番外編 ガジュマルの木と精霊

 妹夫婦が住んでいるのは、那覇市郊外の一軒家の借家。古めだがその分家賃もお安くて、広い庭までついた物件だ。


 妹の旦那も沖縄の人というわけではなく、仕事でこちらに住んでいるそうだ。沖縄の海や森の生態調査が仕事らしく、頻繁に出張にいって家にいないことも多いから、ワンオペ育児になりそうだった加奈が、サポートに両親を召喚した、という次第。

 沖縄移住に憧れていたうちの親にとっても、願ってもない話だったに違いない。

 久しぶりに会った両親は顔色もよく、沖縄生活を満喫しているようだった。


 夕食までには時間があるというので、俺は家の周辺をぶらぶら探索した。

 家の塀にはピンクや白のブーゲンビリアの花が咲いていて、目にも鮮やかだ。赤いハイビスカスも派手だし、南国の花の精はきっと、目立ちたがりに違いない。

 白水神社の外に出ると、とたんに俺の「見る力」は弱まってしまって、彼らの姿をとらえられないのが、このときばかりは残念だった。


 家の裏に回ったとき、俺は奇妙な木を見つけて目を見開いた。

「なんだあの不気味な木は」

 そこには、まるで巨大な幽霊のような姿の木が生えていた。細長いつるのような、根のようなものが幹にからまり、枝からも垂れ下がり、おどろおどろしい。

 何百年生きているのだろうか。幹は大人が三人いても、抱えられなさそうな太さだった。

「これ、絶対にいるよな……」

 古い木が持つ独特の空気を感じる。背後に誰かがいる気がして、思わず振り返る。だが、何も見えない。


 そのとき、首筋に冷たいものを感じて、俺は飛び上がった。

「うわっ!」

 あわてて首を払うと、手に触れたのは枯れ葉が一枚。枯れてもなおつやつやとして、分厚い葉だ。間違いなく、この木の葉だろう。

「おどかしやがって……」

 話しかけられているよな、間違いなく。こいつは何を言っているのだろうか。わからないのがもどかしい。

「どうも、お初にお目にかかります。二晩だけ、お世話になりますよ」

 俺は根と枝の絡まりあった古木を見上げて、とりあえずそう話しかけた。

 だが返事はない。……ちょっと虚しい。


「そいつは、ガジュマルと言うそうだ」

 声に振り返ると、親父がゆっくりと歩いてくるところだった。

 俺の隣に立つと、不気味な姿をした木を見上げる。

「いるよな、絶対」

 俺が話しかけると、親父はうなずいた。

「だろうな」

「親父は見えるのか?」

「いいや、残念ながら」

「そっか……」

 夕飯だぞ、と親父に言われて、俺は「ガジュマル」という木のことが気になりつつも、いったん家に戻った。


 夕食には、豚バラの薄切り肉とたっぷりの野菜の豚しゃぶを、シークワーサーを使ったポン酢でいただいた。

 ああ、豚の脂の甘みとポン酢のさわやかさのコンビネーションがたまらん。

「これはね、琉球豚のお肉なのよ。アグーっていうんだって」

 おいしいよねえ、と妹がまだ幼い甥っ子を膝に抱えながら、そう解説する。甥はちょうど二歳になった頃で、早くもご飯に飽きて、スプーンで遊ぶことに夢中だ。


「なあ、そういえばさ。裏の木のことなんだけど」

 俺が飯の合間にそう訊ねると、妹の加奈はぴくりと眉をあげた。

「お兄ちゃん、見た?」

「見たけど、見えない」

「私は引っ越してきた頃、見たよ」

 そんな会話が当たり前のように交わされるのが、山宮家の食卓だ。

 やっぱりちょっと変わっているのかもしれないと、改めて思ったりする。

「あの木の精霊のことを、こっちの人は、キジムナーって呼ぶんだって」

「へえ、名前もあるんだな。あの木はよほど、力を宿しやすい種類なんだな」

 たぶん、見えない普通の人でも、あの木には何かいると、感じるのだろう。

「でも、今は滅多に出ない、と思う」

「どういうことだ?」

「近所のユタにお願いして、出ないようにしてもらったの」

 加奈はそう説明した。ユタというのは、沖縄のシャーマンというか霊媒師というか、そういった感じの人らしい。

「出ないように、とは?」

「だって、夜寝られなかったんだもの」

 どうやら、何かしらの方法で、木の精を封じ込めた、ということのようだった。

 ……そんなことをして、大丈夫なのだろうか。自然に宿るものたちは、基本的に自由で、気ままで、悪気はないことがほとんどだ。だけど、害するものに対しては、手ひどいしっぺ返しを食わすことがあるから。


 その夜、用意してもらった寝室のベッドで眠っていたとき。

 真夜中にふと目が覚めた。

 半開きの部屋の扉のところに、何かがいる気がする。身体を動かそうとするが、まるで縛り付けられたように動けない。

「な、なんだ……」

 何者かが、すーっと部屋の中に入ってきて、ベッドの横で立ち止まったかと思うと、胸の上にずしっと重みがかかって息ができなくなる。振り払おうともがくが、身体が動かない。俺は混乱と恐怖に囚われ叫ぼうとするも、声すら出ない。

『痛い、痛いの……』

 耳元で声がする。痛い、痛いと繰り返す。

 俺は必死でもがいた。

 やがて、どすんと背中に痛みが走って、ぱちんと縄が切れたように身体が軽くなった。影がすうっと部屋を出ていくのが見えた気がした。


 気がつくと、俺はベッドから落ちて冷たい床で寝ていた。

 体が動くようになっている。どっと冷や汗が出て、心臓がバクバク鳴っていた。

「今のはなんだ……?」

 金縛りにあっていたようだった。それに、あの影と声。

 

 再びベッドに横になったが、その後はほとんど眠れずに一夜を過ごした。

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