第18話 独立精神の基本ルール
こうして、アメリカ育ちでない真奈美が一人だけアメリカンフットボールの魂にのめり込めずに白けていても、そこではそれはあくまでも本人だけの問題であって周りの者の知ったことではなかったかのようだった。
「仲間に入って一緒に楽しみたいと思うなら、ミシガンのチームやフットボールの細かいルールについて自分で研究を重ね、だんだんとゲームに興味を持てるよう自分で努力をしてご覧」と暗黙のうちに言われているような気がした。
そういった努力もせずに、
「ただ一人取り残されていて寂しい」などという考えは、弱い人間の惨めな被害妄想としてしか取られない、そんな雰囲気だった。
「マナミがつまらなそうにしているから、他の番組に切り替えてあげよう」などというような細かい気配りを示してくれることをこのスポーツ狂たちに期待することは無駄なことであった。 ミセス・トンプソンでさえそんなスポーツ狂の一人だった。
それどころか、こちらのそんな白けた気分などかき消すように大声で叫ぶ。
「ゴー、ブルー!」「ゴー、ミシ!」の応援は、真奈美の気持ちをよそに休みなく永遠と続くのだった。
そんなとき、真奈美は一人2階の部屋に閉じ篭って思いっきり泣いた。泣き声を聞けば、いくらなんでも誰かが心配して上まで上がって来てくれるかもしれないと密かに甘えていたわけだ。ところが、そんな気配は少しも見られなかった。
このとき初めて、真奈美は英語で言う“Leave her alone(そっとしておきなさい。)”というセンテンスの意味を、身を持って学び取ったのだった。 特に独立精神の強いこの国では、仲間に入れてもらいたいと思ったら、誰かが誘ってくれるのを待っていたのでは駄目なのだ。本人自らが「ハーイ」と言いながら積極的に笑顔で入って行かなくてはならない。
アメリカ人に言わせると、本人が入って来ない場合は、
「そっとしておいて欲しいのだろう」と察するのがアメリカ的気配りなのだそうだ。
そこで、気を変えて皆のいる部屋に入って行くと、
「どうやら仲間になる準備が整ったようだ」と理解される。ここで初めて暖かく迎え入れられる。アメリカとはそんなところのようだった。
いわゆる日本式の「甘え」というものはほとんど通じない。
ついに、いつまでも一人で泣いているのが馬鹿馬鹿しくなった真奈美は、顔を洗って下に降りていった。
すると全員、
「あ、マナミが戻ってきた!」と派手に喜んではくれた。だから、真奈美もつまらない自分への同情心を忘れ、また、やけくそ気分も手伝って、皆と同じように「ゴー、ブルー!」と叫んでいたのだった。
真奈美はこのとき、この国において「自分を救えるのは自分しかない」というアメリカの独立精神の根本ルールを学び取った気がした。
他人を、時には必要以上に意識し気遣う国の文化と、他人に干渉することなく自分を主張する国の文化の違いだろうか。
また、この「自分を主張する」という作業をアメリカでする場合、まったく抵抗なくやってのけるべきである。利己主義になってはいけないなどとためらっていると、自信なげな説得力のない弱い人間と見なされ、通る意見も通らず無視されるのが落ちである。
しかし、日本で厳格に育てられた真奈美には、
「ミシガンのゲームを見るよりも、私は他のことをしたいのです」などということは、周りの人々が浸っている楽しい雰囲気を壊してしまいそうでどうしても失礼としか思えず、ただただ無理をしてゲームを楽しんでいるような振りをしていたのだった。
そうした日本的な遠慮は誰に気付かれることもなく、真奈美はその後何年にも及んでこのフットボール拷問を受け続ける羽目に陥ったのだった。
To be continued...
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