしさをかなり強く感じていたなどとは少しも知らずにいた真奈美だった。なぜなら、父はそんなことをおくびにも出さず、昼間ただただ真奈美の方を見て微笑んでいただけだったからだ。


 このことは、そのときだけに限ったことではなかった。父はその後も真奈美に会いに何度も渡米していた。その度に日記には「真奈美のためでなければしなかった」と記していた。


 若かった真奈美は、それらの旅が父にとって肉体的にどれほど大変なものだったのか、自分がその年になる今日まで気付いてさえいなかった。


 父は眠れない中で日記を続けた・・・。


「真奈美、今度の旅行でおまえを再確認することができた。その最大点は、お前が体に似合わず逞しく意欲的に生きていることだ。毛色の違った人ばかりの世界で、言葉の不自由さを克服して、その生活に溶け込んでいるお前を見て、私は目を見張るような気持ちがした。私は大いにお前を褒め称えてやりたいと思う。


 褒めついでに、もう一つ私が感心したことは、お前がつとめて楽観的にものを考える姿勢を示していることだ。アメリカ人は余り不満を言わない国民だと聞いている。アメリカでマルクス主義が根付かないのは、この思想が典型的な一般的不満の理論化だからだという人もいる。確かに挨拶の中でも彼らは”Fine”をよく使う。虚勢とも取れるほど、彼らは明るい態度を示す。


 そして真奈美自身も、このアメリカ的性格の中に溶け込み、不平や不満を少しも言わなかった。恐らく,自ら選んだこの道での責任をお前はすべて担い、必ず幸福になってみせると決心していることがよく窺がわれた。その点お前をお父さんは信じきっている。」


「お父さん、真奈美にとって、お父さんに認められることほど嬉しいことはないよ」

 亡き父の日記に一人で話しかけている真奈美だった。

 

To be continued...

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