第75話 トカゲの幸運

※本編の30~31話とエピソードとしては重複していますが、書籍版として細部に修正が入っています。


――――――


 その翌日、俺は久しぶりに、シャツとジャケットを戸棚から引っ張り出して袖

そ でを通した。

 前に働いていた会社を退職して以来だから、一ヶ月以上ぶりだ。前はほとんど毎日着ていたのに、改めて身につけると、どうにも窮屈で仕方ない。今では、袴や作務衣のほうが落ち着くのだから、結局のところ大概のことは慣れなんだと思う。


「さて、行くか」


 俺は鏡の前でジャケットの襟を整えると、車のキーをとって家を出る。


「しかし、うまくいくのかな……」


 一抹の不安が頭を離れないが、とにかくやるしかないと、俺は気合を入れて車のハンドルを握った。


 今日もまた、畑と田んぼが広がる田舎道を走る。水田は耕されて黒い土を日にさらし、畑には作物の苗が育ちはじめていて、緑が伸びはじめる季節だ。晴れた日中は汗ばむくらいの陽気だった。


 走りはじめてしばらくして、小さな声が聞こえた。


『わーわー、ふっとぶー』

「ん? デジャブか?」


 昨日も同じような声が聞こえたような……俺はスピードをゆるめて、車内を見回した。フロントガラスに、見覚えのある影。


「おいおい、お前、またついてきたのかよ」


 しっぽの青いトカゲが、またもやフロントガラスで、風に飛ばされそうになっている。俺はすぐ車を降りてトカゲをすくいあげて、車内に入れてやった。


『たすかったー』

 トカゲは安堵したようにつぶやくと、日の当たるダッシュボードに移動して、昨日と同じように、日向ぼっこをはじめる。


『ごくらく、ごくらく』


 気持ちよさそうに目を細めるトカゲ。


「こいつも、よくわからないよな……」


 なんでいちいち、ついてくるんだろうか? まあ、ほっこりするからいいか。

 トカゲをお供に車を走らせながら、俺は町の景色を見るともなく眺めた。


 子供時代を過ごした町だが、約十年経って戻ってくると、やはりところどころの風景が変わっている。地元にUターンしてきて、早くも一ヶ月が過ぎたが、その間に気づいたことは色々とあった。


 例えば、小学生のときに、通学路の途中にあった駄菓子屋さんがなくなっていたこと。駅前の小さな商店街に、いつでもシャッターの閉まっている店舗が増えたこと。コンビニができたこと。

 知っているおじさんの家が、空き家になっていること……。

 春になっても耕される気配もなく、雑草の覆い茂った畑や田んぼもちらほらと目につく。

 それでもこの町はまだ、大きめの都市へのアクセスが悪くはないから、マシな方なんだと思う。

 もっと山奥の小さな町や村になると、人がどんどん減っているんだろう。


「世知辛い世の中だよな……うちみたいな零細神社なんて、ほんと経営は無理ゲーだよなあ」


 他の小さい神社の神主さんたちは、どうしているんだろうか。やはり、大きい神社が世話をしていることが多いんだろうか。


 そんなことを考えていると、最初の目的地の建物が見えてくる。

 平屋で屋根の高い、倉庫のような外観の建物だ。低い塀で囲まれた敷地内には、軽トラや古びたミニバンが停まっている。社屋の灰色の壁には、一文字ずつが白い四角い板に書いてあるタイプの看板があって、「山田工務店」とあった。


「こんにちはー」


 俺は事務所入り口の引き戸をそっと引き開けると、おそるおそる挨拶した。入り口の横にはカウンターがあり、その奥にはデスクが四つほどくっついた事務エリアがあって、四十過ぎくらいの女性がひとりと、作業服を着た男性がふたりほど、パソコンに向かっている。

 カウンターの上には家のリフォームの案内があった。


「いらっしゃいませ」


 女性が立ち上がって、カウンターまでやってきた。


「えっと、あの……」


 俺は用件を切り出そうとしてためらう。実のところ、知らない人と話すのはそれほど得意ではないのだ。何しろ、俺は基本、オフィスに引きこもっているITエンジニアだったから。

 女性が怪訝そうな顔をしている。やばい、怪しまれている。俺は緊張しつつも、思い切って口を開いた。


「あの、私は白水神社を新しくお世話させていただくことになった、山宮と申します。いつもお世話になっております」


 工務店は、地鎮祭なんかを依頼してくれる、神社にとってはお得意様のひとつだ。

 女性は「ああ」と眉を開いて、デスクでパソコンの前に座っている男性のひとりを呼ぶ。強こわおもて面で上背があり、棟とうりょう梁みたいな風情の男だ。俺は若干ビビりながらも、挨拶を繰り返す。強面の男はにこりともせず、不愛想に言った。


「前の宮司さんは、引退されたんで?」

「ええ、父は最近、体調がすぐれないため、息子の私が後を継がせていただきました」

「そうですか。これからも、ご祈祷をお願いすると思うんで、よろしくお願いしますわ」


 それで話は終わり、という雰囲気になってしまいそうだったところを、俺はあわてて本題を切り出した。


「あの、実はお願いがありまして……」


 男は片眉をくいっとあげた。


「お願いとは?」

「神社の屋根の修復が必要になりまして、それにあたって、御寄進をお願いしたく……」


 総代さんが、氏子さんたちから集金してくれるとは言っていたものの、このご時世、あまりみなさんに負担をかけるのも申し訳ないな……と思って、俺はダメ元で、地元企業にも寄付をお願いして回ることにしたのだ。いわば、営業活動である。零細神社は辛い。まあ、就任の挨拶もかねているし、いいかなと思ったのだ。


「そうですか。ですが、うちもあまり余裕はなくてですね……」


 強面の男は困ったように、断る気配を出してきた。

 くっ。不景気な世の中、そう簡単にはいかないか……。俺が肩を落としかけたとき。服のポケットで何かがもぞもぞと動いて、トカゲの青いしっぽがちらっと見えた。

 すると、後ろのデスクにいたもうひとりの若い男が、急に大声で叫び出した。


「ちくしょー、やっぱりうまくいかない!」


 そして、いきなりパソコンのモニターをばんと叩いたものだから、俺も強面の男もびくりとする。


「おい、お客さんがいらしてるんだぞ」

「あ、すみません。でも、全然うまくいかなくて……」


 どうも、パソコン関係のことでお困りのようだ。そこで俺はぴんときて、男に尋ねかけた。


「どうされたんですか?」

「いえ、ちょっと会社のホームページをいじっていたんですが、ページがうまく表示されなくなってしまって……」


 うちで一番若いからって、仕事を押し付けられて、と若い男がブツブツ言っている。おお、俺の得意分野ではないか!


「あの、私が見ましょうか? こう見えて、システムエンジニアなんですよ」


 神主になる前は、東京でエンジニアやってました、と説明すると、強面の男も、パソコンの前で泣きそうな顔をしていた男も、「本当ですか!」と声をあげた。


「それは、助かります。うちはパソコンの苦手なやつが多くてですね。社長命令でホームページを新しくしたはいいものの、うまく扱えなくて……」


 予算をケチって、自分たちでやろうとしたが、うまくいっていないらしい。

 

 その三十分後。


「おお、ちゃんと表示された!」

「よかった、俺じゃどうやってもできなかったのに! さすがプロ!」 


 ウェブサイトの不具合を修正して、ついでに更新手順を説明する簡単な説明書も作ったら、工務店の人たちにむちゃくちゃ感謝されてしまった。


「ありがとうございます!」

「フリーでエンジニアの仕事も受けていますので、ご依頼いただければ、もう少し使いやすい感じにもできますよ」


 さりげなく、副業のほうの営業もしておく。


「さっきの寄付の話だがな、社長に話しておきますよ」


 強面の男がさっきとはうって変わって、親切にそう申し出てくれた。


「本当ですか、ありがとうございます」


 なんだかよくわからないが、最初の目的まで達成されてしまった。

 うん。ラッキーだ。俺はほくほくして「山田工務店」を後にした。


 車に乗り込むと、トカゲがちょろちょろとポケットから出てきて、定位置になりつつあるダッシュボードの上に陣取る。


『よかったねー』


 まるで、先ほどのやりとりを理解していたかのように、俺にねぎらいの言葉をかけてきた。


「おかげさまでな」


 次の営業先は、車屋だった。洗車に車検や修理、ちょっとしたカスタムまで請け負っているところ。

 トカゲは当然のように、ポケットにもぐりこんでくる。

 ここの親父は、黒髪をオールバックにして、ぱかぱか煙草を吸うちょっと怖い見た目の人で、俺は少しばかり苦手だった。だけど、うちの神社で車のお祓いをすることもあるから、もしかしたら寄付してくれるかもしれないと期待している。


「あの~」


 俺はおそるおそる、ガラス張りの事務所の扉を開いて声をかける。事務所の壁際には、細々とした車用品やエンジンオイルの見本などが置かれた棚があり、奥に接客用のテーブルが置かれている。

 ちょうど、俺の苦手な車屋の親父がいて、「いらっしゃい」とドスのきいた声で出迎えてくれる。紺色のつなぎには黒い油汚れがついて、いかにも車の整備をする人の格好だ。


「白水神社の神主をやっています、山宮です」


 お決まりで自己紹介をして、屋根修繕のための御寄進について説明をする。

 車屋の親父は眉間にしわを寄せて話を聞いていたが、説明が終わると、いきなりあっさりと「わかった」とうなずいたものだから、俺は拍子抜けしてしまった。


「あ、ありがとうございます」


 俺は頭を下げて、車屋を辞した。


「気持ち悪いくらい、とんとん拍子に進むな……」 

『よかったねー』


 トカゲがのんびりとした口調で、またねぎらってくる。

 俺はふと疑問に思って、トカゲをじっと見つめた。この幸運、もしかして、こいつのおかげなのではないか? 実は、ものすごく神聖で特別なトカゲとか……。 

 だけど、つやつやした背中の黒い縞模様も、青いしっぽも、どう見ても普通のトカゲだ。それに、か細い声や幼い口調は、力のあまりない典型的な「小さきもの」の声だった。


「なあ、お前、何者?」


 俺はトカゲに尋ねた。


『なにがー?』


 トカゲはのんびりした口調でそう言った。


「お前、実はすごい神様なのか?」

『なにそれ?』


 俺が質問をしても、トカゲはあまり理解してないようで、要領を得なかった。

 その後さらに二社、地元企業を回ったが、どちらもポンポンと話が進んで、俺はいっそ、騙されているのではないかと疑ったほどだ。

 休憩がてら、駅前のコンビニでコーヒーを買って、車の中で飲みながら、ダッシュボードの上でくつろいでいるトカゲを、まじまじと眺めた。


「なあ、お前もしかして、幸運の神様か?」

『えー?』


 俺の問いかけに、トカゲは相変わらず、気の抜けた返事をするばかり。なんだかよくわからないままに、俺は営業を終えて帰路についた。


 まあ、終わりよければすべてよし、かな。

 田舎道をドライブして、鳥居の側にある家に着くと、トカゲは『じゃーね』と言って森の藪の中へ隠れていった。俺はすっかり同志のようになった青いしっぽを見送った。

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