第53話 作業服の男たち

「そこで何をしてるんですか?」


 紺色の作業着をまとった男がふたり、険しい顔でこちらを見ている。

 腰には無線機と、工具の入った腰袋を提げている。袖のところには、どこかの企業のシンボルマーク。

 

 対峙するのは、作務衣姿の俺と、灰色の子犬と、二羽のカラス。

 

 明らかに怪しいのは……俺たちのほうだよな。

 もしかしたら、カラスとしゃべっているのも見られていたかもしれない。

 冷や汗がこめかみをつたった。


「いや、えっと、ちょっと散歩を……ははは、よいお天気ですので」

 俺はへらっと笑って頭をかき、適当にごまかそうとしたが、男たちはにこりとも笑わない。

『なぜこやつらに媚を売るのだ』

 そして、背後からお犬様にも突っ込まれて、俺はしどろもどろになる。

 いやだって、俺たちのほうが侵入者なのは間違いないし!


「困りますよ。犬の散歩はよそでお願いしますよ」

 作業着の男たちは横柄な態度で道路へとくだる小道を指さして、「ほら、今すぐ敷地から出てください」と言った。

 俺は事を荒立てるのは避けようと、「すみませんでした」と適当に謝って、そそくさと立ち去ろうとした。

 が、隣から聞こえた低いうなり声で、ぴたりと動きを止める。


『わたしは飼い犬ではない』

 ぞくっとする威圧感のある声。

 おそるおそる振り返ると、お犬様の毛が逆立ち、全身から揺らめくような鈍い金色の光が立ち上っている。

「だ、ダメですよ」

 焦った俺はお犬様を宥めようとするが、触れようとした手が見えない力にはじかれる。

 やばい、飼い犬扱いされて、お犬様がお怒りだ。

 

 男ふたりは、対峙しているのが偉大なる山の神だとは、露ほども知らないはずだが、ただ事でない気配を感じたのか、たじろいで後ずさった。

「い、犬の放し飼いは条例で禁止されてますよ!」

「早くリードで繋ぎなさい!」

「あっ、それは火に油!」

 止めようとするも、遅きに失した。

『だから飼い犬ではないと言っておろう!!』

 お犬様が、そのモフモフ子犬姿からは想像もつかないような鋭い声で吠えると、ごうっと音を立てて強風が吹きつけ、男ふたりはびくりと身を震わせて、腕で顔を覆った。

 風が通り過ぎた後に、小石や木の枝がパラパラと降り注ぐ。

 

 しん、と俺たちの間に沈黙が降りた。

 やれやれ困ったなと思っている俺に対し、作業着の男たちは、何を見たのか顔色が青ざめている。

「と、とにかく、すぐに立ち去ることです!」

 男たちは情けない裏声で叫ぶと、転びそうになりながらソーラーパネルの間へ駆け去っていった。


 俺はその後ろ姿を見送りながら、頭をかいた。

「お犬様、脅しすぎでは?」

 呆れまじりで俺が言うと、お犬様はしれっとした顔をして、後足で耳をかいた。

 すっかりいつも通りの、モフモフ子犬だ。

『神を冒涜するからだ』

「まあまあ。彼らは何も知らないのですから」

 というか、あの人たちは職務を全うしただけで、ちょっと気の毒ですらある。

『山の神は偉大かぁ。失礼なやつらかぁ』

 カラスが勝ち誇ったように鳴く。

 お犬様はまんざらでもなさそうに、ふんと鼻を鳴らした。

『わたしが飼い犬とな。むしろこやつのほうが、わたしの犬と言っても過言ではない』

「ちょっと、お犬様!?」

 さりげなく犬扱いされてるが……あまり否定できないのが辛いところ。

 何しろ俺は、神にご奉仕する立場だから。いわば神の下僕。


「とりあえず、いったん帰りましょう」

 俺は肩に乗った小枝を払い落すと、お犬様に声をかけた。

『やつらを追わないのか?』

「必要ありませんよ」

『あたしらも帰るかぁ』

 カラスが翼をあげて、空に舞い上がる。

「また何か動きがあったら、俺にも教えてくれ。白水神社か、でなきゃその麓の家にいるから!」

 俺が呼びかけると、カラスたちは『了解かぁ』という返事とともに、山を越えて飛び去っていった。


 俺は斜面をくだりはじめる前に、谷川を挟んで向こう、白水山のほうへ目を向けた。おそらくこの川が町の境界になっていて、こちらの山は隣町の土地で、あちらが俺たちの町なのだと思う。

 先ほど車で走ってきた道路が、山腹を這うように伸びていて、その周辺の木々が伐り倒され、開かれている様子がよく見えた。その範囲はまだ広くないが……これから、じわじわと森を侵食していくのだろう。


 さらに遠くに目を向けると、こんもりとした濃い緑のエリアがあって、そこが白水神社なのだとすぐに分かった。

「俺たちの森まで伐られることは、ないと思うけれど……」


 それでも、森が伐られ、山が削られ開発されている様を見ると、複雑な気持ちになった。

 手入れもされていない杉林よりは、発電所を作ったほうが、世のためになるのかもしれないが……俺には、切り倒されていく森の声なき悲鳴が聞こえるようで、思わず胸の辺りの服をぎゅっと握った。

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