第4話 日本以外の世界の存在

新聞社を定年退職した後、大学でマスコミを教えるようになった父は、学生のアメリカ留学に講師として付き添うことが多くなり、真奈美や文彦にとって海外旅行だけはとても身近なものに感じられていた。特に真奈美は、小さい頃から日本以外にも世界が存在しているという事実にたまらない魅力を感じていた。日本での常識が世界の非常識ということもあるかもしれない。それを自分の目で確かめたいと常に思っていた。


 そんな折、なんと思いもかけず父が文彦を一緒にアメリカまで連れて行ったことは真奈美にとってとてつもないショックだった。なぜなら、文彦は特にアメリカに興味を示していたわけではなかったからだ。


「アメリカに興味を持っていたのは他ならぬ私なのに・・・。」


 しかし、その理由を聞いてみると、とても単純だった。文彦の方が年齢が上だったからというあっ気ない返事が戻ってきた。


 ということは、年さえ上になれば、真奈美もアメリカに行かせてもらえるということだと納得した。


 そんなわけで、とにもかくにも、彼女は一日も早く成長したい一心となった。だから、真奈美のティーンエージャー時代は、ただただ毎年年齢が上に上がって行くことだけを指折り数えていたようなものだった。


 そして、ついにその夢が実現する時が到来した!


 ことの始まりは真奈美のアメリカ夏季留学だった。今はもう夏季留学など珍しくも何ともない時代となっているが、真奈美が短大の2年生だった1970年代の始めにはまだまだその数はごく少数に限られていた。だから、日本の親たちにとって子供を外国へ出すことは未知の世界であり、様々な不安もあったに違いない。


 ところが、普段お金に口うるさかった真奈美の母親でさえ、

「お母さん自身、四国の田舎から大阪へ、そして、中国へと渡ったからこそ、今の自分がある。お父さんとも中国で初めて会ったんだよ。おまえも、アメリカでもどこへでも行って何かを学んでおいで」 と、真奈美の留学に大賛成して随分気前良く、どう工面したのか大金をポンと出してくれたのは真奈美にとって大変なる驚きだった。 


 アメリカの大学に向う出発の前の晩、父は真奈美を彼の「城」に呼んだ。


「留学に行く限りは、積極的に英語を話してアメリカ人の真っ只中に入り、アメリカの文化に十分に触れて来い。他の日本人学生と戯れながら日本語ばかり話すのでは何のための留学か分からない。そんなことのためにお父さんとお母さんはお金を出すわけではないのだよ」


 この理論は合理主義者だった父の口から出る言葉としてはいとも自然だった。父はそう言うであろうと予想することさえ出来た。


 それよりも、そのとき19歳だった真奈美は、生まれて初めて日本を旅立つ興奮で頭が一杯で、とても親の心情などを思いやる余裕など持ち合わせていなかった。


この夢の様な体験を実現させてくれるスポンサーを目の前に、

「お父さん、心配しなくてもいいよ。日本人学生とばかり固まったりしないから」

 とそれだけ約束するのが精一杯だった。 

                     

 父は日記の中で真奈美の出発直後のことをごく短く以下の様に書いていた。

「真奈美、アメリカへ旅立つ。今頃はまだ太平洋上だろう。掌中の中の玉を奪い去られたような一種の虚脱感を覚える」


 ところが、当のご本人はというと、そのとき正に雲の上を飛んでいたわけだが、気持ちまで雲の上をフワフワとスキップしているように有頂天だった。「親の心子知らず」とはまさにこのことだった。


To be continued...


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