第21話 アメリカ的思いやり?
トロイの親戚は、初対面の紹介が終わると、その次会ったときからは、最初の興奮もどこへやら、もう真奈美が日本から来た外国人であるということを気に留める人は一人もなく、他のアメリカ人の従兄弟たちと同じ扱いとなった。トロイは、これがアメリカ式思いやりの一つだと言った。
とかく外人を特別視する国から来た者としては、それは自然さを超えて無関心に近く、物足りなくさえ感じられた。
「アメリカはどうですか?」とか、
「日本が恋しくないですか?」とか、何とか一言ぐらい聞いてくれてもいいのではないか?
アメリカ人に言うのと全く変わらず、皆ただただ、
「ハーイ、ハウアーユー」で過ぎて行く。
だから、ときに真奈美は彼らの腕をぐっとつかんで、
「ちょっと、あなたたち、私は遠い異国である日本から来ているのよ。忘れたの?たまには何か少し聞いてくれてもいいんじゃない?」とでも言いたいぐらいの衝動にかられ、ほのかな寂しささえ感じていた。
この傾向は、何年経ってもそのままであった。これを思いやりと取ることはなかなか難しく、
「私のことなどどうでもいいのでしょう」とついひがんでしまい、思いやりどころか、冷たさとして写ってくるのだった。
日本にいる外人が、日本人からの質問攻めに遭って、
「お箸使えますか?」
「寿司食べられますか?」
「納豆大丈夫ですか?」などと矢継ぎ早に聞かれるのが羨ましいことこの上なかった。
しかし、これこそが、「人種のるつぼ」と言われるアメリカなのかもしれない。
その実、当の真奈美もしばらく鏡を見ないでいると、自分だけ東洋人の顔をしていることさえ忘れてしまっていた。たまに鏡の前を通っては、皆と違った顔を見て、
「オヤ?」とビックリしたものだった。
それにしても、特別視とまでは行かずとも、たまには、
「外国生活は大変ではないですか?」ぐらいは言って欲しいと思うのは、やはり日本にある「甘えの構造」に乗っ取った考えなのだろうか?改めて自分のルーツを意識する真奈美だった。
しかしながら、ここでも真奈美はアメリカに対するこのような不満を日本の両親に打ち明けることだけは避けていた。
「だから、言っただろう?アメリカ永住のような大それたことを決めるにはまだ若過ぎる・・・もっと深く考えるべきだ・・・」と言われるのが嫌だという意地を張っていた真奈美だった。
To be continued...
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