第55話 死を直視することで得た勇気
義母の死によって、真奈美の人生そのものが大きな転換期を迎える事となった。
理由はなんであれ、真奈美が現在置かれている状況は狂っている。だからこそ、心の底からの幸福感というものを味わえずにいるのだ。
突然父がよく口にしていた言葉が頭に浮かんだ。
「議論をするなら、理論を理解しようという冷静な判断力のある人とだけしなさい。それ以外の人との議論は時間とエネルギーの無駄である。後悔するだけだ」
そんな折、ニューヨークで開かれた旅行業者の会議に参加する必要が出てきた。
何はともあれ、ニューヨーク行きの飛行機に乗った真奈美だった。
ところが、行きの飛行機が激しい嵐の真っ只中に入り込み、危うく飛行機が落ちそうになった。パイロットが着陸に何回も失敗し、地上が見えたと思った途端また大空に舞い上がるという危険な技を繰り返したから堪らない。
まるでローラーコースターに乗っている様で、真奈美を含めて何人もの人が「ゲー、ゲー」とそこら中で吐きまくっていた。
後もう一回失敗したら?という切羽詰まったところまで来ていた。パイロットは大変危険なことに挑戦していた。機内は、隣に座っていた体の大きなアメリカ人男性さえ恐怖を感じて神に祈っていたほどの危機的な状況だった。
やっとぎりぎりで着陸に成功して死なずに済んだが、あのパイロットのやったことは危険過ぎたようで、真奈美たちの飛行機の着陸を最後に空港はその日一日中閉鎖されたほどだった。
真奈美は思った。もし真奈美があそこで死んでしまっていたら、少なくとも真奈美の評判だけは良かった筈だ。
「夫や子供のために一生懸命働いた健気で清純な女」として、トロイの親戚の人たちも真奈美を褒め称えたことだろう。でも、それはあくまでも偽の姿。いくら素晴らしいようでも、虚像は虚像に過ぎない。そんなものに何の意味があるというのだろう。虚像を残して死ぬなどということはしたくない。真奈美は死なずに済んだことを感謝した。
この際、トロイのしたことは問題ではない。自分自身の行為だけにフォーカスしてみよう。
「そのためには、まず自分のしたことを全て告白しよう。この世で自分の立場が最低のものとなって落ちて行くことは目に見えている。しかし、そうすることによって、私は自分の罪の深さをこの身で感じる必要がある。なぜなら、今は尊敬することのできない哀れな自分が存在しているからだ。自分を罰することで、世間の評判などよりももっともっと尊い決定的存在、神にも等しいものと向かい合うこともできるだろう。それによって自分は勇気を得、もっと強く生きていけるだろう」
このときほど人間の上に立つ宇宙のエネルギーのようなものを強く感じたことはなかった。
結論はただ一つだった。明確な結論だった。全ての人の前に真の自分をさらけ出すことだった。
それで皆が自分の前から去って行ったとしても、自分にはそれに耐えられる勇気がある。それよりも、一時は失った自分に対する尊厳を取り戻すことの方が重要だ。今の自分に必要なものはそれだ。ちんけな評判など問題ではない。とにかく、混乱事項を一つ一つ取り除いて身軽にならなければ冷静な判断を下すことすらできないだろう。
真奈美の父は日本では少数派のキリスト教信者だった。大学でも神学を学び、新聞記者になる前は牧師になることさえ考えていた。そんな環境の中で育った真奈美だけに、子供の頃もサンデースクールに行って話を聞いたりしていた。それだけに、アメリカで教会に行くことにはそれほど抵抗がなく、義母の死後は1年間ほど毎週近くの教会に通ったりしたものだった。
しかし、この混乱の中にあって、日本で生まれ育った自分の中に、いかに多くの仏教的な考えが入り込んでいるかに彼女はハタと気が付いていた。その中でも禅宗に見られる自力本願の教えはすっと入ってきた。
真奈美は他でもない自分自身で自分を罰して清める行動に出ることを決意し、開始したのだった。
To be continued...
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